四章 18
「ちーす、南方ですー」
『どうぞ』
医務室のドアをノックして声をかけると、中から涼やかな声で返答があった。光明寺先生の声だ。消毒薬の匂いが、ドア越しにこちら側へ微かに漏れてくる。
僕はノブを回し、静かにドアを開けた。
「失礼しまーす」
挨拶をしつつ中に入ると、夕方のせいか看護師さんはおらず、先生一人だけだった。
先生はいつもの白衣姿でイスにゆったり座っていた。先生は意識してやっているのか分からないけど、この優雅さが僕に安心感を与えてくれる。
「南方少尉、おつかれさま。さ、そこに座ってちょうだい。いま冷たいものでも持ってくるわ」先生は患者用の丸イスではなく、隣の席の医師用イスを僕に勧めた。
もうとっくに仕事が終わっている時間なのに僕を待っていてくれたのかと思うと、呼び出されたとはいえ、先生に少し申し訳ない気持ちになった。
先生は冷蔵庫から、いま島で人気のドリアンボンバーソーダを二本持って来てくれた。こってりまろやかな中に刺激的なフレーバーと強炭酸というクレイジーなドリンクだ。カメクラのバーでも良く売れてるけど、ビビリな僕はいまだにドリアンボンバーバージンである。
「いただきまーす」
僕は、勧められるままプルトップを引き上げた。そして先生も開けた。
医務室に、良く言えばトロピカルな香りが充満していく。
どうなんだ……コレ。
僕が躊躇しているのを見ると、先生はウフフ、と意味深に笑って一口含んだ。
「そんなに怖がらないで。誰も飲めないようなモノなら、こんなに流行しないわよ」
「そりゃ、そうですけど……」
「大したリスクもないのに、かすり傷を恐れ、机上の空論を繰り返して、結局冒険しない。それが君の悪い癖よ」
いつ、そんな……。ああ、みなもに聞いたのかな。
先生は僕の内心を見透かしたまま、言葉を続けた。
「安易にリカバリー出来る程度のリスクなら、下を見ずに飛ぶの。そうすれば、君の世界はもっと広がる。貴方は、自分で思うほど弱くなんかないのよ」
僕は大きく息を吸い込んで、吐き、缶を口に運ぶ。
唇に冷たい感触。
恐る恐る流し込んだ液体が口腔内で幾百も爆ぜ、喉に落ちていった。
……味なんて、分からなかった。でも僕もみんなと同じように、コイツを飲むことが出来た。その事実が、やけに嬉しかった。
「おいしい?」
先生は小悪魔のような笑みで僕を見ている。反応を楽しんでいるのかな。
「味……ぜんぜんわかんなかった」
「そう」とだけ言って、小さく頷く先生。
「でも、飲めた」
「ええ。立派だったわ」先生は満面の笑みで僕を褒めてくれた。
ただ変わった味のジュースを飲んだだけなのに、なにかとてもすごいことを……たとえばエベレスト登頂クラスの偉業を成し遂げた気がして、目から涙がいっぱい溢れた。