第二話 彼女の思い
昼休憩が終わり、稔は午後の授業を受けていた。
しかし、今日はどうにも授業の内容が頭に入ってこない。理由は簡単だ、稔の隣の席に座る少女。浜ノ宮那智のせいである。あと、卓志に食わされたオクラ入りメロンパンも少しだけ影響している。
浜ノ宮は、真摯に黒板を見据えてノートに板書している。たまに、こちらをチラッと見てくることもあるが、なぜか稔は顔を逸らしてしまう。
そんな様子を教室にいる全員が物静かに観察している。主に男子が。
今日一日で、随分と居心地が悪くなったなと稔は溜息をつく。
「どうした? 秋元。ため息なんかついて」
稔の溜息が教師にも聞こえていたらしく、授業を中断して話しかけてくる。
「いえ、別に。何でもありません」
「……そうか。悩み事があるなら言えよ」
淡白にそれだけ言うと、国語の教師は授業を再開した。
「……言えるわけないでしょ」
一人静かにつぶやいた。
元凶である浜ノ宮は眉一つ動かさずに国語の教科書に顔を向けている。
ちなみにその教科書は、授業の始まりにいつのまにか稔の机から拝借されていたものである。
裏表紙に書かれた自分の名前がここで役立つとは思わなかった。
教科書もなく、授業を聞くだけなのも退屈なので、稔はそのまま机に伏して目を閉じた。
食後ということもあって、心地よい睡魔が一気に押し寄せてくる。
睡魔に負け、眠りの世界に入っていった。
「……起きて……さい」
声が聞こえる。頭がぼーっとして、まだ眠い。そのまま意識を飛ばしてしまおうと稔は思った。
のだが、突如として脇腹に衝撃が走り、強制的に意識を覚醒させられる。
目前には、例の転校生、浜ノ宮那智が立っていた。
「いててて、なにするんだよっ!?」
「いつまでたっても……起きないから死んでるんじゃないかって」
頬を赤く染めながら、浜ノ宮は言う。
……誤解をされそうな顔をするのやめてもらっていいですか?
痛む脇腹を抑えながら立ち上がる。教室はすでに紅に染まっており、稔と浜ノ宮以外は誰もいなかった。
「……で、俺に何の用?」
眠ったせいか、精神的な疲れからか、身体が重い。ふらつく身体を支えるために椅子に手を置いた。
「……あ、えっと、その、、、」
浜ノ宮はしどろもどろになりながら必死に言葉を紡ごうとしている。
転校の挨拶の時と言い、人の脇腹に拳を打ち込んだりしてるくせに急に奥手になる。
稔は浜ノ宮那智という少女のことがますますわからなくなった。
「……ごめんなさい」
深々と、頭を下げる浜ノ宮、何かに怯えるようにその声は震えていた。
「……どうして、あんなことを?」
稔は率直な疑問を口にする。
なぜ、あんなことをしたのか。なぜ稔なのか。なぜ言わなくてもいいことまで付け加えたのか。
なぜという疑問符が何度も頭の中で反芻する。
稔が疑問を口にするたび、浜ノ宮の顔は沈んでいき、声も小さくなっていく。
「俺とはまのみやは初対面だよな?」
一瞬、浜ノ宮の顔に影が落ちた。
「……めぼれ。しちゃったんです」
最初の方がうまく聞こえなかったが後半になるにつれて、声がはっきりしていく。
『私、秋元君に一目惚れしちゃったんです!!』
もう、今日で何度目だろうか。こんなにも胸が高鳴って息が苦しくなるのは。
「その、教室で最初に秋元君の姿が目に入って、一目惚れしました」
真摯に稔を見つめる浜ノ宮。なぜかその視線が痛かった。
彼女のことを何も知らない。初対面の相手に付き合ってくれと言われても答えは『いいえ』だろう。
だが、稔の中の何かが彼女を拒むことを拒否している。
「俺は浜ノ宮さんのことをなにも知らない。だから、」
……多分、急すぎて気持ちの整理が追い付いていないんだ。
何もかもがトントン拍子で進んでいってしまい。稔の中は困惑でいっぱいだった。
確かに、最愛の人がいる親友たちが羨ましかった。それで、妬んだりして彼らに嫌味を言ったりもしたが、こうも急展開にイベントが起こると、流石の稔でも易々と受け入れることはできない。
「ということで、私はあなたの彼女です! 秋元稔くん!」
稔の言葉を遮り、叫んだ浜ノ宮。さっきまでの弱弱しさはなりを潜め、小さくて柔らかい手が大胆にも稔の手を包むように握ってくる。
「……ごめん。浜ノ宮さんの気持ちはうれしいんだと思う。でも、何かが違う気がするから……」
自分でも何が違うのかわからない。けど、今の気持ちを純粋に言葉にする。
……そうだ。こういうのは、ゆっくりと時間をかけていくものだ。
稔の中で、何かが腑に落ちた気がした。
「……そうですか」
顔を俯かせた浜ノ宮。その姿をみて、何か申し訳ないことをしたような気分になった。
そのまま、浜ノ宮は静かに教室を出ていった。
「なにか……。悪いことをしちゃったな」
静まり返る教室で静かに呟いた。
誰もいなくなった教室を戸締りを終え、稔は帰路につく。
頭上に広がるセピア色の空が綺麗だった。