四章 27
「そろそろ帰ろう。さすがにお泊まりはマズいよ……」
「……うん……」
時計を見ると、満喫のバイトの終了時間を大分回っている。
伊緒里ちゃんの顔には『帰りたくない』とでっかく書いてあるけど、それはダメだ。
僕が彼女を夜の街に連れ出したことは、淳吾さんを始め、店長や空くん海くんの知るところだし、僕自身がゆるーく監視されているから、いきなり捜索願が出されるなんてことは発生しないだろうけど、日付をまたぐのはさすがに……。
僕はちょっとした趣向を思いついて、伊緒里ちゃんをホテルの離れに連れて行った。
廊下に出ると伊緒里ちゃんが微妙な顔をしながら、ひょこひょこ歩きでついてくるから、僕はお姫様だっこをして人気のない館内を歩き、あの場所に連れていったんだ。
この僕に最大級の供物をくれた伊緒里ちゃんに、男としては最上級の返礼をすべきじゃないか。……とか思うわけで。
「着いたよ」
僕は伊緒里ちゃんをそっと降ろすと、無人のその部屋のドアを開け、伊緒里ちゃんを中に促した。窓から月明かりが差し込んで、小ぶりなステンドグラスが淡く輝いていて、とても幻想的だ。僕は一旦部屋の外に出ると、廊下に並んでいるマネキンから、あるモノを拝借し、それを持って伊緒里ちゃんの所に戻った。
「ねえ、威くん……ここって………………」
伊緒里ちゃんは、すっかりこの部屋の雰囲気に飲まれているようだ。
「はい。これ」
僕はそう言って伊緒里ちゃんの頭にソレを被せた。――花嫁のベールだ。
「……え? うそ」
伊緒里ちゃんが大きく目を見開いて、ひどく驚いている。
僕は再び伊緒里ちゃんを抱き上げると、無人の薄暗いチャペルのバージンロードをゆっくりと歩いた。
一番奥まで着いた僕は、花嫁さんを静かに降ろして言った。
「予行練習。大人になったら本番をやろう、伊緒里ちゃん。……ずっと一緒にいようね」
伊緒里ちゃんが頷くのを確認してから、ベールを上げて軽いキスをした。
そして、指輪はないから、時計屋で買ったばかりのペアウォッチをお互い交換して、腕につけたんだ。伊緒里ちゃんは感極まって泣いてしまった。リハーサルだってのに。
この時計、正直あんまり趣味じゃないデザインだったけど、僕の一生の宝物確定だ。傷付けたらイヤだから、やっぱり普段用はPXで売ってる軍の時計を買わないとな。
――でもこの時計が、みなもを狂わせるトリガーになるなんて夢にも思わなかった。