追放聖女ですが、辺境で氷の公爵様に溺愛されてスローライフします ~王都ざまぁはおまけです~
私の名前は、宮野かな。
つい昨日まで、アルステリア王国で「聖女様」と呼ばれていた、元・社畜日本人だ。
……で、今はどうかと言うと。
「ようこそ、辺境領へ。今日からここが、君の家だ」
黒髪に氷みたいな青い瞳の美形が、さらっとそんなことを言い放った。
この人は、アルステリア王国の北の果て、エルネスト辺境領を治める公爵様。
名前は、アレン・エルネスト。通称、氷の公爵。
けれど私の視線は、彼よりその背後の景色に釘付けだった。
広い畑。木造の可愛い家。遠くには緩やかな丘。
空気は冷たいけれど澄んでいて、深呼吸したくなる。
「……最高」
思わず、心の声が漏れた。
「ん?」
「あ、いえ。その、すごく、のんびりしていて……。ここで畑仕事したり、パン焼いたり、昼寝したり……って、想像しちゃいました」
私がそう言うと、氷の公爵様は、ほんの少しだけ目を見開き、それからふっと笑った。
氷が溶けるみたいに柔らかい笑顔で。
「それは良い。俺も、そういう暮らしがしたくて、ここにいる」
「え、公爵様なのに?」
「公爵だからこそ、だ。……それに、アレンでいい」
「え、でも……」
「かな、と呼んでもいいか?」
いきなり名前呼び希望。距離感がおかしい。
けれど、さっきからずっと優しいし、追放されたばかりの私に家を用意してくれた恩人だ。
「……じゃあ、アレン様で」
「妥協案か。まあ、いい」
口元だけで笑って、彼は私の前に手を差し出した。
「改めて。ようこそ、かな。ここでは、君は聖女でも何でもない。ただの、俺の客人だ」
「……客人、ですか?」
「いずれ、家族になってくれたら嬉しいが」
「へ?」
「冗談だ。今はまだな」
冗談と言うには、目が本気だった気がする。
気のせいだよね? うん、多分気のせい。
ともあれ、こうして私は、辺境でのスローライフを手に入れた……はずだった。
◆
話は少し、昨日へさかのぼる。
「聖女かな。国を襲う魔物の増加、お前の力が弱まったせいだ」
玉座の間で、王様は面倒くさそうに言った。
隣でにこにこしているのは、この国の第一王女リリアーナ様。中身は笑ってないタイプのやつ。
「ですから、魔物が増えている原因は、王都周辺の森の開発が……」
「言い訳は無用ですわ、聖女。そなたの浄化が足りぬせいよ。民の恐怖、どう責任を取るおつもり?」
いやいや、あなた方が森を切り開いて魔石を掘りまくるから、魔物が怒っているだけです。
私、何度も報告しましたよね?
とはいえ、相手は国王と王女。
しかも、ちらっと視線を向ければ、かつて私を助けてくれた「勇者パーティ」の皆さんが、見事に目をそらしていた。
剣士レオンは天井を見ているし、魔法使いエリオスは無言で杖を磨いているし、僧侶ミリアなんて、リリアーナ様の隣でにっこり微笑んでいた。
「……かな、悪いな。こういう決定でさ」
勇者ジュリアンだけが、小声でそう呟いた。
でも、その目は「面倒事に巻き込まれたくない」と訴えている。
ああ、うん。分かってたよ。
私に優しくしてくれたのは、聖女だから。役に立つから。
だから、役立たず認定されたら、そりゃあ距離を置くよね。
覚悟はしていた。
していたけれど。
「聖女かなを、王都から追放する。身分も特権も全て剥奪だ」
「追放先は、北の辺境がよろしいのではなくて? 魔物も多く、人も少ない、あの土地」
リリアーナ様の言葉に、王様はあっさり頷く。
「よかろう。辺境エルネスト領へ移送とする」
「移送、ね……。つまり、厄介払いってことかあ」
思わず、口に出してしまった。
これには王女様の眉がぴくりと動く。
「何か言ったかしら?」
「いえ。ただ、せっかくなので……最後にひとつ、聖女として忠告を」
今まで、何度伝えても無視されたこと。
言っても無駄だと分かっていたけれど、最後だからこそ、はっきり言ってやろう。
「森をこれ以上削れば、本当に国が滅びますよ」
「根拠は?」
「神様の……と言いたいところですが。もっと単純です。魔物たちにとって、森は家だからです。家を壊されたら、怒ります。怒った魔物は、人間の町を襲います」
沈黙。
リリアーナ様が、ふっと笑った。
「くだらないわ。魔物ごとき、勇者様と新しい聖女候補がいれば簡単に倒せますもの」
新しい聖女候補って何。そんなガチャみたいに増やせるの、聖女。
突っ込みたい気持ちをぐっとこらえる。
「……そうですか。では、どうかお元気で」
私は、きっちりと礼をして、その場を去った。
悔しい?
