第43話 ── 免税の三年、算盤の一手
偽りの名を騙った男が港を去ったあとも、オルガ村の港は止まらなかった。
荷役橋は唸りを上げ、鉄の爪が正確に荷を運ぶ。
帳簿は回り、人は動き、船は接岸する。
その全てを、徴税官ゴルドンは黙って眺めていた。
(……ここまでやっておいて、三年免税、か)
未開拓地復興特例。
自分が半年前に「徴収不能」と判断した土地に適用される制度だ。
だが――。
(制度は、弱者のためのものだ。 ここはもう、“弱者”じゃない)
ゴルドンは帽子のつばを押さえ、ゆっくりと振り返った。
「……話を変えよう」
その声に、港の空気がわずかに引き締まる。
リーネが一歩前に出た。
いつもの柔らかな笑顔だが、目は完全に商人のそれだった。
「はい。免税の件ですわね?」
「話が早いな」
「三年免税は、制度上まだ有効。 ですが、今の港を見て“このままでいい”と仰る方はおりませんもの」
ゴルドンは口角を歪めた。
「……嬢ちゃん、正直だな」
「商売ですから」
港櫓の影で、村人たちが息を殺して聞いている。
「では、確認しよう」
ゴルドンは台帳を開いた。
「この村は、免税を続けることもできる。 だが、その場合――」
ページをめくる。
「“王国の保護外”という扱いになる」
静寂。
「問題が起きても、領主は動かない。 盗賊が来ても、海賊が来ても、中央は知らん顔だ」
その言葉に、トマルが歯を噛みしめた。
だが、リーネは首を傾げる。
「……それ、今と何が違いますの?」
「何?」
「保護、受けておりませんわよ? ここがこうなったのは、全部――」
ちらりとアジムを見る。
「自力ですもの」
ゴルドンは一瞬、言葉を失った。
(……こいつ、強いな)
「……なら、税を払うか?」
「払えますわよ?」
即答だった。
村人がどよめく。
「ただし」
リーネはにっこり笑う。
「値切りますけど」
「……は?」
「だって、考えてくださいな?」
リーネは指を折る。
「建設費。ほぼゼロ。 人件費。村人同士ですから現金支出なし。 維持費。鉄は内製、石は山、木は森」
指が三本立った。
「つまり、ここ……現金が余ってるんですの」
ゴルドンの眉がぴくりと動いた。
「使い道、ないですし」
「……ほう」
「ですから、税を払うこと自体は構いませんの。 でも、“満額”は嫌ですわ」
その瞬間。
「はあ!?」
ゴルドンが声を荒げた。
「免税を捨てておいて、値切るだと!?」
だが、リーネは一歩も引かない。
「ええ。 だって、こちらが払わなくても――」
港櫓を見上げる。
「この港、止まりませんもの」
鉄の爪が、重い荷を引き上げる。
「でも、王国側は違いますわよね?」
ゴルドンの喉が鳴る。
「この港が動けば、物流が動く。 物流が動けば、商会が動く。商会が動けば――」
にっこり。
「税が増えます」
沈黙。
(……完全に読まれてやがる)
「それに」
リーネは、急に声色を変えた。
「うち、皇国の商会が支店を置いてますの。 向こうは……税、取りませんわよ?」
ゴルドンの背筋に、冷たいものが走った。
「……おい」
「ええ。 王国が“渋る”なら、皇国が喜びます」
そして、満面の笑み。
「ほな、どうします?」
――完全に、市場のおばちゃんだった。
「値切るで? まとめて払うで? 長く付き合うで?」
ゴルドンは、台帳を閉じた。
「……条件を聞こう」
「ありがとうございます」
リーネは、算盤を取り出した。
「まず、免税は“書類上”継続。 実際の支払いは、港使用税という形で」
「ほう」
「定額ではなく、取扱量連動。 王国商会が使えば使うほど、税が入る仕組みですわ」
ゴルドンは、思わず唸った。
「……悪くない」
「さらに」
算盤を弾く。
「徴税官殿には、ここを“発見した功績”があります。 最初の報告者ですもの」
ちらり。
「昇進、狙えますわよ?」
完全に刺さった。
「……条件は?」
「税率、最低ライン。 三年後、再交渉」
ゴルドンは、長く息を吐いた。
「……書類は、私が整える」
「ありがとうございます」
リーネは深く一礼した。
ゴルドンは帽子をかぶり直す。
「嬢ちゃん」
「はい?」
「……あんた、恐ろしいな」
「褒め言葉として受け取りますわ」
去り際、ゴルドンはアジムを見た。
「お前さんもだ。 殴らずに済ませたな」
「……ああ」
港は、何事もなかったかのように動き続ける。
免税は続く。
だが、それは“保護”ではない。
選んだ結果だ。
リーネは算盤をしまい、呟いた。
「これで、王国商会も来やすくなりましたわね」
アジムは、鉄の支柱に手を置いた。
「……面倒が増える」
「ええ」
笑顔で。
「でも、楽しいですわよ?」
港は止まらない。
金も、人も、思惑も。
オルガ村は今、誰にも切れない札になりつつあった。




