第一話 転校生は決意する。
夏至の良く晴れた朝、都会では聞き慣れない大勢のセミの演奏に打たれながら、浜ノ宮那智はこれから通うことになる学校。紀州北方高校に続く道を歩いていた。
駅から徒歩五分と謳うだけあり、住宅街の間を抜けるとすぐに校門が目に入った。
「ここが……。紀州北方高校」
校門前に立つと、あらためて実感する。以前は新築の学校に通っていた那智にとっては、コンクリートでできた表面が剥がれひびが入っていて、色が落ちている校舎はとても新鮮だった。
ここに彼がいる。幼い頃に出会った彼、秋元稔のことを考えるとわずかに胸が高鳴った。
あの夏の日にした約束を思い出す。
小学校に上がる直前、秋元稔とは離れた学校に行くことになった那智は大泣きして、大人たちの手を焼かしたものだ。その時に彼が言った言葉。
『俺たちが大人になったら絶対離れないようにしてやるよ』
笑顔でそう言った稔の顔は今でも忘れることはできない。那智はその約束を守るために今日紀州北方高校にきたのだ。
「あの、大丈夫ですか? 」
校門前でずっと立っていることが目についたのか、校門を潜っていく生徒の一人に声をかけられた。
くせ毛が少し立っていて、人畜無害を絵に著したような少年は、心配そうに那智をみていた。
「あ、はい。大丈夫です……すみません、私今日転校してきたものなんですけど、職員室ってどこかわかりますか? 」
「え? あ、転校生!? えっと、職員室はこのスロープを上ってすぐ横にありますけど……」
男子生徒はスロープの上を指差し説明を続ける。その説明はたどたどしく、つぎはぎだらけだったけど意味は理解することができた。
「どうした~? 真澄おいていくぞ~」
……あれ? この声、どこかで。
聞き覚えのあるような声がした。
しかし、その声音は以前よりも低くたくましいもの変化して、微かに残った声の面影だけが那智にそう感じさせていた。
「うんっ! 今行くから待ってて」
少年は、声の主にそう返すと「じゃ、僕行くね」とだけ言い残し走っていく。そして、その先には――
「なにやってんだよ。たくっお前には花崎がいるってのに……別の女にまで声をかけてさ……羨ましい」
――秋元 稔。昔と何も変わらない、那智の想い人がそこにいたのだった。
「はぅぅぅ……かっこよくなってる……」
まだ姿を見ただけなのに、顔がポッドのように熱くなっていく。
恐らく今の那智の顔は、トマトみたいに真っ赤になっていることはたやすく想像ができた。そのせいか思わずうずくまってしまう。尊すぎる物を見たときのように胸が高鳴る。思いは胸だけでは収まりきらずあふれ出そうだった。
もしかしたら、すでに彼は誰かに取られてしまっているのではないか? 一瞬、そんな不安とも焦燥にも似た感情が那智の中で溢れ出す。
しかし、その場でうずくまっていてはおかしな人間だと思われるので、急いで立ち上がり那智は感情に任せるまま一つの考えを思い浮かべた。
―ー誰にも取られないうちに私の彼氏にしてしまおう―ー
その想いを胸に那智は騒がしい教室の扉を開けるのだった。
――――――――――――――――――――――――――
「……………へっ?」
稔の口から思わずそんなすっとんきょな声が漏れる。
さっきの転校生、浜ノ宮那智の爆弾発言により教室の空気が氷河期が訪れたのかと錯覚させるほどに凍り付いていた。否、皆が浜ノ宮 那智の発した言葉の処理ができていないと言った様子だった。
「お、おい? 稔? 本当の事なのか?」
担任が聞いてくる。その声音は震えていて明らかに困惑の色が見て取れた。いや、あんたこのことを知ってたんじゃないのか? だから、さっきこっちをみてきたんじゃないのか。と、疑問に思ったが今は流しておく。
稔は頭を振ると、すぐさま息を吹き返した男子たちが絶叫する。
……こいつら、あたまおかしいんじゃないのか?
