第40話 ── 行商人は港を測る
再びオルガ村を訪れたのは、三日続きの曇天がようやく切れた朝だった。
丘を越え、海が見えた瞬間――
ラグスは、思わず手綱を引いた。
「……ああ」
声にならない声が、喉の奥から漏れる。
見覚えは、確かにある。
ここに港を作ると言っていたことも覚えている。
石を積み、杭を打ち、まだ“工事中”だったあの光景も。
だが。
「……できてるな」
それは、漠然とした感想だった。
だが、行商人として十年以上、各地の港や市を見てきた男の言葉としては、最大級の評価でもあった。
荷馬車の後ろに続く二人――
王国商会の下働きに近い立場の男たちも、無言で港を見つめている。
「ラグスさん……」
「話に聞いてた“漁村の港”とは……」
「だろうな」
ラグスは乾いた笑みを浮かべた。
「俺も、ここまでとは思っちゃいなかった」
港は、静かだった。
怒号も、笛の音もない。
人が走り回ることもなく、荷は――流れている。
鉄の爪が、船の甲板から木箱を掴み、
そのまま橋を渡り、港櫓の中へ消えていく。
「人が……少ないですね」
「少なくていいんだ」
ラグスは言った。
「港ってのはな、賑やかに見えるのが“下”。 静かなのが“回ってる”証拠だ」
港櫓の壁面に取り付けられた、真新しい鉄の看板が目に入る。
――ルーン商会・オルガ村支店。
「……皇国が、先に噛んだか」
(……ちくしょう、先を越されたな)
その一言に、後ろの二人が息を呑んだ。
「じゃあ、王国は……」
「迂闊に手は出せねえな」
「そういうことだ」
ラグスは馬車を進めながら続ける。
「だが、完全に締め出されたわけでもない。 ここは“王国領”だ。 陸路は、俺たちの庭だ」
港櫓の前で、馬車が止められた。
出迎えたのは、見覚えのある顔だった。
「……久しぶりだな、ラグス」
「変わってねえな、アジム」
短い挨拶。
だが、視線は互いに港を測っている。
「前に来たときは、まだ骨組みだった」
「今は?」
「……使える」
それ以上の賛辞はなかった。
だが、アジムはそれで十分だと理解していた。
港櫓の中へ案内される。
帳簿。
荷の流れ。
入出港の時間管理。
すべてが、過不足なく整えられていた。
「……なるほど」
ラグスは、帳簿を一瞥しただけで閉じる。
「これは、現場を知らない商人には真似できねえな」
そこへ、軽い足音。
「ラグスさん。お久しぶりですわ」
リーネだった。
かつてより、表情は柔らかい。
だが、纏う空気は明らかに“商人”のそれだった。
「噂には聞いてたが……」
「正式に、支店長を務めております」
「……はは」
ラグスは頭を掻いた。
「生きてるどころか、出世してたか」
後ろの王国商会の男たちが、息を呑む。
皇国商会。
その“直系”が、ここにいる。
「今日は、王国側の商会の方をお連れしました」
リーネがそう言うと、男たちは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「我々は、王都南部の陸運を扱っております」
「港と陸路を繋ぐ取引を、ご相談に」
リーネは即答しなかった。
一拍置いて、アジムを見る。
「……アジムさん」
「聞くだけだぞ」
それで十分だった。
「では」
リーネは微笑む。
「港から直接、陸路倉庫へ。 積み替えは一度きり。 税と検分は、すでに皇国側と合意済みです」
王国商会の男が、思わず前のめりになる。
「それは……!」
「王国側にも、利はあります」
リーネは静かに言った。
「港は“入口”。 陸路は“広がり”ですわ」
ラグスは、そのやり取りを黙って聞いていた。
(なるほどな)
皇国を盾にし、王国には“利”だけを差し出す。
だからこそ――
(領主が、まだ出てこねえ)
話が終わり、港を出るとき。
ラグスは振り返った。
「……アジム」
「なんだ」
「ここはもう、“村の港”じゃねえ」
アジムは否定しなかった。
「だが、まだ“都市”でもない」
「だから、面白い」
ラグスは笑った。
「俺はまた来る。 今度は、もっと大きな話を持ってな」
港の灯りが、昼の光を反射して静かに輝いていた。
オルガ村は今、王国と皇国の“間”に立つ港として、確かに動き始めていた。




