三章 3
先に食事を済ませていた難波さんは、食堂のテレビの前のイスにひっくり返って、僕らの食事が終わるのを待っていた。年はそういってないハズだけど、えらくおっさん臭い。
僕も食べ終わって、みなもが食べ終わるのをテレビを遠巻きに見ながらぼーっと待っていると、上の方から頭の悪そうな声が降ってきた。
どうやら「朝から目障りだからイチャつくんじゃねぇ」という内容に聞こえた。
声のする方に振り向くと海兵のお兄さんたちが四、五人で僕を睨んでいた。
みなもが口をもぐもぐさせながら、メリケンサックを装備しはじめた。みなもは僕の外敵には一分の容赦もない。危険が近づくと直ちに臨戦態勢に入るんだ。
凶暴な幼馴染みが覚醒する前に、僕が意を決して立ち上がろうとしたその時――
「おやめなさい、いい大人がみっともないと思わないの!」
凜とした女性の声が食堂内に響いた。
脳筋たちを一喝したのは、どこからどう見ても、まごう事なき超美人女医さんだった。年の頃は多分二十代後半から三十代前半、すごく頭の良さそうな、それでいて決して冷たいカンジはなく、切れ長の吸い込まれそうな目、ぷっくりとした唇、そして豊満なお胸とすらっとした長身を白衣で包み、場違いなほど妖艶な、深い紫色のゆるいウェーブヘアを肩まで垂らしていた。僕の知る限り綺麗どころの多いこの基地でもナンバー1の美貌。いろんな意味でパーフェクトな女医さんだった。
「なんだよ、……医者か。俺達はそこのガキ共に用があるんだ。ババアは引っ込んでろ」DQNの中の、さらにその中でも頭の一番悪そうな奴が、眉間に血管を浮かび上がらせながら言った。いやー、ババアはマズイんじゃないの? 先生マジギレしちゃうぞ?
「ふん、どこのおバカさんたちかと思えば昨日着いた呉の訓練生たちね。ああ、イヤだわイヤだわあ、脳筋のクセにクズみたいなエリート意識振り回して子供に当たるなんて……」
女医さんは、まるで氷の女王の如く、百%完全に虫ケラを見るような凍り付いた眼差しで実習生たちを見下すと、千%上から目線で吐き捨てた。
(カ、カッコイイ!)
「んだとコラァッ!」DQNたちが吠える。
「お黙りなさい! あなたたちに、国の宝たるこの子を愚弄する資格はないわ。それとも何? 労せず士官になった彼に嫉妬でもしてるの? それともただの人外差別かしら? ……それこそ皇国士官に相応しくない感情ね、見苦しい。下がりなさい!」
なんだかんだ言ってマイノリティである神族の僕に、ここまで言ってくれる人は初めてだった。辛かった日々が走馬燈のように脳裏をよぎり、思わず涙ぐんでしまいそうだった。
「その辺にしておけ。南方少尉への侮辱行為は当ニライカナイ基地全体への侮辱行為に値する。これ以上続けるなら貴官らの上官に報告せねばならんが……」
難波さんも参戦し、女医さんの隣で腕組みをしながら言った。普段良く通る声は、低く太く、威圧感を伴った声音に変わっていた。
みなもは相変わらず薄衣の下でメリケンを打ち鳴らしている。こいつの方がDQNより肝が据わってるってことだ。僕的にはすごく恥ずかしいことだけど、伊達に長年僕の盾になって、体中に傷跡を作っていない。
「よく覚えておきなさい。この子は護国の神であると同時に、『出雲』が国に差し出した哀れな生け贄、数百万の同志の命を背負った人身御供なのよ。数打ちで替えのきくあなたたちとはね、土台、価値が違うの。分かったらこの子達に二度と近寄らないことね」
先生が微妙に引っかかる言い回しで、DQNたちを怒鳴りつけた。
人身御供というのは、僕ら軍神が軍に協力することで、日本政府が人外の市民権を保障するっていう取引のことを揶揄している。だから僕も兄貴も、こうするしかなかったんだ。
「失礼致しました!」
DQNたちは一斉に敬礼すると、慌てて食堂から出て行った。
「ほら、メシ食っちゃえよ、お嬢」
難波さんはそう言って、テレビの前に戻っていった。
「朝から騒々しくてごめんなさいね、南方少尉。私はこの基地の軍医中尉、光明寺由佳利子よ。よろしくね」
そう言って、女医さんがにっこり笑って僕に手を差し出した。
僕は慌ててイスから立ち上がり先生と握手をした。彼女の手は、ひび割れてガサついていた。僕は「良い医者は手が荒れている」と以前兄貴が言ってたのを思い出した。
光明寺先生は、またねと言って、僕とみなもに手を振って颯爽と食堂から出ていった。
僕はいつものように、みなもの口元についたマヨをナプキンで拭いてやり、服の襟元を直してやると、二人分の食器を片付けて、僕らを待っている難波さんに声をかけに行った。