うん、悔しいよ。
信じてもらえなくて、利用されて、最後は捨てられた。
でも、それ以上に。
「やっと、過労から解放された……!」
毎日、朝から晩まで浄化、浄化、浄化。
魔物の討伐に駆り出され、宴席に呼ばれ、笑顔で手を振り、体力も精神もギリギリ。
日本の社畜生活もまあまあきつかったけど、こっちは命の危険付きだったから、さらにタチが悪い。
だから、辺境追放は……正直、ちょっと、いや、かなり嬉しかったりする。
もちろん、ちゃんと生きていけるなら、の話だけど。
◆
「ここでの生活に必要な物は、一通り用意してある」
アレン様が案内してくれた家は、こぢんまりとして可愛い。
キッチンには薪オーブン。窓辺には小さな机と椅子。奥には寝室。
床にはふかふかの絨毯まで敷いてある。
「え、えっと、本当に、私なんかがここに住んでいいんですか?」
「君以外、誰が住むんだ」
さらっと言われて、胸の奥がじんわり温かくなる。
誰が、なんて。
さっきまで「お前の代わりはいくらでもいる」みたいな扱いを受けていた身としては、その一言がやたらと刺さる。
「ありがとうございます。あの、本当に、何かお礼を……」
「じゃあ、ひとつだけ願いを聞いてくれ」
アレン様の目が、真っ直ぐこちらを射抜く。
心臓が、どきんと跳ねた。
「な、何をすればいいですか?」
「……まずは、一緒に飯を食ってくれ」
「え?」
「かなの作る料理がうまい、という噂を聞いてな。ずっと楽しみにしていた」
「誰からの噂ですか、それ!」
王都にいた頃、騎士団の食堂でこっそり賄いを作っていたのは事実だ。
でも、それを辺境の公爵様が知っているのはおかしくない?
