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【旧】護国少年  作者: 東雲飛鶴
第五章 みなもと瑞希
97/97

のこり全部です

おわび

9月末までに改稿するのが間に合いそうにないので、手つかずの残りの文を一括で掲載します。

改行がかなり少ないので、出来れば縦書き表示でご覧になってください。(2016/09/28)

 放課後、校内の人気のない場所を選んで僕を連れていく伊緒里ちゃん。巧妙に死角になる場所を選んでる。すげえ知能犯だ。一日放置されて寂しかったのか異様に甘えてくる。

「……威くん、やっぱり変」急に体を離して伊緒里ちゃんが言った。

「え……」僕は思わず目を逸らした。

「今日ずっと私の顔見ないようにしてたよね? なんで? やっぱり、みなもちゃんの方が良くなったの? みなもちゃんと何があったの? もう私は用済みなの? ねえ!」

 僕の胸ぐらを両手で掴んで、伊緒里ちゃんがまくしたてた。ゆがんだ顔に涙が零れる。

「ま、まって、まって! そんなこと……ちょっと誇大妄想だよそんなの。いったいどうしちゃったんだ伊緒里ちゃん。僕は伊緒里ちゃんが好きだ。今でもちゃんと好きだよ」

「じゃあ何でそんな風なの? 避けてるじゃない!」超にらむ伊緒里ちゃん。

「あのさ……。やっぱ彼氏って、ネコミミランドに連れてってくれる人の方がいいよね」

「……?」

「僕なんかじゃ……迷惑だよね?」

 伊緒里ちゃんの目が険しくなり、僕は背にしていた校舎の壁にドンと叩きつけられた。

「威くんってそんな卑怯な人だったの? イクサガミってちゃらんぽらんな人ばっかだけど威くんだけは違うって思ったのに! 自分は傷付かないように私の口から別れを言わせるつもりなのッ?」伊緒里ちゃんは泣きながら、力いっぱい僕を壁に何度も叩きつけた。痛くはない。でも、心はすごく痛かった。僕は伊緒里ちゃんの気の済むまで、壁にガンガンされていた。さすがに二十回を越える頃には疲れたようで手が止まった。

「違うんだ……そんなつもり、全然ないよ。別れたくなんかない。伊緒里ちゃんはすごく大事な人だよ。ただ、どうしたらいいかわからないんだ」僕はぐったりとうな垂れた。

「わから……ない?」伊緒里ちゃんは僕を解放し、ハンカチで自分の顔を拭いた。「どういうこと? 私に言えることなら、教えて、威くん……」

 僕はコクリとうなづくと、一部始終を話した。守秘義務なんかクソッタレだ。だって僕にはかいつまんでなんか説明出来ないもん。僕のたどたどしい話を、伊緒里ちゃんは時折頷きながら、じっと聞いてくれた。僕はこみあげてくるものを押さえ、ときどき言葉に詰まりながら、それでもできるだけ誠実に、自分の気持ちを伝えようとがんばった。だって僕は、二人とも大事だし幸せにしたい、それが本気で本当に正直な気持ちだったから。しまいにはもう、大泣きして自分でも何言ってるのかわかんない状態だった。

「泣かないで、もう分かったから。ごめんね、乱暴なことして」伊緒里ちゃんが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな僕の顔を丁寧に拭いて、鼻をチーンしてくれた。実に手慣れている。そして「大変だったのね」と言って、僕を抱き締めて、背中をさすってくれた。

「ごめんなさい威くん、……気持ちはよく分かったわ」

「許して……くれるの?」僕は恐る恐る訊いた。

 伊緒里ちゃんはうんとうなづくと、「大丈夫よ。心配しなくていいわ。後は私とみなもちゃんが話し合って決めるから。威くんが悲しむようなことにはしない、だから、安心して訓練がんばってらっしゃい」と優しく言って、肩を軽く叩いて送り出してくれた。




 僕は学校から宿舎に戻ると、軽くシャワーを浴びて野戦服に着替えた。ごわごわしてた最初の頃と比べたら、ずいぶんと柔らかくなって体にしっくり馴染んできた。で、ウルトラ急いで基地はずれの空き地@仮設訓練所に行くと、待ちくたびれた明日華ちゃんが、えんじ色のジャージ姿でプリップリ怒っている。あーあープリプリツインテールさんがいるよー。ちょっと待たせ過ぎたかな。手には、みなもが店長からもらったのと同じ型の巫女っ子ステッキを装備している。あれって量産型なのかなあ?

「おーそーい!」

 明日華ちゃんがステッキを突き出して、僕を怒鳴りつけた。目が三角になってるよ。

「ごめん、待たせちゃって」僕は手を合わせて謝った。

「どーせどっかで八坂さんとイチャついてたんでしょ、このエロイクサガミ」

 図星だ。「うっ……さーせん。ところで店長は?」いつもテントでgdgdしている店長の姿が見当たらない。そういえば難波さんも……。

「MADAOなら病院でしょ。難波さんは内偵中よ。表面上はドクターの背後に怪しい気配がなかったから、とりあえずは先に板場と薬剤師あたりを洗ってるらしいわね」

「先生はそんなことするはずないよ。僕は信じてる。……腕の方は微妙かもだけど」

「はっきり言うわね。それにしてもあの子に毒を盛るなんてどういうつもりなのかしら。殺すつもりならとっくだし、操り人形にするつもりなら何種類もデタラメに投薬している理由が分からないわ。それから……」そこまで言って明日華ちゃんは口ごもった。

「……それから?」

「私も聞かされた。あの子瑞希姫の生まれ変わりなんかじゃなかったのね。勘違いしててごめんなさい、威君」明日華ちゃんがペコリと頭を下げると、おさげもひらんと揺れた。

「うぇ、あ、いや、その、あはは……うへ……平気、うん、大丈夫」怒りんぼな明日華ちゃんに改まられると、どうしていいか分からなくなる。余裕ないカンジでやだな、僕。

 今になって気付いたけど、難波さんは多分最初からクローンって知ってたんだろう。でも、僕はそれを責める気にはなれない。だってバケモノの僕だけじゃなく、造り物のみなもにも、難波さんはずーっとあんなに優しくしてくれてたんだから。それに、みなものこといろいろ考えたけど、やっぱみなもはみなもだから、今までどおりでいいんだって素直に思える。でも……何でだろう、みなもが普通の人間じゃないって知って、僕はどこかホっとしてる。……僕ってやっぱ、ヤなヤツかもしれない。

 明日華ちゃんが店長からメモを預かってきたっていうんで、一緒に見た。そこには、

『あざらし岩を破壊せよ』

 ……とだけ、兄貴みたいな読みづらい達筆な字で書いてあった。しかもこの紙、カメクラの買い取りリストの裏側、マジでチラ裏だった。ざけてんな、あのおっさん。

「あざらし岩って、あれだろ?」僕は訓練場の遙か先に浮かぶ、あざらしっつーよりは銘菓ひよこ的な形をした、小さな島? というか、大きな岩を指さした。

「そうよ。背中の穴、あの人がやったんでしょ」明日華ちゃんの言うあの人とは、断じて南米出稼ぎ外人から嫁を寝取ったあの人ではなく、ご近所のゲーム屋のオヤジである。で背中の穴ってのは、訓練初日に店長がお手本を見せた際、武神器の模造品「パーミルソード」をぶっぱなして空けた、あざらし岩の穴のことである。




 軍の人が用意したゴムボートで、僕と明日香ちゃんはアザラシ岩までやってきた。

「真下から見るとデカいなあ……」と、岩を見上げる僕に、

「校舎の三階くらいの高さはありそうね」と、明日香ちゃんも見上げて言った。

 こんなに大きなもの、今日中どころか一週間かかっても壊せそうに思えない。でも横で明日香ちゃんが恐い顔で睨むので、しぶしぶ武神器を準備した。

 手短にあった岩をシビリアンハンマーで叩いてみるが、案の定たいして壊れはしなかった。初めてドラムカンに切りつけた時のように、手のひらに痛みだけが残る。僕は早々に傷が治ってしまうから、皮膚が痛んだことで手の皮が厚くなることも、タコが出来ることもなく、結果、皮膚を保護することも出来ずに手が傷付くのを繰り返すしかないんだ。そう思うと、傷がさっさと治ることが果たしていいことなのか、分からなくなる。

 やっぱり僕は、人の方がいい……。神としてのメンタリティを一切持たない僕が、なんでこんな事をしなくちゃいけないんだろう。それもこれも、琢磨のせいだ。琢磨の――

「ちょっと! 何してんのよ、威君! 手が血だらけじゃない」

 明日香ちゃんの声で僕は我に帰った。どうやら僕は、ロボットのようにひたすら岩を殴りつけていたらしい。よく言われるけど、つい余計な事を考えてぐるぐる回ってしまう。僕の悪い癖だ。出口のないことで、子供の頃からずっと悩んでたからかもしれない。だからみなもは、あまり褒められないけど、その場しのぎの効果的な方法で僕を慰めていたんだ。それが麻薬だと分かっていても、僕らにはどうにも出来なかったから。だから。

「あ……。そう、だね。軍手しなきゃ……」

 僕がポケットから軍手を取り出そうとすると、明日香ちゃんが僕の手首を掴んだ。

「ズボン汚れちゃうでしょ。手、出して。洗ってあげるから」と言って、荷物からペットボトルの水を取り出して、手についた血液を洗い流し、消毒してガーゼで拭いてくれた。

「あんたねえ、力の使い方がまるでなってないわ。そんなんじゃ私、帰れないじゃない」

「そんなめくじら立てて怒らないでよ。僕は昨日今日始めたばかりの素人なんだよ?」

 僕はそう言いながら新品の軍手をはめて、ペットボトルに残った水を飲み干した。

 ぬるいな、なんて思っていると、明日香ちゃんが僕の頭をぺたぺたと触り始めた。断じてナデナデではない。時折難しい顔をしながら、頭から顔、肩、背中などをぺたぺたと触っている。何かを調べているみたいだ。あ、そこヤメテ。ダメ、感じるからっ、あっ。

