第42話 ── 知らぬ領主、迫る圧、偽りの名
王国北方、辺境伯領。
石造りの領主館は、季節外れの冷たい風に晒されていた。
執務室の窓は閉められているにもかかわらず、どこか落ち着かない空気が漂っている。
領主アルヴェーンは、机に積まれた書類の束を前に、眉間を押さえていた。
「……もう一度、説明してくれ」
向かいに立つ補佐官が、小さく喉を鳴らす。
「はい。中央より届いた再調査報告によりますと──
旧・徴収不能地帯であった海沿いの廃村にて、港湾設備の建設が確認され……
現在は“オルガ村”として再登録の手続きが進行中とのことです」
「……港?」
アルヴェーンは思わず顔を上げた。
「待て。あそこは、ただの浜辺だったはずだ。 岩が多く、波も荒い。だからこそ、誰も手を出さなかった土地だ」
「我々も、その認識でした」
補佐官の声は歯切れが悪い。
「ですが……現地には既に、管理棟、荷役設備、桟橋が存在し、 さらに──」
一瞬、言葉を選ぶ沈黙。
「皇国の商会が、支店を設置したとの報告があります」
アルヴェーンの指が止まった。
「……皇国?」
その二文字だけで、胸の奥が重くなる。
皇国。
大陸最大の経済圏。
軍事、物流、商業、そのすべてにおいて、王国が正面から競える相手ではない。
「……私の承認は?」
「ありません」
即答だった。
執務室に沈黙が落ちる。
港湾の設置。
外国商会の進出。
本来なら、いずれも領主権限に属する案件だ。
それにもかかわらず、自分は何一つ知らされていない。
「……つまり」
アルヴェーンは、ゆっくりと息を吐いた。
「私は、完全に後手に回っている、ということか」
「……はい」
怒りよりも先に、困惑が勝った。
なぜ報告が遅れたのか。
なぜ既成事実になっているのか。
そして、なぜ皇国なのか。
「首席政務官を呼べ」
低い声で告げる。
ほどなくして、政務官と顧問たちが集められた。
重苦しい空気の中、首席政務官が口を開く。
「閣下。これは、看過できる事態ではありません」
「分かっている」
アルヴェーンは頷く。
「だが、正面から介入すれば、皇国を刺激する。 それもまた、問題だ」
軍事担当の顧問が顎を撫でた。
「港は、いかようにも転用できます。 現時点では物流用でも、将来的な意味合いは不透明です」
財務官は、別の角度から言った。
「しかし、閣下。 適切に管理できれば、あの港は莫大な税収源になります」
「問題は、“管理できていない”ことだ」
首席政務官が静かに告げる。
「現地は、独自に動きすぎています。 このままでは、領主権限が形骸化しかねません」
アルヴェーンは、苦々しく目を閉じた。
「……では、どうする」
短い沈黙の後、首席政務官が言った。
「非公式に、状況確認を行うべきかと」
「非公式、とは」
「表向きは、閣下の代理として。 実際には、情報収集と事実確認です」
危うい策だと、アルヴェーンにも分かった。
だが、他に選択肢はない。
「……責任の所在は?」
「問題が起きた場合、その者に負わせます」
即答だった。
アルヴェーンは、深く息を吐く。
「……分かった。ただし、深入りはさせるな」
「承知しました」
こうして、一人の男が選ばれた。
元下級役人。
口が上手く、立ち回りも器用。
そして――切り離しが容易な立場。
男は、領主の名を借り、オルガ村へ向かった。
◆オルガ村港。
港櫓の上では、荷役橋が規則正しく動いていた。
鉄の爪が荷を掴み、船から陸へと運び上げる。
管理棟の前に一団が現れたのは、その最中だった。
「……王国の使者?」
護衛官が警戒する。
外套には、確かに領主家の紋章。
だが、差し出された文書は、どこか要件が曖昧だった。
「私は、領主府の非公式代理だ」
男はそう名乗った。
ざわめく村人たちの中で、リーネが一歩前に出る。
「ようこそ。 ですが……ご用件は?」
「噂の確認だ。 この港が、正当に運営されているかをな」
視線が、港全体を舐める。
「場合によっては、管理権の一部を領主府へ戻してもらう必要がある」
リーネは、にこやかに微笑んだ。
「正式な通達は?」
「……後日になる」
その一言で、確信した。
「恐れ入りますが」
リーネの声が冷える。
「正式印のない要請には、応じられませんわ」
「領主の名を疑うのか?」
「名ではなく、権限を確認しております」
その時だった。
「用件は、それだけか」
アジムが、静かに口を開いた。
男は、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……皇国商会の活動も、やや過剰だ。 王国商会を優先的に──」
「できない」
短い拒絶。
空気が張り詰める。
そこへ、もう一人の来訪者が現れた。
「……これはこれは」
徴税官ゴルドンだった。
彼は使者を見るなり、眉をひそめる。
「失礼。 どちらの部署の方で?」
「……領主府の代理だ」
「ほう?」
ゴルドンは、リーネを見る。
「私は中央の徴税官ですが…… そのお顔、存じ上げませんが」
男の顔色が変わった。
リーネは、静かに畳みかける。
「あら。 王国中央と、領主府の代理が、初対面ですの?」
沈黙。
男は悟った。
ここでは、何もできない。
「……本日は、状況確認だけだ」
そう言い残し、踵を返す。
港の機械音が、やけに大きく響いた。
リーネは、その背を見送りながら呟く。
「……ようやく、動き出しましたわね」
アジムは、鉄の支柱に手を置いた。
「面倒になる」
「ええ。でも――」
リーネは、港を見渡す。
「もう、後戻りはできません」
港は動いている。
物流は止まらない。
そして知らぬところで、 領主も、王国も、動き始めていた。
それぞれが、違う思惑を抱えたまま。




