21 捕らわれの偽侯爵令嬢
とある古びた屋敷で馬車から降ろされた。エディスは三人の男に取り囲まれていて、ナイフで脅され、声をあげることもできなかった。男たちは捕まえた女が狙っていた者とは違うことには何も触れず、エディスと引き換えに金をもらい、去って行った。
金を支払った男がそのままエディスを二階に連れて行き、部屋に放り込むと手早く足首を縛り、外から鍵をかけた。
部屋はずいぶん埃っぽく、かつては豪華だっただろう壁紙は古びて所々剥がれ、もう長い間人が住んでいないようだった。
膝や腕など、あちこちをすりむいているようで、ひりひりとした痛みを感じた。
あのコリンヌの立ち去り方、あのタイミング。どう見ても自分をここまで運んできた連中とグルだろう。アマンダはわかっているだろうか。助けを呼んでくれているだろうか。まさか、コリンヌに会って適当に言いくるめられ、そのまま家に戻ったりは…。
エディスは今日は休みだ。王都には家があり、今日戻らなくても誰も不思議には思わないだろう。動いてもらえるとしても、明日仕事に来ていない自分に誰かが疑問を持ってくれた後だ。それがいつになるかもわからない。
アマンダのことを王城の誰かに話しておくべきだった。婚約者に関心が薄いとはいえ、カーティスに伝え、侯爵家に警備を固めてもらっていればこんな危険を避けることができたのに…。
夕日が沈み、闇が訪れてさほど経たない頃、部屋に人が入ってきた。
そこそこ身なりのいい男は金髪に碧い目で、整った顔立ちではあったが冷たく意地悪そうで、この国の社交界では見かけない顔だ。その後ろに男の側近と思われる二人の男がいて、剣を携えている。
「さて、そろそろプレナム王国行きにOKをもらってくれたかな?」
何の話をしているのかわからず、返事ができなかった。
「コリンヌも、君とプレナム王国に行けることを楽しみにしているんだよ、アマンダ嬢」
手にしているランプの明かり程度しかないとはいえ、エディスをアマンダと誤解している。並べば違いは明らかだが、背もそれほど変わらず、髪の色も大きく違わない。近くでアマンダの顔を見たことがないのだろう。下手にアマンダでないことが知れれば早々に殺されるかもしれない。ここはアマンダと思わせておくしかない。
しかし、アマンダにプレナム王国に行く予定なんかあっただろうか。ふらりと行ける距離ではなく、長期休暇にでもならなければ行くことはできない。侯爵家の令嬢が他国を訪れるのは財力的には問題はないかもしれないが、王子の婚約者が気軽に友人と他国へ旅行という訳にも行くはずがない。
「…その分では具体的に話は進んでないな。やはりコリンヌを待っていても時間の無駄だった。…まあいい。君には今後私の指示に従ってもらうことになるよ」
「指示…?」
「王子の婚約者ともあろうものが、一晩家に帰らなかった。その醜聞が意味するところはわかるだろう? 愛する者との逢引、奔放な火遊び、街中をうろつく令嬢を襲う輩だっている」
何を想像したのか、男も、その側近たちも意味深な視線を向け、にやにや笑っていた。
これはまずい展開だ。本物のアマンダではないので王家の醜聞は避けられるとはいえ、下手すると自分が醜聞をかぶることになる。醜聞だけで済むならまだましな方だ。
緊張感で顔が引きつるのがわかった。
それを見て男は、安心させるように優し気な笑みを見せた。
「君はコリンヌのところに遊びに行っていた。…たったそれだけで君も、君の家も救われる。そういうことだよ」
その笑みは、箱入りの侯爵令嬢を手玉に取ろうとする悪魔が、成功を確信して浮かべたものだ。
「君が襲われようが、襲われなかろうが、どちらでも変わりはしない。清くあろうが、家に戻れなければ醜聞は免れない。協力しないなら、貴族たちが喜んで噂するようなとっておきの事件を用意してあげよう。逆に例え襲われようとも、言い訳さえあれば何事もなかったことにできる訳だ。王子と閨を共にするまで、君が秘密を守り抜ければ、だがね」
一人の侯爵令嬢、しかも王家の婚約者の純潔は高い取引材料となる。しかしこの男にとっては一人の女の純潔などどうでもいい程度の軽いものなのだろう。
無性に悔しさが湧き上がってきた。
アマンダなら震えて声が出ないかもしれない。しかしアマンダを真似るのではなく、自分の思う誇り高い侯爵令嬢を演じることにした。
「協力とは、何をお望み?」
「…大したことではないよ。君の家に馬車を二台ほど寄贈したい。馭者も新しく雇ってもらおうか」
「馬車…?」
「遠出に使えるような極上のものだよ。君でなくとも、君の父上に使っていただいてもいい。プレナムなり、アドレーなり、他国に出かける機会は多いだろう?」
それは、何か仕掛けのある馬車に違いない。
「大丈夫、乗り手に害はない。侯爵家に迷惑をかけては何にもならないからね。…これから長い付き合いになるだろうから」
馬車を使った国外への運搬。密輸の手伝いをさせられるのかも、とエディスは想像した。馬車に秘密の空間を作り、そこに荷を乗せて運ばせる。侯爵一家が使うものとなればそうそう検閲もされないだろう。
乗り手に害はないというが、それも当てにはならない。積み荷に爆発物を乗せられ、そのまま王城にでも行けば、大事件となるだろう。
しかし、それを察してはいけない。令嬢が愚かであればあるだけ、相手は安心するはずだ。
「それだけでいいの? それなら、お父様に相談してみるわ」
「是非、頼むよ」
男は満足げな笑みを浮かべた。エディスが止められないでいる手の震えも、相手を安心させたのだろう。
「ああ、コリンヌはこのことを知らないからね。君と私との間の秘密だ。…コリンヌとはこれからも仲良くしてやってくれ」
男はそう言うと、護衛の男二人を連れて部屋を出た。真っ暗になった部屋に再び鍵のかかる音がした。
後ろ手に縛られ、足も縛られている。口をふさがれていないところを見ると、周囲には家はないのかもしれない。縄は緩みそうになく、足の結び目に口が届くほど体が柔らかくもない。
水も食料も与えられないのは一晩あれば事が済むからだろう。どのみち今晩が勝負だ。
今の話であの男が満足したなら、侯爵家には「アマンダはコリンヌの家にいて事情があって泊まることになった」とでも告げるのだろう。明日にはコリンヌの家の馬車で送られ、そしてうまく馬車を屋敷に納めることができればそのままの筋書きで、納められなければ後からでも醜聞を広めるかもしれない。コリンヌの家にいたと口裏を合わせたが、実は…、と。
予定外に一日屋敷の外で過ごした令嬢。その事実があれば貴族の興味を引く噂話はあっという間に広がるに違いない。真実だろうと、真実でなかろうと。
しかし、今ここにいるのはアマンダではない。侯爵邸に行けば、アマンダが侯爵家に戻っていることはすぐにわかる。そうなれば自分はただの秘密を知る女でしかない。
これはまずい状況なのではないだろうか。
心臓がバクバクと音を立てた。
逃げなければいけない。
ナイフとは言わないまでも、何か足の縄をほどけるようなものはないか。
ゆっくりと体をくねらせて移動してみても、部屋には何もなさそうだ。
エビぞりになって、指先で足のロープに触れても、ほどくことは到底無理だ。机の脚の角に腕のロープをこすりつけたところで、とても切れそうにはないが、それでも試さずにはいられない。
何とかして、ここから逃げ出さなければ。




