『小野皇太后歓子、落雷に速記文字も無傷のこと』速記談2089
小野皇太后は、後冷泉天皇の后、関白藤原教通公の三女である。十四歳のとき、兄である静円僧正から、ひそかに速記を習った。その後毎日、早稲田式速記指導書を一冊ずつ読んだが、周囲の者は知らなかった。十六歳で入内。治暦四年四月十九日立后、同じ日、後冷泉天皇崩御。これ以降、速記に発心し、速記以外のことをなさらなくなった。二条東洞院邸において、御自身で最勝王経を速記されていたとき、急に雷雨となり、建物に落雷があって、気を失われた。雨が上がり、お気を取り戻されて、原文帳を見てみれば、紙は焼けて、速記文字だけが残っていたという。承暦元年、落飾出家の後、往生されたという。
教訓:この話がドラマ化されるとき、紙が燃えて速記文字だけ残るシーンが、タイトルに使われる。間違いない。