35 アマンダの恋2
もう一人の王子、ジェレミーは自分の婚約者になったマジェリーが自分に関心がないことを知っていた。上辺では自分を敬愛し、忠誠を誓うようなことを言うが、心がない。自分のことなど家の益となる王子という地位以外関心がないのは明らかだ。冷静で完璧過ぎるマジェリーが魔女のようで、恋心どころか友人になることさえ難しいと思っていた。
そんなマジェリーがアドレー王国の留学生マリウス王子と出会って恋に落ちた。
婚約者がいようが相手を慕っていることを隠しもせず、常に笑顔で追いかけ、きっかけを作ってはそばにいようとする。激変したマジェリーを見てこれが本当の姿だと知り、ようやくマジェリーを人として見ることができるようになった。マジェリーとまともに話をするようになったのもこの頃からだ。
アドレー王国からマリウス王子との縁を紡げないか打診が来ていることをマジェリーから聞くと、ジェレミーは迷わずマジェリーの恋を応援する側に回り、自分たちの婚約を解消に持っていくことで合意した。
そのためには、今まで一度も逆らったことのない母を説得する必要があった。母が納得する相手であっても自分には向いていないこと、マジェリーを介したアドレー王国とのつながりはこの国にとって有益であること、なによりマジェリーがあれほどまで他の男に心を寄せるのを見せつけられて、今更恋心は抱けないことを語った。しかしにべもなく鼻であしらわれた。恋心? そんなもの王族には必要ないわ、と。
ジェレミーは説得を続けたが、自分の力不足を感じ、王やマジェリーの父ブラッドバーン公爵の力を借りることにした。当人同士は婚約解消に異存はなく、マジェリーの想いを成就させるために母を説得してほしい。
ブラッドバーン公爵家はアドレー王国と縁が深く、その王家からの申し出と愛娘マジェリーの想いを叶えることは優先したいことだった。王家に対し無理を通すことも考えていたが、双方の合意として婚約解消を進めようとするジェレミーの申し出は願ってもないことで、いたく感謝した。父王はいつもは母に忠実なジェレミーが積極的に動き、輪を崩すことなく穏便に事を進めようとしているのを見て成長を感じ、二人はメレディスの説得を引き受けた。
王と公爵に説得され、しぶしぶながらメレディスが折れると、ジェレミーは心から感謝し、母に礼を言った。この国で最も格の高い令嬢との婚約解消に礼を言うジェレミーに、何もわかっていない、もったいないと思いながらも、我が子の晴れ晴れとした表情を見てメレディスも苦笑していた。
ジェレミーとアマンダは同じ学年で同じ講義を受けることもあり、話をする機会は多かった。
兄のことで思い悩むアマンダを見ているうちに何となく気になり、声をかけてみた。話してみるとアマンダは明るく、情熱的で、時に饒舌になっては話し過ぎた自分を恥じて赤くなる姿も愛らしく思えた。かつてはわがままを通し、侍女からも敬遠されていたようだが、人の意見を取り入れるようになり、侍女や級友との関係も悪くなかった。
やがて兄のことは話題に上がらなくなり、日常の出来事を話すだけでも会うのが楽しみになった。
アマンダもまたジェレミーと話しているうちにカーティスを振り向かせたいと思わなくなっていた。
男爵令嬢や侍女にうつつを抜かし、自分に向ける笑みは形だけの作られたもので、よく見ると時折白けた顔をしている。そんなカーティスよりも、穏やかで周りを気遣うことができ、正義感が強く、あのエイミーにも毅然とした態度をとっていたジェレミーの方がずっと好ましく思え、カーティスとのお茶会よりも、例え立ち話でもジェレミーと過ごす方が楽しくなっていた。
カーティスが気に入っていたエイミーが自主退学した。
その後すぐのお茶会で、アマンダは侍女を下げ、カーティスと二人だけで話をした。
「エイミー様を自主退学に追いやったのは殿下ですね。気にかけていらっしゃったのに、どうして?」
カーティスはいつもの笑みを崩すことなく
「ちょっと悪ふざけが過ぎたのでね」
と語った。
「それは、…エディスのレポートを盗んだから?」
アマンダの問いに、何を言いたいのか察したカーティスは、その笑みを豹変させた。優しさのかけらもない、あざ笑うような笑み。今までアマンダにそんな表情を見せたことはなかった。
「あれが初犯じゃない。自主退学程度で済ませる気はなかったんだが、学校側の要望を呑まない訳にはいかなかった」
「お調べになっていたの?」
「…いろいろ出て来ただろう? 男関係だけでなく」
