第12話── 形になる前の形
朝の空気は、昨日よりもはっきりと冷えていた。
息を吐くと、白く曇る。
冬が近い。
考えるまでもなく、身体が先に理解してしまう。
それでも――村は動いていた。
「そっち、梁もう一本いるぞ!」
「釘ある! アジムのやつだ!」
「笑ってる場合じゃねぇぞ、手止めるな!」
怒鳴り声と笑い声が混ざり合い、奇妙な活気があった。
アジムは、少し離れた場所からそれを見ていた。
(……昨日より、確実に違う)
壊れた家はそのままだ。
船も網も戻っていない。
何一つ解決していない。
それでも、人の足取りは重くなかった。
理由は、ひとつしかない。
「やることが、決まった」
それだけで、人は前を向ける。
◆
「港の話は、皆に伝えた」
バルじいはそれだけ言った。
長い説明はなかった。
「賛成も、不安もある。じゃが――止める者はおらん」
それで十分だった。
アジムは頷き、若者たちの待つ広場へ向かった。
◆
崖の下。
昨日、岩を崩した場所。
腕の太いトマル。慎重なセラン。
不安を隠さないヨルン。
三人は、崖と海を交互に見ていた。
「……本当に、ここでやるんだな」
ヨルンの声は、まだ硬い。
「やるしかねぇだろ」
トマルが短く言う。
セランは地面を踏みしめた。
「沈まんのは、確かじゃ」
アジムは一歩前に出た。
「港は、まだ作りません」
三人が同時にこちらを見る。
「まず作るのは、“立てる場所”です」
アジムは、波の弱まったくぼみを指した。
「この三歩分。
人が立って、作業できるだけの足場」
「……三歩?」
トマルが眉をひそめる。
「最初は、それでいいんです」
アジムの声は静かだった。
「完成形を作ろうとすると、崩れます。
だから、形になる前の形を作る」
セランが、ふっと笑った。
「なるほどな。
港じゃなくて、“始まり”か」
◆
芋虫鉄を使い、岩を少しずつ削る。
削りすぎない。崩さない。
固い部分だけを残す。
地味な作業だった。
だが――
「……あれ?」
ヨルンが海を見た。
波が、妙に渦を巻いている。
昨日までとは、流れが違う。
「波が……集まってないか?」
セランが目を細める。
アジムの背中を、冷たいものが走った。
(……魔獣)
まだ姿は見えない。
だが、港づくりに反応している。
そのとき。
「ねぇ」
子どもの声がした。
振り返ると、仮住まいの影から、小さな子がこちらを見ていた。
「ここ、船が来るところ?」
アジムは、一瞬言葉に詰まった。
「……まだ、来ない」
正直に答えた。
子どもは少し考えてから、言った。
「でも、立てるんだよね。
落ちないところ」
その一言が、胸に刺さった。
立てる場所。
落ちない場所。
(……それで、いいんだ)
アジムは、深く息を吸った。
「そうだ。ここは、落ちない」
◆
その夜。
アジムは洞窟へ向かった。
祠の前に立つと、土地神の声が低く響く。
『……また、削ったな』
「はい。ほんの少しだけ」
『崩すのは簡単じゃ。
形にするのは、骨が折れる』
「分かっています」
アジムは、迷いながらも言った。
「村を……移します。
あなたも、一緒に来られませんか」
沈黙。
『……わしは土地に縛られとる』
やはり、と思った瞬間。
『じゃがな。
“居場所”が形になれば、縁も動く』
「形……」
『三歩でも、よい。
人が立つ場所は、神も立てる』
アジムは、拳を握った。
「……必ず、形にします」
『海の底が、ざわついとる』
『削るたび、呼ばれとるぞ』
警告だった。
◆
村へ戻ると、灯りが増えていた。
鍬の音。木を削る音。笑い声。
まだ港はない。船も出ない。
だが――
沈まない三歩分の場所が、確かにそこにあった。
アジムは、荒れる海を見た。
(……次は、奪いに来る)
それでも、足場は残る。
形になる前の形が、
確かに、この村を支え始めていた。