「ちょ、なにクネクネしてんのよっ、きもち悪い!」べしっと僕の頭を叩く彼女。

「ヘンなとこ触るからだろ。……ねえ、さっきっから何してんのさ?」

 僕はブラの外れた女の子みたいに体を抱き、腕でガードした。いやんもう。

「気の流れみたいなのが、ちょっとおかしい気がして……」

「それがおかしいとどうなるのさ」

「あんたの武神器、そこまで弱いはずないのよ。だって」と言って明日香ちゃんは、巫女っ子ステッキを取り出すと、えいっと手短な岩に叩きつけた。

 バキャンッ――人間大の岩は、一瞬で粉々になった。

「――にゃ、にゃんですとおおおおおおッ――!?」僕は目ん玉がぶっ飛びそうになった。

「ふん、あの男の造るものが、電動工具並みなワケないでしょ? 腐っても神族なのよ」

 ビュッ、とステッキを振り、明日香ちゃんはそう吐き捨てた。

「いやあのその……ごめんなさい」店長の造型スキルは文字通り神がかっていて、たった数日で僕の持っていた何本ものモンプラのゲーム内の装備品を、たった一人で全部作ってしまったんだ。しかもあの完成度で。最早、軍神じゃなくて創造神だよね。

 ……というわけで、僕の気の通りを良くするために明日香ちゃんの治療(?)が始まった。さすがにこのままでは、イクサガミたる僕の立つ瀬があまりにもなさ過ぎるっしょ。

 明日香ちゃんが僕の両手を取って目を閉じる。僕もならって目を閉じた。ふっと、何かが流れ込んでくる感触。これが、明日香ちゃんの――気? その気が体中に満ちると、今度は何か映像のような、違うような、不思議なものが入って来た。

「何か……見えるよ、明日香ちゃん……なにこれ……」

「それは、私が感知している周囲数百㌔の物体よ。私たち戦巫女の真の役目はバビロンの黄昏のおかげで使い物にならなくなった、超長距離レーダーや衛星カメラの代わりにイクサガミの目になること。イクサガミと戦巫女が揃って初めて外国への抑止力となるのよ」

「そうだったのか……。一体どうやって遠くを攻撃するのか分からなかったよ」

「もっとも、あんたがそこまで届くような攻撃が出来なければ、意味ないんだけど」

「……すいません。精進します」僕の射程なんて、いいとこ数十㎝だもんな。

「あー……でも、それなら、イクサガミなんて使わなくっても、ラジコンの巡航ミサイルみたいのを操縦すればいいんじゃないの?」

「あんた相当なバカね! じゃあその誘導電波とかどうやって送信すんのよ。それに」明日華ちゃんは、いかに僕のアイデアが愚かなのかを長々とありとあらゆるケースを示しながら解説してくれた。そこまで怒らなくったっていいじゃんか。知らないんだもん。

 やっとお説教から解放された僕は、まもなく異変に気付くことになる。手の傷が治りかけているのは異変でもなんでもないけど、それより大変なのは――

「なーんでこのハンマー、属性ついてんのさ?!」ただ形を模しただけの武神器が、ゲームと同じ設定の雷属性――つまり、帯電してるんだ!

「バカね! 最初からそう作ってあったに決まってるじゃない! あの男を――」

「バカバカ言わないでよ。僕何も知らないんだから。……で、どうなってるの?」

「あんたがちゃんと自分の力を使えるなら、武神器もそれ相応の仕事をするってだけよ」

 よくわからないけど、明日華ちゃんのおかげで、気が出るようになったっぽいな。

 僕はときおりパチパチ音を立てるこのハンマーで岩を叩き始めた。すると明日華ちゃんと同じくらいは岩を壊せるようになっていた。ちょっと地道だけど頑張ればいけそうな気がしてきた。まあ、朝にはなっちゃいそうだから、明日華ちゃんは先に帰ってもらおう。

 ……なんて思っていたら、どんどん調子が出て来て、岩がまるっとなくなる頃には当初の三倍くらい壊せるようになっていた。僕は気分がハイになって、明日香ちゃんもハイになっていた。最後の塊を粉砕したとき、僕らは歓喜のあまり抱き合って叫んだ。

「ぃやったああ! やったよ、明日華ちゃん! ありがとう! 明日華ちゃ……ん?」

 そんな風に浮かれていると、明日華ちゃんの様子がおかしくなった。僕にしがみついたまま動かない。肩で息をして……ん? んんん?

有人あるととおなじ匂いがする……』

 これって、明日華ちゃんの心の声? そんなのが僕に流れこんできた。一体何なんだ。おいおい明日華ちゃん、地形だけじゃなくて心の声までダダ漏れだぞ。有人というのは店長の名前だ。彼を名前で呼ぶヤツに会ったことはない。やっぱ明日華ちゃんは……

『有人……みなもなんか島に来なければよかった……』

 そんな言葉と一緒に明日華ちゃんのつらい気持ちがドバっと流れこんできた。明日華ちゃんはまだそれに気付いていないようだ。切なさで胸が締め付けられて僕まで苦しい。

「明日華ちゃん、こんな苦しいのに何で平気でいられるんだよ。おかしいだろ? こんな……苦しいのに、おかしいよ……おかし……いよ」

 僕は耐えきれなくて明日華ちゃんを抱き締めて泣いた。すると明日華ちゃんが我にかえって僕を見上げた。彼女は歯を食いしばって泣きたいのをがまんしたけど、結局顔はみるみるゆがんで、大きな瞳からはどんどん涙があふれ出して可愛い顔が台無しになった。口には出さないけど、店長の代わりにしてごめんなさい、という感情が伝わってきた。

 僕はううん、と頭を横に振り、「ごめんね、僕じゃ明日華ちゃんを救えない。でも……僕で代わりが務まるなら……気が済むまで代わりにしていいよ……」と言った。実際僕には明日華ちゃんにしてあげられることなんて、一㍉もない。殴って気が済むのなら殴られたっていい。でも明日華ちゃんを救えるのは、この世に店長ただ一人だけなんだ。

 明日華ちゃんはごめん、とポツリと呟くと、僕の首に腕を回して抱きついてきた。激しく店長を想う気持ちと苦い想いが流れこんでくる。とても不思議だった。これは自分の気持ちなんかじゃないって分かっていても目の前の明日華ちゃんが……死ぬほど、愛しい。

 気付くと僕らは、どちらともなく唇を求めていた。

 目の前の女の子一人救えもしないのに、何が神族なのか。なんか最近そんなことばっか考えてる気がするけど、この無力感を一体どうしたらいいのか僕には分からない。結局人っていうのは、人の肌の温もりとか、優しいスキンシップでしか心を癒やすことは出来なくて、僕はいつもみなもにそうやって癒やしてもらったように、明日華ちゃんを癒やそうとがんばった。無論店長の代わりでしかないし苦しみを肩代わりは出来ないけど、気休めくらいにはなれるはずだ。僕は今出来る精一杯の優しさで、明日香ちゃんを慰めた。


「なーにしとんじゃ?」

 ゴムボートの中でイチャつき合った僕は、いつのまにか明日華ちゃんを抱き枕にして眠っていた。そんな僕らの頭上から、いきなり女の子の――みなもの声が降ってきた。

「いえぁおぅぇぇぇえええええええ――ッ、ななな、なんでいんのっ!」

「きゃあ――っ、ここれ、あのあのいや、じ、事情が事情でえあうああうあうあ」

 僕と明日華ちゃんは、ゴムボートから飛び上がって驚いた。僕らの目の前に、病院の患者服を着たみなもが、不思議そうな顔で立っていたんだ。どこからどう見ても修羅場以外のなにものでもない状況に、慌てずになんかいられない。明日華ちゃんは必死に髪や服を整えてるし、僕は僕で何をしたらいいか分からず、その場でぐるぐる回ったりした。

「二人とも慌てるでない。私はみなもではなく、瑞希じゃ。明日香に話があって来た」

「瑞希姫?」僕はぐるぐる回るのをやめた。危うくバターになるとこだったよ。

「! 威くん、こ、この人、確かにみなもちゃんじゃない!」

「マジで!?」

「マジじゃ」と瑞希姫。「みなもの体を借りて、おまえたちに話をしに来た。時間がないので用件だけ伝えるぞ。まず明日華よ、いつも有人の面倒を見てくれて感謝している。今の今まで成仏もせずにいるのは、ひとえにあの男の未練故じゃが、姿を見せれば尚未練が増すと思い、百年前から山の中に隠れておったのじゃ。それなのにあの男ときたら――」

 突然のことで僕と明日華ちゃんは、ただただ瑞希姫の話に頷くしかなかった。時間がないわりには、店長のグチけっこうしゃべってるんだけど……

「それと威よ、私がみなもに憑依したのは今日が初めて、様子がおかしくなりだしたのは霊廟に近づいて私に感化してしまった時からじゃ。薬のことはよく分からんが、火に油を注ぐ結果になったのだろう。痛ましいことじゃ……」そう言いながら瑞希姫は、悲しそうな顔をしながら胸に手を当てた。「今は有人の血で回復した故、案ずることはないぞ」

 僕はほっとした。明日華ちゃんは、少し複雑な顔をしている。そうか……、このまま瑞希姫が店長とヨリを戻すことになったら……。あ、そしたらみなもはどうなるんだ?

