リアーヌ・ファンバイユ
セントラルにある少し古びた屋敷に、俺はノウェムとモニカを連れて訪れていた。
相手の指定した時間は、三時頃。
少し前に到着した俺たちは、先にお茶を飲んで待っていた。
応接間では、俺やノウェムに突き刺さる視線が痛い。
何しろ――。
(スキルで確認したら、騎士やら兵士、それに使用人まで赤……これは酷いな)
お茶やお菓子に毒物が入っていないのは、モニカが確認している。
自慢気にいつもより少しだけ胸を張っており、大きな胸が強調されていた。
部屋で俺たちを監視している騎士が、一瞬だけ赤から黄色に表示が変わった以外は特にこれといった変化はない。
(モニカが毒物の有無を確認出来るのはありがたいけど、メイドを連れて訪問とか……ただでさえ怒らせているのに)
俺は、リアーヌ・ファンバイユに面会を希望する手紙を出した次の日のことを思い出す。
それは、数日前の出来事になる。
宝玉内。
ご先祖様たちと円卓を囲む俺は、頬を引きつらせていた。
「そういうのは、もっと早くに言って貰えませんか」
呆れると言うよりも、ウォルト家――特に六代目と七代目がファンバイユと大きな関係を持っていたのだ。
ただでさえ、セレスによって婚約が破棄されている。
同じウォルト家の人間として、本当に申し訳ないので謝罪したいという気持ちもあった。
既に実家とは関係ない身だ。しかし、それを口実に話が聞ければと思ったのである。
だが、蓋を開ければ、セレスだけではないウォルト家とファンバイユ王家の関係が六代目によって語られた。
『いや、あの時はしょうがないというか……俺が参加した時は、こちらの領地にまで攻め込んできていたから』
言い訳をする六代目を、七代目がフォローする。
『わしの時には向こうが一方的に条約を破棄して攻め込んできた。だが、まぁ……腐敗したバンセイムの横暴な態度に激怒しても仕方のないところはあったな、うん』
甘く見ていた。
ご先祖様たちが、以前にファンバイユ王家と戦場で出会っている、くらいにしか考えなかったのだ。
六代目の時代、ウォルト家は子爵家でありながら周辺を武力によって従えていた。
五代目が行なった多くの政略結婚により、家臣団が整ったので今まで苦しめられてきた周囲に攻め込んだのである。
広がる領地。
そして発展するバイス領――。
当時の王宮は腐敗しており、ウォルト家に他家が攻め込んでも放置をしていた。
賄賂で黙らせていたようだ。
だから、六代目も同じように黙らせて周囲の家を潰していったらしい。
まるで戦国時代である。
混乱するのは国内ばかりではない。
そういった状況が各地で起きており、国境を接していたファンバイユにもバンセイムの貴族たちが攻め込んだのだ。
(そりゃ怒るよ。というか、バンセイム王国が酷いんだが? 聞いていた以上にろくでもない国だな)
読んできた本には、バンセイムはいかにも正義として書かれていた。
だが、蓋を開ければ正義などどこにもない。
「周辺を支配したウォルト家が、国境に援軍として派遣されてファンバイユ王国の軍と戦ったのが六代目。それから数十年後に、領地を取り戻そうと攻め込んできたファンバイユ王国を返り討ちにしたのが七代目だと」
七代目は笑顔で。
『領地も奪って広げたぞ』
「そんなの聞いてない! どうするんですか! そんなところに『今度は妹が迷惑をかけましたね、ごめんね!』なんて言いに行くんですか! 殺されても仕方ないじゃない!」
ファンバイユにとって、ウォルト家は憎い敵だろう。
何しろ。
『いや、俺は王宮の命令でファンバイユとの戦に参加しただけだぞ。確かに要所を押さえたが、その後の交渉は王宮側に押しつけた。今まで好き勝手にしてきた周辺領主を潰したのを、それでチャラにして貰ったんだぞ』
六代目の言い訳を聞いて、五代目が言うのだ。
『……やりすぎだ、馬鹿が』
呆れかえっているのは、五代目だけではない。
四代目も首を横に振っていた。
『領地を手に入れたとしても、今度は管理する義務もあるんだけど? やたらと広げてどうしたのさ』
六代目は。
『フォクスズ家の陞爵を手伝い、男爵家にしましたよ。ファンバイユとの戦でも頑張って貰いましたし。というか、こちらに略奪をしかけてくる連中ですからね……放置するよりは、こちらで管理した方がいいかと』
