四章 9
「んもう、ムードもへったくれもないんだから」
「ごめん……」
「もうちょっと……(ごにょごにゅ)いやなんでもないわ」
「大丈夫?」
「なんか酔っ払っちゃったみたいだったけど、もう大丈夫」
僕は正直、自分でも今の状況が信じられない。これってとんとん拍子ってこと?
夢だったらどうしよう、と不安になってきた。
ベンチで少し休んで正気に戻った伊緒里ちゃんは、微妙に憮然としながら乱れた制服を直し始めた。
そして、普段のクールビューティーな顔に戻ってこう言った。
「とにかく、ちゃんと説明しないと納得出来ないって顔に書いてあるから説明してあげるわ。いい? 女というのはね、生物学上、伴侶が決まったらその相手のことが気になって、相手のことばかり考えて、他のものが見えなくなるの。威くんに分かりやすく言えば、ユーザー登録のようなものね。それが効率的に子孫を残すための本能なのよ。横須賀ではそんなことも習わなかったの?」
「と、言いますと……」
急に学術的な話題になったので、僕のアホ脳が過熱し始めた。
「全部言わせる気? バカ」と言って伊緒里ちゃんは僕の耳元で「威くんのこと、好きになるスイッチが入ったのよ」と恥ずかしそうに囁いた。
まくし立てていたのは、照れ隠しだったのか……。
「ほ、ほんとに? 夢じゃないよね?」
「現実よ。安心して。ね?」
にしても、いいなあ女子は。僕にもこういうスイッチがあれば、もうちょっとみなもに気に入られただろうに……。
でも、もういいか。今はもう、伊緒里ちゃんがいるから。
「伊緒里ちゃんも安心して。大丈夫、あいつには絶対渡さない。僕が護る」
と言うと、伊緒里ちゃんは俯いて、
「ありがとう。……みんな知ってたんだね……威くんの、うそつき……」と言った。
「あの子たちが、怖いお姉ちゃんに怒られたら可愛そうだったから。……ごめん」
伊緒里ちゃんは僕の胸で、ううんと小さく頭を振り、僕の腕にぎゅっとしがみついた。
うぐッ。グググググ……ぐげげげげげ……イタイイタイイタイ!
さっき腕にカッターの刃が刺さったところを、ぎゅーっと彼女に掴まれた。
すごく痛くて声を上げそうになったけど、歯を食いしばり、尻の穴をギュ――――ッと締めて、必死にこらえた。
……さて、アイツのこと、どう始末をつけようか。
そう思うと、せっかく伊緒里ちゃんと恋人同士になれたのに、気分はあっという間に冷えてしまった。
だって僕は、これからひどく残酷なことをしなくちゃならないから。