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冥界列車

作者: 纏 憂

【1】姉妹

 年に一度、私は姉に逢いに行く。遠く遠く列車に揺られながら。

 地面に張った水を車輪で切り裂き、広がる波紋と共に列車は進む。

 地底に沈む都市を光が照らす。

 かつて一緒に過ごした日々が脳内に蘇る。

 泡沫が弾けて私の空想も形を失う。

 無音のまま列車が停まる。

 駅のホームに降り立つと、白い空気が肌に触れる。

 列車はすぐさま次の駅へと発進してしまう。

 隠れていた反対側のホームに一人の女性が現れる。

 嫋やかな微笑みを浮かべ、手に持った緋色の花を愛おしそうに撫でる彼女こそが私の姉。私の大好きな人。

「お姉ちゃん……」

「久しぶり」

 声をかけると姉は笑みを落とす。しかしすぐに悲しそうな顔をした。

「こうして抱きしめてあげられたら、どれだけいいか……」

 両腕を大きく広げ姉は虚空を抱きしめた。緋花がその手を離れ水面を揺らす。

「ごめんね」

 心から溢れた贖罪が冥界の空へと落ちていく。

「ほら、また」

 姉は困ったような笑みを浮かべる。

「ごめんね、私のせいで……」

「もういいよ」

 私の声を遮るように姉が手を振った。

「ありがとう。またね、ルカ」

 最後に私の名を呼ぶと、彼岸にいたはずの姉はいつの間にか姿を消していた。

 気が付くと列車がホームに停まっている。

 名残惜しくも私は乗り込む。

 列車が進むにつれて、視界は眩い光に包まれていく。

 次第に踏切の音が近づいて遠ざかっていく。

 そうして私は目を覚ます。部屋に差し込む夕日に目を細めて空を見上げる。そこにはまるで線路のような一筋の白煙が伸びていた。

          ***

 使われることのなくなった部屋に足を踏み入れる。お盆のこの日になると私は必ずここを訪れる。

 小さな勉強机に傷の少ない水色のランドセルが置いてある。

 引き出しを引くと折りたたまれた二枚のテストが顔を出す。

 赤点を取ったとき、私と姉は同じ場所に隠すようにしていた。

 だから必ず怒られるときは二人一緒だった。

 昔の記憶がよみがえる。

 母に点数を聞かれると私たちは決まって嘘をついた。けれどいつも姉だけが嘘だとバレる。

 姉は癖で嘘をつくとき髪を耳に掛ける。それを母は初めから知っていた。

 そして散々に怒られた後、泣きながら私も嘘をついていると母に告げる。

 それに私が怒り、喧嘩が始まると母がさらに怒っては二人一緒に泣きじゃくった。

 今となっては微笑ましい思い出も、二度と戻らぬ光景に胸が痛む。

 私は大きく息を吐いて部屋を出た。

          ***

 私はまた列車に乗っていた。

 今回は少し違う。列車はけたたましく線路を軋ませ、ものすごい速さで道を進んでいた。

 唸るブレーキ音とともに列車が停まる。

 駅のホームに降り立つと、乗っていたはずの列車は消え、目の前には彼岸に架かる橋があった。

 空はまるで夕凪のように赤かった。去年姉が持っていた緋色の花を連想させる、そんな色だった。

 気が付くと向こう側に姉が立っていた。

「ルカ……」

 驚いたように口を開いた姉は悲しそうに顔を歪めた。

「お姉ちゃん、やっと、行けるよ」

 私は橋に近づいた。

「二人でまたどこかに行こう。今度こそ海とかさ」

 後悔が滲まぬように、声を明るくして私は話す。

「お父さんとお母さんが来てくれるまでゆっくり話でもしながらさ」

「来ないで!」

 橋に手をかけたところで姉が叫んだ。

「でも、仕方ないよ」

 姉の反応に困惑しながらも笑みを浮かべる。うまくいかずに顔が引き攣った。

「いいからこっちに来ないで!」

あまりの迫力に私は息を呑む。

「あなたはいつも自分勝手!あのときだってついてきちゃダメだって……そう言ったのに」

 何のことかすぐに分かった。小学校の夏休み、私たちは訪れた海水浴場で迷子になった。

「私がお母さん探してくるからって……」

 私は心細くなって後を追いかけた。けれどどこにも姉の姿は見当たらなくて、怖くて仕方ないまま歩き回った。