七代目は。
『フォクスズ家は、その後も寄子のような関係は続いておりましたね。わしの戦の時も頑張って貰いました』
俺は呼吸を整えてから聞くのだ。
「向こうは六代目と七代目のことを覚えているんでしょうか? バンセイムの領主の一人、程度の認識しか持っていないんですよね? そうだと言えよ!」
そうあって欲しいと願っていると、六代目が申し訳なさそうに言うのだ。
『すまん……ウォルト家主導でボコボコにした。かなりの完勝だったから、記録にも残っているだろうな』
七代目は。
『領地を奪い返して喜んでいるファンバイユに、ウォルト家中心で攻め込んでボコボコにした。六代目の時もあったからな、ウォルト家と聞いてかなり悔しそうな顔をしていたぞ』
「そういう事はもっと早くに言えや! セレスが婚約者奪って、ご先祖様たちが過去にボコボコにしたとか……どうするんだよ!」
四代目が、混乱するその場を治める。
『まぁ、王太子の話を聞けるし、会えるなら会おうか。嫌なら断ってくるだろうから』
三代目ものんきに。
『だよね。今更、追い出されたウォルト家の息子です、とか言っても一国の王女殿下が会う訳がないよ!』
ゲラゲラ笑っており、周囲も同じような意見だった。
「くそっ……何が会えない、だ。胃が痛い」
周囲の敵意のこもった視線に、俺の胃はキリキリとしている。
手紙を出した後に、相手側から日時を指定した手紙が届いたのだ。
その日から、俺はなんと言って謝罪すれば良いのか悩んでいた。
「大丈夫ですか、ライエル様?」
心配そうにするノウェムに、モニカは俺の飲んでいた紅茶を覗き込む。
「毒物は入っていませんが?」
モニカの言葉に、もう少しだけ場所を考えろと言おうとすると女性が入ってくる。
笑顔だが、紫色の瞳は笑っていない。
ハイライトの消えたような感じだ。
そして、濃いピンク色の髪は、ポニーテールになっており腰まで届く長さだった。
年齢は、俺と同じか少し下だろう。
「毒物など入れておりませんよ。それが例え……ファンバイユ王国の宿敵であるウォルト家とその犬であるフォクスズ家の者であろうと」
(地味にフォクスズ家も怒りを買っているな)
ノウェムを見ると、表情に変化はなかった。俺以上に肝が据わっている。
宝玉から声が聞こえる。
三代目から順番に。
『恨まれているね』
『相当根が深いような』
『まぁ、最低でも向こうには大きな借りが三回はあると思われているだろうからな』
『……命令を出したのはバンセイム王家だというのに』
『まったくですな』
六代目と七代目が言い訳をするが、俺は立ち上がって挨拶をする。
ノウェムもモニカも同様だ。
「失礼しました。謝罪させて頂きます」
胃がキリキリしていると、リアーヌ王女殿下が俺たちの前に座る。
メイドが出した紅茶を一口飲むと、俺たちに座るように言うのだ。
「話がしたいとありましたね? 実家を追い出された者が、婚約を破棄された私を笑いにでも来たのですか? 本当に……ウォルト家はファンバイユ王国の疫病神ですね」
クスクスと笑っている王女殿下だが、顔色が悪かった。
あまり眠っていないのか、薄らと目の下に隈ができている。それを化粧で隠しているのだろうが、分かってしまう。
「……実家を追い出された身ですが、妹の件については謝罪させて頂きます」
「謝罪されたとして、貴方が何かしてくれるのですか? なんの力もない貴方が、私に接触した理由はなんです」
王女殿下は、俺の謝罪など意味がないと切り捨てる。確かに意味などない。
俺は自分の用件を告げる。
「では聞かせて頂きたい。セントラルがここ最近おかしいと耳にしました。王女殿下から見て、そう思われたことはありますか?」
「えらく大雑把な言い方ですね」
紅茶を飲む王女殿下は、溜息吐くと天井を見上げた。
「五年か、六年か……その頃でしょうか。バンセイムが徐々におかしくなっている気がしました」
それを聞いて、俺はセレスがおかしくなった時期とかぶっているのを思い出した。
(もうすぐ六年目になる。そうなると、その頃から国がおかしくなったのか?)
