第21話 ── 船を作る理由
さらに穏やかに1か月が過ぎたころ。
朝の光が管理棟の窓から差し込み、帳簿の紙面を白く照らしていた。
アジムは指先で紙を押さえながら、昨日の材木の数を確認していた。
港の整備が進むにつれ、扱う物資も増えた。
村の暮らしが少しずつ変わっていくのを、数字の増減が静かに物語っている。
ふと、視線が窓の外へ向いた。
海は穏やかで、朝の光を受けて薄く揺れている。
その水平線の向こうに、白い点のようなものが見えた。
……いや、気のせいかもしれない。
距離が遠すぎて、形までは分からない。
アジムは眉をひそめたが、すぐに帳簿へ視線を戻した。
「アジムさーん!」
外からトマルの声が響いた。
勢いよく扉が開き、トマルが材木を担いで入ってくる。
その後ろにはセランとヨルンも続いていた。
「持ってきました!」
トマルが胸を張る。
セランは材木の端を軽く叩き、
「……まだ乾きが甘いな。もう少し置いた方がいい」
と冷静に言った。
ヨルンは材木を見つめながら、
「……これで、本当に船って作れるのか?」
と素直な疑問を口にした。
アジムは三人を見て、少し笑った。
「作るさ。作らなきゃいけない」
そのとき、外から低い声がした。
「おい、その木はまだ若いぞ」
振り向くと、ヴィントが立っていた。
腕を組み、材木をじろりと見ている。
若者三人が一斉に背筋を伸ばした。
「こっちは曲がりが悪い。船底には使えん」
ヴィントは木を指で弾き、音を確かめるように言った。
そこへリーネが帳簿を抱えて入ってきた。
「材木の在庫、確認しに来たの。……あ、ヴィントさん」
「おう、嬢ちゃん。帳簿は任せたぞ」
リーネは軽く頷き、材木の数を数え始めた。
アジムは全員を見渡し、
「……よし。全員そろったな。造船の話をしよう」
と言った。
管理棟の作業台に、アジムが描いた粗い船の図が広げられた。
線はまだ荒く、形も曖昧だが、そこには確かに“船”の姿があった。
「まずは大きさだ」
アジムが図を指す。
「でかい方がいいですよ!」
トマルが即答した。
「人数と荷物を考えないと」
セランが冷静に返す。
ヨルンは図を見つめながら、
「……でも、楽しみだな」
と小さく言った。
ヴィントが図を覗き込み、鼻を鳴らした。
「この線じゃ波に負ける。船底はもっと丸くせんといかん」
リーネがそっと口を開く。
「……商会の船は、もっと丸かった。 ここ……こう、膨らんでた」
ヴィントは目を細めた。
「嬢ちゃん、分かっとるな。その通りじゃ」
若者三人が感心したようにリーネを見る。
アジムは頷き、
「じゃあ、船底はヴィントとリーネで形を決めてくれ」
と言った。
次に材料の話になる。
「木材は村で集める。骨組みは……芋虫鉄で作る」
アジムが言うと、若者たちがざわついた。
「芋虫鉄で船って……沈みません?」
セランが眉をひそめる。
「全部じゃない。骨組みだけだ。外板は木だ」
アジムが答える。
ヴィントは腕を組み直し、
「まあ、それならええ。だが重すぎると扱いづらいぞ」
と釘を刺した。
役割分担が決まっていく。
トマルは力仕事。セランは段取りと確認。ヨルンは細工と加工。
リーネは帳簿と材料管理。ヴィントは設計と監督。バルじいは経験と判断。
アジムは骨組みと全体統括。
村の総力戦が始まった。
数日後、試作船1号が形になった。
芋虫鉄の骨組みに木材を貼り合わせ、小さな船だが、確かに“船”と呼べるものだった。
村人たちが集まり、海へ押し出す。
しかし──
重い。全然進まない。
波に押し戻される。
「うわ……これじゃ漕げない……」
トマルが顔をしかめる。
「言うたじゃろ。重すぎるんじゃ」
ヴィントがため息をつく。
セランは船底を見つめ、
「構造そのものを見直す必要があるな」
と冷静に言った。
ヨルンは拳を握りしめ、
「……でも、悔しいな」
と呟いた。
リーネは静かに言った。
「……次は、もっと軽くできると思う」
アジムは船を見つめ、
「……ああ。やり直す」
と短く答えた。
その夜。
管理棟でアジムは図を描き直していた。
そこへリーネがそっと入ってくる。
「アジム……少し、いい?」
「どうした?」
リーネは帳簿を抱えたまま、静かに言った。
「……ヴィントラントでは、重い荷箱の底を 『三角形の骨組み』にしていたわ。
『力の通り道』だけを作ればいいのでは?」
アジムは手を止めた。
「三角形…… なるほど、力が逃げない形か」
「うん。 薄い板でも、強くできるって聞いたことがある」
アジムは図を見つめ、
「……試してみる価値はあるな」
と呟いた。
翌朝。
ヨルンが海を見て叫んだ。
「アジム! あれ……やっぱり船だ!」
全員が外に出る。
昨日よりはっきりと、帆の影が見える。
リーネが小さく息を呑む。
「……商会の船じゃない。 形が違う」
ヴィントは腕を組み、
「ふん……来るなら来いじゃ。 こっちは忙しいんじゃ」
