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狂い桜

作者: 緋宮 咲梗



 彼女は孤児だった。

 生まれてすぐに、彼女を出産した母親はその産婦人科に置き去りにしたまま、行方をくらましたそうだ。

 なので、否応なしに彼女は児童施設に預けられた。

 そこで18年間、彼女は子供時代と思春期を過ごした。

 時々、特別な記念日や一時帰省などで他の親が、預けた我が子に会いに来る様子を、彼女はとても羨ましく見ながら育った。

 彼女に会いに来る、母親は愚か父親すら、いなかった。

 そんな中で彼女は、春が一番大好きだった。

 施設の通りに咲く桜が、唯一彼女の癒しだった。

 桜吹雪の中で、毎年のように彼女は両手を広げ、クルクルと舞った。

 儚く散る花弁と共にいると、まるで自分も桜になったような気分で、自分はきっとこの桜と同じだと信じながら成長していった。


 そうして18歳、高校を卒業と共に彼女は、半ば強制的に施設を追い出された。

 児童施設は、18歳までしか面倒を見てくれないのだ。

 それでも一応、施設職員が見つけてくれたアパートの一室が、今後の彼女の住処となる。


 18歳になるまでの間、国から支給されていた児童手当を施設側が貯金し続けてくれたおかげもあり、いきなり金に困る事はなかった。

 だがそれでも、いつまでもその金に縋りながら生活は出来ない。

 こうして、生まれながらの孤独を抱え、彼女の一人暮らしがスタートした。

 しかし、いきなり世間へと放り出された彼女には、社会の右も左も分からなかった。

 ひとまず就職活動を始めるも、どこへ面接しても落ちるばかりだった。

 自分のどこが、何が悪いのかも分からずに、人生に挫けそうになったある日、彼女は彼に出会った。


 明るい人柄。

 そして優しくて、人懐っこい。

 お喋りもとても上手かった。


 落ち込んで、公園のベンチに腰をかけていると、彼から声をかけられたのだ。

 一人孤独に、暗い顔をして座っている彼女の姿が、公園沿いの道をたまたま歩いていて、目に飛び込んできたから気になり、声をかけたらしい。

 見知らぬ自分に突然声をかけてくる彼の存在が、彼女は警戒するどころか不思議に思えた。

 しばらく彼は、どうして彼女がこんなに暗い様子なのかは聞きもせずに、励ましてきた。

 そして気付くと、互いにライン交換をして、彼は颯爽と去って行った。

 彼女は呆然としていたが、何故だか心が解れ、温もりを覚えていた。

 きっと世間では、これを一目惚れと言うのだろう。

 だが彼女は、それに気付けずにいた。

 

 こうして彼女と彼の、ライン交流が始まった。

 内向的な性格であった彼女が、彼とのラインへ積極的に対応していく。

 次第に彼女は、彼に惹かれていった。

 やがて、そんなに長い期間を経ずに、彼女は彼と直接会うことが多くなった。

 こんなに誰かと一緒にいて、楽しいと思えたことがあっただろうか。

 ワクワクして、ドキドキして、コロコロと笑う。

 滅多に笑うことがなかった彼女であったのに。

 それもあって、ある日彼から愛の告白をされた。

 これにびっくりする彼女。

 異性との付き合いは初めてだったが、戸惑いながらも彼女はOKした。

 それからの彼は、とても積極的に彼女を愛してくれた。

 初めてのキスも、処女をも、彼女は彼へ捧げた。

 彼女は人生の中で最高とも思える、幸福感で満ち溢れていた。

 二人は自然に、同棲生活を始めた。

 

 三ヶ月が経過した頃。

 何やらいつもより、彼は元気がなかった。

 落ち込んだ様子で、溜息ばかり吐いている。

 気になって、彼女は彼へと問うた。

 すると彼は、重々しい口調で事情を述べた。

 親が彼を借金の保証人にしてから、行方をくらましたそうだ。

 つまり、その借金を、彼が担う羽目になった訳だ。

 彼女は、両親がいないので、彼の親が行方をくらましてしまった辛さが、自分の事のように思えた。

 いろいろ悩んだ結果、彼女は消費者金融でお金を借りた。

 金額にして、約数百万。

 このタイミングで、彼女も体調の変化を覚えた。

 何の匂いを嗅いでも、気持ち悪さで一杯で、その度に彼女は嘔吐した。

 買い物先でも、その症状は著しく、トイレで口を押さえ咽ていると、そこに居合わせた中年の女性客が心配そうに声を掛けてきた。

 そして言った。

 彼女の症状は、悪阻なのではないかと。

 その女性客は一旦彼女をトイレに残して出て行くと、しばらくして妊娠検査薬を買ってきてくれてこれで確認してみるよう、促した。

 女性客の親切心ある説明の通りに、彼女はトイレで確認してみた。

 結果は、明らかなる陽性。

 それを知って、女性客はとても優しい表情で、激励してくれた。

 彼女は、その女性客に感謝を述べて、その足で産婦人科へと向かった。

 そこで医者に告げられたのは、妊娠三ヶ月との言葉。

 自分に、赤ちゃんができた。

 夢のようだった。

 愛する彼との子供。

 自分なんかの人生とは違う、幸せな人生をその子に与えよう。

 彼女は自分のお腹に優しく手を当て、誓った。


 帰宅すると、彼女は恥ずかしげにその事を、彼へと報告した。

 最初は驚愕していた彼だったが、次第に破顔し喜びを露わにしてくれた。

 彼女のお腹に優しく手を当て、自分が父親になるのかと、彼は照れ臭そうだった。

 だが、その間にも彼の借金はまだ完済出来ておらず、それを彼女が代わりに立て替える日々が続き、その額はもうすぐ一千万に手が届くまでに膨れ上がった。

 やがて妊娠五ヶ月目の安定期に入った頃、彼女が産婦人科から帰宅すると。

 

