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1.遅刻

「ちょっと壱紀! 学校遅れるわよー?」


 エコーがかった声が、聞こえてくる。

 名前を呼ばれた青年――市井壱紀(イチイヒトキ)は、辺りを見回した。彼の視界に映っているのは、彼が通う高等学校の校舎、そしてグラウンドにある表彰台と表彰状、金色に輝くトロフィーを今正に自分に渡そうとしている校長の姿であった。しかし頭の中に響く声は、尚も可笑しなことを言った。


「もうあと15分しかないわよー?」


 何がだ、と壱紀は心の中で呟く。何故母親の声が聞こえてくるのか。そりゃ昨晩は、今日のことを考えてしまって中々寝付けなかったが――まさか幻聴を聞いてしまうぐらい、寝不足になっていたとは。

 壱紀が所属するサッカー部は先日、県大会で優勝を果たしていた。そして部長である壱紀は全校朝会でそのトロフィーを受け取ることとなり、こうして今表彰台の前に居るのだが。


「壱紀! 返事くらいしなさい!」


 ミシミシと床板が軋む音、そして襖が勢い良く開けられる音。次いでパカン! と小気味良い音と共に目の前で白い霧が弾けた。校舎も表彰台も校長も、すべてが白い霧にのまれていく。視界がすべて白く塗り潰されたかと思った次の瞬間には視界が開けて、色付いた世界と見慣れた母親の顔が見えた。眉間にシワ、何故か彼女は怒っているようだった。


「……トロフィーは?」


 自分は確かに優勝トロフィーを受け取った筈なんだが、とぼんやりとした頭で思う。母親に視線を向ければ、呆れたような顔をされた。予告なく布団をガバリと剥ぎ取られ、体が外気に晒されブルリと震える。そして突き付けられた目覚まし時計により、壱紀の意識は一気に現実に引き戻された。


「しっ……7時45分!? えっ、嘘!? 何これ夢!?」

「何寝惚けてんの? 今朝の集会で貰うって、アンタ昨日言ってたじゃない」

「うっ……嘘ォ!? 何で起こしてくれなかったんだよ母さん!!」

「起こしたわよ? もう、部長がこれじゃあ、部員さん達が可哀想になるわね」

「あああもう、最悪だ!!」


 ベッドから跳ね起き、慌てて着替えを済ませ、床に投げ出された鞄を引っ掴むと、寝癖も直さないまま家を飛び出した。身支度なんてものは無事学校に着いてから考えればいい――壱紀の頭は遅刻をしないことでいっぱいだった。


 現在の時刻、7時47分。不幸中の幸いと言うべきか、学校は目と鼻の先、3分と掛からない距離にあった。壱紀が全力で走れば2分と掛からないだろう。

 間に合え、と心の中で何度も念じながら、壱紀は走った。


「っつうかさ、何でお前も起こしてくんないんだよ。テン」


 走る壱紀の側ら、短い四肢をめいっぱい伸ばして走る獣。その姿は犬に酷似している。しかし体の色は空をそのまま纏ったような、鮮やかな空色をしていた。壱紀の手のひらよりも二回り大きいぐらいの獣は、済まないとでも言うように頭を垂れた。


「昨日説明したろ? 今日は俺にとって、すげえ大事な日なんだって!」


 黒目がちな瞳が揺れる。


「お前だってその場に居たろ! あん時の試合の――……って分かるワケないか。あーあ、何でウチのテンはこんなに馬鹿なのかなあ。俺に似たのかな……まあ、俺の感情で育ってるワケだし当然かあ」


 テンと呼ばれた獣は、壱紀の感情獣である。空色の体色から(テン)と名付けた。テンは同年代の感情獣に比べると小柄で大人しく、知能もあまり発達していないようだった。体格や性格、知能と謂った物は持ち主のステータスがそのまま反映される。感情獣は持ち主の分身と言っても過言ではなかった。

 それ故壱紀はテンの発育の悪さに頭を悩ませていた。


 自身の限界を見せ付けられているような気がしたのだ。


「ハットトリックだって決められる。部長だってやってる。成績だってそんなに悪いワケじゃない。……なのに俺の感情獣は小さいまんまだ。なあ、テン。何でなんだろうな」


 テンはパチパチと瞬きを繰り返しただけだった。知能が高い感情獣であったなら人語を介し、会話を成立させることも可能なのだが。そもそもテンが壱紀の言葉の意味を理解しているのか――それすら怪しいことであった。




「……お前に訊いても仕方ないか」




 悩みを振り払うように、壱紀は走る速度を上げた。

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