第1話
ほこりっぽくなって資料室を出たら、もう日が暮れかかっていた。時計は持ってないから今が何時なのかは分からないけど、秋になってから日が暮れるのが早くなったなぁ。七時くらいまで明るかった夏がつい最近のことのようなのに、時間が経つのってあっという間。だってもう外の空気は冷たくて、金木犀が香ってるくらい秋なんだもん。
窓から差し込んでる西日がものすごく廊下を照らしてるけど、あの太陽が沈んじゃうと途端に真っ暗になるんだよね。先生に頼まれた用事も済ませたし、カギを返して早く帰ろうっと。そう思って歩き出したら、職員室の方から先生が来るのが見えた。
「和泉、まだやっていたのか」
そんなことを言って目を丸くしてるのは担任の若槻先生。先生に頼まれたから資料室の掃除してたのに、そんな呆れた顔されると切ない。
「もういいから、帰りなさい。ご苦労だったね」
「はい。もう帰ります」
先生にカギを渡して、お辞儀をしてから踵を返す。あの言い方から察するに、ちょっと整理しておけば良かっただけみたい。見たいテレビがあったのに頑張って掃除して損しちゃった。
高校に入学してから、はや六ヶ月。初めは右も左も分からなかった広い校舎も、今では自分の家みたいな感覚で歩ける。職員室や資料室があるのは二階で、私たち一年生の教室は四階。二階分の階段を上って四階に着くと、どこからともなく音楽が聞こえてきた。ギターの音、かな?
バラードっぽい歌詞がつきそうなアコースティックギターの音色に耳を澄ませてはいたけど、別に弾いてる人を探そうとは思わなかった。だけどその音色は、どうも私のクラスから聞こえてきてるみたい。四階の一番端にある一組の教室は前も後ろも扉が閉まっていて、ちょっと入りづらい雰囲気。扉の上の方にある小窓みたいなところから中を覗いてみると、やっぱり教室内には生徒の姿があった。窓際の席で数人が集まって、何か話してるみたい。
仲間内で盛り上がってるみたいだからジャマするのも悪いなって思ったけど、鞄が教室にあるから入らないわけにもいかない。仕方がないから、なるべく音を立てないようにドアを開けてみた。だけどやっぱり気付かれちゃって、皆いっせいにこっちを振り返る。うちのクラスじゃない人ばっかりだったけど、その中に一人だけ知った顔があった。
「あれ? まだ残ってたんだ?」
声をかけてきたのは同じクラスの友達、アミ。アミが私の机に座ってたから、歩み寄りながら頷いた。
「若槻先生に資料室の掃除を頼まれちゃって」
「あー、そっか。マチ、日直だもんね」
「うん。ごめんね、ジャマして。もう帰るから」
「ジャマなんかじゃないよ。ね?」
全員友達なのか、アミは周りの人たちに同意を求めてる。扉は閉まってたけどナイショ話をしてたとかいうわけでもないらしく、皆アミに頷いてた。和気藹々って感じだね。
「同じクラスのヤツ?」
机に座って片手にアコギを持ってる男の子がアミに話しかけた。さっきの曲、この人が弾いてたんだ。後ろの方の髪だけ立ててて、見た目からしてバンドマンって感じの人。全員同じ制服着てるのに、個性が前面に出てるってすごいなぁ。ピアスとか指輪とか、首元に見えるネックレスのせいかも。
「和泉真智子。だから、マチ」
アミは私を紹介した後、今度は私にアコギを持ってる彼を紹介した。
「知ってると思うけど、アッキー」
私が知ってることが半ば確実に紹介されたけど、ごめん、知らない。でも知らないって言い出せる雰囲気でもなさそうだったから、とりあえず笑って誤魔化しておいた。だけどやっぱり、知らなかったことバレちゃったみたい。アミもアッキーも、他の皆も全員驚いた顔してる。
「ウソ! マチ、アッキー知らなかった?」
