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第25話 ── 進水、トラスの翼は波を斬る


朝の光が、砂浜を黄金色に染め上げる中、村中の人々が集まっていた。

人々の視線の先に鎮座するのは、これまで見たこともない異様な、そして美しい造形の船だった。


アジムが鉄の芋虫で編み上げた、銀色のトラス・フレーム。

ヴィントが厳選した堅木が、鱗のように、精密に組み合わされている。


「船の名は、『海燕うみつばめ号』だ」


アジムがそう宣言する。

バルじいが満足そうに、髭を蓄えた顎を撫でた。


「いい名じゃ。嵐を予見し、波間を縫うように飛ぶ鳥。この船には、ぴったりじゃな」


進水の儀が始まった。

トマルが持ってきた村特産の果実酒の瓶が、船首の鉄枠に当たって弾け、甘酸っぱい香りが、潮風に乗って漂う。


「……いくぞ、野郎ども」


アジムが地面に触れる。

精神を集中させ、地中の鉄成分と、自身の魔力を同調させる。


足元から数百、数千という鉄の芋虫が、砂を割って湧き出し、船の下で、「生きたローラー」の列を作った。


「せーの、いけぇ!」


トマルの掛け声とともに、巨大な船体が、砂浜を滑り出す。

芋虫たちが、その節くれだった体を、規則正しく転がし、驚くほど滑らかに、重力から解放されたように、海燕号は、初めて蒼い海へと、その身を預けた。


「……浮いた!」


リーネが、少女のような歓声を上げる。

吃水線きっすいせんは、彼女が夜を徹して、計算した通りだった。


鉄を使っているにもかかわらず、内部をトラス構造による、空洞と骨組みに、整理したおかげで、従来の鉄船よりも、遥かに浅く、軽やかに浮いている。


アジム、リーネ、バルじい、そしてトマルが乗り込み、いよいよ、テスト航海が始まった。


アジムが、マストに接続した、芋虫鉄のワイヤーを操り、一気に帆を張る。

風を孕んだ帆が、力強く膨らみ、船はゆっくりと、しかし確かな手応えで、沖へ向かった。


「リーネ、頼む」


「はい。……『風よ、道を示して』」


リーネが、そっと目を閉じ、両手を広げる。

彼女の周囲にだけ、目に見えないほど、微弱な渦が巻く。


それは、教会の恩恵として授かった、風属性の魔法。

攻撃には、程遠い出力だが、彼女の鋭敏な知性と、結びつくことで、目に見えない空気の流れ、密度の変化、そして遠くの波の振動を、彼女の感覚へと、ダイレクトに繋いでいく。


「北北西から、強いガスト(突風)が来ます! 三、二、一……いま!

 アジムさん、左舷のフレームを、柔軟に。波を受け流して!」


「分かった!」


アジムは、船底の骨組みに、意識を潜り込ませた。

トラスの接点、三角形の頂点ごとに、潜ませた芋虫たちが、アジムの意思を受けて、筋肉のように、伸縮する。


船は波を叩いて、反発するのではなく、波の形に合わせて、その身をくねらせ、衝撃を分散しながら、吸い付くように、加速した。


「すげえ! 滑ってるみたいだ! 海の上を、走ってるんじゃなくて、飛んでるみてえだぞ!」


トマルが、船縁にしがみついて、興奮で顔を上気させる。

バルじいも、舵を握りながら、


「これなら、あの忌々しい魔獣の波も、恐くないわい」


と、豪快に笑った。


だが、その絶頂の瞬間に、「失敗」の牙は、剥かれた。


「リーネ! もっといけるか? この船の、限界を知っておきたい!」


「ええ、風の芯を、さらに捉えれば…… あ、待って、アジムさん、今の波は──!」


リーネの警告が、コンマ数秒、遅れた。


海面の反射に、紛れていたが、前方から、二つの海流が、ぶつかり合って生じる、「三角波」が、急激に、盛り上がっていた。


「くっ!」


アジムは、反射的に、「耐えなければ」と考えてしまった。

彼は船首の芋虫たちを、極限まで硬化させ、鋼鉄の壁として、波を割ろうとした。


しかし、この船は、「しなること」で、強度を保つ設計だ。

一部を極端に、硬く固定したことで、トラスの力の逃げ場が、失われた。


跳ね上がった船首が、波の巨大な質量に、真っ向から、衝突する。


ドォォォォォン!


腹に響くような、鈍い衝撃が、船体を貫いた。

軽量化された船体は、木の葉のように、高く跳ね上がり、同時に、悲鳴のような、金属音が、響き渡った。


パキィィィィィン!


