ベテラン冒険者のゼルフィーさん
ウォルト家代々の家訓が、実は勘違いで始まった事を知った三日目の朝。
俺とノウェムは冒険者ギルドの三階で、指導員となる女性冒険者と顔合わせを行なっていた。
ホーキンスさんが連れてきてくれた冒険者の名前は【ゼルフィー】さんだ。
癖のあるショートの紫色の髪が特徴的で、ラフな恰好で会議室に現われた。肌の露出している部分からは、傷の跡が見える。
目つきも鋭く、実力のある冒険者としての雰囲気が出ていた。
「ゼルフィーさん、こちらが紹介した新米冒険者のお二人です」
「よろしくお願いします」
「よ、よろしく」
挨拶をすると、ゼルフィーさんが俺たち二人を見て何度か頷いていた。
「……新人が私を雇うと聞いて冗談かと思ったけど、どこぞの貴族様ってところか」
そう言われて、俺は少し驚いた。
今日の担当は三代目だったのだが、少し驚いている感じだ。
『女性だと思って舐めたら駄目なタイプだね。というか、最近は女性冒険者も多いのかな? これも時代の流れなんだろうね……それにしても、妙な感じだね』
(妙な?)
三代目の言葉に、俺は首をかしげそうになったがとどまった。
ただ、ホーキンスさんがそれに注意をする。
「ゼルフィーさん、相手の素性を深く聞くのは……」
「分かっている、っての。ホーキンスの旦那には迷惑はかけないよ。ただ、こちらとしても教えるにはいくつかのルールを設けさせて貰うよ。貴族の子弟ならなおのことだ。半端な事はできないからね。ソレが嫌なら指導員役は降りるよ。責任が持てないし」
俺はノウェムを見る。
すると、頷いていたのでルールを聞く事にした。
「分かりました。無理な事でなければ」
「そうかい。なら一つ目は、私の指導方法に文句は言わない事。言う事を聞けって意味ね。二つ目は、三ヶ月で基礎を叩き込むんだ。仕事の好き嫌いは言わない事。三つ目は――」
ここまでは普通だった。そして、俺たちは三つ目のルールが何を言われるのか待つ。
「三つ目は最低でも後一人は仲間を増やしな。臨時でもいいから、最低でも三人で仕事が出来るようにするんだ」
ゼルフィーさんのルールに、俺たちは顔を見合わせる。
すると、ホーキンスさんも同じような意見だった。
「確かに。三人であればこちらも仕事を依頼しやすいですね」
俺は仲間の事を考えていなかった。基礎を学べば、その後にでも仲間を募集すればいいと思っていたからだ。
『ふむ、この人なりに考えがあるんだろうね。冒険者に関しては僕たちも素人だし、ここは従って置いた方が良いね』
三代目の意見だから、ではないが、俺はその三つの条件に従う事にした。
「条件は分かりました。俺たちに異存はありません」
そう言うと、ゼルフィーさんは笑顔になる。
威圧的な表情より、笑っている方が魅力的な女性だった。
「よし! それならこの依頼は引き受けるよ。というか、新人が私を雇うとか聞いて少し驚いたけど、以外と素直じゃない」
ノウェムが、ゼルフィーさんに尋ねる。
「そこまで珍しい事でしょうか?」
「普通とは違うね。基本はみんな金がないから、最初は地道に貯めて私らみたいな中堅どころの指導員を雇うんだ。一人で金貨二枚から三枚を出し合ってギルドに依頼する。上昇志向があれば、大体は依頼するね」
ゼルフィーさんの意見に、ホーキンスさんが補足する。
「ここは割と仕事が多く、新米冒険者には仕事のしやすい場所ですからね。こうした指導員制度を、ダリオンの冒険者ギルドでは採用しているんです」
「ある程度まで行くと、伸び悩んで無理をする連中が多いからね。最初は基礎を下位の冒険者から学んで、次は私らみたいな中堅から指導を受けるんだ」
こういった制度があるのは、ダリオンを含めて少ない支部だけであるそうだ。
新人育成に力を知れている支部だとも言える。
「まぁ、普通とは違いますけど、ゼルフィーさんは冒険者になって十二年目のベテランです。経験も豊富ですし、素行も問題ありません。是非とも手本にしてください……言葉遣い以外は」
ホーキンスさんが言うと、ゼルフィーさんが文句を言う。
「まだ二十代なんだよ! ベテランとか言うのは止めてよね、旦那!」
「さぁ、今日はこの部屋で今後の予定を決めてください。冒険者として必要な知識、経験をベテランから学び、そして優秀な冒険者になってくれる事を期待していますよ」
笑顔で部屋から出て行くホーキンスさんを見送り、俺とノウェムはゼルフィーさんに指導して貰う事になった。
ギルドの会議室で、俺とノウェムは冒険者として必要な事をゼルフィーさんに教え込まれる。
「――さて、基本は一通り教えたが、大事なのは仲間だ。これを理解していないと、どんな優秀な奴でも失敗するから気をつけな」