地元のライブハウスでけっこう人気のあるバンドのボーカルなんだってアミが教えてくれたけど、聞いたことのないバンド名だった。アミ達は同じ学校に通う人なら誰でもアッキーを知ってると思ってたみたい。確かに目の前にしてみると目立つ人だなぁって思うけど、同じ学年にこんな人がいるなんて気がつかなかったなぁ。
「アッキー、オーラが足りてないんじゃないの?」
「ダメじゃん、アッキー。もっと頑張らないと」
皆はそう言って笑いあってるけど、アッキーだけ笑ってない。真顔でじっとこっち見てる。き、気まずい。
「あ、私、そろそろ帰るわ。じゃあね、アミ」
アッキーが怒り出しそうだったから急いで鞄を取って、慌ててアミに別れを告げた。何も言ってこなかったけど、アッキー怒ってたよね? なんか、悪いことしちゃったなぁ。
居残りで資料室の掃除をさせられた翌日の朝、学校に続く坂道の途中でアミに会った。うちの高校、自由な校風で気楽なのはいいんだけど、立地が良くないんだよね。この心臓破りの坂さえなければ、本当にいい学校なんだけど。
「それでね、マチ」
「えっ? 何?」
あまりに天気が良かったからアミと一緒にいたこと忘れて、ボーッとしちゃった。私がまったく話を聞いてなかったのが分かっちゃったらしく、アミは呆れた顔してる。
「ごめんごめん。何の話だっけ?」
「アッキーの話だよ」
あ、そういえば、忘れてた。昨日、アッキーを怒らせちゃったんだっけ。
「怒ってた?」
「ん? 誰が?」
「誰がって……アッキーが」
「何で怒るの?」
私が言っている意味が伝わってないみたいで、アミはキョトンとしてる。何でって、言われると困るなぁ。あの時はアッキーが怒っちゃったかなって思ったけど、アミにそういう反応されると自信なくなる。そうだよね、フツウ、自分のこと知らなかったってだけで怒る人はいないよね。
「やっぱ何でもない」
詳しく説明するのも何だかなぁと思ったので、その話は切り上げることにした。でもアミにしたら意味不明なこと言っちゃったよね。
「それで、アッキーがどうしたの?」
アミの話が途中だったので、その話題に戻すことにした。アミは不可解そうに眉根を寄せてたけど、思い出したように表情を明るくする。
「そうそう、アッキー、文化祭で歌うことにしたんだよ」
アミ、興奮してる。アッキーが文化祭で歌うのがそんなに嬉しいのかな?
詳しい話を聞いてみると、アッキーはずっと文化祭実行委員に歌ってくれって頼まれてたみたい。だけどバンドの他のメンバーがうちの学校じゃないから、嫌だって断ってたんだって。それがどういうわけか、昨日いきなり歌ってもいいってアミたちに言ったらしい。
「うちの学校の人たちと即席バンド結成するんだって。普段はロックがベースなんだけど、どんな感じになるんだろう」
ふうん、アッキーはロッカーなんだ。そんなことまで知ってるってことは、アミはライブに行ったりしてるのかな? それにしてもアミ、よっぽどアッキーの歌が好きなんだね。目がキラキラしてるよ。
「ね、一緒に見に行こう?」
誘われちゃった。音楽は広く浅くだけど、アッキーの歌ってちょっと興味あるかも。昨日のアコギも上手だったし、やっぱり本格的なのかな?
「うん、いいよ。でもその前に、模擬店食べ歩きに付き合ってね?」
「もちろん! 中学の頃に文化祭見に来たけど、うちの模擬店ってけっこう凝ってるんだよね」
「あ、私も行った。クレープとかケーキとか、美味しかったなぁ」
「クレープって三年二組の?」
「そうそう! 確か三年二組だった!」
「やっぱり! ケーキは一年五組でしょ?」
「確か、そうだったよ! すごいね、よく覚えてる」
「っていうか、うちら同じ物に惹かれすぎじゃない?」
あはは、それは言えてる。中学時代って言ったらお互いに顔も知らない頃なのに、こんなに同じ物を食べてたって不思議だなぁ。アミとはよく食べ歩きするけど、やっぱり好みが似てるんだね。
その後は食べ物の話ばっかりで、教室に着いてからもずっと話してた。文化祭、早くこないかな。