第14話 ── 霧の海、巨獣との対峙(前編)
夜明け前の海は、白い霧に沈んでいた。
波の音すら吸い込まれ、世界が息を潜めているようだった。
アジムは崖の上に立ち、胸の奥のざわつきを押し殺した。
恐怖ではない。緊張でもない。
――これは、覚悟だ。
背後では、村人たちが準備を進めていた。
・200メートルの鋼の索
・三つの動滑車を組み合わせた複合滑車
・岩盤に巻きつけた鎖
・巨大なシモリ浮き
・ドラムとラチェット
・ワイヤーを握るための鉄製の取っ手
三日間の努力の結晶だった。
バルじい
「全員、持ち場につけ! アジム、準備はどうじゃ!」
アジム
「……大丈夫です。
あとは、あいつが来るのを待つだけです」
トマル、セラン、ヨルン。
そして、今日初めて前線に立つ男──
ヨラン。
四十手前の漁師で、腕っぷしは強いが、普段は温厚で、あまり前に出るタイプではない。
だが今日は違った。
ヨラン
「……港ができりゃ、うちの子も船に乗れる。 やるぞ、アジム」
アジム
「……はい」
村人たちの顔には、恐怖と覚悟が混じっていた。
バルじい
「今日の戦いは、命の取り合いじゃない。 “未来”を守るための戦いじゃ。 怖がるな。
だが、油断もするな」
アジムは崖の縁に立ち、芋虫鉄を手に取った。
「……始めます」
崖に手を当て、鉄分を抜く。
岩がわずかに軋み、砂が落ちる。
その瞬間――
「……ォォォォォ……」
霧の奥から、低い咆哮が返ってきた。
村人たちが息を呑む。
トマル
「……来たな」
セラン
「昨日より……近いぞ」
ヨラン
「音に……呼ばれてるんだな」
アジムは崖を削り続ける。
岩が崩れ、海へ落ちる。
その音が、霧の奥へ吸い込まれていく。
そして――
「……ゴォォォォ……!」
海が揺れた。
霧が震えた。
地面がわずかに震動する。
バルじい
「構えろ! 来るぞ!」
村人たちがワイヤーを握りしめる。
霧の奥で、巨大な影が動いた。
最初は、海面の揺れだった。
次に、霧の中の黒い塊。
そして――
アジムは息を呑んだ。
霧を割って現れたのは、
ソードザラシだった。
全長7メートル。
体重は5トンを超える。
ゾウアザラシに似た巨体だが、
その頭部には前方へ伸びた 二本の湾曲した牙 が生えていた。
体表は“鎧板”のように硬質で、霧の光を反射して鈍く光る。
その巨体が海面を押し分けて進むたび、
海が盛り上がり、波が崖に打ちつける。
村人たちが震える。
「……なんだ、あれ……」
「牙が……槍みてぇだ……」
ヨラン
「……あれを、釣るのか……」
アジムは震える手を握りしめた。
(……怖い。 でも、逃げない)
魔獣が、崖の下に迫る。
「……ォォォォ……!」
咆哮が、地面を震わせた。
バルじい
「アジム! 今じゃ!」
アジムはワイヤーを魔獣の進路へ投げ込んだ。
巨大なシモリ浮きが海面に落ち、ワイヤーが張り詰める。
ソードザラシが浮きに気づき、その方向へ突進した。
「来るぞ! 構えろ!!」
村人たちがワイヤーを握りしめる。
海が盛り上がる。
霧が裂ける。
巨体が突進する。
そして――
衝撃が走った。
ワイヤーが悲鳴を上げる。
滑車が回転し、ドラムが逆回転する。
ラチェットが激しく鳴る。
「うおおおおおお!!」
「引けぇぇぇ!!」
「踏ん張れ!!」
アジム
「まだです! まだ耐えられます!!」
ソードザラシが暴れ、海が跳ねる。
浮きが沈み、また浮き上がる。
ワイヤーが軋み、地面が震える。
バルじい
「耐えろ! 絶対に離すな!!」
アジム
(……ここからだ。 ここからが、本当の勝負だ)




