第34話 ── 鉄の意地、お嬢様の算盤
石積みの岸壁に、ブラムたちの仰々しい跪きが続いている。
静まり返る港。
だが、リーネの顔色は、隠しきれない不機嫌さに染まっていた。
「……お立ちなさい、ブラム。石畳の隙間に膝の飾りが挟まって、あとで泣きを見るのは貴方ですよ」
リーネの冷ややかな一言に、ブラムは「ひっ」と短い悲鳴を上げて立ち上がった。
なるほど、確かにリーネの言う通りだ。
彼が履いているズボンには無駄に豪華な飾りが、これでもかというほど付いている。
それが粗削りの石材に引っかかって無残にほつれていた。
「そ、そんなことよりリーネ様! なぜこのような、魔獣と野蛮人が砂を噛んで暮らすような辺境に! 会長閣下は、貴女様が海難事故で亡くなられたと……!」
「砂は噛んでいません。アジムさんの干物は絶品ですし、ヴィントさんの奥様が作るスープは皇国の宮廷料理よりずっと滋養があります。失礼なことを言わないで」
リーネがぴしゃりと言うと、後ろで斧を担いでいたヴィントが、
「おう、そうだぞ金ピカ野郎。うちのカミさんのスープを馬鹿にする奴は、俺の斧の錆にしてやる」
と野太い声で加勢した。
ブラムは震えながらアジムを上から下まで眺める。
それから背後にそびえ立つ「鉄の爪」を仰ぎ見た。
「……それで、この鉄の化け物はなんです? 皇国の最新技術を盗み出したのですか? それとも、リーネ様を脅迫して作らせたと?」
「俺が作った。……あと、そいつは『化け物』じゃない。うちの『稼ぎ頭』だ」
アジムが一歩前に出ると、ブラムは怯えて数歩後ずさった。
アジムの体からは、連日の鍛錬と作業で染み付いた「鉄と汗と潮の匂い」が漂っている。
それは、高級な香水に身を包んだ皇国の役人にとっては、暴力そのものの象徴に見えたらしい。
「アジムさん、構わないでください。彼は計算高いだけで、自分では釘一本打てない男ですから」
リーネが呆れたようにため息をつき、ブラムに向き直った。
「ブラム。私がここを動かない理由は二つあります。一つは、私がここの公式な『経理顧問』として契約を結んでいること。もう一つは……」
リーネは、アジムが腰に下げている予備の「芋虫鉄」の束を指差した。
「皇国のどの錬金術師も成し得なかった『生きた鉄』の可能性がここにあるからです。これを放り出して帰れと言うなら、私は会長の娘を辞めて、ここで一生干物を作ります」
「ひ、干物ぉ!? ルーン商会の令嬢が干物職人!? 冗談ではありません! すぐに、すぐに連れ戻さねば……おい、お前たち! 丁重に、かつ強引にリーネ様を船へ!」
ブラムの号令で、武装した船員たちが動こうとした。
その瞬間、アジムの指先が微かに動いた。
「おい、動くなよ。……足元、滑るぞ」
アジムが地面に触れる。
すると、船員たちが踏み込もうとした石畳の表面が、魔法で一時的に「極限まで摩擦をゼロ」にされた。
「おわっ!?」
「うわぁぁぁ!」
船員たちはまるで初めて氷の上に乗ったかのように転倒し、そのまま岸壁を滑っていった。
必死に手を回すが、アジムが作り出した「超低摩擦ゾーン」では、立ち上がることすらできない。
「なんだ、これは! 何をした!」
「ただの『掃除』だよ。汚れがひどかったから、滑りやすくしただけだ」
アジムは無表情で、鉄の爪のレバーに手をかけた。
ギギギ、と不気味な音が響き、頭上の巨大な鉤爪がブラムの鼻先数センチのところでピタリと止まる。
