四章 10
「あちゃー……、もうみんな帰っちゃってるなあ」
「そうね……」
ゴミ捨てから僕と伊緒里ちゃんが戻ってくると、教室にはもう誰もいなかった。
出発した時には教卓側に寄せられていた机も、綺麗に並べ直されている。
そりゃそうだ、出かけてからかなり時間経っちゃったからな。
僕らはおのおのの席で、帰る準備を始めた。
僕も早く基地に戻って、ドラム缶と愛を確かめ合う神聖なる儀式に臨まなければならないんだ。でも本当は、この島に初めて来た頃みたいに、ずーっと延々、伊緒里ちゃんと遊び倒したい。一分一秒でも一緒にいたい。ずっとくっついていたい。無論物理的にだ。
僕は、みなも相手にそんな気持ちになったこと、今まで一度もなかったけど、もしアイツがこんな気持ちだったのなら、さぞつらかったかも……って思う。でもだからって、その復讐で僕にあんなことしてるんだったら、僕はみなもなんか愛せない。
僕は夕方の訓練があるから、伊緒里ちゃんに付きっきりでいるわけにはいかない。だからとりあえず家まで送り、弟くんたちとバトンタッチすることにした。
二人で校門を出て、「弟くんたちに僕らが付き合い始めたことを報告しなくっちゃ」、なんてことを話しながら歩いていくと、学校の並びにあるコンビニに差し掛かった。店先には、アイスを食っている男子生徒が数名たむろしていた。その中の一人が、スっと立ち上がり、こちらに近づいてきた。
「姉ちゃん、今帰り? 一緒に帰ろうよ」
そう言ってにこやかに歩いてきたのは、伊緒里ちゃんの弟の陸くんだった。転校初日に伊緒里ちゃんに墨汁を借りに来たやつだ。
「友達は、いいの?」と伊緒里ちゃん。声は微かに震えている。
「別に。アイス食ってただけだから。いこう」
そう言って陸くんは、伊緒里ちゃんの腕を急に掴んで引っ張った。
「いたい!」
強く掴まれたのか、伊緒里ちゃんが痛そうな顔で叫んだ。
「放しなさい、陸!」
陸くんは痛がる伊緒里ちゃんを気にもせず「ほら、帰ろうよ」と笑って掴んだままだ。
僕のことは全く見えていないかの様に振る舞っている。
「いやぁ、放して! 助けて威くん!」
伊緒里ちゃんが、悲壮な声で僕に助けを求めている。相当痛いのか、伊緒里ちゃんの目に涙が滲んでいる。
「おいやめろ、お姉さん痛がってるだろ!」
僕は陸くんの手首を掴み背中側へと一気にひねり上げた。相手は人狼だ。容赦の必要はない。
「ぎゃッ!」
人とも獣とも取れるような短い悲鳴を上げ、陸くんは身を捩った。
「放せ!何すんだよッ、余所モンが!」
「余所者で悪かったな」
僕は暴れる陸くんの背中を蹴り飛ばし、店先の駐車場に転がした。陸くんは軽々と受け身を取って、すぐに立ち上がった。もちろんそこまで織込み済みだ。
陸くんの鋭い視線が僕に刺さる。だから何だ。
アイスを食っていた連中が、さすがにヤバいと思ったのか止めに入ってきた。威様に何してんだ、とか、相手考えろ、とか、そんなカンジのことを口々に言ってる。立場を利用したくはないけど、今はそれが有り難い。
「伊緒里ちゃんは、僕と帰るんだ。これからもずっとね」
腕をさすっている伊緒里ちゃんの震える肩を抱いた。
伊緒里ちゃんは小さく頷くと、ひとつ深呼吸をして言った。
「私はか、か、『彼氏』の威様と一緒に帰るの。お友達と遊んでていいのよ」
「彼氏、だと? 姉ちゃん、いま、そいつのこと、彼氏って言ったのか!?」
文字通り食いつきそうな勢いで襲いかかろうとする陸くんを、男子生徒たちが数人がかりで羽交い締めにしている。
彼は僕を射貫くような眼差しで睨み付けた。「貴ッ様…………」
「そう、僕ら付き合ってるんだ。悪いけど、『ジャマしないで』くれるかな、陸くん」
そう言って、僕はこれ見よがしに、伊緒里ちゃんをさらにぐっと抱き寄せた。
僕だってこんなことしたくない。でも――
「ざけんなァァッ!」
陸くんがさっきっから喚き散らしているので、店の人まで外に出てきた。店員さんが僕の顔を見て一瞬固まったけど、こちらがインネンをつけられてると分かってか、黙って僕にうなずいた。
――そう。僕の敵は、八坂陸。
伊緒里ちゃんを女性として愛する、人狼の少年だ。
もう、コンビニ前は修羅場だった。
陸くんの憎悪が激しくなればなるほど、僕の気持ちは昏く沈んでいく。
僕たちは、陸くんの悲壮な罵声を背中に浴びながら、その場を後にした。
そして彼の声がほとんど聞こえなくなったころ、僕は伊緒里ちゃんに聞こえないほどの声で呟いたんだ。
「陸くん……ごめんね。お姉ちゃんを奪って……」