「い、いかん、有人が起きてしまう。では、さらばじゃーっ!」

 瑞希姫はそう言い残し、慌てて動力つきのバナナボートで去っていってしまった。

「……何だったんだ?」

「…………あれが、瑞希姫……?」

 僕らは首をかしげながら、白波を立てて去って行く大きなバナナを見つめていた。


 僕と明日華ちゃんがあざらし岩を後にしたのは、あれからまもなく陽も落ちて星が見え始めた頃だった。僕が宿舎に戻ると、まだみなもは病院から戻っていないのか部屋に灯りはついていない。僕はドア前に置いてあるクリーニング済みの服を持って部屋に入った。

「瑞希姫はちゃんと病院に帰れたのかなあ……」なんて独りごちながら玄関を上がった僕は、荷物を暗いリビングの床に放り出し、薄汚れた戦闘服のままソファに転がった。表から時折飛行機の音が聞こえる。あれは多分、民間のジャンボジェットだろう。いつのまにか僕は、そんなことまで分かるようになっていた。さっきうたた寝をしていたせいか、体の疲れは思ったほどじゃない。力の使い方も多少は上手になり、店長の宿題もなんとかクリア出来た。でも僕の気分は晴れるどころか、沈んでいく一方だった。

「みなも……」ふいにあいつの名前が、唇から零れた。さっきまで明日華ちゃんを貪っていたこの唇から。……僕は、みなもも伊緒里ちゃんも、裏切ったことになるのだろうか。

 僕はみなもの苦しみに気づき、分かってやるどころか、逆恨みして、捨てられたと思い込んで、挙げ句のはてに他の女の子に熱を上げて、結婚の約束までしてしまって、一体何をやってきたんだろう。僕は兄貴の代わりに、この最前線の基地を護るために来たんじゃなかったのか。みなもの幸せのために、軍にこの身を売ったんじゃなかったのか。

 いろんな人に甘えて、いろんな人に迷惑をかけて、いろんな人を悲しませて……。とても責任なんか取れっこない。やっぱ逃げたい。島から逃げ出したい。遭難するのは僕だったらよかったんだ。……あ、兄貴は遭難にかこつけて逃げたんだっけ。

「っざけんなっ、琢磨ッブッ殺す!」僕はクッションを壁|に投げつけた。

 ――やっぱあいつをボコボコにするまでは、ここから逃げるわけにゃいかねえ。

 そう思ったら、なんかいろいろ吹っ切れた。我ながら単純だな。


「威くんばっかずるい。交代してよぅ」

 甘ったるい伊緒里ちゃんの声が、長い髪の毛と一緒に上から顔にかかる。今日のシャンプーは柑橘系の香り。伊緒里ちゃんは日替わりでいろんなのを使っている。

 僕は仕事が終わった伊緒里ちゃんと、店のカップル用の個室で過ごしていた。夜更けに屋外でイチャつくのも不用心だし、なにせ伊緒里ちゃん当人が密室をご所望だったから。

「え~、長いお説教から解放されて、やっと膝枕でくつろいでたのになあ……」

「許してあげたんだから文句言わないの」と言いながら、伊緒里ちゃんは容赦なく、僕の体を自分の太股から、ごろんと満喫のペアシートの床に転がした。

「まったく、浮気者なんだから威くんは……」

「わざとじゃないよ」

「だから許してあげたじゃない」微妙なふくれ顔もかわいらしい。

 みなもには店長もついてるから、見舞いに行かなくてもいいかなって思って、結局今晩はいつもどおり伊緒里ちゃんに会いに行ったんだ。僕が淳吾さんお手製のどでっカニ入りタコライスを食べていると、目ざとい伊緒里ちゃんがすぐに僕の異変に気が付いた。往生際悪く隠し通そうとする僕のこめかみに、執拗なウメボシ攻撃をしてくる伊緒里ちゃんに屈した僕は、バイト後この監獄部屋に放り込まれて尋問を受け、状況の説明、そして懺悔、アンド土下座のコンボを決めて小一時間後、ようやくお許しを得たんだ。

「交代って、僕が膝枕するの?」

「えっと、ここによっかかって、あぐらかいて」と、伊緒里ちゃんは自分の横を指した。僕が言われたとおりに、ふかふかした床の上を移動して、伊緒里ちゃんの横にあぐらをかくと、伊緒里ちゃんは僕の股ぐらにちょこんとお尻を据えて、体を預けてきた。

「そしたら、私の肩に顎をのっけてくれる?」

 僕は言われたとおりにすると、彼女はきゅっと僕の方を向いて軽いキスをした。

「でね、脇に手を入れて。そう、で、私の胴を抱いて」

「……こう?」僕は伊緒里ちゃんの胸の下あたりをゆるく抱いた。伊緒里ちゃんのいろんな香りがいっぺんに僕を包む。すごくおいしそうだけど、我慢我慢。

「もう……ヘンなこと考えてるでしょ。当たってるよ?」と言って、おしりをモゾモゾさせる伊緒里ちゃん。んなコトしたら、余計育っちゃうでしょうが。

「しょうがないでしょ。僕を何だと思ってるの? 健康な男子高校生なんだよ?」

「はいはい。ね、」伊緒里ちゃんが頭で僕にスリスリしながら訊ねた。

「ん?」

「もっとぎゅっとして」足首から先をパタパタさせてる。むちゃくちゃ甘えてる証拠だ。

「ヤだ」

「どうして?」

「……壊したら、ヤだから」今、力の加減が出来るか、ちょっと不安。

「威くん、男の子はもっと雑で、何も考えてないのが普通よ」

「普通……ねえ」僕普通の男の子じゃないからわかんないや。

「うちの弟たちなんか、みんな雑もいいとこよ。いちいち細かいことなんか気にしない。だから……そんな腫れ物に触るような扱いしないで……大丈夫だから」

「ホント?」

「だから、ぎゅっとして。ねえ、して」伊緒里ちゃんは僕の耳元で、ささやいた。「甘えられる人、威くんしかいないの……」

「それ、お願い?」

「うん、お願い」

「じゃ、叶えないといけないな……」僕は伊緒里ちゃんの耳たぶを甘噛みしながら、腕に少しづつ力を込めた。ゆっくり、ゆっくりと。ああ……触りたい。むっちゃ触りたい。こんな生殺し状態では、僕が辛抱たまらない。たまらず首筋に舌を這わせると、伊緒里ちゃんが切れ切れに吐息を漏らし、クネクネと身をよじりながら膝を擦り合わせる。

「あん……だめ、どこ触ろうとしてるのよ」右手を下腹部、左手を胸部へとスライドさせようとしたら、すかさず伊緒里ちゃんに手首をロックされてしまった。じれったいな……

「え~、おあずけぇ?」

「今日は威くん、悪いことしたんだから、罰よ」とピシャリ。手厳しい。でも怒ってるってのは、僕のこと好きってことだよね。よかった。まだ見捨てられてない。今の僕にとって、お前なんかいらないって捨てられるのが一番堪える。というかムリ。

「威くん、また考え事してたでしょう」

「……え?」

「体が硬く、動かなくなるから分かる。……どうしたの?」

 伊緒里ちゃんが僕の手をさすりながら、やさしく言った。伊緒里ちゃんには、すぐバレちゃうな。きっと弟くんたちでも、そういう事があったんだろう。

 僕は伊緒里ちゃんの背中に顔を埋め、彼女をぬいぐるみのように抱き締めて呟いた。

「……不安なんだ。また、捨てられや……しないかって。もうイヤなんだ……もう」

「そんな情けない声出さないで。……私の方こそ、いつあなたに捨てられて、威くんがみなもちゃんの所に帰ってしまわないかって、不安なのよ」

「なんだ、一緒じゃん」少しだけホッとした。

 いくら契を交わしても、こうして抱き締めても、結婚式の真似事をして時計を交換しても、僕らはお互いに不安を解消出来ずにいるわけで、だったら、そんなものには心を強固に結びつける効果なんて、これっぽっちもないんじゃないのか。……そう、思った。

「伊緒里ちゃん、僕、そんなつもり全くないよ」

「私だってないわ!」伊緒里ちゃんは頭をぶんぶん振って言った。

 じゃあ、この不安はどうしたらなくなるんだろう? そう思っていたら、伊緒里ちゃんが僕の腕を解いて、こちらに向き直って言った。

「私、威くんのこと信じる。だから、威くんも私のこと信じて。じゃないと、ずっと私たち不安なまんまで、そのうちおかしくなっちゃう。だから――」

 少し薄暗い小部屋の中で、伊緒里ちゃんの潤んだ大きな瞳が僕だけを映している。保健室で僕を励ましてくれたときみたいに、力強くて、暖かくて、安心出来て、そして覚悟を決めたような、そんな真っ直ぐな目だ。「わかった。僕も伊緒里ちゃんを信じる」

 伊緒里ちゃんは大きく頷いた。そして僕は、もっと伊緒里ちゃんが好きになった。


 コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。彼女とイチャつく時間はあっという間に過ぎるもので、気付けば日付が変わりそうな時刻になっていた。そろそろ帰りなさい、と伊緒里ちゃんの同僚の淳吾さんが僕らを呼びに来たんだ。インターホンを使わなかったのは淳吾さんの気遣いだろう。僕らは淳吾さんに挨拶をして、人気のない店を後にした。

 夜の県道を二人で歩いていると、背後から数台の車が乱暴な運転で僕らを追い越していった。危ないなあ、なんて言いながら八坂家まで行くと、家の周りに人だかりが出来ていた。陸くんたちが大人の人と話をしている。とても慌てている様子だ。何だろう?

「ただいま。何かあったの?」伊緒里ちゃんが弟に声をかけた。

「姉ちゃん大変だ、父さんの船がいなくなったんだ!」と、陸くん。

「……うそ」伊緒里ちゃんは、膝から崩れ落ちた。

「伊緒里ちゃん、しっかり」僕は伊緒里ちゃんが地面に落ちる直前に体を抱きかかえた。

 僕に気付いた周りの大人の人は一瞬驚いた様子だったけど、すぐに説明を始めた。この人たちは、おじさんと入れ替わりに港に戻ってきた別の船の人らしい。その最中にも、伊緒里ちゃんのおばさんと漁協の人も車でやってきた。やはり怪獣かも、という声が。

 夜中に叩き起こされたパジャマ姿の空くんが、おばさんに抱きついて泣いている。海くんと陸くんは、おじさんたちの話を真剣に聞いている。そして伊緒里ちゃんは、ショックで我を失っていて、僕が支えていないとその場に倒れてしまいそうだった。ひときわ空ちゃんの泣き声が大きくなったとき、伊緒里ちゃんが我に帰った。ひきつった顔で僕を見て、ひしとしがみついてきた。腕に伊緒里ちゃんの爪が深く食い込んでいく。

「ど、どうしよう、どうしよう! お父さん、怪物にやられちゃったの? ねえ、威くん、お父さん食べられちゃったの? ねえ! お父さんを助けて! お父さんを――」

 その先の言葉は、嗚咽で何を言っているのか分からなかった。さっきまであんなに幸せそうだったのに、何でこんなことになったんだ? それもこれも、怪物に遭遇しておきながら、ちゃんと退治しなかった琢磨のせいじゃないのか? あのクソ兄貴が敵前逃亡なんてしなければ、おじさんはあんなことにならなかったんだ。伊緒里ちゃんやみんなを悲しませることにならなかったんだ! クソッタレ! クソッタレが!