アジムとリーネの、呼吸がズレ、「硬化」と「流動」が、喧嘩をした瞬間、過剰な負荷が、一点に集中した。


中央マストを支える、メイン・トラスの、接合部が、耐えきれずに、弾け飛んだのだ。


「骨組みが、外れたぞ!」


バルじいが、目を見開いて、叫ぶ。

支えを失った、船体の中央が、ぐにゃりと歪み、木の板の隙間から、海水が、激しく噴き出した。


「トマル、水をかき出せ! リーネ、どうすればいい!」


アジムが、焦燥に駆られ、千切れかけた鉄線を、強引に、引き寄せようとする。

だが、焦れば焦るほど、魔法の出力は、荒くなり、鉄の芋虫たちは、のたうち回るだけで、上手く噛み合わない。


「アジムさん、落ち着いて! 固定しないで、引っ張らないで!

 逆に、もっと全体を、緩めてください! 船を、一本の紐にするんです!」


リーネの声が、パニックになりかけた、アジムの脳髄を、打った。


「紐に…… そうか、波に、逆らうから、折れるんだな!」


アジムは、奥歯を噛み締め、溢れ出そうになる、魔力を、「静止」ではなく、「循環」へと、切り替えた。


折れた箇所を、無理に繋ごうとする、のをやめ、船体全体の、トラス構造を、あえて「液状化」に、近いレベルまで、一気に、脱力させた。


同時に、リーネが、その「弱めの風」を、全力で、一点に注ぎ込む。

船の内側から、外側へ向けて、空気の壁を作り、浸水する海水を、魔法の圧力で、一瞬だけ、押し留めた。


「いまです、アジムさん! 波が、引く瞬間に、形を戻して!」


「おおおおおおおっ!」


船体が波の裏側へ滑り落ちた。

無重力のような、一瞬。


アジムは、リーネの「風の目」を通じて、船の歪みを完璧に把握した。


バチンッ!


と、空気が弾けるような音とともに外れたトラスが、元の位置へと吸い込まれるように戻った。


間一髪、アジムがその瞬間に接合部を再結晶化させ、完璧な結合を果たした。


船体は、再び、一本の、芯が通ったように、シャンと、背筋を伸ばした。


「……はぁ、はぁ、はぁ…… し、死ぬかと思った…… マジで、死ぬかと思ったぜ……」


トマルが手桶を握りしめたままびしょ濡れで、甲板に座り込んだ。

セーラーとしての度胸はある彼だが、船の骨組みが一度バラバラになりまた戻るという、異常な光景には肝を冷やしたようだ。


「……すまない、リーネ。俺が怖気づいた。波を怖がって船を固めたのが、間違いだった」


アジムが、震える拳を、見つめながら、謝った。

魔法の出力は、十分だった。

だが、それをどう使うかという「心構え」が、リーネの知恵に追いついていなかったのだ。


「いいえ、アジムさん。私の指示が、抽象的すぎました。それに、私の風だけでは、アジムさんの、あの強大な魔力を、導き切れません」


リーネもまた、額から流れる汗を乱暴に拭いながらアジムを見つめ返した。


「……もっと、密接に繋がる方法を考えないと」


二人の魔法の性質は、正反対だ。


アジムは、「創造」と「剛力」を司る土。

リーネは、「観測」と「流動」を司る風。


この二つが本当に一つの歯車として噛み合った時、初めてこの「海燕号」は神話の船になれるのだ。


「カカカ! 情けない顔を、するんじゃない」


バルじいが潮水を滴らせながら、豪快に笑い飛ばした。


「最高のテストになったじゃないか」


「いいか、アジム。海の上で絶対に壊れない船なんて、この世にゃ、存在せん。

だが壊れてもその場で直せる船なんて、わしは八十年の人生で一度も見たことがないぞ」


「お前さんたちは、不可能を可能にしたんじゃ」


バルじいのその言葉に、アジムの心からスッと澱みが消えていった。

失敗は、敗北ではない。

この船をより理解するための対価だったのだ。


夕暮れ時。

満身創痍で至る所の木材が水を吸って重くなった海燕号は、無事に村の浜へと戻ってきた。


歓声で迎える村人たちの影で。


アジムとリーネは二人きりで、損傷したトラスの箇所を指先で確認し合う。


「……次は、もっと上手くやれる。確信があるんだ」


「はい。私もです。アジムさんの魔法の脈動を私の風が先読みして、ガイドラインを引くように工夫してみます」


「そうすれば、アジムさんは迷わずに力を注げるはずです」


アジムは、夕日に赤く染まる水平線を見つめた。

一度の失敗が、皮肉にも二人の信頼関係を揺るぎないものに変えていた。


その夜、アジムの作業場には、遅くまで明かりが灯っていた。


失敗した箇所の単純な補強ではなく、より「しなやかに」より「動物的に」動くための新しい関節構造。

そして、リーネの風をアジムの感覚に直接流し込むための魔法回路の相談。


「海に拾われた男」は、もう一人ではなかった。


隣には知恵を貸す少女がおり、背中には信じて待つ村人たちがいる。


海燕号は、本当の意味で完成へと向かっていた。

そして、それはこの島の小さな日常が、世界という大海原へ漕ぎ出すための第一歩でもあったのだ。




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