頼む
全裸の俺はモニターの前で世界を相手に悔しがっている。
チューブで締め上げた左腕が少し痺れてきた。
目にするのは、俺が根拠も無く憎んだり軽蔑したやつらが、
人生ってものの中を順調に、穏やかに進んでいく様子だ。
俺は独り言を言う性質じゃない。
熱湯でもかけられない限り、自分のためだけに
横隔膜を動かし声帯を振るわせる真似なんてしない。
でも頭ん中は軋りを上げる歯車で一杯だ。
機械油でもくれてやりたい。
憎悪、後悔、羨望、嫉妬、そういった感情とは少し違う。
不公平、が一番近いか。
なんで自分だけこんな扱いを受けるのか、
どうして自分は正当に評価されないのか。
俺はあそこに居たんだ。
俺はあそこに居たんだ。
そんな言葉が、水槽に落ちた黒い絵の具みたいにゆっくり広がって、
こころを蝕んで、腐敗させている。
腐敗させている、そう認識できる自分もいる。
アンフェアに遇されてるわけじゃない。
むしろ現状こそが真っ当な評価で、筋の通った結果だと、
そんな判定を下せるだけの機能も、
幸か不幸か――多分不幸への傾きが大きい――俺のこころは保っている。
ポテトチップを食っていると、つまむのも難しい粉のようなかけらが袋の底に溜まる。
袋の端に口をつけて、がばっと仰いでそいつを食う。そのまま捨てられない性分だ。
がばっとやって、イモの滓を呑み下す度に、呑み下してるのが自分なのか分からなくなる。
俺に残されている理性がそう感じさせるのか、それとも残っている理性とやらももろとも、
ちんけな滓になっているのか、そこまでは分からない。
分かるようなら、こんな一人芝居は打っちゃいない。
一人芝居。そう一人芝居だ。
リアルでも妄想でも、俺の世界に人様は登場しない。
俺はただ、神経網上を行き交うパルスに駆り立てられて、
キーを叩き続けるか、自分の中でシルエットを再生することしかできない。
シルエットってのは自分の頭の中に出てくる。
たとえば映画、あれはシルエットの塊だ。
スクリーンに投影された映像を、もう一度網膜を介して頭に取り込んで、
まるで俺以外の誰かが俺の世界に存在できるかのごとく、
期待して外の予感を追っかけていくと、はい、お終いと消えちまう。
よく目にする、リアルって言葉も厄介者だ。
誰かと話をする。
俺はそいつの言うことを真面目に聞いて、
そいつも俺の言うことに真剣に耳を傾ける。
ここまでは、リアルだ。
だがそいつは俺の言わんとしている事を全部分かってるのか?
俺はそいつの言わんとしている事を全部分かってるのか?
そら、リアルが傾いてきた。
もっと言おうか。
俺は俺の言おうとしていることを全部、分かっているのか?
分かるってなんだ?
分かんなきゃいけないのは、意味ってやつだろ?
よくあるさ、生きる意味を探すとか、本法令の意義はとか。
でも、そいつは、ひとりでぽつんとそこにあるのか?
いま俺が全部のスイッチを切っちまった場合でも、
そこにオハシマスのか?
俺はこれからスイッチを切る。
それで全部ゼロにする。
俺はいなくなる。
なあ。
もし、まだ意味が残っていたら、俺に教えてくれ。
やり方は任せる。
お願いだ。
最後なんだ。
さあ、切るぞ。