頭を振った稔の対応が気に入らなかったのか、那智はすぐさま絶叫を絶ち、叫ぶ。
「わっ私は、秋元くんのもので、その……。あんなこともしましたっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、稔は赤面した。
全くの事実無根である。そもそも彼女とは初対面で今日初めて見る顔だ。
教室の視線が一気に稔を射抜く、男子のほとんどからは嫉妬というか殺意のようなものが向けられている。そして、稔とは正反対の場所にいる、卓志は稔を見ずに顔を逸らしているが、僅かに肩が震えている。
……あの野郎、笑っていやがる。
卓志の近くにいる真澄は、大きく目を見開いて漠然としていた。
……そんなに驚くことなのか。
「あ……。それじゃあ、授業を始めるぞ。浜ノ宮は……。う゛ん゛まぁ、秋元の隣の席に座ってくれ」
顔を俯かせながら浜ノ宮那智は、自席に向かって歩き始める。
気のせいか、浜ノ宮の顔が熟したトマトのように真っ赤になっている気がした。
……こうして、稔の波乱万丈な物語が始まった。
「よかったじゃないか〜稔〜これで、お前も」
「ありがとう。ニヤニヤ顔は気に入らないけど教室から助けてくれたことにはお礼を言うよ」
朝の授業が終わり昼休憩になった稔は、卓志とともに体育館の横を抜け、食堂に向かっていた。
朝のあの事件(?)以降、卓志はずっとニヤニヤしながらこちらを見てくる。これがリア充の余裕なのだろうか。
稔の心臓は今も高鳴っていて、何度も深呼吸をするがどうにも落ち着きそうはない。
「本当に、大変だったよ……ア゛ア゛ア゛」
食堂に入る直前、稔は小さくぼやいた。恐らくその声は卓志以外には聞こえていないだろう。
「そうだろう。そうだろう。お前、大変そうだったからな……」
思い出すだけでも恐ろしい。朝のホームルーム終了後、葬式ムードとなった教室で男子たちの視線が一斉に稔に向けられた。浜ノ宮は自席で顔を伏せていた。微かに耳が赤かった。恥ずかしくて撃沈するのだったらやらなければいいのに……と稔は思ったのだが、それよりも獣のような獲物を狙う目をした男子たちが怖かった。卓志がいなかったら今頃どうなっていたものか……。
考えただけでも身の毛がよだつのを稔は感じた。
食堂に入り、昼ご飯を注文しようと、メニューを見る。
……バームクーヘンしか存在しなかった。
「卓士……。この学校はバームクーヘンを生徒の主食にしているのか?」
「なわけないだろ」
稔のボケに至極真っ当なツッコミが返ってくる。
……うん、そのはずだ。じゃあ、このメニューは見間違いだろうか?
そうかもしれないと思い直した稔は、狂ってしまった眼を正常に戻すために目蓋を擦った。
……やはり、パームクーヘンしかなかった。
「キャパっ!! 少年っ! バームクーヘン好きかぁい?」
カウンターの向かい側に突如として人が現れた。長い髪をおろしていながら、左側でくくっているサイドテールの金髪。大人の女性としての魅力を感じさせながら、どこか幼さを感じる顔と透き通るような赤い瞳には、一切の邪念が無いように思えた。一体この少女……?
「……女性」
……人の心読むのやめてもらっていいですか?
女性は何歳なのだろうか? と、考えたところで一つの小堤を差し出される。
「ハイ!! これ、あたしのお気に入り!!」
屈託のない笑顔でこちらを見てくる。その手には複数のバームクーヘンが収まっていた。
「え……と、バームクーヘン以外ありませんか?」
「にゃははははっ! 少年、冗談はよしこさんだぞ!」
……よしこさん。誰だそれは? やばいこの人のペースに呑まれている。
混乱している稔を他所に女性は、隣にいた卓士にもパームクーヘンを勧め始めた。
「……やめてくださいよ。えっと、レイチル・バームクーヘンさん?」
「なんだその名前はっ!?」
思わずツッコミを入れてしまう。そんな、変な名前聞いたことないぞ!? ますます、稔の頭は混乱していく。
「ノーノ―オーノー。あたしの名前は、レイチル・黄城・バームクーヘンだよ。気軽にレイチルって呼んでね!! 折重君。次、間違えたらバームクーヘンの刑だからね」
情報量が多すぎて、ツッコミが追いつかない。これは、どこからツッコミを入れるべきか。名前か? それともバームクーヘンの刑か?
どうしようかと、稔が考えていると横にいる卓志が口を開いた。
「そろそろ。時間がきついので普通の購買メニュー出してもらってもいいですか?」
周りの空気が180°変わった気がした。
「……はーい。ちぇ~もちっとふざけたかったのにな~折重君には敵わないわね~」
不貞腐れたようにレイチルは言うと、手に持っていたバームクーヘンを置き、一枚の紙を差しだした。
……ちゃんとした購買のメニューだった。
「好きなの選びなよ。お姉さんが奢るからさ!! 悪乗りして迷惑かけたお礼さね」
流石にそこまでは……と言おうとした稔を卓志が制しする。卓志の目が人の好意を無下にするべきではないと稔に訴えている気がした。
メニューを見ると、ありふれた物ばかりがあった。カレーライスや唐揚げ弁当とか、食欲をそそられるような写真つきで乗せられている。間違ってもバームクーヘンしかないということはなかった。
……なんだ、ちゃんとしたメニューもあるんじゃないか。
稔は安堵した。これでようやく昼ご飯にありつける。そう思うと腹の音がなった。
「え、と。じゃあ、アンパンと、オクラ入りのメロンパンで」
卓志が、先に注文をする。
……やっぱり、まともなメニューなんてなかった。
金髪キャラの頭がおかしいですよね。全く、どうしてこうなったんでしょう(笑)