「まあ、細かいことは気にするな」
「気になるんですけど!」
笑いながら突っ込むと、アレン様は珍しく口元だけじゃなく、ちゃんと笑った。
それがまた、ずるいくらい格好良い。
「じゃあ、早速、夕飯を作りますね。冷蔵庫は……ないから、食材は」
「外の倉庫にある。今日は少し張り切って、食材を買い込み過ぎたな」
「張り切ってる……?」
「いや、何でもない」
何かを誤魔化した気配。
けれど、倉庫を開けた瞬間、そんなことどうでもよくなった。
「わあ……!」
干し肉、根菜、チーズ、粉、卵。
さらに、見慣れた野菜もいくつかある。
キャベツっぽいの、玉ねぎっぽいの、じゃがいもっぽいの。
これは……ポトフだな。いや、シチューもいいかも。
「よし、任せてくださいアレン様。絶対、おいしいの作ります」
「ああ。楽しみにしている」
◆
「うまい」
「ほんとですか?」
「本当に、だ。……もう一皿、いいか?」
「もちろんです!」
テーブルの上には、具だくさんのシチューと、焼きたてのパン。
この世界の小麦粉は、発酵させるとちゃんと膨らむ。
王都でも何度か焼いたことがあるけれど、落ち着いて作ったのは今日が初めてだ。
「辺境の食材は質が良い。だが、ここまで引き出せるのは、かなの腕ゆえだな」
「褒めすぎですって」
「いや、足りないくらいだ」
さらっとこんなことを言ってくる。
口説き文句のレベルが高すぎる。
でも、嫌じゃない。むしろ、くすぐったくて、嬉しい。
「辺境の生活って、こんなにのんびりしてるんですね」
「まだ初日だがな」
「王都にいた時は、毎日浄化に呼び出されて、倒れたら回復魔法で起こされて、また浄化して……の繰り返しでしたから」
「……そんな状態になるまで酷使されていたのか」
アレン様の声が、少し低くなった。
空気がひやりと冷える。まるで、本当に氷が張ったみたいに。
「ま、まあ。でも、もう終わりましたし。こっちではのんびり暮らすって決めたので」
「のんびり、か」
「はい。畑仕事して、料理して、昼寝して、本読んで……。あ、仕事しない宣言じゃないですよ? ちゃんとここに住ませてもらう恩は返します」
「恩を返す必要はない」
「え?」
「俺が勝手に迎えに行って、勝手に住まわせているだけだ」
迎えに行って?
私、いつの間に?
そういえば、王都から辺境までの道のりの記憶が、妙に曖昧だ。
馬車に乗せられて、途中で眠くなって、そのまま……。
「……アレン様?」
「後で話す。今は、かなのスローライフの話をしよう」
話をそらされた気がする。
でも、それ以上追及するのは、今じゃない気もした。
「じゃあ、明日は畑を見せてもらってもいいですか?」
「ああ。むしろ見てほしい」
「え?」
「この辺りの土は呪われている、という噂があってな。作物の育ちが悪い」
呪い。
その言葉に、背筋がぴくりとする。
「具体的には、どう悪いんです?」
「芽は出るが、途中で枯れる。根が黒く腐ったようになる」
「……それ、呪いじゃなくて、魔素汚染かもしれません」
王都の森でも、同じような現象があった。
魔物の巣や、魔石採掘場の周辺で。
「明日、畑を見て、浄化してみます。たぶん、すぐに良くなると思います」
「そんなに簡単に?」
「はい。辺境だからこそ、魔素が溜まりやすいだけで。浄化の手順は、王都でやっていたことと同じですから」
私がそう言うと、アレン様は、少しだけ目を細めた。
「……やはり、君を迎えに来て正解だった」
「え?」
「いや。こちらの話だ」
また誤魔化された。
でも、今度は少しだけ分かった気がする。
アレン様は、最初から私の力を、正しく見てくれていたのだ。
王都が捨てた「役立たずの聖女」を、必要としてくれている人がいる。
それだけで、胸がいっぱいになった。
◆
翌日。
私は、アレン様と一緒に畑へ向かった。
朝の空気は冷たいけれど、太陽の光は優しい。
遠くで小鳥が鳴き、土の匂いがする。
「ここだ」
「……ああ、やっぱり」
畑の一部の土が、ほんのり黒ずんでいる。
