第19話 ── 商人ラグス
朝の海は静かだった。
波は小さく、港の杭に当たっては、軽い音を立てて引いていく。
アジムはその音を聞きながら、積み上げた石の角度を確かめた。
「……よし。この段はこれでいい」
村人たちが頷き、次の石を運んでくる。
魔法を使えばもっと早いが、今日は控えていた。
そろそろラグスが来る頃だと、バルじいが言っていたからだ。
村人は魔法を知っている。
そしてアジムの魔法が“普通じゃない”ことも、薄々気づいている。
だが、誰も口にしない。
アジムが自分から言わない以上、外に漏らす必要もないと、村全体が自然にそう思っていた。
「アジム、こっちはどうする?」
「そのまま積んでくれ。あとで調整する」
魔法を使わない分、作業は少し遅い。
だが、村人たちは文句を言わなかった。
アジムが理由を言わずとも、察してくれている。
その時だった。
「……おい、誰か来るぞ!」
見張り役の少年が叫んだ。
荷馬車の車輪の音が、遠くから近づいてくる。
村人たちがざわつき始めた。
「ラグスだ! ラグスが来たぞ!」
アジムは手を止め、海の方を見た。
砂煙を上げながら、荷馬車がこちらへ向かってくる。
御者台には、見覚えのない男が座っていた。
だが村人たちの反応を見る限り、間違いなくラグスなのだろう。
荷馬車が止まり、男がひらりと降りた。
「よお、今年も来たぞ――って言うつもりだったんだがな……」
ラグスは村の惨状を見て、言葉を失った。
倒れた家々、焼け跡、仮設の小屋。
そして、見慣れぬ港の建設現場。
「……なんだこりゃ。 村ごと壊滅してるじゃねえか……!」
バルじいが前に出る。
「すまんのう、ラグス。色々あってな」
「“色々”で済むかよ。 足跡を追って、やっと探し当てたんだぞ。
まさかこんな場所に移ってるとはな」
ラグスの視線が港へ向く。
「……で、なんだあれは。 港か? いや、冗談だろ。 ここはただの浜辺の村だったはずだぞ」
「作っとる最中じゃ」
「はあ……? 魔法使いでも雇ったのか?」
「いや、村のもんでやっとるよ」
ラグスは信じられないという顔をしたが、魔法が一般的な世界だ。
“魔法で作ったのか”という発想は自然だし、アジムの魔法の異常性には気づかない。
ラグスはふと、アジムを見た。
「……で、あんたは? その身のこなし、村の漁師じゃねえな。 魔法の使い方も妙に洗練されてる」
アジムは少しだけ目をそらした。
「……昔、船に乗ってた」
「ルーン商会の嬢ちゃんと一緒にいたからよ。
てっきり、あんたも商会の人間かと思ったが……違うのか?」
「違う。 俺はヴィントラント連邦の出だ。 昔はクロイツ商会の船に乗ってた」
ラグスの表情が変わる。
「ヴィントラント連邦…… この前フェルザン帝国にやられた国か。
一週間で白旗なんて、聞いたことがねえ」
「……ああ」
「クロイツ商会も船を何隻も失ったって噂だ。 あんたの船も、その流れか?」
アジムは短く息を吐いた。
「……戦の余波で……壊された」
ラグスはそれ以上聞かなかった。
空気を読む男だ。
「……悪かったな。
触れちゃいけねえところだったか」
「いや……もう終わったことだ」
ラグスは頷き、話題を変えた。
「しかし、港を作るとはな。 戦の影響で航路が乱れてる今、悪くねえ選択だぞ。
魚が良けりゃ、船は勝手に寄ってくる」
アジムは港を見た。
まだ未完成だが、形にはなってきている。
(……外の世界の動きが、ここにも影響するのか)
リーネがそっと近づいてきた。
港の隅を指差す。
「……ここ……もの……おく……? あめ……ふる…… だめ……」
ラグスが笑った。
「お、いい目してるな。 確かに倉庫がなきゃ商売にならん」
バルじいが腕を組む。
「倉庫……か」
アジムは頷いた。
「必要だな。作ろう」
リーネは嬉しそうに微笑んだ。
その後、村人たちはラグスと取引を始めた。
道具や食料を交換し、魚を売り、必要なものを買う。
リーネは帳簿の付け方を少し手伝い、村人たちも彼女を“役に立つ人”として見始めていた。
夕暮れが近づき、ラグスが荷馬車に荷物を積み直していた。
「港ができたら知らせろよ。 俺の商売も広がる」
アジムは頷いた。
「ああ。必ず作る」
リーネが小さく言った。
「……わたしも……てつだう……」
アジムはその言葉に、自然と笑みがこぼれた。
ラグスはふと、リーネの方を向いた。
「そうだ、嬢ちゃん。 ルーン商会に連絡してやろうか?
お前が生きてるって知らせりゃ、親父さんも安心するだろ」
リーネは一瞬だけ目を伏せ、そして小さく、はっきりと首を横に振った。
「……いまは……いい……」
ラグスは驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。
「……そうか。 事情があるんだな」
バルじいが静かに言った。
「無理に聞くもんじゃないわい」
「分かってるさ。 嬢ちゃんが自分で決めたことなら、それでいい」
リーネは小さく息を吸い、アジムの方を見て微笑んだ。
「……ここで……がんばる……」
アジムはその言葉を胸に刻むように頷いた。
「……ああ。頼りにしてる」
夕暮れの海が静かに揺れ、三人の影が長く伸びていった。
港の建設はまだ途中だ。
だが、確かに前へ進んでいる。
村も、アジムも、リーネも。
そして、外の世界とのつながりが、少しずつ広がり始めていた。




