第18話 ── 異国の秘書官
朝の海は、昨日よりも少しだけ穏やかに見えた。
だが、それは気のせいだとアジムは知っている。
波は相変わらず港の土台にぶつかり、船を揺らし続けていた。
「よし、今日から本格的にやるぞ!」
バルじいの声が響く。
村人たちが石を運び、ロープを張り、芋虫鉄を準備している。
昨日の混乱が嘘のように、港には活気が戻っていた。
アジムは海を見つめ、短く指示を出す。
「滝の横から海へ二十メートル。 芋虫鉄で線を引く。 その上に石を積む」
「任せろ!」
若者たちが声を上げる。
その勢いに、アジムは少しだけ胸が軽くなった。
(……まずは形にする。 それができれば、港は“内側”になる)
芋虫鉄を海に沈めると、生き物のようにゆっくりと海底へ伸びていく。
だが、波に揺られ、思った方向に進まない。
「おいアジム! こっちに曲がってきたぞ!」
「ロープを引け! ……そうだ、そのまま!」
ロープを引く村人、魔力で微調整するアジム、波に逆らう芋虫鉄。
海の中では、何も思い通りにならない。
それでも、少しずつ線が描かれていく。
バルじいが笑った。
「海の中じゃ、芋虫鉄も気まぐれじゃのう」
「……でも、これしかない」
アジムは息を整え、次の指示を出した。
◆
村の家の一つで、リーネがゆっくりと目を開けた。
薄暗い天井。潮の匂い。布団の温もり。
「気がついたのね!」
看病していた村の女性が声を上げる。
リーネはぼんやりと周囲を見回し、かすれた声で言った。
「……ここ……どこ……?」
そこへアジムが入ってきた。
「オルガ村だ。 あなたは難破船から助けられた」
リーネはしばらく黙っていた。
何かを思い出そうとしているようだった。
そして、短く言った。
「……あらし……つよくて…… ふね……ゆれて…… きがついたら……ここ……」
アジムは頷いた。
「無理に思い出さなくていい。 今は休め」
リーネは目を閉じ、
小さく息を吐いた。
◆
昼過ぎ。
アジムは難破船から回収した備品を整理していた。
濡れた帳簿。破れた船荷の札。
使えるかどうか分からない工具。
「……読めるところだけでも写しておくか」
そう呟いた時、背後から弱々しい声がした。
「……その……つけかた…… すぐ……ずれる……」
アジムは振り返った。
リーネが、壁に手をつきながら立っていた。
「大丈夫か? まだ寝ていた方が――」
「……かして……」
アジムは帳簿を渡した。
リーネは震える手でページをめくり、濡れた数字を見つめる。
「……これ……ちがう…… こう……かく……」
彼女は指で示しながら、
簡潔に、しかし迷いなく言った。
「……わたし……リーネ・ルーン。 “ルーン商会”……ひしょ…… しごと……ぜんぶ……してた……」
アジムは驚いた。
「商会の……秘書官?」
リーネは小さく頷く。
「……ちいさくない…… でも……おおきくもない…… わたし……かお……ひろい……
しごと……しってる……」
アジムは思わず息を呑んだ。
(……この村に、こんな人材が来るなんて)
リーネは帳簿を閉じ、アジムを見上げた。
「……てつだう…… ここ……いきる……ため……」
アジムは静かに頷いた。
「助かる。 港ができれば、商会の知識は必ず役に立つ」
リーネは少しだけ微笑んだ。
◆
夕方。
防波堤づくりは順調とは言えないが、確実に前へ進んでいた。
芋虫鉄の土台が海底に伸び、村人たちが石を積み始めている。
「アジム! こっちは終わったぞ!」
「よし、次は右だ!」
バルじいが笑う。
「港らしくなってきたのう」
アジムは汗を拭いながら海を見た。
(……この村は強くなる。 リーネの知恵も、きっと力になる)
波はまだ荒い。
だが、村人たちの動きは迷いがない。
◆
日が沈みかけた頃、アジムはひとり海を眺めていた。
波は静かだが、その向こうには“外の世界”が広がっている。
リーネの言葉が胸に残る。
「……きがついたら……ここ……」
彼女は何も知らない。
嵐の中で何が起きたのか、仲間がどうなったのか。
だが、それでいい。今は生きている。
それだけで十分だ。
アジムは拳を握った。
(……港を作る。 ここから先は、もう逃げられない)
潮風が吹き抜け、海はゆっくりと揺れていた。