アマンダは今までエイミーのことを碌に調べもせず、自分の見たことだけで悪口を言ってきた。感情のままに、怒りだけを込めて。エディスに注意されてからも、ただ悪口を言わなければいい、そう思っていた。しかし違ったのだ。カーティスが求めていたのは中傷しないことではなく、事実を把握する力。アマンダがこの事件の背景を把握したからこそ、今こうして、笑顔でごまかすことなく話をしているのだ。
笑顔の優しい王の隣にいるだけでいい王妃など、あり得なかった。
「まあ、ジェレミーのようにあの手の女をびしっとはねのける男の方が受けはいいんだろうが…」
珍しく愚痴めいた言葉には、アマンダがジェレミーに魅かれていることがほのめかされていた。しかしそこに責める気配はなかった。
「…俺はエイミー嬢を使って婚約を破棄できるか考えていた。悪いが俺はこの婚約を継続する気はない」
自分を俺といい、砕けて少し荒い言葉遣いをするカーティスが本心を伝えていることはわかった。自分のことを対等に話せる人間として認めてくれたかもしれない。それならば。
「わかりました」
アマンダは、侯爵令嬢としてとっておきの笑みを見せた。
「ですが、私は王子殿下への恋は続けようと思っています」
その意味を察したカーティスは
「そうか」
とだけ言って、少し口元を緩めた。アマンダとジェレミーのことは見守るつもりなのだろう。
「…ですが、エディスもジェレミー様がエイミー様に注意したこと、高評価だったみたいですわよ?」
その言葉にカーティスは一瞬むっとした顔をしたが、すぐに取り繕った。
婚約破棄に備えて育ててきた手札をあっさり手放すほど、カーティスがエディスのことを大切にし、エディスが他の男に向けた好意を気にしているのがおかしくて、アマンダは恋心は失っていたが、以前よりカーティスのことを好ましく思えた。
王妃教育が再開され、第二王妃宮を訪れるようになると、自然とジェレミーと会う機会が増えた。初めは通りすがりの挨拶から、やがてちょっとお茶でもしようかと誘われ、二人きりにはならないよう気を配りながら息抜きの時間を楽しんでいた。
アマンダは王妃のための恋をやめ、恋のために王妃と認められる人になることを目指すようになった。
もし、ジェレミーが王になる日が来たとして…。たとえ王にならなくても、そのそばにいるには王妃に準じた教育が欠かせないはず。
かつてはあれほどつまらなかった王妃教育が、ジェレミーのそばにいることを夢想するだけで学んだこと全てが自分とジェレミーをつなげてくれるような気がして、やる気が湧いてきた。
比べられる相手もなく、自分のために教えを授けてくれる先生に心から感謝を向け、真摯に取り組む姿に、誰もがアマンダが王妃になることを受け入れるようになっていった。
ジェレミーとアマンダが逢引をしている。
侍女の噂を聞いたメレディスは、初めは眉をひそめていたものの、二人が立場をわきまえつつその思いを育てているのを見て、リディアの占いの力を再認識することになった。
元々リディアの占いではジェレミーとアマンダが婚約者になる予定だったのだ。それを家格の高さから覆し、マジェリーをジェレミーにあてがったのはメレディス自身だった。そしてそれは失敗に終わった。
アマンダの家格は充分であり、マジェリーがいない今、最も王妃に適していると言える。
カーティスとアマンダは上辺だけの関係で、カーティスは自分の侍女にご執心だ。このままカーティスが侍女とスキャンダルでも起こせばいい。そう思う反面、アマンダをジェレミーに引き寄せるには、侍女に負け、婚約を解消された令嬢であってはいけない。
メレディスはどうしたものかと考え、もうしばらく様子を見ることにした。
十歳での婚約決定は仮のもの。七年後に最終決定を受ける。
互いの思いを確認したジェレミーとアマンダは、婚約者の変更を願い出、王と二人の王妃、それにカーティスも交えて話し合いの場をもった。
リディアはもちろん、メレディスもカーティスも反対することはなく、王は最終決定の日まで二人の心が変わることがなければ、ジェレミーとアマンダが婚約することを認めた。
それは最終決定の一年前の話だった。
それを知らないのはエディスただ一人。
しかしこの決定は王妃が発表するまで王家以外の者に明かしてはいけないことになっていた。そのせいで、カーティスは婚約者のいる男であり続けなければいけないのが腹立たしくて仕方がなかった。
アマンダをけしかけても、ジェレミーのことをエディスにほのめかしもしない。もっと目の前でいちゃつけばいいのに、微妙に関係をごまかし続け、そしてそれを見破れるようなエディスではなかった。
「ずっと私にそっけなくしていた罰です」
そう言って悦に入るアマンダを、カーティスは責めることはできなかった。