「陸!」僕は長男を呼んだ。いきなり名前を呼ばれてビクッとしていたが、すぐ僕のところにやってきた。さすがに緊急時だからか、悪態をつくようなマネはしてこない。

「おじさんは、僕が見つける。そして、怪物を倒してみせる」

「ホントか?」陸くんがうめくように言った。

「伊緒里ちゃんを頼む」と言って陸くんに伊緒里ちゃんを預けた。陸くんは、言われなくても命をかけて護ってやる、と言いながら伊緒里ちゃんを抱き上げた。伊緒里ちゃんはしくしくと泣きながら、陸くんの胸に抱かれている。本心では自分で慰めたいけど、でも僕は、僕にしか出来ないことをしようと思った。慰めるだけなら、弟たちでも事足りる。

 兄貴でも逃げ出すような敵がどんなものか分からないけど、多分今僕が行くしかない。策なんか全くないけど、とにかく捜索の船を出してもらわなくちゃ。

 これ以上の被害を出さないために。そしておじさんを救うために。


 僕は漁協のおじさんの車で八坂家を後にした。ゲートの前で車を駐めると、おじさんは中野さんと話を始めた。事故の原因が一向に分からないことを責めているみたいだ。

「ごめんなさい、おじさん。多分悪いのは、ウチの兄貴です。僕が島の人たちの仇を取りに行ってくるので、あまり中野さんをいじめないで下さい」と言うと、おじさんは、

「威様、琢磨様のせいなんてことはないよ。船を沈めてるバケモノが悪い、そんでバケモノをいつまでたっても見つけない軍が悪いんだから」と腕組みをしながら言った。

「とにかく、僕が探しにいくんで、中野さんいじめないで下さい。警備の係だからいつもここにいるでしょ? 探す係じゃないんです。だから、お願いします」僕は頭を下げた。

 おじさんは、威様に頭を下げられては、もう何も言うまい、っておとなしく帰っていってくれた。中野さんは僕に、「かばってくれたのは嬉しいけど、ああやって怒られて、島の人の溜飲を下げるのも僕の役目なんだよ、じゃないと基地の他の人まで怒られちゃうからね」って少し困ったような笑顔で言った。大人はいろいろ大変らしい。

 僕はとにかく捜索の船に乗せてもらおうと思い、中野さんに連れられて本部にある事務所に行った。中野さんは事情を説明すると、警備の仕事があるからとゲートに戻っていった。こんな夜中なのに事務室にはそこそこ人がいて軍って大変なんだなって思ってると、以前ガラスを割ったとき、こっそり掃除を手伝ってくれた事務方のお兄さんが僕にドリアンボンバーを持ってきてくれた。今の僕にとってこいつはザコだ。躊躇することなくプルトップを引き上げ、ぐっと半分ほど飲んだ。強い炭酸が喉を焼いていく。

 おじさん、大丈夫だろうか。早く探してあげないと。伊緒里ちゃんにも約束したんだ。

 外からヘリの発進する音が聞こえる。捜索に動き出しているのかもしれない。僕も連れて行ってくれればいいのに……。

 司令部からの連絡が来るまでの間、僕は事務所のはじにあるベンチで待っていた。廊下を慌ただしく走る人の足音が聞こえても、電話が十回ほどかかってきても、まだ報せが来ない。一時間も待たされたような気分だったけど、時計を見るとまだ三十分も経ってなかった。結局僕はただの子供で、何もさせてもらえない、何も教えてもらえない、そう思うと、伊緒里ちゃんにもおじさんにも、何もしてあげられないのが悔しくてたまらなくなった。みなもの時だってそうだ。結局みなもを救ったのは店長なんだ。明日華ちゃんだって僕は救えてない。瑞希姫だって。兄貴がバックレなければ、少なくともみなもも伊緒里ちゃんも苦しむことはなかったんだ。……でも一番悪いのは兄貴だけど、何も出来ない僕も二番目に悪い。だからせめて、おじさんを見つけ出して助けたい。なのに――

「威、待たせて済まん」乱暴にドアを開けて入ってきたのは、難波さんだった。どこかに外出でもしていたのか、今日は制服じゃなくてラフな私服を着ている。

「あ、あの、いつ出発ですか!」僕はベンチから勢いよく立ち上がり難波さんに訊いた。

「お前の出番はない。見つけたら教えるから、もう帰って寝ろ」と、難波さんは冷たく言った。普段と様子が違う。……もしかして、こないだカメクラで言ってた……

「どうして!」僕は食い下がった。ダメと言われてはいそうですか、なんて言えるか!

「ド素人のお前が船に乗っていてもジャマなだけだろうが。分かったら帰るんだ」

「で、でも、漁協の人たちも、八坂のおじさんも、怪物がいるって言ってたじゃないですか。もし出たら、僕倒します! だから連れてって下さい!」

「あざらし岩を壊したくらいで調子に乗るな! ……お前に何かあったらどうするんだ」

 難波さんは、困ったような悲しそうな顔になった。難波さんは立場上、いまは僕の味方になれないんだって、なんとなく分かった。難波さんの立場を思うと胸が痛む。

「やっぱり、怪物はいるんですね」

「三島司令の命令で、俺は何も言えないし、お前を行かせることも出来ない。八坂さんが心配なのは分かるが、聞き分けてくれ、威」難波さんは問いに答えてはくれなかった。

「もういいです! 三島さんに直談判します!」

「おい待て!」

 僕は難波さんを振り切って、事務室を飛び出した。行き先は無論、三島さんの所だ。


 僕が三島司令のオフィスに向かって走っていくと、難波さんが後から「威を止めろ!」と叫び、廊下を歩いていた人たちが僕の前に立ちふさがってきた。腕を掴もうとするので振り払っていると、ラグビーの試合みたいに人が飛びかかってきて、僕の上に人間ふとんが積み上がっていく。すごい重さだけど、僕だって三島さんの所に行きたいんだ。つるつるした床の上を、カメのように這って前進した。ズシリ、と背後の重量が増える。また乗っかった人が増えた。このままじゃ動けなくなると思った僕は、全力で背中の上の人を振り払った。人の山を抜け出した僕は、一目散に最上階にある三島さんの部屋を目指した。

 目的階に到着すると、廊下には銃を構えた人が二人待っていた。何やら叫んでいるけど、多分止まれとか言ってるだけだから無視。そもそも拳銃なんかあまり当たるもんじゃないし、多少当たったって死にはしないと兄貴が言ってた。その言葉を信じて、僕は真っ直ぐ廊下を走った。二人が、爆走してくる僕に狼狽しているのが見てとれる。そのスキに僕は彼等の足元にスライディングした。やった! 二人の間をすりぬけられたぞ! さっき床がつるつるなのに気付いたから、上手くいくと思ったんだ。

 僕はそのまま三島さんのオフィスに飛び込んで後ろ手に鍵をかけた。部屋では三島司令が、立派な革張りの椅子にゆったりと身を預け、ひとりお茶を啜っていた。湯飲みを机の上に置き椅子を半回転させてこちらを向いた。――市ヶ谷で会ったときと同じだ。この人を見ると、僕は本能的に警戒してしまう。人が良さそうに見えるぶん、ひどく不気味だ。

「南方少尉、ノックもせずに入ってはいけないと、お兄さんに教わらなかったのかな?」

 薄笑いの中にヘビのような目を据えた司令官が、僕を見る。これは――バケモノを見る目だ。過去何度もいくつも僕に向けられた目だ。しかし生理的に嫌なのは僕も同じだよ。

「何故ですか」僕は背中に、乱暴にドアを叩く音と振動を感じながら言った。

「君が、出雲から預かった大事な大事な人質、いや兵器、……だからだよ。分かった上で僕と取引したんだろう? 人間になりたかった威君?」三島さんの口の端が吊り上がる。

「な、なりたかったらどうなんだ。悪いか!」

「ねえ、どうしたらおとなしくしてくれるんだ? おじさんに教えてくれないかな」

 大きく足を組み替えながら、猫なで声でいう三島さん。まるで誘拐犯のようだ。

「船を出せ、いや、出して下さい。早く八坂さんを探さないと――」

 と言う僕の言葉を遮って三島さんが言った。「もう出してるよ。君が行く必要はない」

「だって! ……だって怪獣が出るんでしょう? 兄貴でさえ倒せなかったような」

「では君なら倒せるとでも言うのかね? たかが、あざらし岩ひとつ破壊するのに半日もかかるような非力な君に」

「ぐっ……」僕は唇を噛んだ。悔しいが、三島さんの言うとおりだった。なら、何で店長が倒しに行かないのか、と言いかけて言葉を飲み込んだ。あの人が軍の手伝いをすることはない。でも、島の人が被害に遭ってる。それは見過ごせるのか。……分からない。

「行かせて、ください。倒せないかもしれない。でも、八坂のおじさんを探したい」

「君は基地で待機。いつもどおり過ごすんだ。これは命令だ」司令は一瞬眉根を寄せた。

「いやだ!」僕は衝動的に、腰の武神器を抜いて部屋の半分をふっとばした。大きな穴が空いて、星が見えた。しまった、と思った時には、もう遅かった。背後で怒鳴り声とドアをヒステリックに連打する音が聞こえる。

「これだから、イクサガミなんて奴を預かるのはイヤなんだ……」と三島さんは呟きながら、大して驚いた様子もなく肩にかかった埃を払うと、どこかに内線電話をかけて、問題ない、とだけ言った。まさか兄貴も、しょっちゅうこんなことしてたんだろうか。

 三島さんは大きく嘆息すると、「私たちにとっても、八坂先生は大恩ある方なんだ。別に軽く見ているわけじゃないし、失いたくないとも思っている。だからヘリも船も出している。今まで捜索に人員を割いてこなかったくせに不公平だ、と島の人に言われてもだ。しかし、それと君を行かせないこととは別の問題だ」と、諭すような口調で言った。

「じゃあ、船を沈めた犯人を捕まえる算段でもあるんですか?」

「被害者の証言から、現在二種類の大型生物がいるらしい、ということと、主に夜間遭遇している事まで分かっている。だが、それだけだ。生き残ったゆきかぜの乗員の中にも、敵の全容を把握している者はいない。そして、何故南方中佐が攻撃しなかったのかも」

「攻撃……しなかった?」僕はてっきり、兄貴が倒せなかったものとばかり思っていた。

「南方中佐は刀を抜くことすら出来なかった。理由は分からない。君は心当たりあるか」

「いえ……」僕は首をひねった。

「これ以上私の部屋を壊されてはたまらんからな。君を捜索隊に加えてやる。別命あるまで自室で待機したまえ。以上だ」それだけ言うと三島さんはまたどこかに電話をかけた。


■第六章 君の名は■


「見ろ」

 と言って難波さんは、片手を車のハンドルから離し、係留されている軍艦を指さした。海面が朝日でキラキラ光って、寝不足の目にはプッスプス刺さってとってもまぶしい。

 僕とみなもは今、これから乗艦する船まで、軍港の中を難波さんのジープで移動中だった。横須賀にもたくさん船はあったけど、ニライカナイも相当な規模だ。それだけ重要な拠点ってことなんだろう。僕はこんなすごい基地の最終兵器なのか――。ん~やっぱ自信ない。僕が敵を倒す! なんて勢いで言っちゃったけど、正直、やっぱ並んでる船のみなさんの方が強いと思います。いやマジで。

「あっちのやつが、はつしおで……」と難波さんが続けた。

 え? あの、漢字で書くと初潮……? あばばばば……

「でな、あれが、のりしお、うすしお――」

 おいおい、ポテチかよ! 最近の船はどうなってんだ?