基本的な事とは、ギルドで依頼を受ける方法、そして魔物などをギルドに持ち込んだ際に気をつける事、だ。
依頼を引き受けたら、達成できないとギルドカードに記録される。そうして、個人やパーティーの依頼達成率や、問題行動が書き込まれていくというのだ。
普段の恰好にも気をつけろ。
出来ない事はしない。
冒険者は冒険をしてはいけない。
そういった事を教えられた。
そして、最後にと、仲間の重要性を教え始める。
「単純に数は力になる。ならず者連中が集まるのは、それ自体が単純に強くなれるからだ。それを理解しておきな」
すると、ノウェムが質問した。
「あの……数はともかく、質は気にしないのですか?」
ゼルフィーさんは首を横に振る。
「質もどこを重要視するかによるね。強いけど問題行動の多い奴を仲間にしたいかい?」
俺はそれには賛同できないので、否定する。
「したくないです」
だが、宝玉からは三代目が――。
『物だって人だって使い用だけどね』
(ちょっと黒いよこの人……)
「だろ? 多少は強さに問題があっても、依頼の内容によっては誠実な人間の方が良かったりするもんさ」
ゼルフィーさんは、自分たちがどこを目指すかにもよる、と付け加える。
「外で魔物を倒してそれを売る。依頼を受けてそれを達成する。迷宮に潜って財宝を求める。それらは冒険者の仕事だけど、全部をできる個人もパーティーもなかなかいないよ。自分たちがどうやって稼いでいくのかをしっかり考えて、それに必要な仲間を探しな」
自分たちがどこを目指し、そして何が足りないのかを知るのも重要だと付け加えた。
必要な技能があったとして、それを身につけるのに時間がかかる場合は、人を雇うなり技能を持つ人間を仲間にしろとも言われる。
「人間、一人でできる事には限界があるんだ。一流を目指すのもいいが、その辺を勘違いするといつか大きな失敗をするよ」
ゼルフィーさんの教えを受けて、俺もノウェムも頷く。
「よし! だったら今度は仕事の話をしよう。もっとも、こういうのは体験するのが一番手っ取り早い」
そう言って、用意していた書類を俺たちの前に出してきた。
「あの……ゼルフィーさん?」
ノウェムが困っている。
というか、俺も困っている。
「どうしたんだい?」
笑顔のゼルフィーさんに、ノウェムが言う。
「この依頼書には、街の『溝掃除』と書かれているんですけど……」
「うん、そう! こういった依頼は受けない奴は一生受けないから、今の内に経験させておこうと思ってね」
笑顔のゼルフィーさんだが、ニヤリとしながら呟く。
「まさか、いきなり私の決めたルールをやぶったりしないよね? 冒険者は信用も大事だよ」
俺とノウェムは、冒険者としての初仕事が溝掃除に決まったのだった。
宝玉内の会議室。
眠ってみれば、六代目と七代目が中心となって俺の初仕事に反対している。
『だ、か、ら! ライエルに溝掃除なんかさせられない、って言っているんですよ! あのね、元はついてもウォルト家の跡取りよ? というか、五代目もこいつら説得してくださいよ』
ワイルド風貌な六代目だが、後の評価は腹黒などとあまり良いイメージではない。
祖父である七代目も、それに同意する。
『お前ら、ライエルにそんな事をさせて平気なのか!』
しかし、初代をはじめ、四代目までは興味がなさそうだ。というよりも……。
『別に? ノウェムちゃんが汚れないなら問題ないし』
初代の気になっているポイントは、ノウェムが溝掃除で汚れるか汚れないか、である。俺も男である。
流石に酷く汚れるとあって、ノウェムには間接的な手伝いを頼む事にした。ゼルフィーさんも、女性を気遣える男は高評価だと言っていた。
もちろん、ご先祖様たちの意見である。
『まぁ、ライエルはこれを機に少しは世間を勉強させた方が良いよね、実際。あのゼルフィーとかいう冒険者は当たりだと思うよ』
二代目は、ゼルフィーさんを評価している。
しかし、六代目は違う。
『元はついても貴族だって言ってるだろうが! お前らと違って、ライエルは本物なの! 本物の貴族なんだよ!』
興奮する六代目に、三代目が言う。
『偽物扱いは酷いよ~。でも、その本物と偽物の違いは何?』
四代目も同じだ。
五代目だけが、興味なさそうにしている。というか、五代目は基本的に何事に対しても今のところは中立の立場だ。
七代目は、俺の出生を話し始める。
『ライエルは、わしの妻である侯爵家の血を引いているんだよ! いいか、簡単に言うとセントラス王国以前から続く、王家の血を引いた子なんだ!』
『……それはまたとんでもない爆弾を抱えたね』
三代目が爆弾と称した血筋――。
「え? そんなの初耳ですよ」
