第35話 ── 鋼の矜持、労働の理
オルガ村の朝は早い。
水平線から太陽の端が顔を出す頃には、村のあちこちから槌音や家畜の鳴き声、そして――
「鉄の爪」が動き出す、重厚な軋み音が響き始める。
村の中央にある集会所。
本来は寄り合いや臨時の宴会場として使われるそこが、昨夜から皇国の護衛官三人の仮の宿となっていた。
固い板張りの床。
どこからか持ってきた、お世辞にも柔らかいとは言えない藁の布団。
皇国の豪華な兵舎や、商船のふかふかのベッドに慣れた彼らにとって、それは屈辱と呼ぶに等しい一夜だった。
「……背中が、割れそうだ」
最初に起き上がったのは、女騎士アステルだった。
彼女は騎士の矜持で姿勢を正し、寝癖ひとつないよう髪を整えていたが、その表情には隠しきれない疲労の色がある。
隣では、大男のゴーリキが、
「ぐぬぬ……」
と唸りながら、あまりに窮屈な布団の上で身体を折り曲げていた。
「おい、ハバス……。よくこんな場所で、いびきをかいて寝てられたな」
「……プロは、寝られる時に寝るもんだぜ。ゴーリキ」
ハバスはいつの間にか起きており、窓際でナイフを研いでいた。
隠密として野営にも慣れている彼だが――
朝一番、窓から見下ろした港の光景に、わずかに眉を動かす。
「……おい、見ろよ。あの大将、もう動いてやがる」
三人が窓から覗くと、朝靄に包まれた岸壁に、アジムとリーネの姿があった。
アジムは鉄の爪の脚部に手を当て、微細な振動を確認している。
リーネはその横で、朝の光を反射する算盤をパチパチと弾きながら、指示を飛ばしていた。
「……さて。お目覚めか、皇国の精鋭さんたち」
アジムが顔を上げずに言う。
その声は、驚くほど正確に三人の居場所を捉えていた。
「昨夜も言ったが、ここは――働かざる者食うべからずだ」
「朝食のスープにありつきたければ、すぐに下りてこい」
港へ下りた三人を待っていたのは、容赦ない洗礼だった。
「アステル。お前はこっちだ」
アジムは、ハサミガイの抜け殻が山積みになった一角を指差す。
「新造船のフレームに使うトラスの継ぎ目を選別する。 お前のその“騎士の目”で、微細なヒビや歪みがある殻を撥ねろ」
「……剣が使えるなら、素材の“芯”も見抜けるはずだ」
「な……。 この私が、貝殻の仕分けですって!?」
「雑用じゃない。船の強度は、お前の選別にかかっている」
淡々とした宣告。
「嫌なら、朝飯は抜きだ」
助けを求めるようにリーネを見るが、彼女はにっこり微笑んだ。
「一万枚ほどありますけれど、お昼までにお願いしますね」
「……一万、枚……」
アステルは絶望しながら貝殻の山に座り込んだ。
「次。ゴーリキ」
「おう! 重いもんか? だったら願ってもねえ!」
「違う。 この鉄の爪の駆動ギアを、手動で回せ」
巨大なハンドルを示す。
「俺の合図で一定のテンポを保て。 崩せば……腕が折れる」
「……回すだけか? 楽勝だな!」
だが、それは地獄の始まりだった。
石材が吊り上がるたび、ハンドルに凄まじいトルクがかかる。
力だけでは足りない。
リズム。等速。制御。
「ぐ、ぬぬ……っ! なんだ、この重さ……!」
「リズムがズレてる。やり直しだ」
冷徹な声。
「ハバス」
「俺は? 掃除か?」
「村の外周だ。 鳴子が鳴る前に“違和感”を見つけろ」
「お前の隠密技術を、この村の防壁に組み込む」
「……へぇ。面白い。乗った」
ハバスは音もなく闇に溶けた。
昼前
港は悲鳴と唸り声に包まれていた。
「……九千七百八十二……合格……」
アステルは指先だけで歪みを見抜く域に達していた。
「はぁ……はぁ……! これで……最後だ……!」
ゴーリキは上半身裸で石を吊り上げ切る。
「合格だ。 お前、機関の代わりになるな」
「……俺を機械扱いするな……」
だが、その顔には達成感があった。
「素晴らしいですわ!」
リーネが拍手する。
「今日の作業、三時間前倒しです!」
「……案外、使えるな」
それは、最大級の賛辞だった。
ハバスが戻る。
「西に妙な足跡。 ヘイズ商会の手の者だ」
空気が変わる。
「……あいつらは夜に来る」
「案内しろ。 お前らの“騎士の仕事”を見せてもらう」
夜
刺客たちは、自分たちの不運を呪った。
地面は滑り、木は粘り、鉄球が揺れる。
「理(物理)を無視して動くから、そうなる」
鉄球は鼻先で止まり、刺客は失神した。
「……昨日、機嫌を損ねなくて正解だったな」
「……ええ。質が悪すぎるわ」
翌朝
藁の匂いは変わらない。 だが、空気は違っていた。
「今日は何だ?」
「今日は――お前らの家を作る」
三人は顔を見合わせ、笑った。
オルガ村という防壁に、三つの鋼が噛み合った瞬間だった。
◆ 第35話の裏話 ── 闇に潜む者は「摩擦」を知らない
ハバスの誘導で村の境界へと向かった刺客たちは、目標であるリーネの寝所に繋がる唯一の小道を見つけ、ほくそ笑んでいた。
「……チョろいもんだ。辺境の村など、夜になればただの暗穴よ」
刺客の一人が一歩踏み出した、その瞬間だった。
カチリ、と足元で小さな「鉄の芋虫」が跳ねる音がした。
「なんだ、虫か……?」
それが地獄の合図だった。
アジムが昼間のうちに、地面の石材の隙間に「滑車と鉄線」を張り巡らせていたのだ。
まず、刺客の足元で地面が「鏡面仕上げ」のように滑らかになった。
踏み込んだ勢いのまま、刺客たちはスケートリンクに放り出されたかのように、派手に足を滑らせる。
「うわっ!? 止まらな……」 「馬鹿、踏ん張るな! 腕を……ッ!?」
転びそうになった刺客が反射的に近くの木に手を伸ばす。
そこにはアジム特製の「超粘着・芋虫鉄の糸」が塗りたくられていた。
滑る地面と、剥がれない木。
刺客たちの体は、あられもない方向にねじれ、まるで複雑な知恵の輪のように互いに絡まり合っていく。
そこへ仕上げとばかりに、アジムが「鉄の爪」の予備パーツで作った『振り子式の鉄球』が、闇夜から音もなくスイングしてきた。
「理を無視して動こうとするから、そうなるんだ」
アジムが影から現れ、指をパチンと鳴らす。
鉄球が刺客たちの鼻先数センチで止まり、その風圧だけで彼らは失神した。
その光景を木の上から見ていたハバスは、冷や汗を流して呟いた。
「……おいおい、アステル。あの大将の機嫌を損ねなくて正解だったな。あんな罠、軍の訓練でも見たことねえぞ」
アステルも、静かに剣を納めながら同意した。 「……ええ。力でねじ伏せるより、ずっと質が悪いわ」