「私がどれだけ心配したかわかってる?」

 道路を渡る私に向かって猛スピードで近づく車。私は姉に突き飛ばされて意識を失った。

「あなたのせいじゃない。何度も言ったのに、自分を責めて」

「だって、私のせいでお姉ちゃんは……」

「違う!」

 一際大きな声が駅のホームに響き渡る。

「あなただってわかってるでしょ。あれは事故」

「でも、私が、お姉ちゃんの言う通りにしていれば」

 両目から涙が溢れ出す。私はずっと悔やんでた。

「違うの。私も言うこと聞かなかったから……」

 姉が顔を伏せる。

「あの後、お母さんを見つけた私はあなたのことが心配ですぐに引き返した。お母さんの静止も聞かずに……あなたを迎えに行くつもりだった」

「そんな」

 姉が顔を上げる。彼女もまた泣いていた。

「私は道路に飛び出した。そしてあなたとぶつかった」

 姉は涙を拭い、横髪をかき上げる。

 そのとき空が瞬いた。気がつくと姉が目の前にいた。

「ごめんね。ずっと言いたかったのに……届かなかった」

 姉は私と同じこちら側にいた。

「あなたは悪くない」

 華奢な腕が私を包み込む。懐かしい温もりが降り積もった心の澱を浄化していく。

「だから来ないで、ルカ」

「お姉ちゃん」

 どこかで汽笛の音がした。姉が橋を渡る。

「あなたが来るべき日まで、いつまでも待ってるから」

「……ありがとう」

 二人の涙が輝いて冥界は光に包まれた。

          ***

 目を覚ますとそこには同じように涙を浮かべ、私を抱きしめる父と母の姿があった。

「お姉ちゃんは、バカだよ……本当に」

 再び涙が頬を濡らす。

 青空から差した光が姉の写真を照らしていた。明快な風が心地よかった。

【2】夫婦

 妻が癌になった。すい臓がんステージ4。

 淡白に告げる医師の声を聞きながら俺は膝の上で握りしめた拳を見つめ続けた。彼女がどんな顔をしているのか見るのが怖かった。

 放射線治療と数回の手術を経ても腫瘍は小さくならず、不安と迫りくるような焦燥感だけが大きくなっていった。

 日に日に痩せていく彼女を見ているだけで涙が零れそうになる。情けない思考を振り払い、俺は自分にできることを考えた。それでもただの社会人じゃ病気の治療なんてできなくて。結局最後まで彼女の最期まで寄り添うことしかできなかった。

          ***

 ついに彼女は日常生活もままならないほどの容態に陥った。一日の半分以上は目を瞑り微かな呼吸を繰り返す。果たして俺は衰弱しきった彼女の支えになれているのか、いったいどうすれば……堂々巡りの考えを押しのけて、先月告げられた事実を思い返す。

「妊娠している可能性が高いです」

 こみ上げる喜びはすぐに虚しさへと変わった。

「大変申しあげにくいのですが、今の状態では……出産は難しいかと……それに」

 その先のことなんて言われなくても知っている。腫瘍に邪魔されてお腹の子はまともに栄養を取れていない。仮に産んだとしても彼女はきっと……。

「……」

 まるで俺の思考を読んだかのように医師は押し黙った。静まり返る病室。まるで部屋全体が落下しているかのような、そんな錯覚に陥りそうだった。

 暗い空気をかき消したのは今まで俯いていた紗香だった。

「やった!康ちゃん、私たちの子供やって」

 そう言って愛おしそうに僅かに膨らんだお腹をさする。

「……嬉しく、ない?」

 やがて俺を見上げた瞳は、絶望なんて微塵もなくて、まるで輝くように希望で満ちていた。

 俺はとっさに目元を拭い、本音を口にする。

「人生で一番嬉しい。嬉し過ぎて心臓バクバクしてるわ」

「ふふ、私も」

 どうしてか、彼女が笑うと気持ちが楽になる。張り詰めていたものが浄化されていくように俺の心は穏やかだった。

「ていうか、私と結婚したことも、でしょ?」

「え?」

「人生で一番嬉しいこと」

「当たり前やろ」

 午後の陽が差す病室はとても暖かった。

         ***

 彼女が目を覚ます回数は次第に少なくなった。きっともう、残された時間が多くないことはわかっている。それなのに、ここ最近紗香のそばにいるのが辛く思うようになってしまった。