俺ですら知らない事実に、その場が少しだけ騒然となる。
三代目は、俺を見ながら六代目に確認を取る。
『……当事者のライエルも知らないみたいだけど?』
そう言われ、俺も頷いた。
「そんな話は父から聞いてないです」
もっとも、十歳からは冷遇されている。大事な話を引き継いでいないだけかも知れない。
『表に出せない事実だってあるんだよ! 俺たちの時代は、復権をもくろんだ旧王族たちが腐敗政治につけ込んで内乱を起こしたんです!』
三代目は他国との戦争に参加し、そして戦死している。
だが、それ以降も小競り合いでウォルト家の当主は戦場に出ていた。
中でも、六代目と七代目は小競り合いと内乱騒ぎ、加えて他国との戦争に参加している世代である。
現在は落ち着いているが、父も若い時に戦争に参加していたという話を聞いた。
七代目が、俺の祖母について説明する。
『旧王族――セントラス王家の血は、もちろんですが今の王家にも引き継がれています。ただ、表だって引き入れるわけにもいかなかった。何しろ、生き残った一族は、内乱を引き起こした【アグリッサ】の子孫です』
アグリッサ――初代が言っていた、セントラス王国最後の王妃であり、傾国の美女である。
「え? お婆さま……【ゼノア】お婆さまはそうなると……」
悪女、傾国の美女と言われるだけあり、王の寵愛を独り占めした人物だ。つまり、アグリッサの子孫イコール、旧王家の直系である。
『うわぁ……益々セレスが怪物である事が自然に思えるな』
初代が感想を言うと、二代目はそれに呆れる。
『まだ言ってるのかよ』
七代目が説明を続ける。
『バンセイムは王家とは遠縁ですが、今残っている高貴なる血は限られております。その一人がライエルです……理解できましたか?』
旧王家を根絶やしに出来なかった理由を、六代目が説明する。
表向き、内乱が成功して全員が粛正された流れだったはずだ。生き残っていたのは、王家から追放された一族がいただけと聞いていた。
「あの、俺は旧王家の生き残りは、遠縁だったと教えられているんですが? 全員粛正されたと聞いていますよ」
『アホか! 長い歴史で磨き上げてきた王家の血を、そう簡単に潰せるか! 表向きは処分して、生き残りをそれとなく匿ったんだ』
魔法使いが貴族であるのは、その血を魔力のある者同士で繋いできたからだ。魔力のある人間から、魔法使いまでに昇華してきた。
その結果、王家が誕生している。
滅び、そして生まれ変わっても残されてきた血である。
『わしの世代の王も、何事もなければゼノアをどこかの家の養女にして、王家に迎える手はずだったのだ。だが、腐敗した政治に嫌気が差した親族共が決起して……その後は他国にまでつけ込まれた!』
そこからは、七代目が苦労話を始める。
全員がそれを聞いていた――いや、聞き流していた。俺も何度となく聞いているので、放置して他の先祖と会話をする。
「なんの話でしたっけ?」
四代目は、眼鏡を人差し指で押し上げ、位置を直しながら言う。
『溝掃除だよ。しかし、溝掃除から随分と壮大な話になったね。というか、ウォルト家に王家の血が入るなんて驚きだよ』
三代目も同意していた。
『まったくだね。なのに、どうしてライエルはこんなにも魔力が少ないんだろうね?』
「あんたたちが騒ぐからだよ! 言っとくけど、これでも同年代なら多い方ですから! なのに、宝玉にバンバン魔力を取られて……」
そうして話が脱線すると、溜息を吐いた五代目が会話に参加する。
周囲の反応に呆れているようだ。
『溝掃除でそこまで熱くなるなよ』
『し、しかしですね、五代目』
父であるためか、六代目も五代目には強く出られない。初代と二代目の関係とは、まるで真逆のようだ。
『王家の血だろうが、今は家を追い出されて冒険者になったんだ。冒険者の指導員? が、ライエルに溝掃除をさせたいなら、それでいいだろ? むしろ、犯罪をやれと言われていないんだから文句ないし』
七代目が反論する。
『で、ですが、ライエルの立場が――』
『その立場が今は冒険者だって言っているの。良い経験だよ。ライエルにとってプラスになるし、マイナスにはならないからね』
それを聞いて、初代たちも頷いている。
ただ、二代目は少し状況の変化について行けないようだ。
『子孫が王家の血を引いているとか、想像もしなかったぞ。というか、この蛮族から王家の血を引く子孫が……』
『なんだ?』
獣の毛皮を着込んだ蛮族に、二代目は視線を向けると頭を横に振るのだった。
そして、四代目が会議終了を宣言する。
『では、ライエルの溝掃除はこのまま決行するという事で』
(なんで溝掃除がここまで大げさな話になったんだろう?)
