第29話 ── 鉄の爪、絶壁を跨ぐ
オルガ村の港は、王国北端の断崖の真下にあった。
アジムが築いた防波堤のおかげで港内は穏やかになったが、根本的な問題は残ったままだ。
海面にある「岸壁」と、人々が暮らす「高台の村」。
その間に立ちはだかる、数メートルの垂直に近い段差。
それは、人の力で越えるにはあまりにも厄介な壁だった。
「せーのっ! 引けぇ! 綱を緩めるな!」
トマルの怒号が、岸壁に響く。
男たちは肩に麻縄を食い込ませ、巨大な材木を引き上げようとしていた。
だが──
「だめだ! 崖に噛んで動かねえ!」
ヴィントの叫びに、誰もが歯噛みした。
材木は岩肌に食い込み、摩擦が力を奪っていく。
人力で重力と摩擦を同時に相手取るには、限界があった。
「……物流が、ここで死んでいますね」
帳簿を抱えたリーネが、静かに言った。
「船は着けられる。でも、その先がない。この『垂直の壁』が、すべてを止めています」
アジムは拳を見つめた。
(人の力で越えようとするから、無理が出る)
そのとき、頭に浮かんだのは、これまで作ってきた道具だった。
ワイヤー。ドラグ。ラッチ。滑車。
「……まとめればいいんだ」
アジムは顔を上げる。
「リーネ。巨大な“門”を作ろう」
「門、ですか?」
「港を跨ぐ、鉄の門だ。荷物が空を渡るための」
芋虫鉄が呼び寄せられ、岸壁に根を張る。
鉄は支柱となり、梁となり、やがて港を跨ぐ巨大な四角い骨組みを形作った。
無骨で、力強い。
まるで鉄の獣が崖にしがみついているかのようだった。
「角度、少し内側だな」
ヴィントが言う。
「……なるほど」
アジムは頷き、構造を微調整した。
横梁の中には、鉄のレールが通される。
その上を、編み上げた移動台が滑る仕組みだ。
仕組みは単純だった。
船の上からフックを下ろし、
ワイヤーと滑車で荷を垂直に引き上げ、
高さを越えたら、そのまま横へ流す。
「いくぞ! トマル、爪を掛けろ!」
鉄の滑車が、キリキリと音を立てる。
四本の鉤爪──
通称『鉄の爪』が、巨大な材木を掴んだ。
「……浮いた!」
誰かが息を呑む。
十人がかりでも動かなかった大木が、音もなく宙に浮かび上がった。
ぶつかることなく、真っ直ぐに上へ。
やがて──
ガコン。
硬質な音と共に、材木は岸壁を跨ぎ、港側へと滑った。
「……今です」
リーネの合図で、荷は正確に荷車の上へ降ろされる。
爪が外れ、材木が収まった瞬間。
拍手が起きた。
驚嘆の声が、遅れて湧いた。
「……嘘だろ」
トマルが呆然と呟く。
「あんなに苦労してたのが、一瞬かよ……」
岸壁にそびえる鉄の門。
それは、村の技術が越えてしまった、新しい境界線だった。
「これで、垂直の壁は障害ではありません」
リーネが静かに言う。
「どんな荷でも、受け入れられます」
アジムは頷きながらも、胸の奥に小さな棘を感じていた。
(……便利すぎる)
この門ができた以上、オルガ村はもう閉ざされた辺境ではない。
王国の物流を引き寄せる“拠点”になる。
「進むってことは、覚悟がいるな」
「ええ。でも……進むしかありません」
滑車の音が、再び響く。
夕暮れの中、鉄の爪の影が港に伸びていた。
それがどれほど多くの視線を引き寄せるのか──
アジムには、まだわからなかった。




