28 一身上の都合
事件から数日後、エディスはギルバートに声をかけられた。
あの事件の時、ギルバートは騎士団の一員としてカーティスと一緒に屋敷に来ていたと言われた。エディスはカーティスが一人で乗り込んだとは思っていなかったが、他に誰があの場にいたのか全く知らなかった。それどころか本来あるだろう事情聴取さえも受けていない。攫われた「女子学生」の正体は明かされないままだ。
「王子自ら現場に乗り込むんだよ。もう驚いたよ。何なんだあの人は」
あの時は暗がりで、カーティスの姿もよく見えなかった。カーティスは騎士団にも籍があるが、名誉職的な統括者であり、制服を着用することもあっても現場に行くことなど通常はあり得ない。偽金貨の事件担当を王から命じられていたとしても、誘拐事件に率先して飛び込んでいく立場の人ではないのだ。
「僕は主犯のいけ好かない奴を捕まえてたんだけど、めんどくさい奴でさ。その間にカーティス殿下が君を抱えて出てきたんだ。僕なんて、君があの屋敷に捕まっていたことさえ知らなかったのに」
カーティスはアマンダから自分が捕まったことを聞いていたのだろう。
誰よりも真っ先に自分のところに駆けつけてくれた。それはあまりにかっこよすぎて、聞けば聞くほど恥ずかしくて仕方がなかった。そして恥ずかしさ以上に嬉しいと思う自分がいる。だけどその思いは心の内側に秘めるしかない。
「君を大事そうに抱きかかえて運ぶ殿下を見た時、これは勝ち目がないな、と思ったよ。命が惜しいから、これからは一対一で君を誘うのは控えさせてもらうよ」
「…まあ、そんな風に思われても仕方ないけど、…殿下には婚約者がいるから。私こそ気をつけなくちゃ」
ギルバートはにやにやしながら何か言いたげにしていたが、それ以上何も言わなかった。
それ以降も、ギルバートとは会えば時々話をする程度の友達として付き合いは続いた。
その後、カーティスとは特に何もなく、侍女として普通に仕えている。
あの「礼」はただのお礼、それ以上の意味はなかったようだ。
ちょっと自意識過剰だったか、と反省はしてみたものの、男の人はああいうことを「礼」として受け取れるものなんだろうか。エディスは時々思い出しては悩んでいた。
侍女を手籠めにする主人、侍女の産んだ子供を引き取る貴族の話など、侍女にまつわるスキャンダラスな話は時々耳にするが、思った以上に身近で起こりうる案件であり、自分には縁遠いと思っていたことを大いに反省した。
カーティスが手を出さなかっただけで、一歩間違えばあのまま押し倒されても受け入れてしまっていたかもしれない。絶対にない、なんてことは言えない。相手だけが悪いなんて、とてもじゃないが言えない。
襲われたところを助けられて、弱気になっていたから。
その場の成り行きで。
言い訳を並べたところで、人の倫理観なんて、ほんのわずかなきっかけではじけてしまうものなのだ。ずっと自分は大丈夫だと思っていたけれど、それにはかなり自信を持っていたけれど、今やその自信はことごとく崩れていた。
触れた唇を思い出すだけで心はざわめき、体の中を巡る熱までも甦ってくる。
このざわざわが恋というものなのかもしれないと気付き、とんでもなく厄介なものにとりつかれてしまった、と思った。
絶対にこの恋を実らせまい。気付かれてなるものか。
エディスは堅く決意した。
エディスは結婚退職ではなく、一身上の都合でカーティスの卒業と同時に王城の侍女をやめて領に引きこもることを決意し、リディア妃に告げた。そして退職までの期間、カーティスやクレア、そしてアマンダのために新人侍女の育成に力を入れることにした。