納得できない六代目、七代目が愚痴をこぼしていた。
『俺たちがどれだけ苦労したと……』
『ゼノア、すまない……』
他は、興味なさそうだ。それよりも、自分たちの血筋に王家の血が入った事の方が重要らしい。
次の日。
俺は、朝からダリオンの溝掃除をしている。
ハッキリ言って汚い。ゴミは投げ込まれているし、酷いときは糞尿まで――。
「こ、これはきつい……」
布を口元に巻いて、ゴム製の作業着に身を包んでいる。
「ライエル様、もうお昼です。私が代わりますから」
「……気持ちだけでいいから」
ノウェムが俺を心配し、仕事を代わると言ってくる。しかし、こんな作業をノウェムにさせる訳にもいかない。
それよりも、問題がある――。
『へいへい! それでも王家の血が入ってるのか! もっと腰を入れて作業しろよ!』
やたら元気の良い初代が騒いでいる。
『ウォルト家に王家の血か……伯爵家になっただけでも雲の上の話なのに……』
ブツブツと言って考え込む二代目。
『というか、七代目にそのゼノアって、子が嫁いできた理由は何? 必然性がない気がするんだけど?』
三代目は、どうやら王家の血が入った経緯を知りたいらしい。
『あ、それは俺も思った。今の王家に嫁げば良いだろうに。無理に手を広げてもろくな事にならないと思うけどね』
四代目も俺には興味がないようだ。四人とも、ノウェムが仕事で汚れなければ問題ないらしい。
『あんたらの時とは事情が違いますよ。規模が大きくなれば、嫌でも厄介ごとは舞い込んでくるからね』
どこか達観している五代目に、六代目も同意する。
『政治腐敗が酷かったんですよ。それなりの権力を持たないで引きこもれば、理由を付けて討伐対象にされてもおかしくなかった時代ですからね』
周囲の状況に、相当苦労した時代だったのか、六代目は愚痴る。
『ライエルの子か孫を王家に嫁がせる、もしくは王家の娘を迎えて侯爵に陞爵し、周囲が手を出せないようにする手はずだったのに……』
七代目には、そういった思惑もあったようだ。
というか、ゼノアお婆さまは、ウォルト家の家訓をクリアしていた人物でもある。
内乱騒ぎで処分されそうなところを、七代目が引き取って有耶無耶にしていたらしい。
そう思うと、辺境も便利ではあるのだろう。
(それはそうと……お前ら、あんまり騒ぐなよ!)
息が荒くなってきた。
体力的には問題ないが、精神的に疲労が目立つ。
それというのも、宝玉に魔力を奪われ続けているからだ!
指導員であるゼルフィーさんが、俺を見て少し呆れている。
「思ったより体力ないわね。そんな事だと、外に出て魔物退治なんかまだ先になるわよ。しばらくはこの手の依頼をこなしつつ、トレーニングでもしようか」
「え、いや……できれば、すぐにでも外に行って魔物退治を……」
ゼルフィーさんの意見に反対するが、ノウェムは賛成のようだ。
「そうですね。無理はいけませんし、何よりもライエル様の安全が第一です。こういった仕事も経験ですし、私も頑張りますから」
ノウェムが参加を表明すると、宝玉の連中が騒ぎ出す。
『止めて! ノウェムちゃんはそんな事をしなくて良いから!』
『ライエル、ほら、頑張って! ノウェムちゃんが心配するから!』
『流石は姉さんの子孫だ。出来ているよね。でも、流石にこの手の仕事はさせられないよね』
『根性見せろ! 女の子の前では、無理をするのが男だろうが!』
初代、二代目、三代目、四代目――。
(お、お前らが騒ぐから……)
だが、ここでは終わらない。
『まださせる気か! もう十分だろうが! こんなことを続けさせて何の意味がある!』
『落ち着けよ。安全なんだから逆に歓迎すべきだぞ』
六代目を五代目が制している。
『どうしてこんな事に……やはり馬鹿息子を殴っておくべきだ! それから、お前らあんまり騒ぐな! ライエルが辛そうだろうが!』
七代目も興奮しているようだ。
俺のために怒ってくれる事は嬉しい。だが、同時に言わせて欲しい。
(頼むから静かにしてくれ!!)
ただの溝掃除が、ご先祖様たちのせいで難易度が上がってしまっていた。