と吐き捨てた。
アジムは海を見つめ、静かに言った。
「……急ごう。 船は、必ず必要になる」
海風が吹き、帆の影がゆっくりと近づいていた。
帆の影は、朝の光の中でゆっくりと形を変えながら揺れていた。
まだ遠い。
だが、確かにこちらへ向かっている。
村人たちも気づき始め、港のあたりがざわつき始めた。
誰も声を荒げるわけではない。
ただ、いつもより動きが速くなり、いつもより周囲を気にするようになった。
アジムはしばらく海を見つめていたが、
やがて静かに息を吐いた。
「……作業に戻るぞ」
その声に、若者三人が反応する。
「はい!」
トマルが力強く返事をする。
セランは海を一度だけ振り返り、
「……あれが何であれ、こちらの準備は必要だ」
と冷静に言った。
ヨルンは少し不安そうに、
「……でも、間に合うのかな」
と呟いた。
アジムはヨルンの肩を軽く叩いた。
「間に合わせる。 間に合わせないといけない」
その言葉に、ヨルンは小さく頷いた。
ヴィントは腕を組んだまま、
「若いの、ぼさっとするな。 船底の板、まだ削りが甘いぞ」
と声をかける。
「す、すみません!」
ヨルンが慌てて走る。
リーネは帳簿を抱えたまま、
「……材料、あと少し。 今日のうちに森へ取りに行く?」
とアジムに確認した。
「そうだな。
トマル、セラン、ヨルン。 昼になったら森へ行ってくれ。
太い木を三本、乾きのいいやつを選ぶんだ」
「任せてください!」
トマルが胸を叩く。
セランは冷静に、
「斧と縄、持っていきます」
と準備を口にする。
ヨルンは少し緊張しながらも、
「……倒すの、気をつけないと」
と呟いた。
アジムは頷き、
「気をつけろ。 木は生き物だ。 無理に倒すと怒る」
と静かに言った。
その言葉に、三人は真剣な顔で頷いた。
ヴィントが鼻を鳴らす。
「まあ、木の声が聞けるなら一人前じゃ。 わしは聞こえんがな」
「聞こえないんですか?」
トマルが驚く。
「聞こえん。 だが、木の“癖”は分かる。 それで十分じゃ」
ヴィントは笑った。
リーネはそのやり取りを見て、少しだけ緊張がほぐれたように微笑んだ。
アジムは作業台に戻り、試作船の図をもう一度見つめた。
重い。強いが、重い。
芋虫鉄の骨組みは頑丈だが、そのままでは船には向かない。
リーネの言葉が頭の中で反芻される。
──三角形の骨組み。
──力の通り道だけを作る。
アジムは指先で図の線をなぞりながら、
「……どう組むかだな」
と呟いた。
そのとき、外からバルじいの声がした。
「アジム! ちょっと来てくれんか!」
アジムは立ち上がり、外へ出た。
バルじいが指さす先には、港の端で揺れる小舟があった。
昨日の波で少し傷んだらしい。
「これ、直せるかの?」
バルじいが尋ねる。
アジムは舟の底を覗き込み、
「……板が割れてるな。 応急ならできる。 ヴィント、少し手を貸してくれ」
「おうよ」
ヴィントが近づいてくる。
二人が舟を持ち上げると、若者三人がすぐに駆け寄って支えた。
「ここを押さえて!」
アジムが指示を出す。
「はい!」
トマルが力いっぱい押さえる。
セランは割れ目を見て、
「……この角度なら、板を斜めに当てた方がいい」
と冷静に言った。
ヨルンは工具を持ってきて、
「これ、使ってください」
と差し出す。
ヴィントはその様子を見て、
「お前ら、だいぶ板の扱いが分かってきたな」
と感心したように言った。
「本当ですか?」
ヨルンが目を輝かせる。
「まあ、まだ半人前じゃがな」
ヴィントは笑った。
アジムは舟を修理しながら、ふと海の方へ目を向けた。
帆の影は、さっきよりもわずかに大きくなっている。
まだ遠い。
だが、確実に近づいている。
アジムは胸の奥に、静かな焦りと、それ以上に強い決意を感じていた。
──間に合わせる。
──村を守るために。
舟の修理が終わると、バルじいが深く頭を下げた。
「助かったわい。 お前さんらがいてくれて、本当に心強い」
アジムは首を振った。
「村のことだ。 みんなでやるさ」
リーネがそっと近づき、
「……アジム。 さっきの船、やっぱり気になる?」
と小さく尋ねた。
アジムは少しだけ間を置き、
「……ああ。 気になる」
と答えた。
リーネは海を見つめ、
「……でも、きっと大丈夫。 私たち、ちゃんと準備してるから」
と静かに言った。
アジムはその言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
「……そうだな」
海風が吹き、帆の影がゆっくりと揺れた。
村は今日も動いている。
船を作るために。
来るかもしれない何かに備えるために。
アジムは再び作業台へ戻り、新しい図を描き始めた。
三角形の骨組み。
力の通り道。
軽くて、強い構造。
リーネの言葉が、静かに、確かに、アジムの手を導いていた。