 部屋の中はもぬけの殻だった。


 彼女はどういう事なのか、理解する事も把握する事も出来ずにいた。

 ただ無造作に、彼女の衣類や食器などが残されているだけだ。

 泥棒にでも入られたか。

 込み上げる不安に、震える手で彼女は彼へと電話する。

 しかし、繋がらなかった。

 何度も、何度も掛け直したが、結果は同じだった。

 世間知らずの彼女は、自分が彼に騙されたなどと、考えもしなかった。

 彼女は、彼の帰宅を待った。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ、三日が過ぎた。

 さすがにこれだけの日々が過ぎると、込み上げる不安感が爆発し、彼女は泣き出すことしか出来なかった。

 すると、まるで彼女を励ますように、胎動した。

 これにピクンと体を弾ませる彼女。

 更にもう一度、胎動した。

 その胎動に、彼女は居た堪れなくなり声を出して、わんわんと泣くのだった。


 妊娠中は、働く事も出来ない。

 金銭面では、彼が全てを舐めるように奪い去って行った。

 今のままでは、とても生活は出来ない。

 家族は愚か、頼れる親戚も、そして仲の良い友人すらも、彼女にはいなかった。

 今にして彼女は人生で初めて、最大のピンチに立たされたのだ。

 ここに来て、彼女はようやく自分が空腹である事に気付く。

 それに合わせるように、胎動も空腹を訴えてきた。

 ひとまず彼女は、フラフラと外へ出た。

 靴を履くことをも忘れ、裸足のまま彼女は外を彷徨った。

 昼間だったので、通り過ぎる人々は皆、そんな彼女を不審そうに振り返る。

 だが、それだけだった。

 世間は思いの他冷たいが、自分の人生の中それが当たり前だった彼女は、気にも留めなかった。

 枯葉が、彼女の足を擽る。

 まるで彼女をからかうように。

 しかし今の彼女には、何も感じることはなかった。

 ただ、吸い込まれるようにコンビニの中へと、彼女は入って行った。


 気付くと彼女は、警察署にいた。

 あの後彼女は、コンビニに入るなり問答無用で陳列されていた弁当を、店内で貪り食い始めた。

 これに男の店員から取り押さえられ、警察を呼ばれ今に至っていた。

 裸足のままの彼女の様子に、警察も訳ありなのだと悟り、優しい態度で事情聴取をしてきた。

 次第に、彼女の虚ろな目から、大粒の涙が零れ落ちる。

 嗚咽を上げながら彼女は、蚊が鳴くような声で自分の身の上を語った。


 これにより彼女は、保護対象と扱われ母子寮での生活が始まった。

 信じていた彼を失ってから、彼女は暗く落ち込み気持ちも沈みこんだままだった。

 夜になる度に彼女は、ベランダから星を眺めながら、泣いた。

 それに呼応するように、腹の中が激しく胎動する。

 彼女は余計に悲しみを覚えながらも、膨らんだ腹に手を当て無意識に、自分の知っている子守唄を口ずさんでいた。

 

 


 ──やがて月日は流れ、彼女は出産を控え産婦人科に、入院をしていた。

 病室の窓からは、見事な桜が咲き誇り、その木の下で二羽の小鳥が戯れている様子が見えた。

 春──自分の大好きな季節。

 彼女はそれに喜びを覚えたが、ふと戯れている二羽の小鳥に、自分と彼との姿を重ねてしまった。

 小鳥でさえ、あんなに仲が良いのに今の自分はこんなにも孤独だと、涙を零す。

 桜が咲く季節であるにも関わらず、今日は妙に寒い。

 寒さを意識した直後、突然彼女は陣痛に見舞われた。


 分娩室へ移動し、激しい痛みの中で、彼女は悲鳴を上げることしか出来なかった。

 痛みがピークに達した時、彼女は無意識に会った事もない母親へ助けを求めた。

 咄嗟に叫んでいた。

 お母さん、と──。

 気が遠くなりそうな時間の中で、ふと突然痛みが消える。

 同じく力も抜けた彼女の耳に、大きな産声が飛び込んできた。

 助産婦が彼女の目の前に赤ん坊を見せて、とても元気な男の子ですよと告げた。

 そのまま、その子を彼女の胸元へと乗せてくる。

 彼女は、その子を震える手でゆっくり、優しく抱き締めると赤ん坊の泣き声が止んだ。

 今まで、どちらかと言えば無感情だった彼女は、この瞬間、何とも言えぬ感情が込み上げてきた。

 彼女の口元は、綻んでいた。


 病室に戻り、赤ん坊を抱いて彼女は、窓の外を見て驚いた。

 ピンク色の桜の上に、真っ白い雪が降り積もっていたからだ。

 だがしかし、桜はその雪に抱かれながらも、力強く咲き誇っているように見えた。

 季節はずれに降った、春の雪──。

 やはり春の桜こそが、彼女にとってとても優しく、心地良い……。

 

「あなたの名前は、はるゆき……春雪よ」


 彼女の──母親の語り掛けに応えるように、春雪は力強く母乳を吸っていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 妃宮さん 短編楽しませてもらいました! 主人公がどうなるんだろうと、ドキドキしましたが、無事に出産出来て良かったなぁと思いました。 少し気になった点は、一般的に消費者金融で融資を受けられ…
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