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2-7 分岐点
入浴場の混雑の問題に関しては無事に解決に至った。
まず、先に会員制を通じて、貴族の仕事時間に合わせて利用時間の割り振りを行った。
そして、待っている間の不満解消に遊技場を設置したことで不満を反らすことにも成功した。
なお、遊技場については、チェスと椅子とテーブルを用意しただけだったので非常に簡易なものであったが、チェスの対戦相手を探している貴族にとってはかなり好評なようだった。意外だったのは女性陣もかなりチェスにはまっていたことでそのには男女の見えざる駆け引きと接待として巧妙に対戦に負けるご令嬢などもちらりと見られた。
なお、これら費用については会費によって料金上乗せさせた。これまで利用回数に応じて支払う仕組みだった入浴施設は、クリスに言われた会員制は経営の安定に効率が良いもので、固定収益として計上できることでサービスに集中できるようにもなった。
もっとも、始まった当初は会員制に対して不満がみられ説明や対応に追われたが、チェスの設置や入浴の混雑が目に見えて緩和されると、身体を洗う使用人の入場も1名なら許可されるようになり入浴場の居心地の良さから不満の声は徐々に減っていった。
さらに嬉しい誤算として、そのことをきっかけに社交場、食堂、遊技場、化粧室を兼ね備えた複合施設への話もでている。
その点についてはクリスからも了承済みで、設備投資の費用が相応にかかるものの、着実に規模を拡張していった。
こうして、他に類を見ない複合遊戯施設が誕生した。
貴族の目線で言えば単なる別荘に過ぎないのかもしれないが、別荘の維持管理費を考えれば相当安い価格で利用できることもあり、爵位が低い貴族や収入の低い貴族ほど人気を集めていった。
ちなみにお金に余裕がある貴族は俺もいずれこんな施設を屋敷に建てるんだといった話が聞こえてきていたものの、実際に着手した貴族の多くが入浴場の維持管理の手間とコストを知って痛い目を見たことは言うまでもない。
なんせ水を運び込む労力だけでも相当なものなのだ。それに加えて薪代も運搬費を含めるとかなりのコストになるのだ。予め交易のために馬車を保有して、余力で薪を運んでフル稼働させているローズ商会とコストが根本的に違った。
そういったこともあり、ローズ商会の運営する入浴場は人気を維持し続けることになったし他の商会も容易に参入できなかった。
また、当初は警戒してたラヌルフ辺境伯の妨害工作もローズ商会を陥れるために流した噂が巡り巡って、自身に帰ってきたらしくラヌルフ辺境伯自身が窮地に陥っているようで悪い噂も流れることがなかった。
こうして、順調に事業を進めて投資資金の回収に努めているとある日ローズ商会の元へ一通の手紙が届いた。
その手紙をアリスはローラから受り中身を見て見ると、招待状と手紙があり、そこには見慣れた貴族のサインもあった。
「プロヴァン辺境伯」
ローズ商会の原材料を入荷している地域にいる伯爵の手紙だった。
少し不安を覚えながらもアリスは文章を読んでいく。
取引のお話をしたいので是非プロヴァンのマーセル町までお越しいただければと思います。
なお、今後の取引も見据えてのことですのでよろしくお願いします。
要約するとこんな内容だった。一見すれば是非町に来て取引してくださいと読むことができるが、今後の取引と言う言葉が入っていることから正当な理由なく向かわなければ今入荷している原材料の取引の中止又は値上げをするとも読み取ることができる。
その手紙を読むとローラにクリスを呼ぶように頼んだ。
プロヴァンはカルロスと同じくらい遠いのだ。事前にいろいろと決める必要があった。
また、プロヴァン辺境伯はラヌルフ辺境伯とも交友関係にある。噂で判断するのは好きではなかったものの備えるにこしたことはない。今回ばかりは護衛も必要だった。
こうして、ローラがクリスを呼んでいる間にアリスは編成を考えメモをとる。
訪問者:アリス
護衛・補佐:クリス、カルヴァン
屋敷の留守:ローラ
その補佐 :メアリ
情報の管理:ベル
販売店 :ウィリー
入浴場 :休業
こんな感じだろうか。人材不足感は否めないが、それでも少し前であればローズ商会の営業活動自体止まっていた。そのときよりよくなったが各責任者の配置はどれも年齢が若すぎている。
ここには載っていない工房長は年配の男性だったものの、それもカルロスから着いて来てもらった人に任せているから書く必要がないだけだった。
もっとも、ローズ商会はまだ新興商会。急速に伸びている売上に対してすぐさま人を雇って人員を増やすほどの余裕もなかったし、若い女性の商会にベテランが来てくれるとも思えなかったが。
「どうしようかしら」
そう、悩んでいると、ローラが戻ってきた。
「ねえローラ」
「何でしょうか、アリス様」
「ちょっと遠出しないといけなくなったんだけど、あなたに屋敷の留守を任せたいんだけどいいかしら」
「え?」
ローラは驚いた表情をした。
「あ、あの、私に勤まるのでしょうか」