 車はさらに進み、「でもってこっちが、ごましお、あじしお、あらしお」と難波さん。

 え? ポテチ通り越してそれ調味料だよね? いろいろ混ざってる塩だよね!

「で、お前等が乗るのがこの、うずしおだ」と言って、難波さんは車を駐めた。

 最早調味料でもないよね! それ家電だよね! 洗・濯・機!

 難波さんはくるりと振り向いて言った。「オマエ……今、洗濯機だとか思っただろ」

「あはは……バレました?」

「今どき二層式もないと思うよ、威」と、みなもにまで言われる始末。

「いや、まだまだだなお嬢。インドではヨーグルトを作るのに使ってるんだぜ」

「「へぇー」」とみなもと僕。難波さんは物知りだな。今度ゆっくり話を聞いてみたい。

 駆逐艦うずしおに乗り込んだ僕らは、早速船室に通された。うずしおって昔は潜水艦につけられた名前だそうだけど、ぐるぐる回って沈みそうだから縁起が悪いって、潜水艦には使わなくなったそうだ。なら、他の船にも使うなよ。ったく。

 昨日、三島さんにムリを言って乗せてもらうことになったけど、退院したばかりのみなもも来るとは思わなかった。てっきり明日香ちゃんが来ると思ってたのにな。明日香ちゃんのレーダーがあれば……。って、ないものねだりをしても仕方ない。自力で双眼鏡で探すしか。僕とみなもはド素人で、船の中じゃ、ぶっちゃけお客さんだから、乗ってもいいけどジャマだけはするな、って難波さんにクギを刺されたばかりだ。


 レーダーや無線というものが役に立たないということが、どれだけ不便なことなのか、歴史の授業では知っていたけど、何の手がかりもなく広い海を右往左往していると、バビロンの黄昏は、いかに人類にとって大迷惑な災害だったのか、少し分かった気がする。

 軍港を出港してから早三日、被害にあった別の船(クラスメートんちの貨物船)とか、密漁船とか、はぐれた海洋生物だとかには遭遇しても、肝心の諏訪丸の姿はどこにもなくて、僕は朝から晩まで、双眼鏡で海を見つめる日が続いた。正直、つらい。時間が経てば経つほどおじさんの生存率は下がるし、島に残してきた伊緒里ちゃんの事も心配だ。海に出ればすぐ見つかると思ってた。絶対おじさんは助かると思ってた。怪物もやっつけられると思ってた。――でも、全部ちがってた。やっぱり僕は、ただのお荷物だった。

「威、一昨日から寝てないよね。せめてごはんだけでも食べようよ。ほら」

 艦橋のベランダみたいなとこで僕が海を見ていると、みなもがおにぎりを持ってやってきた。確かに、ここんとこロクに寝ていない。寝ろと言われても、自室の窓から外を見てた。正直食欲もあまりないし、ずっと双眼鏡を覗いているから、目もなんかおかしくなってきていた。でも何もしないではいられなかった。とにかく手がかりが欲しかったんだ。

「ほーら! 食べな!」と言って、みなもが僕の双眼鏡をひったくった。

「何すんのさ!」突っかかってみたけど、これは僕の方が悪い。ただの八つ当たりだ。

「食え! みなもさんの手作りなんだぞ! 食え! 食ーえー! 口開けろ!」みなもは強引に僕の口におにぎりをネジ込もうとしている。が、ラップがついたままなので、僕は必死に抵抗した。おねがいだから、せめて剥いてから食わせてください、みなもさん!

 数分の攻防の後、ラップの存在にようやく気付いたみなもは、耳まで真っ赤になってはずかしそうにソレを剥くと、僕の口の前におずおずと差し出した。僕は背後からの興味津々な視線の束をガラス越しに感じつつ、しかし彼女の気持ちを汲んでガブリと食らいついた。なんかすごく嬉しそうなみなも。僕はみなもの指を囓りそうになりながら無心に全部食べた。食べ終わると、みなもはペットボトルのお茶を僕に飲ませ、また新しいおにぎりを僕に食べさせる。一つ食い終わるとお茶、の繰り返しで最終的に七個も食わされた。

「ふう、これで満足か?」僕はふくれた腹を撫でながら、僕の代わりに双眼鏡で海を眺め始めたみなもに言った。ストラップが僕の首にかかったままなので、正直うっとおしい。

「おいしかった?」と、みなもは、つま先で床をトントン叩きながら言った。

「ありがと。うまかった。お前の作ったもん食うの、どんくらいぶりだろう」

「二ヶ月と十三日よ」と、即答するみなも。はて、何かの記念日だったっけ?

「あのさ……」とみなもは続けた。「いろいろ、ごめん」

「何が」

「……いろいろ」双眼鏡を覗きながら、みなもは呟いた。

「そりゃ、こっちがだろ」と言って僕は、みなもの肩を抱こうとして、やめた。ブリッジの連中が見てるからじゃない。みなもに拒絶されるのが怖かったからだ。

 僕は手すりに背を預けて空を仰ぎ、みなもは双眼鏡を覗いたまま海を見つめていた。

 今の二人をつなぐものは、この双眼鏡のストラップ一本だけ。ひどく、心許ない。


 僕は夕方になっても、甲板でひとり海を眺めていた。多分探すことに疲れて、ただ波間を見ているフリをしてただけだったのかもしれない。僕は目立たないようにすみっこに体育座りをして、みなもや伊緒里ちゃんのことをぐるぐると考えていた。

 日頃、言語によるコミュニケーションを苦手とするみなもに合わせ、僕もなんとなく空気で動いていた。今まではそれで事足りていたからだ。でも、お互いがちゃんと話し合ってこなかったのが原因で、みなもの幻聴・幻覚、異変にも気付けず、みなもを信じることが出来ず、みなもをテロリストの餌食にされた挙げ句、みなもを孤立させた。店長がいたから良かったものの放っておけば、みなもを殺すハメになっていたかもしれない……。

「ん。冷えるから」というみなもの声と同時に、ばさっと体に毛布をかけられた。そしてみなもは僕の横に座って、するりと毛布に入り込んだ。僕が黙っていると、みなもが体を寄せてくる。……暖かい。僕らは会話の代わりに、こうして体温を交わしてきたんだ。みなもの温もりがあれば、みなもにすがれば、僕は生きていけた。……けど。

「船ん中、入ってろよ。またお前の具合悪くなったら、店長に怒られるだろ」

 僕はバツが悪くて少し突き放すように言った。みなもが少しムッとした気がしたけど、そのまま海を眺めていたら甲板に灯りが点いた。けっこう暗くなってきたからだろう。

「「帰ったら――」」僕らは同時に言葉を発し、口をつぐんだ。

 ――――帰ったら、僕らは終わるんだろうか。始まってすらいなかったけれど。結局、みなもには何もしてやれなかった。ただ傷付けただけだった。僕は……ひどいヤツだ。

「横須賀に、帰るのか」と僕は言った。

「そうして欲しいの?」みなもは無感情に、そう呟いた。

「……嫌だ。と言ったら、どうすんだ」無責任だ、と我ながら思った。

「え?」と言って、みなもが僕の顔を見つめるので、僕は横目で彼女を見た。

「お前……」僕は思わず息を飲んだ。みなもが泣き出しそうな顔をしている。大きな瞳に涙をいっぱいに貯めているんだ。僕の前で泣いたことなんて、一度もなかった《・・・・・・・・・・・・・・・・》のに。

「なんでいつも、私より先に泣くのよ……」そう言った途端、みなもの目から大粒の涙がいくつもいくつもこぼれ落ちた。でも、先に泣いたのは、今回も僕の方だったらしい。

 そうか。――――だから泣かなかったのか。

 僕は毛布の中で、啜り泣くみなもをぎゅっと抱きすくめると、みなもは堰を切ったように大声を上げて泣き出した。顔を僕の胸に埋めて、胴にしがみつきながら。

「一緒にいたい。威といたいよ。部屋ちがくてもいいから、幼馴染みのままでいいから、伊緒里ちゃんとつきあっててもいいから、二人のじゃましないようにするからぁ――」

 みなもの言葉が僕をザクザクと貫く。僕も負けじと大声で泣いた。

「ごめんな……ホントにごめんな。こんな思いをさせるために島に来たんじゃないのに、お前の夢を叶えるためだったのに……。みんな、お前の好きにしていい。部屋も一緒でいい。だから、そんなに泣くな。お願いだから……」

 もし、みなもが明日華ちゃんのように修業すれば、言葉を使わずに気持ちが通じるんだろうか。そしたら、みなもはもっと楽になれるんだろうか。

 ――――幸せに、なれるんだろうか。

「南方少尉! 諏訪丸が!」騒々しい足音をたて、若い海兵がやってきた。

「キャ――ッ」急に声をかけられたので、みなもは悲鳴を上げるし、僕はビックリして、みなもと毛布さんと僕と、三者でもつれ合う格好で盛大にひっくりかえった。その様子はまるで合体事故のような大惨事だった。僕はこんがらがった足をバタつかせながら、