「リーネは、俺の相棒だ。この港の帳簿は、あいつがいないと回らない。……それに、あいつは自分の意志でここにいる。皇国の法がどうだか知らんが、この村の法は、俺の魔法だ」
「な、ななな……」
ブラムの顔が引き攣る。
そこへ、バルじいが悠然と歩いてきた。
「かっかっか! ブラムと言ったか? 皇国の坊ちゃんよ。お主らが乗ってきたあの大きな船、あれ、今の潮の流れだと一時間後には岩礁に捕まって動けなくなるぞ」
「なにっ!?」
「リーネの嬢ちゃんの『風の読み』があれば避けられるが……さて、どうする? このままここで滑って遊んでいるか、それとも一度、話を座って聞くか?」
バルじいの言葉に、ブラムは沖の大型商船を振り返った。
確かに潮の流れが急激に変わり、巨大な船体がじわじわと岩礁へ引き寄せられている。
「……分かった、分かりましたよ! 立ち上がらせてくれ! 話を聞こうじゃないか!」
アジムが魔法を解くと、船員たちはようやく立ち上がることができた。
泥だらけの豪華な制服を払いながらアジムを睨むが、アジムは全く意に介さず、鉄の爪のメンテナンスを始めていた。
――村の高台にある、臨時の会議場(という名の食堂)。
ブラムは粗末な木製の椅子に恐る恐る腰を下ろした。
目の前には、リーネが淹れた「村特製の薬草茶」と、アジムが昨晩仕込んだ「魔獣シャコの燻製」が並んでいる。
「……それで、リーネ様。本当に、ここに残るおつもりなのですか?」
薬草茶を一口飲み、その意外な香りの良さに驚きながらも、公務の顔を取り繕うブラム。
「ええ。私はここで、ルーン商会の『投資先』としてのオルガ村を調査しています。ブラム、貴方も商売人なら、この港の価値が分かるはずよ」
リーネは帳簿を広げた。
そこには、アジムの技術によってどれだけ荷揚げが短縮され、どれだけの利益が見込めるかが、皇国の会計様式で完璧に記されていた。
「この『鉄の爪』一つで、荷役の効率は従来の三十倍。さらに、アジムさんの作る『海燕号』は魔獣の波を切り裂いて進みます。これが皇国に渡れば、北海航路の独占権すら揺るぎますわ」
ブラムの目が、商売人のそれに変わった。
「……確かに、この技術は驚異的です。ですが、それならばなおさら、商会が独占すべきだ。令嬢を回収し、この男……アジム殿を技術者として皇国へ招聘するのが筋というもの」
「断る。俺は海が嫌いなんだ。……船には乗るが、遠くへ行くのはごめんだ」
アジムの即答に、ブラムは口をポカンと開けた。
「皇国の宮廷技師になれば、一生遊んで暮らせる富が手に入るのですよ!?」
「富なんて、芋虫が食える分だけあればいい。俺はここで、この村の奴らが笑って暮らせる道具を作りたいだけだ」
アジムの職人気質な言葉に、リーネがクスクスと笑う。
「ブラム、聞こえました? 彼は金では動きませんわ。彼を動かせるのは、私の『計算』と、村のみんなの『笑顔』だけです」
「……計算、ですか」
「ええ。ルーン商会は、この村と『正式な通商条約』を結びなさい。リーネ・ド・ルーンを商会からの駐在特使としてここに置くこと。そして、この港の優先利用権を得る代わりに、村のインフラ整備に資金を出すこと。……これなら、お父様への報告も立つでしょう?」
ブラムは頭を抱えた。
「会長が納得されるかどうか……。しかし、この技術を他国に奪われるよりは、マシかもしれませんな」
横で黙々とシャコの燻製を齧るアジムを見て、ブラムは内心でつぶやく。
(……こいつは怪物だ。だが、このお嬢様も、以前よりずっと化け物じみている。……いや、逞しくなったと言うべきか)
