一章 2
「みなも、こっちで……宿題やってくか?」
僕は学校からの帰り、橘家の手前にある自宅の前で立ち止まり、みなもに声をかけた。
「フン、宿題する気あるの?」みなもは僕に侮蔑の眼差しを投げてくるが、まんざらでも
なさそうだ。みなもの言うとおり、宿題が目的なら橘家ですればいい。
「バレたか」
さすがにみなもの家で乳繰り合うわけにもいかないからな。しかしそんな関係なのに、どういうわけか、僕のことをいつまでたっても恋人認定してくれないんだ。もうさ、同居もすることもしてんだし、恋人通り越して実質結婚してるようなもんなのにさぁ。
原因はなんとなくわかってる。あいつは僕の愛情の形が気に入らないんだ。
みなもは、『ちゃんと好きになってくれなきゃダメ』って言うわけよ。しらんがな。
お前の『好き』って何なんだよ? って聞くとさ、胸がドキドキして苦しくて、のどがつかえたり、頭がぼーっとしたり、他のことが一切考えられなくなったり、死ぬほど自分のものにしたくなったり、少しでも離れてると不安でたまらなくなったり、……らしい。
それって、ぶっちゃけ病気じゃん? みなもは、僕に病気になれっていうの? 別にそれってさ、みなもを想う気持ちの強さや深さには、一切関係ない気がするんだ。
つまり、『ないものねだり』なんじゃないのかな?
僕がズボンのポケットから自宅の鍵を引っ張り出していると、背後から声がした。
「おい南方!」若い男の声だ。振り返ると地元のヤンキーたちが五人ほど、数メートル先でニヤニヤしながらこっちを見ている。イヤな連中に見つかった。僕は跳ねる心臓を押さえ、少々息苦しくなりながら、彼等を無視して自宅に入ろうとした。その時――
ガスッ! ゴッ! ガッ!
僕の頭を目がけて、ヤンキーたちが一斉に石を投げつけてきた。平気で握り拳くらいある石をぶつけてくるのは、僕がその程度では死なないことを知ってるから――つまり、僕が人外だからだ。だからって、そんな石をぶつけられれば人並みにクソ痛い。
「うぎゃッ」
けっこう大きいのが眉間にクリーンヒット。僕は目眩をおこして倒れそうになった。クソヤンキー共がどっと沸く。こいつらに会いたくないから、わざわざ遠くの高校に進学したっていうのに……。痛みで頭に手をやると、ぬっとりとした感触。僕だって人と同じ赤い血が流れているんだ。輸血だって出来る。何が違うってんだ。クソ……
「ンなろォォ!」
足元がおぼつかない僕を支え、みなもが吠えた。僕を後に押しやると両手のメリケンサックをギィン、と鳴らした。マズい。みなもを前に出しちゃいけない。これ以上みなもを傷物にしては――
「ウホッ、メスゴリラ来た!」
ヤンキー共はゲラゲラ笑いながらドラミングをすると、次の瞬間また石の雨を降らせ始めた。そもそも向かいの敷地の駐車場が舗装じゃなくて砂利のままなのがいけないんだ。いくらでも給弾出来る。クソッタレめ!
「みなもダメだ!」僕は自分の血で半分視界を奪われながら、みなもの腕を掴んで引き寄せて覆い被さった。背中には容赦なく尖った石つぶてが叩きつけられる。こんなのを女の子にぶつけるなんて、全く冗談じゃない。僕はいい。たいがいの傷はすぐ治る。でもみなもは普通の人間なんだ。小さい頃から僕をかばって受けた傷が、いまでも消えずに全身に残っている。これ以上みなもの傷を増やしてたまるか。
僕の腕の中で、みなもがギャーギャーわめきながら暴れている。殺すだとか、叩きのめすとか物騒なことを言っている。僕がクラクラしながらみなもを押さえつけてる中、バカ共はさらにヒートアップしてガンガン石を投げてくる。もう連中が何を言ってるのかよくわからない。ひざから崩れそうになった時、
「南方さーん、お荷物です!」それは、いつもここいらで配達している“猫のマークでお馴染み”の宅配業者のお兄さんが放った、やたら威勢のいい声だった。
ヤンキー共は、やべッ、と口々に言うと、バタバタと下品な足音を立てて走り去っていった。ゆっくりと振り返った僕の目に飛び込んできたのは、オレンジ色に染まった夕日とお兄さんの抱えた『電子レンジでも入ってんのか?』ってぐらい大きなスチロール箱だった。しかも、ホワホワと白い冷気をまとっている。みなもも不思議そうに箱を見ている。
「大丈夫か、威君。顔が血塗れだぞ」と言うと、お兄さんは箱を下に置き、腰からぶら下げたタオルで僕の額を拭いてくれた。顔なじみでガタイのいい彼は難波さんという。
結局僕の家でみなもとイチャつく計画はお流れになり、僕らは橘家の玄関に入った。