「大丈夫だと思うわ。というかローラ以外に適任がいないんだけどね」
そう言うと、アリスは申し訳なさそうにしながら苦笑いした。
ローラは少し困った表情をし、少し考えたが覚悟がでたらしい。
「かしこまりました」
そう言って笑顔で返してくれた。
その返事を確認したアリスはローラにメモを渡す。
「ありがとう。それは各配置のメモよ。もし判断に困ることがあったら連絡を頂戴。行き先はマーセル町だから」
「わかりました」
「あと、もう少し人が居ればローラにもそんなに苦労はかけなかったんだけどね」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
そんな話をしているといつの間にか時間が経過していたらしい。
コンコン
軽快なノック音が聞こえてきた。
「クリスね。入ってらっしゃい」
「失礼します」
そう言うとクリスが入ってきた。
「お待たせしました。どうかされましたか」
「ええ、話しが長くなりそうだからちょっと座って頂戴」
アリスはクリスに座るように促し、クリスがソファに座ったのを確認してから話を始めた。
「落ち着いて聞いて頂戴」
「はい」
アリスは頭の整理を行い順序だてて話すことにした。
「プロヴァン辺境伯からプロヴァンのマーセルにある屋敷に来て欲しいと頼まれたわ」
「え?どうして」
「なんでも取引に関する話をしたいそうよ」
クリスは驚いた表情をした。無理もなかったプロヴァン領についてクリスはあまり知らない。
ましてやラヌルフ辺境伯との出来事から考えてもプロヴァンへ抵抗を感じることはやむを得ないことだった。
「しかしなぜ」
「さあ。ただ、来れない場合は取引は今後の継続できないと言われたわ。もしかしたらラヌルフ辺境伯が絡んでいるかもしれないけど」
アリスはローズ商会としては行かないという選択肢を選ぶことはできないことだけを的確に伝える。
下手に長々と説明するよりも選べないことがローズ商会の経営存続に関わることを意味していることをクリスなら察せると思ったからだ。
「それとね。ラヌルフ辺境伯についてだけど、最近王都オルランドではラヌルフ辺境伯に関する良くない話があるの。そう私たちに流されていた噂と同じでラヌルフ辺境伯がガイア帝国に裏切るという噂ね。しかもローズ商会を陥れようとしたのもラヌルフ伯という噂も流れているわ」
つまり、アリスとクリスがプロヴァン辺境伯の立場を見極めるために王都オルランドの屋敷を空けるには今が一番動きやすい状況だった。
「そして、もうひとつ。そのラヌルフ辺境伯はローラのお父様を陥れた犯人だったこともわかっているわ」
その言葉にクリスが反応した。ローラには手紙を見せていたがクリスにはそのことを話すのは初めてだった。今さらの話ではあったものの話の流れで話す機会を失ってしまっていたので、今の機会に話すことにした。
「それでアリスさんはどうしようと考えておられますか」
「そうねえ。私たちにとっては悪い話ではないのだけど、今回の噂の件もあるしラヌルフ辺境伯との関係がはっきりとわからないと難しいわね」
「そうですね」
クリスは俯いた。普段良い案があるときはたいていクリスは笑顔でいる。
その様子からクリスに名案がないことがアリスにもわかった。
「やはり、クリスも良い案はないのね」
「すいません」
「いいのよ。この状況なら仕方ないわ」
そう言った瞬間だった。アリスはふとひとつ案を思いつく。、
そして以前のクリスを真似るようにしてアリスはクリスに笑顔を向けた。
「それに……どうせならプロヴァン辺境伯領で販売店と工房を作っちゃえばいいのよ」
「え?」
クリスはアリスの言っている意味がわからず首をかしげた。
アリスは人材不足のままできる案をクリスに伝える。自信はない。
なんせ今思いついた案なのだ。
「プロヴァン辺境伯が私たちに敵対心を感じているかもしれない原因はラヌルフ辺境伯が運営している商会の利益が関係しているわ。つまり、そこを買収するか、同程度の規模の工房や販売所を誘致することにしてプロヴァン辺境伯と交友を持てばいいのよ」
「そんなにうまくいくものでしょうか」
「そうね。平時ならうまくいかないかもしれないわ。でも今はラヌルフ辺境伯に悪い噂が流れている。せっかく私たちの名前を使われていることだし使ってみるのは悪くない判断なんじゃないかしら」
アリスが笑顔でクリスに言うと、その様子を見たクリスは身震いをした。
あまりにも大胆な案であったため、クリスから苦笑いが返されると思っていただけにクリスの予想外の反応にアリスは笑顔が固まるが前言撤回はクリスの言葉にはばかられた。
「わかりました。それでは私も付き添ってよろしいでしょうか」
「ぇ?ええ、かまわないわ。それにもとよりそのつもりよ」
「ありがとうございます。それでは私は準備がありますので失礼します」
そういうとクリスは準備のために部屋を出て行った。
「……クリス、本気で買収できる算段がある?私を信用してくれただけなの?」
その不安があったものの、言った手前もう後には引けない。
こうしてアリスはプロヴァンへ向かう準備を行い始めた。