「え、な、何? わ、た、助けて~~~っ」とお兄さんに救助を求めた。

「二人とも何やってんですか、もー。見つかったんですよ! 諏訪丸の救難信号をキャッチしたんです!」と言いながら、お兄さんは呆れ顔で毛布をひっぱった。その拍子に僕とみなもは解けて、甲板の上にゴロンと転がった。打ち所が悪かったのか、みなもが小さく悲鳴を上げた。僕は船尾から飛び立つヘリのローター音で、やっと事態を飲み込んだ。


 僕らの乗ったうずしおは急転し、まるでパンくずを頼りに深い森を歩く幼い兄妹のように、通信ヘリの落としたビーコンブイを拾いながら追っていった。暗い海の上で青白く光るブイは、大きな夜光虫みたいに見えた。そして、僕らは出港から数日かかって、ようやく伊緒里ちゃんのお父さんの漁船、諏訪丸を発見することが出来たんだ。漁船といっても想像してたよりはるかに大きくて、ちょっと驚いた。

「おじさんは!?」僕は手すりから身を乗り出して、諏訪丸の甲板に向かって叫んだ。

「威、そんなに乗り出したらおっこっちゃうよ!」みなもが僕のベルトを掴む。

 サーチライトがバンバン焚かれ、諏訪丸が黒い海に浮かび上がる。

 誰かが言ってたけど、諏訪丸はエンジンが壊れたせいで暫く流されたあと、立ち往生していたらしい。予定した漁場からも、島からも大分離れている。なかなか見つからなかったのはそのせいだ、って。これから船を繋いで、島まで牽引するらしい。

 僕はおじさんが気になって、思わず甲板を蹴って諏訪丸に飛び乗った。甲板をうろうろしていたら、つまみ出されそうになったので、おじさんの事を聞くと体調を崩して船室で休んでいると教えられた。そうこうしているうちに何故かみなもまでこっちに来ていた。

「来ちゃった」いたずらっぽい目で言うみなも。

「おま、どうやって来たんだよ」と呆れて訊ねると、親指を立てて背後を指すので、うずしおの方に振り返ると、いつのまにかタラップみたいなのが掛けられてた。しょうがないのでみなもを連れて船内に入り、言われたとおりの場所に行くと、船長室があった。少しドアが開いてたので、軽くノックをして入ると、

「来ちゃだめだ! 戻れ!」伊緒里ちゃんのお父さんが叫んだ。ロープでぐるぐる巻にされてる! 芋虫みたいに、首を振ってうにょうにょしてる。何で????? 

 混乱していると、誰かに口を押さえられて……そして……あれ………………


「気が付いたかしら? 南方威くん」

 目を覚ますと、聞き覚えのある女性の声がした。どこだろう……。頭がクラクラする。僕はコンクリートのような、硬い床の上で寝ていたようだ。首とかあちこち痛い。

「うーん……ここ、どこ……」

「いわゆるところの秘密基地、その中の牢屋なのよ。威くん」

 寝ぼけ眼で見上げると、そこには、白衣姿……ではなく、ピッタリとしたSFっぽいボディスーツを纏い、髪を結い上げた光明寺先生がいた。まるで女スパイみたいだな。

「なんで先生が? ……うーん……」もやもやする頭では、状況が飲み込めない。とりあえず様子を覗おうと思って、体を起こそう……と思ったら、なんか身動きが取れないぞ。

「あれ? なんで、僕縛られてんの? ちょ、あの、先生?」引きちぎろうとしたけど、ロープはビクともしなかった。もしかしたら金属ワイヤーなのかもしれない。

「威……気が付いたの? あんたぐるぐる巻よ」横の方から、みなもの疲れた声。

「ごめんなさいね、威くん。いま起こしてあげる」先生はそう言うと、芋虫状態の僕をヨッコラショって起こして、みなもに向かい合う格好で壁に寄りかからせて座らせてくれた。そして「かわいそうに。顔拭いてあげるわね」といってタオルでフキフキしてくれた。

 周囲をチラと見回すと、コンクリ打ちっ放しの窓のない六畳間くらいの部屋だった。牢屋のように錆びた鉄格子が嵌まっていて、灯りは廊下の方から入ってくる電灯の光だけ。

 よく分からないけど、きっと先生は危険を冒して、僕を助けに来てくれたんだな。

「すいません、先生。あの……ついでにこれ、解いてもらえませんか? 超頑丈で……」

「バカ威! そいつがあたしたちを捕まえたんだから! 解くわけないでしょ!」

 僕同様、手足を縛られたみなもが、わめいている。

「え? なんで先生が? んなわけあるかよ。ねえ、先生……?」

 先生は、動けない僕の上に跨がると、僕の顔をやさしく両手で包み込んで、

「大丈夫よ。威くんは大事なお客様だから、後でキチンとしたお部屋に移してあげるわ。そしてお食事するの。その後たっぷりと子種をちょうだいね。まず最初は私に……ね?」

「あのー……話しが全く見えないんですけど……先生。……こ、こないだの続き?」

「こないだって何よ! 何したのよ光明寺!」みなもがヒステリックに叫ぶ。

 先生は全く意に介さず、話を続けた。

「このあいだ威くんがくれた細胞、大事に育ててたんだけど、ダメになっちゃったの。やっぱりまだ神族の培養って技術的に難しいみたいなのよ。だから、原始的な方法で培養することにしたの。……人間の卵子と結合させて、威くんの子供を作るのよ」

「……え。こ、こ、ここここここ、子供ぉぉ? だ、だって、えっと、医療に使うんですよね? それってまさか、材料として養殖するってこと? えー、かわいそうだよ先生」

「もう、違うわよ威くん。そんなもったいないことしないわよ~」

「はあ、びっくりした。じゃあ……何に使うんですか?」

 僕は恐る恐る訊いてみた。というか、この状況そのものから説明して欲しいんだけど。

「うふ。……イクサガミの量産化よ。この際、ハーフでガマンすることにしたわ」

 ――――――え。    僕のこんがらがった頭の中に、一本の線が走った。

「あんた、何者なのよ! 光明寺!」みなもが吠えた。

 先生は、コールタールのように黒く艶めかしく光る、膝上まで編み上げたエナメルのロングブーツの靴音を響かせながら、みなもに歩み寄り――――その黒光りしたつま先が、天を指すほど高く、鋭く、みなもの顎を蹴り上げた!

「ぎゃああッ!」みなもはのけぞり、壁に体を打ち付けて、床の上に横向きに倒れた。

「何すんだ! 先生! みなも、大丈夫か!」

「この島の近くを諏訪丸がウロウロしてくれて、丁度良かったわ。貴方を捕まえるいいエサになって。あら、たまたまなのよ拿捕したのは。信じて、威くん」

「先生、こんなことやめてよ。なんで先生がそんなことしてんだよ! なあ!」

「不愉快なのよ……貴女。何で貴女が『みなも』と呼ばれているの? それは、私につけられる筈の名前よ? 何で貴女のような紛い物が、『みなも』を名乗っているの? この薄汚いクローンの泥棒猫め!」先生は、今度は僕を無視して吐き捨てるように言うと、口から血を流しているみなもの腹を、高いヒールでえぐるように幾度も蹴りこんだ。ぐぎゃっ、という人とも動物とも言えないような悲鳴とともに、鮮血がみなもの口から弾ける。

 僕にはもう、先生が何者なのか、分かってしまった。先生は――

「やめろ! やめてくれぇ! 悪いのは軍だろ! みなもは関係ない!」

「何をやめればいいのかしら? 南方威くん」先生がこちらを向きながら、嬉しそうに横倒しになったみなもの体をあちこち踏みつけると、その度に小さくうめき声が聞こえる。

「本来私につけられる筈だった、パパの考えた大事な大事な名前を泥棒した、こいつをいじめることかしら? それとも、こいつがパパの造った、瑞希姫の――」

「やめろおおおおおおおおおおおおおッ! それ以上言うなああああああああああッ!」

 それ以上言えば、みなもは、みなもはみなもでいられなくなる――――

「クローン体第六号ってことをバラしちゃうことかしらぁ? あ――ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 先生は狂気と歓喜に満ちた声で笑った。それはもう、僕の知ってる先生じゃなかった。

 橘家で見た写真の老人、かつて瑞希姫を細切れにした、あの博士の娘……だったんだ。

「何で、何で言っちまうんだよ……先生……みなもが何したってんだよぉ……」

 みなもを見ると、床の上で背中を丸めてうめいている。……聞いてた、よな?

 先生は僕の方にやってきて、目の前にしゃがみこんだ。

「みなもというのはね。父が私のために考えた名前なのよ。でも、母方の親族が気に入らず、別の名前をムリヤリつけてしまったの。……古くさくて、かっこわるいでしょう?」

「そんな事のために、みなもを傷付けたのか? 毒を盛ったのも、先生だったのか!」

「正直、パパの作品だから壊したくなかったのよ。でもね、この子は別。泥棒猫は、お仕置きしなくちゃいけないわ。うふふふふ。クローンがどんな風に壊れていくのか、観察するのは楽しかったわ。思いの外持ちこたえたのは、さすが皇女瑞希の複製品、といったところかしら。ホントなら狂い死んでもらいたかったんだけど……。でも、パパをさんざんいたぶった神崎の泣き顔は愉快だったわ。ねえ、威くん。この子のボロボロになった死体を送りつけてやったら、あいつ、発狂してくれるかしら?」

 死ぬほど恐ろしいことを、とても楽しそうに次々と言う先生。僕は先生の狂気にあてられて、体が文字通りガタガタと震えていた。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。

「パパを利用した軍もパパを捕まえた神崎も、みんな私の、カンパニーのイクサガミ部隊で殲滅してあげるの。パパもきっと喜んでくれる。パパの偉大さをみんな思い知るのよ。パパの名誉を取り戻すために協力してくれるって言ったわよね。本当に嬉しかったのよ」

