第11話 ── 港の形を描く前に
── 港の形を描く前に
朝の空気は、昨日より少しだけ澄んでいた。
だが、村の景色は変わらない。
倒れた家。流された網。
船腹に走る無数の傷。
それでも村人たちは、仮住まいを作るために朝から動き回っていた。
「そっちは柱、もう一本いるぞ!」
「はいはい、持ってくる!」
「釘は……ああ、アジムの釘があったな!」
怒鳴り声に近い声が飛び交い、それでも手は止まらない。
アジムは、少し離れた場所からその様子を見ていた。
(……昨日より、顔が明るい)
不思議だった。
被害は何一つ片付いていない。
漁もできず、冬までの蓄えも心許ない。
それでも、人は動いている。
「沈むだけだった場所に、足を置ける場所ができた……か」
そのとき。
「おーい、アジム!」
バルじいが手を振りながら近づいてきた。
「ちょっと話があるけん、来てくれんか」
「はい」
歩きながら、アジムの頭には昨日の崖が浮かんでいた。
沈む土地。沈まない土地。
鉄分の偏り。硬さの違い。
(……点が、線になり始めている)
バルじいの家に入ると、老人は深く息を吐いた。
「仮住まいは、なんとかなる」
「はい」
「じゃがな……」
バルじいは、言葉を選ぶように一瞬黙った。
「このまま漁ができんと、冬の前に人が倒れる」
空気が重く沈んだ。
「子どもと年寄りからじゃ。腹が減ると、身体はもたん」
アジムは、無意識に拳を握った。
「船は直せる。だが沖に出られん。魔獣がおるけんのう」
沈黙。
そして、バルじいがアジムを見た。
「……おまえさん、何か考えちょる顔じゃ」
アジムは迷った。
失敗したら、希望だけを与えて壊すことになる。
それでも――
「……港を、作れないかと思っています」
バルじいの目が、はっきりと見開かれた。
「港……?」
「はい。芋虫鉄は万能じゃありません。でも、時間をかければ杭や補強材にはなります」
「時間なら……冬まではある」
老人は、しばらく考え込み、やがて頷いた。
「若いもんを集めるか」
◆
村の広場に、若者たちが集まった。
疲労の色は濃い。
だが、アジムの話を聞く目は真剣だった。
「港……か」
最初に口を開いたのは、腕の太い若者――トマル。
「そんなもん、作ったこともねぇ」
「木材も石も足りんぞ」と、慎重な性格のセラン。
「失敗したら、時間を無駄にするだけじゃ」
と、やや悲観的なヨルンが言った。
空気が、わずかに硬くなる。
アジムは一人ずつ見渡した。
「だから、最初に決める必要があります」
「何をだ?」とトマル。
「“どんな港にするか”です」
川のそばか。滝の近くか。
船を横付けするのか、突き出すのか。
話し合いが始まり、声がぶつかる。
「流れが強すぎる!」(セラン)
「でも水深はある!」(トマル)
「元の生活に戻れるかもしれんだろ!」(ヨルン)
その言葉に、誰かが息を呑んだ。
バルじいが言う。
「どこに作るにしても……沈まん土地が要る」
アジムは、ゆっくり頷いた。
「案内します」
◆
崖の下は、雨を含んだ土がまだ重い。
アジムはしゃがみ込み、地面に手をつけた。
(……もし、ここが違っていたら)
芋虫鉄を細く伸ばし、地中へ沈める。
柔らかい土。砂。
水を含んだ層。
そして――
「……止まった」
指先に、はっきりとした抵抗。
「ここです。ここは沈まない」
若者たちがざわつく。
「本当か?」(トマル)
「どうやって……」(セラン)
アジムは答えず、近くの岩に手を当てた。
(……鉄分だけ、抜けろ)
黒い粒が滲み出す。
次の瞬間。
ぱきっ。
岩が、予想以上の音を立てて割れた。
ぼろぼろと崩れ落ち、崖の形が、目に見えて変わる。
そして――
波の当たり方が、変わった。
「……あ」
ヨルンが声を漏らす。
今まで真っ直ぐ叩きつけていた波が、崩れた岩にぶつかり、横へ逃げていく。
水面が、わずかに穏やかになった。
アジムは、息を止めていた。
(……成功、した)
同時に、背筋が冷える。
(……失敗していたら、もっと崩れていたかもしれない)
若者たちが、言葉を失っていた。
「……港……できるかもしれん」(セラン)
「形を……作れるんじゃ……」(トマル)
バルじいが、低く言った。
「わしらで、やれるんじゃな」
アジムは、頷いた。
「はい。ただし……時間がかかります。失敗もします」
「それでもええ」
トマルが言った。
「沈むのを待つより、ずっとええ」
◆
村人たちは、崖の下に立ち、しばらく海を見ていた。
魔獣の影は、まだ消えていない。
嵐の爪痕も、癒えていない。
それでも。
「……できそうな気がするな」
誰かが言い、誰かが笑った。
不安も恐怖も、消えたわけじゃない。
だが――
沈む土地で生きてきた村に、初めて「選ぶ」という言葉が生まれた。
アジムは空を見上げた。
(……ここからだ)
胸の奥で、小さな火が、確かに燃えていた。