普通の腐葉土の色ではない。目に見えないけれど、魔素が濃い。
「この辺りに、昔、魔物の巣か何かありました?」
「よく分かったな。ここから少し北に行ったところに、かつて魔王軍の砦があったらしい」
「魔王軍。ファンタジー感がすごいですね」
「現実だがな」
私はしゃがみ込み、小さく息を吸った。
「じゃあ、ちょっとだけ、頑張りますか」
「無理はするなよ」
「スローライフのためですから。ここを浄化すれば、美味しい野菜が食べ放題です」
「動機がひどく俗だな」
「食は大事です!」
両手を土の上に置き、目を閉じる。
体の奥にある光を、少しだけすくい上げるイメージで。
浄化は、本来もっと複雑な儀式を伴う。
けれど私の場合、もうほぼルーティンワークの域なので、こんな感じでできてしまう。
「……ふっ」
息を吐くと同時に、土の黒ずみがふっと消えた。
代わりに、ほわんとした温かい空気が広がる。
「終わりです」
「今のが、浄化か?」
「簡易版ですけど。これで、しばらくは大丈夫だと思います」
立ち上がって手を払うと、アレン様がじっとこちらを見つめていた。
その目が、驚きと……少しの怒りで揺れている。
「どうかしました?」
「王都の森も、こうして浄化していたのか?」
「はい。森の中の魔物の巣を特定して、浄化して、また特定して……の繰り返しです」
「それを、お前ひとりで?」
「まあ、勇者パーティの皆さんが護衛してくれていましたけど」
その勇者パーティは、最後にはそろって目をそらしたわけだが。
「王都は、君の力を、数字でしか見ていなかったのだろうな」
「数字?」
「魔物討伐数、浄化した範囲の広さ、そういったものだ。だが、本当に大事なのは、こうして土地の事情を見て、原因を判断し、最小限の力で対処することだ」
「……アレン様って、もしかして、元・上司ですか?」
「どういう意味だ」
「なんか、元の世界の上司に似たこと言われてたなって。効率と、原因の分析が大事だとか」
「それは、有能な上司だな」
「有能でしたけど、ブラック企業でした」
「それは問題だな」
ふっと笑い合う。
こんなふうに、冗談を交わしながら仕事ができるなんて、王都では考えられなかった。
「さて。これで、この畑は大丈夫です。あとは、種をまいて、水をやって……」
「一緒にやろう」
「いいんですか? 公爵様なのに」
「公爵だからこそ、だ。ここは、俺の家だからな」
そう言って袖をまくるアレン様。
白い肌に、すっと通った筋肉のライン。いや、見ちゃダメ。集中、集中。
「じゃあ、畑仕事デート、スタートですね」
「デート?」
「あ、いえ、独り言です!」
◆
それから数日。
私は、本当に「のんびりとした日々」を過ごした。
朝起きて、簡単な浄化と畑の手入れ。
昼は料理をして、一緒に食べて。
午後は読書したり、近くの森を散歩したり。
夕方はまた畑を見て、夜は暖炉の前でお茶を飲みながらおしゃべり。
「かな。この本、面白いぞ」
「え、どれですか?」
「辺境のキノコ図鑑だ」
「渋い趣味ですね!」
そんな変なやり取りも、全部楽しい。
アレン様は、一見クールで寡黙なのに、話してみると意外とよく喋るし、冗談も言う。
それに、やたらと私を甘やかしてくる。
「今日は冷えるな。これを羽織れ」
「わ、ありがとうございます。でも、自分のコート、あるので」
「俺のを羽織れ。大きいから、暖かい」
「え、それ、確信犯ですよね?」
「何がだ?」
「いい匂いがするんですよ、アレン様のコート!」
「それは困ったな。今度から、かな専用のを用意しよう」
「そういう問題じゃない!」
でも、コートはふかふかで、本当に暖かいから断れない。
こうして、少しずつ距離が近づいていくのが、何だかくすぐったい。
◆
そんな、穏やかな日々が続いていたある日。
エルネスト領の門に、けたたましい声が響いた。
「ここが、辺境エルネスト領なのね!」
「リリアーナ王女殿下、お足元にお気をつけください!」
……聞き覚えのある声だ。
聞きたくなかった声でもある。
「アレン様……」
「分かっている。城門まで行くか?」
