第20話 ── 倉庫と管理棟
朝の空気は冷たかった。
海から吹く風が、まだ眠気の残る肌を撫でていく。
アジムは囲炉裏の火を見ながら、湯気の立つ椀を手に取った。
隣ではバルじいが魚の干物をほぐしている。
奥の部屋から、布の擦れる音がした。
リーネが出てきた。
髪は少し乱れているが、目は覚めているようだった。
「……おはよう……」
「おはようさん。飯はそこに置いとるぞ」
バルじいが指さすと、リーネは小さく頭を下げて席についた。
三人で囲む朝食は、もう日常になりつつあった。
アジムは椀を置き、立ち上がる。
「今日も港だ。行くぞ」
「……うん……」
リーネは少し遅れて立ち上がった。
外に出ると、村は静かだった。
昨日のラグスの賑わいが嘘のようだ。
港へ向かう途中、村人が声をかけてきた。
「アジム、倉庫の話、今日やるんだろ?」
「ああ。リーネの意見も聞きながら進める」
「嬢ちゃん、頼りにしてるぞ」
リーネは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに小さく頷いた。
港に着くと、昨日の管理棟の話が村人の間で広がっていた。
「倉庫だけじゃ足りんよなあ」
「帳簿置く場所もいるし」
「雨風しのげる小屋があれば助かる」
アジムは石の上に簡単な図を描いた。
「ここに倉庫。隣に管理棟を置く。
荷の受け渡し、帳簿、休憩所……全部まとめる」
バルじいが腕を組む。
「立派なもんじゃが……どうやって作るんじゃ?」
アジムは海の方を見た。
「芋虫鉄を使う。
骨組みだけならすぐだ」
村人たちがざわついた。
「おお……アジムの魔法ならできるかもしれん」
「助かるのう」
リーネは図を見つめていた。
商会で見た倉庫を思い出しているのだろう。
「……ここ……かぜ……とおる…… さかな……かわく…… でも……あめ……ふせぐ……」
アジムは頷いた。
「そうだな。風の通り道は残す」
村人が感心したように言った。
「嬢ちゃん、詳しいなあ」
リーネは少し照れたように視線を落とした。
アジムは深呼吸をした。
リーネの視線が自分に向いているのを感じる。
「じゃあ、やるか」
アジムは港の端を指さした。
そこには、崖を削ったときに使った芋虫鉄が、縄で軽くまとめられて置かれている。
金属の節が連なった、奇妙な塊だ。
アジムが手をかざすと、束ねられていた芋虫鉄がカチリと音を立ててほどけた。
節が一つずつ動き、ゆっくりと体を起こす。
その瞬間、リーネは 無意識に一歩だけ後ろへ下がった。
自分でも気づいていないような、反射的な動きだった。
芋虫鉄は地面を這い、うねりながらアジムの方へ近づいてくる。
金属の節がカチ、カチと規則的に鳴り、その動きは生き物のようで、しかしどこか無機質だった。
村人の一人が、リーネの様子に気づいて笑った。
「ははっ、嬢ちゃん、最初はそんなもんだ。 慣れりゃ平気だ」
別の村人も頷く。
「わしらも最初は腰抜かしたわい」
リーネは顔を赤くし、胸の前で手をぎゅっと握った。
「……こわい…… でも……みる…… しごと……だから……」
アジムは短く息を吐いた。
「そうか」
芋虫鉄はアジムの指先の動きに合わせて形を変え始めた。
節が伸び、縮み、曲がり、まるで巨大な金属の虫が、自分の体を組み替えているようだった。
リーネは怖がりながらも、視線をそらさずにその動きを追っていた。
芋虫鉄は柱の形に伸び、梁を作り、管理棟の骨組みを組み上げていく。
リーネは胸に手を当て、少し震える指先を押さえながら、それでも視線をそらさなかった。
「……すごい…… でも……ちょっと……」
アジムは横目でリーネを見た。
「気持ち悪いか?」
リーネは小さく頷いた。
「……うごき……が…… むし……みたい……」
アジムは苦笑した。
「まあ、そう見えるだろうな」
それでもリーネは逃げなかった。
怖がりながらも、最後まで芋虫鉄の動きを見届けた。
やがて骨組みが完成し、芋虫鉄は再び港の端へ戻っていった。
節を折りたたみ、静かに横たわる。
リーネはほっと息をついた。
「……おわった……?」
「ああ。よく見てたな」
リーネは少し照れたように視線を落とした。
「……しごと……だから……」
アジムはその言葉に、ほんの少しだけ笑った。
夕暮れが近づき、作業は終わった。
海辺に座り、二人で波を眺める。
リーネがぽつりと言った。
「……ここ……すき…… みんな……やさしい……」
アジムは海を見たまま答えた。
「そうだな。 ここは……悪くない」
リーネは小さく笑った。
夜になり、アジムは一人で外に出た。
海の向こうに、かすかな光が見えた。
(……船か? いや、気のせいか)
風が吹き、波が揺れた。
港はまだ未完成だが、確かに前へ進んでいる。
アジムも、リーネも、村も。
その夜、海は静かだった。