 彼女がいなくなった後、自分はどこに行けばいい?これまでと同じように生活を送る、そんなことできるはずがない。彼女がいない人生に意味などあるのだろうか。

 考えるたびに胸を痛めては、眠る彼女の隣でため息を吐く回数が増えていった。

        ***

 医師に()()()()を知らされたその夜。

 俺は一両の列車に乗っていた。外は暗く、まるで闇に呑まれたように静かだった。

 進んでいるかもわからない列車の、車窓を流れる景色をただぼうっと眺めていると遠くに一つの灯りが見え始めた。近づくにつれて、それが駅のホームであることが分かった。

 列車が停まり扉が開く。ホームに降り立つと列車はあっという間に発進してしまう。ぐんぐん遠ざかっていく列車を見つめていると、反対側のホームに気配を感じた。

「紗香……」

 そこに立っていたのは紛れもなく紗香だった。生まれてくるはずの赤ん坊をその手に抱えながらこちらをじっと見つめている。

「今、そっちに行くから……」

 どうにか向こうに渡ろうと手段を探すが何もなかった。

「康ちゃんさ、いっつもそうだったよね」

 徐に彼女が口を開いた。

「どうにかしようと思うだけで、実際には何もしてくれない」

「そんな……」

「私は不安で仕方ないのに、康ちゃんの方が辛そうにして」

「それは紗香のことが心配で……」

「ずっとそう。全部私が死ぬ前提で考えて、だからこうなったんだよ」

 蛍光灯が明滅するように世界が二度瞬いた。

「ああ、そうか……」

「あなたのせいで私は死んだんだよ、康ちゃん」

   * * *

 逼迫した複数の声と、けたたましく脳を揺らす警報音に目を覚ます。

 その光景を俺はどこか俯瞰して見ていた。

 命の終わりを告げるバイタルモニターの平坦な音が止む。

 死んだ妻の手を握る哀れな男。

 彼女の手はひどく冷たかった。         

   * * *

 私は列車に乗っていた。ここがどこなのかすぐに分かった。

 多分ここが、人が訪れる最後の場所。冥界。

 だとしたらこの列車は死んだ人の移動手段。

「私、死んだんや」

 何とはなしに空を仰ぐ。冥界の空は澄んでいて、地面には水が張っていた。

「あれがきっと、私がいた場所なんやろな」

 地の奥深くに沈む都市はきっと現世の世界。

 気が付くと隣には両親が立っていた。

「ごめん、お母さんお父さん、まだやらないかんことがある」

 そう言うと私は列車に乗り込む。体が軽いのはここが冥界だからだろうか。

 もし仮に違うのなら、私は母親としてしなくてはいけないことがある。なによりあの人の妻として。

         * * *

 さっきまで彼女が寝ていたシーツにそっと触れる。仄かな温もりを知覚した瞬間、手が震えた。

 失うことがこれほどまでに痛くて寒いのだと初めて思い知った。

 溢れ出そうになる声に蓋をして、無数の錠剤を嗚咽と共に飲み込んだ。

         * * *

 俺はまた列車に乗っていた。今度の空は明るくて少し安堵する。

 水面に揺れる虚像を見つめていると列車が停止した。

 ホームに降りるとやはり彼女の姿がそこにはあった。

「紗香ごめん。やっぱり俺のせいだ……」

「聞きたくないなあ」

「え?」

 思わぬ返答に思わず聞き返す。

「覚えてる?私たちの誓いの言葉」

 そんなこと当たり前だと言うと「じゃあ言ってみて」と彼女は促す。

「病めるときも健やかなるときも、互いを想い、支え、愛し合うことを誓います」

「ブブー、んな長ったらしいこと言うてなかったよ」

「いや、前日二人で考えたやろ。これや」

「あの時、康ちゃん緊張してセリフ飛ばしたんよ」

 当時のことを思いだしたのか彼女が笑みを零す。

「幸せにする、絶対。紗香を愛してるから」

「ああ、そうやった」

「結婚式やのにプロポーズみたいなこと言うて」

 そんなに可笑しいのか彼女が吹き出す。俺も思わず笑っていた。

「でも、すごく嬉しかった」

 かつての記憶を懐かしむように目を細める。

「どんなに着飾った言葉よりも本心から言ってくれてるってわかるもん」

 彼女が俺を見つめた。

「康ちゃんはいつもそう。真っ直ぐすぎて、こっちが心配になるくらい無理をするから……」

 その目から涙が溢れ出す。

「私、幸せだよ。康ちゃんがいてくれるから。だから、生きて」

 世界が瞬く、どこかで汽笛が鳴った。

 俺は紗香を抱きしめていた。

 二人とも泣きながら、互いの存在を確かめ合うように離さなかった。

「あの子のこと頼むね」

「あの子?」

「なに言ってん。私と康ちゃんの子」

 そう言われて彼女を見ると、お腹が出ていなかった。

「きっと私みたいに美人やから、悪い男から守ってあげて」

「当たり前や」

 最後にもう一度彼女を抱きしめる。

「この温盛を忘れないように、みたいなこと考えとったやろ今」

 図星を突かれ言葉に詰まる。

「まったく、最後まで変態やな、康ちゃんは」

「誰が変態や」

 軽く頭を小突くとどちらからともなく笑い出す。

「またな」

 別れを告げて列車に乗り込む。

「そうや、和紗‼」

「なんて?」

 加速を始める列車に紗香が声を張り上げる。

「あの子の名前!和康(かずやす)の和に紗香の紗!」

「わかった!いい名前やな!」

「知ってるわ!」

 互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。冥界の空がもう一度瞬いた。

   ***

 「お父さん、はよ起きて!」

 娘に急かされて俺は慌てて支度をする。

「行ってくるね、お母さん」

 制服に身を包む娘に俺は声をかける。

「和紗、制服よう似合ってるで」

「知ってるわ。そんなことよりお父さん、遅刻や!」

 慌てて家を飛び出す娘を呼び止めながら、俺は紗香に言った。

「あの子、お前に似すぎや。ほな行ってくる」

 玄関を出ると和紗が待っていた。自然と手を繋ごうとするとはたかれた。

「お父さん、変態やろ、お母さんにも言われんかった?」

「変態ちゃうわ。……まったく」

 二人をそよ風が包み込む。冥界と繋がる空はどこまでも澄んでいた。

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