「はい。逃げても、どうせ見つかりますしね」
私はため息をつきながら、コートを羽織った。
城門に着くと、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
金髪を巻き髪にした、美しい令嬢。リリアーナ王女。
その後ろには、勇者ジュリアン、剣士レオン、魔法使いエリオス、僧侶ミリア。
そして、彼らを護衛する王都の騎士たち。
「まあ。お久しぶりね、かな」
リリアーナ様は、相変わらず完璧な笑みを浮かべていた。
その目だけが、笑っていないのも、相変わらずだ。
「お久しぶりです、リリアーナ様。勇者パーティの皆さんも」
「かな……急に追放になって、その……」
ジュリアンが、言いにくそうに口を開く。
けれど、その言葉を遮るように、リリアーナ様が前に出た。
「今はそんな話をしている暇はありませんわ。かな、あなた、すぐに王都に戻りなさい」
「は?」
「魔物が暴走しているの。王都近くの森から、次々に魔物があふれ出して、街道は封鎖、近郊の村も被害を受けているわ」
「それは、大変ですね」
「そう、大変なのよ。だから、あなたの力が必要なの」
「追放、したのに?」
淡々とした私の言葉に、リリアーナ様の眉がぴくりと動く。
「事情が変わったのよ。国のために働くのは、元・聖女として当然でしょう?」
当然、ね。
私は、ふっと笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いえ。ちょっと懐かしくて」
利用できるうちは持ち上げて、役立たなくなったら捨てて。
困ったら、何食わぬ顔で戻ってこいと言う。
まさに、ブラック企業ムーブ。
ここまでテンプレだと、逆に清々しい。
「かな。お願いだ。戻ってきてくれ」
ジュリアンが一歩踏み出す。
その顔は本気で困っていて、多分、悪気はないのだろう。
でも、その「悪気はない」が、一番人を傷つける。
「ごめんなさい」
私は、はっきりと言った。
「お断りします」
リリアーナ様の表情が凍りついた。
「……今、何と?」
「お断りしますって言いました。私は今、エルネスト領でのんびり暮らしているので」
「のんびり? 国が危機だというのに、何を……!」
「そもそも、何度も警告しましたよね。森を削りすぎないようにって。でも無視して開発を続けたのは、そちらです」
リリアーナ様が、ぐっと詰まる。
その隣で、ミリアが口を挟んだ。
「でも、当時は魔物も静かでしたし……」
「静かだったのは、私が毎日浄化していたからです」
「な……!」
「私が浄化している間に森を削った結果、今、魔物が怒っている。違いますか?」
沈黙。
誰も、否定しない。
「それに、私、追放されましたから。身分も特権も全部剥奪された、ただの一般人です」
「今ここで、聖女の身分を戻してあげてもいいのよ?」
「いりません」
きっぱりと言い切ると、リリアーナ様の顔が真っ赤になった。
「かな。お前、陛下のご慈悲を……!」
「慈悲? あれは、ただの都合でしょう。今までの扱いを考えると、とても慈悲とは思えません」
王女の顔から、すっと笑顔が消えた。
代わりに、じわじわと怒りが滲む。
「身の程をわきまえなさい、元・聖女。あなたのような下賤な存在が――」
「そこまでだ」
リリアーナ様の言葉を遮ったのは、アレン様だった。
彼は、いつの間にか私の横に立ち、静かな目で王女を見つめている。
空気が一瞬で冷えた。文字通り、吐く息が白くなるほどに。
「エルネスト領は、俺の領地だ。ここでは、俺の言葉が法になる」
「な……」
「かなは、俺の客人であり、この家の主のひとりだ。彼女を侮辱することは、エルネスト家を侮辱することと同義だが?」
騎士たちの間に、ざわめきが広がる。
「アレン公爵、ですが、王都は今――」
「王都の事情は知っている」
「え?」
「魔物の暴走は、ここまで噂が届いている。……むしろ、ここから見れば、当然の結果だ」
「当然、とはどういう意味ですの」
リリアーナ様が、悔しそうに唇を噛む。
