表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/86

第42話 ── 知らぬ領主、迫る圧、偽りの名


 王国北方、辺境伯領。


 石造りの領主館は、季節外れの冷たい風に晒されていた。

 執務室の窓は閉められているにもかかわらず、どこか落ち着かない空気が漂っている。


 領主アルヴェーンは、机に積まれた書類の束を前に、眉間を押さえていた。


「……もう一度、説明してくれ」


 向かいに立つ補佐官が、小さく喉を鳴らす。


「はい。中央より届いた再調査報告によりますと──

 旧・徴収不能地帯であった海沿いの廃村にて、港湾設備の建設が確認され……

 現在は“オルガ村”として再登録の手続きが進行中とのことです」


「……港?」


 アルヴェーンは思わず顔を上げた。


「待て。あそこは、ただの浜辺だったはずだ。 岩が多く、波も荒い。だからこそ、誰も手を出さなかった土地だ」

「我々も、その認識でした」


 補佐官の声は歯切れが悪い。


「ですが……現地には既に、管理棟、荷役設備、桟橋が存在し、 さらに──」


 一瞬、言葉を選ぶ沈黙。


「皇国の商会が、支店を設置したとの報告があります」


 アルヴェーンの指が止まった。


「……皇国?」


 その二文字だけで、胸の奥が重くなる。


 皇国。

 大陸最大の経済圏。

 軍事、物流、商業、そのすべてにおいて、王国が正面から競える相手ではない。


「……私の承認は?」

「ありません」


 即答だった。


 執務室に沈黙が落ちる。


 港湾の設置。

 外国商会の進出。

 本来なら、いずれも領主権限に属する案件だ。


 それにもかかわらず、自分は何一つ知らされていない。


「……つまり」


 アルヴェーンは、ゆっくりと息を吐いた。


「私は、完全に後手に回っている、ということか」

「……はい」


 怒りよりも先に、困惑が勝った。


 なぜ報告が遅れたのか。

 なぜ既成事実になっているのか。

 そして、なぜ皇国なのか。


「首席政務官を呼べ」


 低い声で告げる。


 ほどなくして、政務官と顧問たちが集められた。

 重苦しい空気の中、首席政務官が口を開く。


「閣下。これは、看過できる事態ではありません」

「分かっている」


 アルヴェーンは頷く。


「だが、正面から介入すれば、皇国を刺激する。 それもまた、問題だ」


 軍事担当の顧問が顎を撫でた。


「港は、いかようにも転用できます。 現時点では物流用でも、将来的な意味合いは不透明です」


 財務官は、別の角度から言った。


「しかし、閣下。 適切に管理できれば、あの港は莫大な税収源になります」

「問題は、“管理できていない”ことだ」


 首席政務官が静かに告げる。


「現地は、独自に動きすぎています。 このままでは、領主権限が形骸化しかねません」


 アルヴェーンは、苦々しく目を閉じた。


「……では、どうする」


 短い沈黙の後、首席政務官が言った。


「非公式に、状況確認を行うべきかと」

「非公式、とは」

「表向きは、閣下の代理として。 実際には、情報収集と事実確認です」


 危うい策だと、アルヴェーンにも分かった。

 だが、他に選択肢はない。


「……責任の所在は?」

「問題が起きた場合、その者に負わせます」


 即答だった。


 アルヴェーンは、深く息を吐く。


「……分かった。ただし、深入りはさせるな」

「承知しました」


 こうして、一人の男が選ばれた。


 元下級役人。

 口が上手く、立ち回りも器用。

 そして――切り離しが容易な立場。


 男は、領主の名を借り、オルガ村へ向かった。


◆オルガ村港。


 港櫓の上では、荷役橋が規則正しく動いていた。

 鉄の爪が荷を掴み、船から陸へと運び上げる。


 管理棟の前に一団が現れたのは、その最中だった。


「……王国の使者?」


 護衛官が警戒する。


 外套には、確かに領主家の紋章。

 だが、差し出された文書は、どこか要件が曖昧だった。


「私は、領主府の非公式代理だ」


 男はそう名乗った。


 ざわめく村人たちの中で、リーネが一歩前に出る。


「ようこそ。 ですが……ご用件は?」

「噂の確認だ。 この港が、正当に運営されているかをな」


 視線が、港全体を舐める。


「場合によっては、管理権の一部を領主府へ戻してもらう必要がある」


 リーネは、にこやかに微笑んだ。


「正式な通達は?」

「……後日になる」


 その一言で、確信した。


「恐れ入りますが」


 リーネの声が冷える。


「正式印のない要請には、応じられませんわ」

「領主の名を疑うのか?」

「名ではなく、権限を確認しております」


 その時だった。


「用件は、それだけか」


 アジムが、静かに口を開いた。

 男は、一瞬だけ言葉に詰まる。


「……皇国商会の活動も、やや過剰だ。 王国商会を優先的に──」

「できない」


 短い拒絶。

 空気が張り詰める。


 そこへ、もう一人の来訪者が現れた。


「……これはこれは」


 徴税官ゴルドンだった。

 彼は使者を見るなり、眉をひそめる。


「失礼。 どちらの部署の方で?」

「……領主府の代理だ」

「ほう?」


 ゴルドンは、リーネを見る。


「私は中央の徴税官ですが…… そのお顔、存じ上げませんが」


 男の顔色が変わった。


 リーネは、静かに畳みかける。


「あら。 王国中央と、領主府の代理が、初対面ですの?」


 沈黙。


 男は悟った。

 ここでは、何もできない。


「……本日は、状況確認だけだ」


 そう言い残し、踵を返す。

 港の機械音が、やけに大きく響いた。


 リーネは、その背を見送りながら呟く。


「……ようやく、動き出しましたわね」


 アジムは、鉄の支柱に手を置いた。


「面倒になる」

「ええ。でも――」


 リーネは、港を見渡す。


「もう、後戻りはできません」


 港は動いている。

 物流は止まらない。


 そして知らぬところで、 領主も、王国も、動き始めていた。


 それぞれが、違う思惑を抱えたまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