 女神のように微笑むと、先生は――僕に口付けをした。

 ……こんなに背筋が寒くなるようなキスは、生まれて初めてだった……

 先生はそっと唇を離すと、「後で何か飲み物でも持ってきてあげるわね」と、普段どおりの優しい口調で言って、僕の髪をひと撫ですると、靴音を響かせて牢から出て行った。

 僕は……ずっと囚われて、種馬になるんだろうか。

 みなもは殺されて、捨てられてしまうんだろうか。

 ――恐い。なんで僕はこんなに無力なんだよ。いやだ。恐い。恐い。恐い。恐い。

「た……ける……あんた、ひどい顔だよ。あはは……」みなもは力なく笑った。

 軽口を叩くみなもの声で、僕は我に帰った。そうだ。僕はこいつを助けなきゃ。

「顔腫らして青あざ作って、口から鼻から血をタレ流してるお前に言われたくねえよ」

 ひどい話だが、みなもは以前にもこんな目に何度も遭っている。……僕のために。

「逃げて」

「え?」

「威だけなら光明寺も油断するから、スキ見て逃げて」

「なに……言ってんだよ。い、一緒に逃げるに決まってんだろ、みなも」

「もう、いいよ。ここであいつに殺してもらう。だってわたし、造り物なんでしょ。知ってたから、あんた伊緒里ちゃんとくっついたんでしょ? 私なんかもう要らないんでしょ? 知ってて優しくするなんて、ひどいよ……威」みなもは、血に染まった唇を噛んだ。

「ち、違うよ。知ってたからじゃない。……お前が入院した時、店長に聞いたんだ。ひどく、苦しんでたよ。もう、僕みたいにみっともなくなっちゃってさ、見てるこっちが本気で情けなくなるほど、みっともなかったんだ。あのとき、お前の気持ちが分かったよ。情けない奴を見てるとどんな気分になるのか、こんなにイライラするのかってさ……」

「ちょっとなに言ってるか意味わかんない……だけどこの体も、気持ちも、ぜんぶぜんぶ、造り物だったのなら、みんな納得出来るよ。なんでこんな変な気分になるのか……。だから、もう私のことなんか気にしないで、あんたは一人でどっか行っちゃえば?」

「ふざけんな! お前自分が何言ってるか分かってんのか? このままじゃお前、先生に殺されちゃうんだぞ! いいか、良く聞け。人間てモン自体、神の劣化コピーなんだよ。だから、見た目だって同じだし、輸血も出来るし、交配だって……セックスだって普通に出来る。クローンは人間が人間を作ったってだけだろ? だったら理屈一緒じゃないか。人から生まれた人間だろうと、細胞から造られたクローン人間だろうと、神が土をこねて造った人間だろうと、そいつらの何が違うってのさ! それに店長が、お前の魂は瑞希じゃないって言ってた。瑞希は別にいて、山に隠れてて、とにかくお前は別の個体なんだ。お前はお前。お前の気持ちは全部お前のもんなんだよ。わかったか? お前が何かなんでどうでもいいんだよ。僕が何かなんてどうでもいいように。……だから、一緒に帰ろう」

 言うだけは言った。でも、みなもは顔を伏せて、

「好きにすれば。私、歩かないから」と言って、赤黒い血を床に吐き捨てた。

 結局のところ、僕の説得が効いたのかよくわからないまま、お互い無言で小一時間ほど床にへたりこんでいると、誰かが牢にやってきた。格子のドアを開けて入ってきたぞ。

「大丈夫かい? みなもちゃん、威くん」落ち着いた男性の声。結構年配だな……。

 その声の主は、あの写真に写っていたおじいさん、そして先生のお父さんだった。

「あ……敷島のおじいちゃんだ……」みなもが呟いた。

 二人はどうやら面識があるらしい。……というか、本当の祖父と孫のようだ。

「おお、可愛そうに。儂の娘が酷いことをして……済まなかった」

 敷島のおじいちゃんと呼ばれたその人は、みなもの前に片膝をつくと、がっちりと金具で固定されている、みなもの手足を縛ったロープを外し始めた。

「え……ウソ……おじいちゃんが光明寺の?」みなもが言った。あんなにボッコボコに蹴られていたのに、もうケロっとしている。やっぱみなもって普通じゃないのかな? それとも、店長の血を輸血した後遺症で、ちょっとばかり丈夫になったのか。謎だ。

「お前、さっきの話聞いてなかったのかよ。普通文脈から分かるだろ、そんくらい」

「ボコボコにされてる最中に、そんなの分かるわけないじゃん、バカ!」

「ていうか、立ち直り早いなお前。心配して微妙にソンした気分じゃんか……」

「うっさいな! 一緒に帰らないとあんたが泣くから帰ってあげんじゃん、バカ!」

「バカバカ言うなよ……自覚あんだから。…………一緒に、帰ってくれるんだな?」

「何度も言わせんな、バカ。それから…………泣くな」

「え? ……またか。……ごめん」顔を拭こうとして、動けないの忘れてた。

 敷島のおじいちゃんは、みなものロープを外し終わると、今度は僕のロープを外し始めた。引きちぎられることを警戒してか、やたら頑丈な拘束具が使われてるのが分かった。彼は作業中、僕らを逃がすことや、ここがとある無人島に造られた研究施設であること、諏訪丸の本当の乗員たちや他の船の乗員が、奴隷として捕まっていることを語った。どうやら伊緒里ちゃんのおじさんが無事で一旦は安心した。

「儂はなあ、みんなにおいしい海産物を食べてもらいたくてなあ、娘の紹介で入ったこの研究所でカニやイカの品種改良をしておったんじゃが……、儂の雇い主である多国籍企業が、やめておけばいいものを、途中で勝手にどんどんと巨大化させてしまったんじゃよ」

「ドデッかに!」「デッカいか!」僕とみなもは同時に叫んだ。彼はうん、と頷いた。

「そして、ムリに巨大化させたために手に負えなくなり、何匹かは外に逃げ出してしまったんじゃ。だから儂はやめろと言ったんじゃが。連中は最初から、儂に生体兵器を造らせるつもりだったのだろう。気付くのが遅かったよ。また儂は過ちを犯してしまった……」

 がっくりと肩を落とす、敷島のおじいちゃん。なんか気の毒になった。

「そ、そんなことないです! 両方食べたけど、すっごく美味かったです!」

「わ、わたしも! 大きいのに味が濃くてジューシーで、かに美味しかった!」

「そうか、儂の自信作、食べてくれたか。良かった良かった……」

 そう言うと、おじいちゃんは嬉しそうに、みなもの頭を撫でた。

 おじいちゃんは、瑞希姫のプロジェクトの方も、多分悪気はなかったんだろう。なんとなく、そんな気がした。だって、悪気があったら、娘の名前をこいつにつけたりしない。

 でも、やっぱり後でプロジェクトの事はみなもに追求されるんだろうな。こいつに、何て説明すりゃいいのか……。それを思うと、気が重い。


 敷島のおじいちゃん一人では、さすがに全員を逃がすことが出来ないようで、僕らだけを逃がすつもりで牢に来たらしい。取られた武神器を持ってきてくれたので、早速起動する。とにかく起動だけでも先にしておかないと、いざというとき使えないから。

 というわけで、僕らはこっそりと施設の中を移動した。所々におじいちゃんの協力者がいるようで、スムーズな移動。う~ん、何とか他の人も連れて行けないのかなあ? とにかく、おじいちゃんの言うように、僕らだけ先に逃げて、軍の応援を呼ばなくちゃ。

 薄暗い通路を通り抜けると、急に視界が開けた。

「うわ~不気味。……エイリアンでも養殖してそうなトコだなあ……」

「当たらずも遠からず、じゃな。威くん」おじいちゃんが言う。

「落ちたら食べられちゃうよね……」とみなも。

「ああ、間違いなくな。誤って落下した職員が何人も餌食になっておる……」

「うへぇ~~……」僕は思わず玉ヒュンした。

 僕らは、青や緑にうっすら光り、升目で仕切られている大きな屋内プールのような場所に来たんだ。その巨大水槽の上、約十mあたりにかかった細く長い金属製の橋の上を、おじいちゃんを先頭にこわごわと進んでいる。谷にかかった吊り橋みたいで、下を見ても恐いし、なんか揺れるし、怪しい生き物が中にいるっぽいし……。超、足ガクガク状態だ。

「威くん、あそこに赤い電気の点いている機械があるじゃろう。あれを壊せばこいつらを処分出来るんじゃが、儂のIDでは中に入れない。脱出したら軍の人に知らせておくれ」

「わかりました。……って、博士は一緒に逃げるんじゃないんですか?」

「いたぞ! あそこだ!」半分くらいまで渡ったところで、警備員に見つかってしまった。自動小銃を持ってる。どうしよう、このままじゃ二人が危ない。

「急ぐんじゃ! もうすぐじゃ!」

「二人とも走って! 何とかするから!」僕は叫んだ。

 僕は武神器を腰から抜いた。モードは、――ロトの剣。なんだよ悪いか? この狭い橋に丁度いい長さの剣が他にないんだからしょうがないだろ。僕はグラグラ揺れる橋の上で、半分ガクブルしながら勇者の剣を構えた。……恐いけど、覚悟しなきゃ!