「君たちは、聖女の忠告を無視し、森を削り続けた。短期的な利益のために、長期的な安全を捨てた」
「それは……」
「その負債が、今、返ってきているだけだ」
アレン様の言葉は、冷たく、容赦がない。
でも、そのどれもが、事実だ。
「俺は、辺境の民を守る義務がある。だが、王都を守る義務はない」
「公爵でありながら、そのような――!」
「王都が辺境を見捨ててきた歴史を考えれば、まだ優しい方だと思うが?」
リリアーナ様が息を飲む。
勇者パーティも、何も言えずにいる。
「もしどうしても、かなの力が必要だと言うなら」
一瞬だけ、アレン様が私に視線を向ける。
その瞳の奥で、「どうしたい?」と問いかけられている気がした。
私は、小さく首を振る。
ここで戻ったら、多分また、同じことの繰り返しになる。
スローライフは、もう手放さない。
「……断る」
アレン様が、はっきりと言った。
「かなは、ここで暮らす。畑を耕し、料理を作り、昼寝をし、笑って生きる。そのために、俺は彼女を迎えに行った」
「迎えに?」
ジュリアンが、驚いた顔になる。
「王都から辺境までの移送中、君は眠らされていたはずだ」
「やっぱり、そうでしたか」
「あの馬車は、辺境に向かっていなかった。王都から少し離れた森で、君を魔物の巣に捨てて帰る予定だったらしい」
心臓が、ぞくりと冷たくなる。
「そんな……」
「俺の部下が情報を掴み、先回りして魔物を片付け、君を保護した」
「保護っていうか、拉致っていうか……」
「かなは、どうされるよりも先に、俺のものになった。だから今、ここにいる」
さらっととんでもないことを言われた。
「ちょ、アレン様。その言い方だと、いろいろ誤解されるんで!」
「誤解ではない」
「誤解です!」
でも、王都側にとっては、これ以上ない「ざまぁ」だろう。
捨て駒にしようとした聖女を、辺境の公爵に先に取られて、しかも力を貸してもらえない。
「かな」
アレン様が、私の名を呼ぶ。
「君の意思を、最後にもう一度だけ聞かせてくれ」
その目は真剣で、優しい。
「王都に戻りたいか? それとも――」
「ここに、いたいです」
私は迷わず答えた。
「ここで、畑を耕して、パンを焼いて、昼寝して、アレン様とお茶を飲みたいです」
「それは、スローライフと言うには、少し甘すぎないか?」
「甘やかしてるのは、アレン様です!」
「なら、もっと甘やかそう」
「ちょっと!」
私たちのやり取りを、リリアーナ様は信じられないものを見る目で見ていた。
「こんな辺境で、そんな生活をして、楽しいと本気で思っているの?」
「本気で、楽しいです」
即答した。
王都のきらびやかな城より、ここでのシチューと焼きたてのパンの方が、ずっと嬉しい。
「……いいでしょう。後悔しても知りませんから」
リリアーナ様は、悔しそうに踵を返す。
「勇者ジュリアン。あなたたちは、別の聖女候補を探しなさい。どうせ、代わりなんていくらでもいるのだから」
その言葉を聞いて、ジュリアンが、はっとした顔をした。
多分、やっと気づいたのだろう。
自分たちが、私に対して、ずっとそういう態度だったことに。
「かな、本当に……戻る気は――」
「ありません」
私は、きっぱりと言った。
「もう、誰かの都合だけで生きるのは、やめましたから」
ジュリアンは、それ以上何も言えず、ただうつむいた。
王都の一行が去っていく背中を見送って、アレン様がふっと息をつく。
「少し、すっきりしたな」
「すっきり、しましたね」
胸の中に溜まっていたものが、ようやく流れ出した気がする。
ざまぁ、というには少し生ぬるいかもしれない。
でも、これくらいが、きっと私にはちょうどいい。
「かな」
「はい?」
「改めて、聞かせてくれ」
アレン様が、私の両手を取った。
大きくて、温かい手。指先が少しだけ震えているのが、意外だった。
「君は、本当にここで、生きていく覚悟があるか?」
「はい。あります」
「王都に戻ることは、きっともう二度とないぞ」
