閑話 不安定思考の追い討ち
帰宅後、青空は早速台所に立っていた。
目の前にはくちばしの黄色い秋刀魚が二匹。一般的にくちばしが黄色い秋刀魚は鮮度が良いと言われている。これは死んでから時間が経つと黄色が抜けてゆくからと言われているからだ。だが、青空はそんなことは全く気にもしない。単純に、目が澄んでいる秋刀魚を選べばそれでいいのだ。とにかく、鮮度の高い秋刀魚二匹が今晩の青空家の夕飯だ。
まず彼は秋刀魚を手際良く三枚におろした。あまり大型でなく身のやわらかな秋刀魚は、簡単そうに見えて実は少々難易度が高い。慣れれば一瞬で終わるのだが。
身の部分の小骨と腹骨も取ってしまう。食べない頭と内臓は捨て、こうして身と中骨だけになった。
また、中骨もヒレと尻尾は落として完全に骨だけの状態だ。
「揚げ物は熱いうちに食べたいし、最後かな」
キッチンペーパーをひいた大皿の上に並んだ、四枚の身と二枚の中骨、それから身と共に除いた小骨と腹骨の中から一枚の身を取り出しまな板へ乗せる。
ここまでの調理は三得包丁のみで進めてきたが、刺身を作る過程だけ彼は包丁を持ち替えた。
細く長く片側のみに刃がついた、柳葉包丁である。姉の遥がプレゼントしてくれた見るからに上等な包丁だが、こういった場面でしか活躍が出来ない。いや、元を言えば遥が刺身が好きだから彼方へプレゼントし、こういった場面を増やそうと思い立ったのが始まりではあるのだが。
柳葉包丁は刺身包丁の一種なのだが、その名の通り刺身を作る際に活躍するが扱い方が一般的な包丁である三得包丁とは異なるため、扱いをマスターするには相応の練習が必要になってくる。
今までとは打って変わって慣れない手つきで調理を進める青空。もっと練習が必要だと実感しながらも何とか刺身が完成する。半身で二人前とは少ない量だが、少ない量で多い品目を作れればこの上ないだろう。
完成した刺身を小皿に盛り付け、ラップをして冷蔵庫へ入れる。
「次は……。どうしようか」
大皿に目を持っていき考える。既に決まっているメニューは三品あり、あと一枚の身が残る。
「……聞いたこと無いけど、〆てみようか」
しめ鯖やコハダはよく見かけるがしめ秋刀魚は美味しいのだろうか。
秋刀魚の身に適当な量の塩を振り、少々待つ。勝手がよく分からないので二十分程度に決め、その間に買ってきた大根を卸す事にした。秋刀魚と大根おろしと言えば塩焼きが思い浮かぶだろうが、青空家ではもう一品メニューがある。それに、塩焼きにするのならもっと脂の乗った次期が食べごろなのだ。
時間が経ったら流水で塩を落とす。念入りに洗いすぎると身が水っぽくなるので注意が必要だ。その後酢に漬ける。密閉できるタッパー容器に身を入れ、昆布と酢を入れて放置だ。これは食べる直前に取り出せばいいだろう。
次に彼は一枚の身を細かく刻みだした。適度な大きさになったところで、そこへ準備してあった刻みネギにおろし生姜、大葉を三枚分を細切りにしたものと少々のミョウガを加えてまた刻む。
特有の臭みが消えるので、青魚が苦手な人も食べられるだろう。そこへ、酒、醤油、味醂、八丁味噌を加え、粘り気が出てくるまで刻み続け完成だ。
なめろうと呼ばれる、酒の肴にもなり白米とも抜群に相性がいい料理。
「酒のつまみにもなるし、姉さんも喜ぶかな」
深さの付いた小皿になめろうを移し、ラップを掛けて冷蔵庫へとしまう。これで三品目だ。
時計を見れば、遥が帰ってくる時間まで一時間ほどだ。そろそろ揚げ物を作り始めてもいい時間だろう。
「時間かかるし、骨煎餅から作ろうか」
取っておいた中骨と腹骨、それから小骨に多めの塩コショウをふる。味付けはそれだけだ。そこへ小麦粉をまぶし、高温になり過ぎていない油の中へと入れじっくり揚げてゆく。
カリカリになるまでじっくりとだ。
そしてその間に次の料理の仕込を始める。
ビニル袋に一口大に切った切り身を入れ、醤油ベースのタレに漬けて置いておく。唐揚げにするのだ。
じっくりと揚げるその間、手持ち無沙汰となった彼の思考は無意識に回り始める。完全に思考領域の隅へと追いやられていた負の思考。まずトリガーはやはり赤根の事だ。
まだ返せていないノートが喉に刺さった魚の小骨のように彼を苛む。自分に無理やり言い聞かせても、あの未知の現象が彷彿される。少なくとも、彼女が双子であったなどという肩透かしな結論は待っていてはくれないだろう。
そして次に、今日の事が思い返される。普通ならこちらが先に思い浮かぶであろう重大な件だが、それを越える程に青空は赤根の事を思っているのだ。
野菜園に落ちた人物。事故事件に関わらず大変な事だ。教室内の反応と学校の対応を見ればその人物が無事に生きているはずが無い。野菜園は自作だがそれゆえに頑丈に建てられている。その天を突き破るほどの衝撃だ。
しかしそんな思考は一瞬で過ぎ去り、やはり彼の思考は赤根の事に向かう。
彼女はなぜ、そんな騒ぎの中であんなにも静かにいられたのか。
「……テレビつけよう」
自らの声が両耳から入り、思考が遮断される。
ダイニングキッチンとリビングの間にあるスライド式の三連扉が閉められテレビは見えないが、思考を停止させるには十分足りるだろう。油の中の骨の様子を見て、彼は素早くリビングへと向かった。
「では、今回の発見は敢えて隠されていた……と」
テレビから早速音声が聞こえてくる。
ニュース番組だ。元々めったにテレビ番組を閲覧しない青空には、選択肢としてそれしか無いのだ。もちろん、チャンネルはどこでもいい。
番組ではなにやら会見が開かれている。
「敢えて隠していたのではありません。公表する必要性が無かったのです。」
何の会見であるのかは知らないが、記者は責めているように聞こえる。
「それは隠していたと言えませんか?」
「国有機関ではない我々には公表の義務はありません。ですので、我々が公にして差し上げようという考えに至った今回、発表させていただきました」
丁寧な言葉遣いに聞こえるが、答える側の女性はどこまでも上からの物言いだ。