2 隠れる主役
末席からでは今日の主役を見ることもないだろう。それなら花でも愛でるか、とエディスは珍しい花が咲き誇る庭園を散策して時間を潰し、帰るタイミングを計っていると、ふと人の気配がした。
庭園の奥にあるガゼボの裏手、隠れるようにしゃがみこんでいるその人は、自分とさほど年が変わらないように見えたが、その身なりからしてただものではないだろうことは察せられた。
目と目が合ったが、すぐにそらせ、何も気づかなかったそぶりで周りの花に手を伸ばし、
「さすが、手入れが行き届いているわ」
などとわざとらしい独り言などつぶやいてみた。
そのまま何も見なかった態でくるりと向きを変え、そっと立ち去ろうとすると、
「おまえも王子を見に来たのか」
と声をかけてきた。
せっかく人が気がつかないふりをしているのに向こうから話しかけてこようとは。暇だったのだろうか。
「まあ、…招待されれば、見るくらいはしといた方がいいんでしょうけど、あれだけ高貴な方々が周りにたかってたら無理でしょうね」
「たかって…」
くくっと漏れ出す笑い声がして、思わず声の主の方を向きそうになったが、自分の視線のせいで他の人に見つかってもよくないかと思い、あくまで気づいていないふりを装い、花から目をそらさなかった。
「何のために国中の貴族の子供を呼んだんでしょうね」
「二人の王子の婚約者を選ぶんだ」
噂通りの答えに、なるほど、とエディスは思った。
「…広く募りました、という口実にはなりますね。出来試合でも」
「出来試合。…何故そう思う」
「王家の方々の周りにいるのは、いつもいらっしゃる方ばかりでしょう? 本気で下位貴族の令嬢を含めて広く見極める気があるなら、会場を周遊されるか、順番にお呼び出しがかかるはずです。それをしないということは、もう既にお相手は決まっているのではないかと」
会場は広く、いつも以上に集まっているちびっこ貴族。
王族は同じ場所にいて、周辺にいる人だけを相手にしている状況は、ここに来てからずっと変わっていない。
末席から少しづつ人がいなくなっている。つまり、みんな期待は妄想だったとわかってきたのだ。自分もそろそろいい頃合いかな、とエディスは退席のため庭から出ることにした。
「…おまえ、名は何という」
「ご自身も名乗る覚悟でしたら答えますけど?」
こんなところに隠れているくらいだ。どうせ答えはしないだろう、と高をくくり、エディスは一人で花を見ていたそぶりを崩すことなく、挨拶もせずにその場を離れようとした。
「…カーティスだ」
その名を聞いて、さすがに足が止まった。
あの人だかりの中央にいるはずの、今日の主役の一人。カーティス王子。
振り返ってはいけない。こんなところにいる理由はわからないながらも、パーティの主役が絶賛逃亡中だ。下手に関わって手助けでもしたと思われたら面倒だ。
「…空耳かしら」
わざとらしく宙を眺め、再び足を動かしたとき、急に近寄ってきたカーティスに腕をつかまれ、驚きのあまり振り返ってしまった。
「俺は名乗ったぞ。おまえも名乗れ」
王子らしい高飛車な態度に、エディスは顔をしかめた。
カーティス王子は自分より一つ年下と聞いている。自分より小さい十一歳の小生意気な王子。今日の主役であり、みんなからもてはやされる身でありながら隠れるような奴に腕をつかまれているのが何となくカチンときて、名乗るよりも先に、
「王子がこのような場所で何をしているのでしょう」
と非難を込めて意見してしまった。
当然、カーティスの顔色も変わった。
「ご自身のためのパーティでしょう。これだけの会を開くのにどれだけのお金が費やされているか。全く…、中央のあのどでかいケーキだけでも一つの村の住人にパンを配っても余りあるでしょうに。…自分が祝ってもらえる立場の人間であることをわきまえ、集まった人々にもっと感謝すべきでは?」
「祝いなど…。俺がいなくても、弟のために同じ祝宴を開いているさ」
思いがけない弱音を聞いて、エディスはカーティスに軽くデコピンをした。
驚いて手を離したのを見て、くすっと笑うと、
「お誕生日、おめでとうございます、殿下」
今日、王とのあいさつに備えて練習した礼を、目の前にいる主役に披露した。
「…と言っても、先週でしたっけね、殿下のお誕生日は。日程を弟に合わせたからって、拗ねてちゃだめですよ」
からかうつもりで言った言葉が、意外と的を射ていたのかもしれない。カーティスは顔を赤らめ、恥ずかしそうに小声でつぶやいた。
「べ、べつに、拗ねてなんか…。何で俺の誕生日を知ってる」
「私の母の誕生日と同じなんです」
たまたま身内の誕生日と一緒だった。だから覚えていただけだ。簡単なネタばらしをしつつ、エディスは亡き母を思い出して、少しだけ寂しくなった。
「…もうお祝いできませんけど。祝ってもらえるのも、祝ってあげられるのも、生きていればこそですからね。では」
小さく礼をして立ち去ろうとするエディスに、カーティスはもう一度手を伸ばし、手首をつかんだ。そして驚くエディスを引っ張るように先導して、自ら人々の集まるパーティ会場の方へと歩みを進めた。
ちょっと待て。今日の主役の王子に連れられて会場に向かうなどと、目立ちすぎる。
そうは思っても、カーティスは手を緩めることなく、少し早足で、慣れないドレスと合わない靴ではついて行くのがやっとだった。
エディスの歩みがおぼつかないのに気が付いたカーティスは歩く速度を緩め、手首をつかむ手を緩めてするりと掌をつかんだ。握られた手の大きさは大して変わらなかった。
「もう一度聞く。名は」
これ以上はごまかせないと思ったエディスは覚悟を決めた。一呼吸おいて自分の名を名乗ろうとしたが、散々生意気を言った後だ。正体を明かす緊張感からか、
「…え、エディス、…スタンレーでごじゃいましゅ」
思いっきりかんでしまった。
ぶっと、カーティスが噴き出す声がした。声は抑えてはいたが、湧き出る笑いを止めることはできないようで、これ見よがしに笑われてエディスは恥ずかしさに思わずプイっと顔を背けた。カーティスはわざと覗き込むように回り込んで、にやにやと意地悪な笑いを見せた後、満足げに微笑んだ。
「スタンレー子爵の令嬢か。…二度も笑わせてもらった。いい誕生祝いだった」
会場が近づくと、人目につく前に手を離された。ほっとしたエディスは
「ありがとうございました。おかげさまで会場に戻れました」
と、周囲に自分は迷っていたのだとアピールし、深く礼をした。
目の前のカーティスは、さっきまでの表情とは違う、一見優しげでありながら隙のない笑顔を向け、立ち姿もりりしく
「気を付けて」
と言った。そして去り際に小さな声で
「じゃあな、『ごじゃいましゅ』」
とつぶやき、エディスが怒りを抑えながらも顔を引きつらせるのを見て、一瞬、意地悪で生き生きとした笑みを見せた。
噂通り、その日のうちに二人の王子には婚約者が決まったらしい。会場でお相手の名がお披露目されたが、それはエディスが会場から去った後だった。
もしかしたら、カーティス王子は婚約発表から逃れるため、あの人気のないガゼボの裏手に隠れていたのかもしれない。まあ、到底逃げ切れるとは思えないが。
見つけてしまって悪かったかなと思いながらも、もう会うこともないだろう王子の幸せを祈りつつ、今日も侍女やメイドに混じって家の仕事に励み、父や兄の手助けに務めるのだった。