「分かりました。ひとまず、本国へはそのように報告します。ただし! リーネ様、貴女様の身の安全を確保するため、商会の『護衛官』を数名ここに残します。これだけは譲れません」
「護衛? 結構ですわ。ここにはアジムさんの鉄の芋虫たちがいますもの。……ね、アジムさん?」
「……食費と寝床さえ確保するなら、護衛でも何でも置いていけ。石積みの手伝いでもさせる」
アジムの言葉に、ブラムは絶句した。
――夕暮れ時。
皇国の巨大な商船は、リーネの的確な風の読みと、アジムの「海燕号」による誘導で、無事に岩礁地帯を抜けて外海へと去っていった。
岸壁に残ったのは、アジムとリーネ、そしてブラムが置いていった数名の「困惑した表情の護衛官」たち。
「……行っちゃったわね」
リーネが伸びをしながら潮風を吸い込む。
その姿は、先程までの冷徹な令嬢とは別人のように軽やかだった。
「いいのか、リーネ。あんな大嘘ついて」
「あら、嘘じゃありませんわ。投資先としての価値は本物ですもの。ただ、お父様が『娘が洗脳された!』って叫んで軍艦を寄越さないかだけが心配ですけれど」
「……その時は、また滑る石畳を作ればいいか」
アジムの冗談に、リーネは声を上げて笑った。
「アジムさん、これからはもっと忙しくなりますわよ。皇国の資金が入るなら、次は岩盤倉庫の拡張、それから本格的なドックの建設……。私の算盤が、火を噴きますわ!」
「……ほどほどにしてくれ。俺の魔力が尽きるのが先か、お前の野望が叶うのが先か、勝負だな」
二人は、夕陽に赤く染まる「石の道」を歩き出した。
背後では、トマルが皇国の護衛官たちに向かって、
「おい、そこの金ピカ! ぼさっとしてないで網を運べ!」
と怒鳴っている。
オルガ村は、皇国という巨大な影を背負うことになった。
だが、その影すらも、アジムの鉄とリーネの知恵は、村を照らす光に変えていく。
「……さて。夕飯は何だ?」
「アジムさんの釣った魚の塩焼きですわ。……もちろん、私の分は大きいのをお願いしますね?」
潮風に混じって、新しい時代の音が聞こえていた。
それは守り抜いた日常を喜ぶ笑い声だった。
アジムの手の中で、小さな鉄の芋虫が、誇らしげにキュッ、と鳴いた気がした。
◆ 第34話の後日談
ブラムが去った後の岸壁で、残された3人はアジムと対峙します。
「アステル、ゴーリキ、ハバス。……お前らが、リーネの『番犬』か?」
アジムが尋ねると、リーダー格のアステルが冷ややかに剣の柄を叩きました。
「……不本意ながら。リーネ様に万一のことがあれば、貴方の首を皇国へ持ち帰るのが私たちの仕事です、アジム殿」
「へっ、威勢がいいねぇ。だがよ、アステル。こいつは鉄使いらしいぜ」
ハバスが軽口を叩き、ゴーリキは黙って「鉄の爪」の支柱を指先で弾き、その硬度に眉をひそめています。
アジムはため息をつき、空の荷車を指差しました。
「護衛の仕事があるまで暇だろう。……ゴーリキ、あっちの石材を運べ。アステルはハサミガイの殻の選別だ。ハバス、お前はトマルと一緒に哨戒網の鈴の調整に行け。……食うなら働けよ」
「はぁ!? 私たちは皇国のエリート護衛官だぞ!」
アステルの抗議も虚しく、リーネがにっこりと笑って算盤を弾きます。
「いいじゃありませんか。オルガ村は『働かざる者食うべからず』。それに、アジムさんの近くにいれば、一番安全に私を護衛できますわよ?」
こうして、オルガ村に「皇国の腕利き(かつ、最強の労働力)」が加わることになったのでした。