「戻りたいと思う日が来たら、その時は、ちゃんと相談します」
「……そうか」
アレン様が、少しだけ目を細める。
「なら、もうひとつ、覚悟を決めてもらわねばならない」
「え?」
「俺は、かなを手放すつもりはない」
ど直球な告白が、飛んできた。
「こ、告白がストレートすぎません!?」
「遠回しが苦手でな」
「知ってましたけど!」
心臓が忙しい。
でも、嫌じゃない。むしろ、嬉しい。
こんなふうに真っ直ぐ向き合ってくれた人は、今までいなかった。
「……考える時間、ください」
「もちろんだ」
「でも、その。今の生活は、このまま続けたいです」
「それは、俺も同じだ」
アレン様が、柔らかく笑う。
「かな」
「はい」
「一緒に、畑を増やさないか?」
「え、いきなり現実的ですね!」
「この前、君が作ってくれた野菜シチューを、村の連中にも振る舞ってやりたい」
「それ、最高です」
「それに、余った分は市場で売る。スローライフには、適度な仕事も必要だからな」
「つまり、スローライフ農業計画、始動ですね」
「ああ。俺とかなの、共同事業だ」
共同事業。
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
「じゃあまずは、苗の種類を決めましょう。トマトっぽいのも育てたいし、ハーブも欲しいし……」
「キノコもな」
「キノコは森担当で!」
そんな他愛もない話をしながら、私たちは家へと戻る。
背後で、遠く王都の方角の空が、どこか不穏な色を帯びていたけれど。
それは、もう、私の戦場ではない。
私の戦場は、畑だ。
敵は、虫と雑草と、たまにやって来る暴走キノコくらい。
その横には、いつもアレン様がいる。
――追放された聖女の、辺境スローライフは、こうして始まったばかり。
そして、多分。
これからもっと、甘くて忙しい毎日になっていくのだろう。
その予感に、私はちょっとだけ、胸を高鳴らせながら、オーブンの火を起こした。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
元聖女かなの、のんびりスローライフ…と言いつつ、初っ端から王都ざまぁ展開になってしまいました。
今作では
・追放されたけど本人はわりと前向き
・クール系公爵様がじわじわ溺愛モード
・畑とごはんと、ちょっとだけ陰湿な王都
みたいな空気感を意識して書きました。
かなとアレン様の距離は、これからもっと近づいていきます。
畑拡大計画とか、村の人たちとの交流とか、辺境ならではの騒がしくて甘いスローライフを、少しずつ描いていけたらと思っています。
もし
「続きが気になる」
「かな頑張れと思った」
「王都ざまぁ、もっとやれ」
「アレン様の甘やかし、良い」
など、少しでも何か感じていただけましたら
・ブックマーク
・評価
・感想や一言コメント
を入れていただけると、本当に本当に励みになります。
数字やブクマが増えると、作者のやる気ゲージと更新速度が上がります。単純です。
感想は
「ここが好き」
「この会話がよかった」
「このキャラが気になる」
くらいの一言でも、めちゃくちゃ嬉しいです。
お気軽に話しかけていただけると、今後の展開を考える時の参考にもなります。
この作品を、「また読み返したいな」と思ってもらえるように、テンポよく、甘くてのんびり、それでいてちょっとスカッとするお話を目指していきますので、どうぞこれからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
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もしよろしければ
婚約破棄された伯爵令嬢ですが、森でパン屋を開いたら辺境伯に溺愛されました 〜悪女呼ばわりした元婚約者よ、助けを求められてももう遅い〜
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一緒にお読み頂ければと思います。