「抵抗するな!」一人は銃を構えて、残りの人が僕に近づいてきた。

「ご、ごめんなさい!」僕は構えた剣を下向きにぐるりと振り抜いた。金属製の橋は音もなくスッパリ切れて、目の前から向こうを強く蹴ってやると橋がガクンと落ちた。その瞬間、警備員たちは悲鳴とともに次々と水の中にボチャンと落ちてしまった。橋はブラーンと辛うじて向こう側の壁にくっついてるけど、ポッキリ折れるのも時間の問題だろう。僕はジャマ臭い武神器を腰に戻すと、そっと「ごめんなさい」と落ちた人に手を合わせた。

 振り返って、みなもたちを追いかけようとすると、

「うわ、な、何でいんの」目の前にみなもがいた。ギギギ……とイヤな音がする。重みでこちらまで落ちそうだ。「早く渡らないと、こっちまでポッキリいっちゃうぞ。走れよ」

 みなもはにっこり笑って、「あのね……やっぱごめん」

『え?』

 次の瞬間、みなもは僕のわきをすり抜けて、途切れた通路からプールにダイブした。

「バ、バカヤロ――――――ッ!」僕も、みなも目がけてジャンプした。

 薄笑いを浮かべながら、淡い光の中を背中から落ちていくみなも。僕は、落下しながら思いっきり手を伸ばした。二、三度、空を切った手は、――みなもの足首を掴んだ。

「お前は、生きろ!」

 僕は体制を崩しながら、全力でみなもを通路の上に放り上げた。見上げると、丁度おじいちゃんが覗き込んでいて、うまいことキャッチしてくれた。でも、その衝撃で橋は大きく傾き、おじいちゃんはコケながら、みなもを背負って一目散に出口へと走っていった。

 僕はそれを見送りながら、背中から水槽に落ちていった。

 ――これでいい。罰を受けるのは、僕の方なんだから。僕は、目を閉じた。

『ガッシャ――ンッ』

 轟音とともに橋が崩れ、そのうち半分くらい千切れてプールに落ちた。そして僕は、

『ドスン!』……水中じゃなくて、水槽と水槽の間、仕切りの上に落っこちたらしい。

「いってええええええ――ッ!」背中をしたたかに打って、ムチャクチャ痛い。僕はしばらく、うめき声を上げながらミミズのように悶えていた。水の側のせいか、少し生臭い。

「あ……伊緒里ちゃん置いて死んだら、マズイよな……」ちょっと忘れてたのは秘密だ。

 とりあえず水に落ちずに済んだ僕は、痛む腰をさすりつつ、どこか他に逃げ道がないか見回してみた。すると、さっき敷島のおじいちゃんが言っていたアヤシイ機械が目に入った。落ちた場所からは、ざっと五十mくらい先の壁際にある。近くに金属製の重そうなドア一つがあるけど、鍵は……なくてもブチ破ればいいか。よし、あの機械をぶっ壊して、あそこから出よう。行けばなんとかなるさ。…………みなも、逃げられたかな。

 まあ、食われないと思うと気楽なもので、僕は田んぼのあぜ道のような仕切りの上を、水に落ちないように十分注意しつつ、まっすぐ機械のある所まで歩いていったんだ。

 半分くらい歩いたところで、僕の背後からヘンな音が聞こえた。さっき落とした警備員が奇跡的に助かって追いかけて来たのか、と思って腰の武神器をそっと抜いた時――

 何かが足に絡まって、僕は顔面からモロにビターンッと倒れてしまった。でも鼻をさする余裕なんかなかった。僕の体がずるずると後に引っ張られていたんだ!

「うわあぁぁぁぁっ」僕は半身を起こして足元を見ると、たくさんのイボがついた触手が絡み付き、その元を辿ると、全身をぬめぬめと光らせ、何本(多分十本)もの触手を生やした巨大生物が、でっかくて気持ちの悪い目をギョロつかせて、僕をじっと見ていた。

 ……そうか。僕は恐怖よりも先に、腑に落ちたことがあった。

『だから兄貴は、船を沈めて逃げたんだ!』

 船を襲ったのがコイツなら、ゼッタイムリだわ。せめて、甲殻類の方なら勝てたのに。

 兄貴は、幼少期、タコのおじさんにイタズラされたんだ。それが全てを物語っている。……え? なってない? と・に・か・く、日本男児のくせに琢磨は触手が大嫌いなの!

「ちょっ!」超デッカいかは、さらに触手を伸ばし、僕の胴を締め上げ始めた。

「うっげげげげげぐぐぐぐぐぐぐぐ、ぅおぇっ」あんまり締めるから吐き気がしてきた。

『いたぞ。あそこだ!』遠くから声がする。橋が壊れてるからこっち来ないと思うんだけど……とか思ったら、通路の開口部から、僕に向かって自動小銃を発砲してきやがった!

「うわっ」流れ弾に当たった超デッカいかが、触手の力を緩め僕を落とした。その一瞬のスキに、僕は機械目がけてダッシュした。水面が、ビシュッビシュッと音を立てている。飛び交う銃弾にヒヤヒヤしながら進んでいると、急に視界が遮られた。

 ――――僕は、強い既視感に襲われた。「……カニ、ボス……じゃん」

 僕は今、巨大カニと対峙するモンプラのハンターになってしまったんだ。ゲームでは何体も屠ってきたけどリアルじゃ流石に初めてだ。僕は巨大甲殻類がこんなに恐ろしいものだなんて夢にも思わなかった。でも行くしかない。超ドデッかにが爪を高く振り上げる。

「イピカイエエエエエ――――ッ!」僕は大声で恐怖を振り払うと、助走をつけてカニの股の間目がけてスライディングした。露出した肌が擦れて痛い。通り抜けた瞬間、頭のすぐ上の方に何か――鋭いカニ爪が突き立てられ、パチンと閉じた。

「ひいいぃぃぃぃっ」あやうく首をチョン切られるところだった。僕は背中にイヤな汗をかきつつ、武神器を最小形態から使い慣れたシビリアンハンマーにモードチェンジして、残り数メートルとなった目的地まで、最後のダッシュを開始した。

「うううぉぉおおおおおおおおおりゃああああああああああああああああああ――っ!」

 僕は怪しい制御卓状の機械の前で、砲丸投げ選手のように数回体をスピンさせると、バチバチと激しく帯電したシビリアンハンマーをど真ん中にブチこんだ。金属製のパネルはダンボール箱のようにぺしゃんこに潰れハンマー頭部はコンクリートの床にめり込んだ。

「おぁ、やべえ抜けない! ああああばばばばばばば……」僕は死ぬほど慌てて、ハンマーの柄をぐいぐいと引っ張ったが、うんともすんとも言わない。背後に殺気を感じて振り向くと、――カニカニカニカニカニ…………超から小までドデッかにの団体さんがいた。

「や、やめてー!」そして巨大カニに足首を挟まれた僕は、そのまま高く持ち上げられて宙ぶらりんになった。「い、いでででで、足もげる千切れるやめろうあバカぁぅぁああ」

「暴れないで! 首落とすよ!」どこからか女の子の声がした。

「は、はひぃ!」僕は言われるまま、足首の激痛になんとか耐えようとした。

「アヴァアアアアアアァァァン、ストラ――――ッシュ!」女の子が聞き覚えのある技の名前を絶叫すると、目の前に閃光が走り、――僕の体が宙を舞った。

 誰かの腕にキャッチされた僕の目に映ったのは、切断されたドデッかにたちの断面と、上から降ってきた、血を吹く自分の足だった。え、だったぁ――――――――?

「遅くなってごめんね、威くん。もう大丈夫だから☆」

「人様の片足太股からブッた切っといて、何が大丈夫だよ! いいかげんにしろ!」

 不本意ながら店長の腕に抱かれる僕に向かって、僕の片足を抱えたジャージ姿の明日香ちゃんが満面の笑みでそう言いやがった。いくらくっつくからって、ひどいじゃないか!


■エピローグ■


 結局、誰の失態だの失敗だの不始末だの不注意だのという、人為的ミスのバーゲンセールが、僕とみなもの誘拐事件を引き起こしたんだけど、そんな無様な軍のケツを拭いたのは、店長と明日香ちゃんってことになるわけで。詳細に関してはぶっちゃけ僕もよくわからないから、説明のしようもない。ただ言えることは、僕が捕まったことで、カンパニーって連中の悪巧みが暴かれて、敷島のおじいちゃんは娘共々、島の水産研究所でカタギの仕事をすることになった。これは事実上の軟禁だね。それから兄貴たちは今、アンコールワットあたりで呑気に観光中らしい。あと、僕自身のことだけど…………

「いっぺんに食べるのムリだから! 交互にしてって言ってるだろ! 殺す気かよ!」

 いま僕は、島の軍病院の一室にいる。無論、個室だ。あ、内装はいたって普通だよ。

「威くんは大怪我したんだから、しっかり栄養取らないとダメなのよ。ほら、あーん」

 伊緒里ちゃんが、一口サイズに切ったパパイヤをフォークで僕の口に運ぶ。

「食え! いいから食え! 貴様みなもさんのリンゴが食えないのか! 食えってば!」

 皮を剥いた丸ごと一個のりんごを、僕の口にネジ込もうとするみなもさん。どうでもいいけど、またラップついてんぞコラ。本当に学習能力のないヤツだな。

「あーもうヤダー。こんなことなら点滴だけの方がいい……」

「なによ。威くんが、二人とも嫁にしたいっていうから、こうして仲良くお世話してるっていうのに。いまさら撤回なんかしたら、威くんに遊ばれたって島中に言いふら――」

「あーあーあー悪かった悪かった僕が悪いんです全部僕のせいですごめんなさい」

 僕はベッドの上で土下座した。「というか、責任取るに決まってるだろ。ったく……」

「私、威のそういうとこ、キライ」

「は? おっしゃる事がわかりません、みなもさん」

「威は、責任とか、義務とかで私と結婚したいって言ってた。だから、前からずっと、それはちがうって、そんなの恋愛じゃない、そんなの私はいやだ、って言ってたんだけど」

「……は、いつ? じゃ、もしかして、それが、恋人になりたくない原因だったわけ?」

 みなもはうんうん、と大きく頷いた。

「だったら、もっとはっきりと正確にかつ詳細で明瞭に僕に説明してくれなきゃ分からないだろうが! なにが、威の好きは違う、だよ。それだけで分かったらニュータイプだよボケ! アホかお前は! それが全ての元凶だってのにお前ときたら! だいたいだな、お前は自分の思考をもっと伝わるように言語化する訓練がだな………………、あ」

 みなもが、目に涙を貯めだした。次の瞬間、僕はみなもと伊緒里ちゃんのダブルストレートパンチを食らって、病室の壁にめり込んだ。その時、病室のドアが開いた。

「おう威! お前の親友が横須賀から遠路はるばるこの…………お前、何やってんの?」

 そこには、目を点にした吉田修太郎がいた。「何しに来たんだよ、修太郎」

「俺は今日からカメハメハクラブ・ニライカナイ支店長だ。にしても何だよこの状況は」

「ははは……。島にいるだけ、って、結構大変なんだぞ。こんくらい、いいだろ」

「お前、愛だな」

「生き様だよ、クソッタレ!」

 僕は、みなもと伊緒里ちゃんを両脇に抱いて、満面の笑みでそう言ってやった。



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