93 私は私でしかない
「……お、おわった」
今日最後の書類に目を通し、サインをするとアリスは上半身を机に寝そべりぐったりとした。
「お疲れ様です」
仕事を終わるのを待っていてくれたらしい。ベルが笑顔で先ほど目を通し終わった書類を受け取り書類を持っていく。
普段のアリスであればこんな姿を見せたりしないのだが、今回ばかりは事情が違った。結局ロザリーとの話で日中がつぶれてしまった分を他の日に補うために、この一週間普段の2割増で働いたのだ。そのことについては自身の過去の反省もあったので誰も恨んでいないもののもともとスケジュールにそれほど余裕がないアリスにとって、2割増は作業スピードを上げればどうこうなるものではなく、当然連日残業することになってしまったのだ。先ほどベルがアリスのだらしない姿を見て何も言わなかったのもそのためだった。
「もう、みんな入浴場へ向かったのかしら」
「そうですね。メアリさんのお使いで知らせに来た人の報告ではロザリー様も少し送れるとおっしゃっていましたが」
どうやらロザリーもアリスと同じ状況になっていたらしい。その報告にアリスは同情しながらもそれなら自身が遅れてもぼっちになることはないかなと一安心し、ベルと一緒に入浴場へと向かった。
そして辿り着いた入浴場施設。
もうみんな居るのだろうかと思いながら脱衣室へ向かうとアイリスがちょこんと不機嫌そうに座っていた。
「こんばんわ、アイリス……あれ?みなさんは?」
「もう!遅いよ!」
アリスはアイリスの言葉ですべてを悟った。つまり他の人はまだ着いていないらしい。
「ごめんなさい、でももうそろそろロザリー達も来るんじゃないかしら」
そう言ってアリスが入浴場の入り口のほうを見ると何やら物音が聞こえる。
そしてほどなくして入ってきたのは予想通りロザリーとメアリ、フローラだった。
「こんばんわ、遅くなりまし……あれ?」
「もう!私は先に入っているよ!」
そう言うとアイリスは服を脱ぎだし入浴場へと入っていった。
「……どうやら私達全員遅刻したみたい」
アイリスの態度に驚いているロザリーに、アリスはぎこちない笑顔でそう言った。
そして、一行全員も服を脱ぎ始め、入浴場へ入る。
中に入るとアイリスが既に入浴を始めようとしているようだったが、そこにはもう一人人影が見える。
「あら、クリスはもう来ていたのね」
「は、はい」
続いてロザリー、ベル、メアリ、フローラが続いて入ってくる。
「フローラさんも加わったしこういう主要女性メンバーで一緒に入浴というのも悪くないわね」
「そ、そうですね」
クリスが笑顔に若干の不自然さが見られたものの、アリスは既に仕事で疲れていたこともあり、余計なことは言うまいと先に身体を洗い、クリスの傍の湯船に入浴した。そして、心地よい温かさに一息つくと先ほどからずっと傍にいたベルにアイリスが話を振りはじめた。
「ベル、そういえば最近どうなの?」
「実は……先日ついに誘われたんです!」
キャーキャー喜びの悲鳴をあげるベルとアイリス。どうやらベルの恋愛の件はアイリスも既に知っていたらしい。ならばなぜ邪魔をしたんだろうと不思議に思ったものの、どうやら状況は好転しているらし、微笑ましくその話に耳を傾ける。
しかし、ベルとアイリスの様子を羨ましげにロザリーとフローラは見てため息をつきながら何やら会話していた。
「ベルさんいいなあ」
「本当ですよね。だって私達は……」
ご令嬢の定めなのだろう。貴族の娘である以上政略結婚が当たり前。好きな人と結婚できる可能性などかなり低いのだ。そのことを知っているロザリーとフローラからはベルの様子を羨ましそうに見ていた。そして少し悲しげな表情がみられ、メアリはロザリーの様子を心配しているようだった。その様子にアリスは他人事と思えず胸を痛めたもののこればっかりはアリスにどうこうできるものではなかった。
「すごい差を感じるわ」
アリスは思わず呟き、その言葉に驚いたのかクリスがアリスの方を見てくる。
「アリスさんもそう思いますか」
「ええ」
どうやらクリスも同じことを考えていたのかもしれない。
お互いに目を合わせると苦笑いした。そして、この二組の様子をクリスと一緒に眺めながら何を話したものかとアリスは思案する。前回のような失敗はしたくなかったのだ。クリスも同じ意見なのかちらりとアリスを見ている。その姿を無視するわけにもいかず話す内容を決めないままアリスはとりあえずクリスの顔を見て「どうしたの?」といった感じに首をかしげた。
「アリスさんは好きな人はいるんですか?」
「え?私?そうねえ……」
クリスの突然の質問に戸惑い考えてみる。
クリス?じゃあ同性だからはぐらかしているみたいよね。アラン兄様……ドン引きされるところまで想像ができたわ。じゃあエリック……だめ!身分差恋の話で盛り上がるうえに適当なことを言えば、言い逃れできない!……てどんだけ私は浮ついているのよ!ん?浮ついている?そもそも私は本当に好きなのかしら?
「……いないわ」
考えた上の結論だった。気になる人がいない訳じゃないけど好きかと言われればわからない。というより好きというのがどういう気持ちなのかアリスには実感がわかなかった。
「クリスは?」
「私もいないです」
意外なほど即答だった。その返答の早さに巡礼の件でのカルヴァンのことが不憫に思え、聞いてみる。
「あらそう?カルヴァンとけっこういい感じだと思ったんだけど」
「え?どうしてですか?」
「だって巡礼でカルヴァンの手当をして一緒に帰ってきたじゃない」
そう言うとクリスがアリスの顔をじっと見てきた。
あれ?何か変なこと言ったかしら。
アリスがそう思ったときだった。
「あ、私もその話を聞きたい!」
「私もいいかしら」
その話を聞いていたたしい。ベルとロザリーが突然割り込んできた。
アイリスは内容を知っているのか苦笑いしていたが、どう話すのか興味があるらしい。
周囲の注目が集まりだして困惑するクリスに助け船を出す気はまったくないようだった。