初代はセレスを怪物と言った。
周囲の環境すら変えてしまう、と。
「最初はセントラルでしたね。憎いあの女が、セントラルで社交界デビューをしたかと思えば、各地でパーティーに引っ張られていましたよ。そう言えば、貴方は見たことがありませんね。バンセイムを代表するようなウォルト家の長男だったのでしょう?」
俺を挑発するようにニヤニヤとした笑みで見る王女殿下。
手が震えていた。
セレスの名前を聞き、俺が閉じ込められている間に動き回っていたのを知り……怖くなっていた。
両親に疎まれ、家臣に蔑まれ、軟禁状態の暮らしが頭をよぎる。
俺の震える手に、ノウェムが優しく手を置くと震えが収まる。
ノウェムを見ると、軽く笑顔で頷いてくれた。
俺はホッとすると、王女殿下を見る。
俺とノウェムの行動を見て、つまらなくなったのか紅茶を飲んでいた。
「……セントラル以外でもおかしくなっているのですか?」
ノウェムの質問に、王女殿下は頷いた。
「そうよ。実家からセントラルまで移動する際には、宿泊する場所もあるわ。最初は違和感だったかしら? 段々と私という存在が疎まれていくのを感じていたのも事実だけど、それ以外に何か……言葉では言い表せない不安もあったのよ。ルーファスも徐々に変わっていったし」
徐々に変わっていく環境に、この人も悩まされたのだと思うと同情してしまう。
「……俺もですよ。もう六年近く前から、跡取りとして見られないようになりました」
王女殿下は俯いていたが、カップを持つ手が少し震えた。
「そう」
それだけ言うと紅茶を飲み干し、王女殿下は俺を真剣な表情で見る。
ハイライト消えたような目に、少しだけ光が戻っていた。
「王宮から追い出されたから、やせ我慢で言うつもりはないの。けど、私は王宮で寝泊まりしないで良かったと思っているわ」
モニカは微動だにせず俺の近くに立っている。
ノウェムも真剣な表情で王女殿下の話を聞いていた。
「理由を聞いても?」
「分かっているんじゃないの? セレスという娘……相当な化け物よ。ファンバイユの王宮にいる化け物共が可愛く見えるわ。化け物と思えるような人間は王宮に行けば、どこにでもゴロゴロしている。けれど、あの娘は別よ。何しろ、私が連れてきた騎士や使用人まであの娘の虜になった」
王女殿下は続ける。
「今連れている騎士や兵士、そして使用人は王宮に滞在していた時の面子から総入れ替えをしているの。それに、私もあの娘に何度か会ったわ。虜になるのも無理はない、そう思えた」
セレスに虜になったファンバイユの騎士たちがいるそうだ。
しかも、セレスがウォルト家の娘と知っていても、である。
俺に敵意を向けている騎士たちは、最初はきっとセレスにも敵意を向けただろう。
だが、結果は俺の時と同じ。
「婚約破棄を正式に受けたわ。私は二度とこの地に来ることもないでしょう。同情するから言っておくけど……早く逃げた方が身のためよ。あの娘は絶対に何かするわ。それも国家規模でね」
「婚約破棄された哀れで間抜けな王女の戯れ言だけどね」そう言って、王女殿下は立ち上がるのだった。
俺とノウェムも立ち上がる。
「……多分、この国は荒れるわよ」
そう言って王女殿下は部屋から出て行くのだった。
帰り道、俺はノウェムとモニカと話をする。
暗くなり始めたセントラルでは、酒場から賑やかな声が聞こえていた。
寒くなり、吐く息の白さが増している気がする。
モニカは。
「化け物ですか。私には理解出来ませんね。もっとも、私にとっての敵は貴方ですけどね、ノウェム!」
ビシッとノウェムに指を差すモニカだが、本人は俺に。
「ライエル様、王女殿下と話をして気が済みましたか? いったい、何をお知りになりたいんです」
俺は空を見上げ、そして言うのだ。
「いや、セレスがどれ程の怪物なのかと再認識したかっただけさ」
本当は、俺もご先祖様たちも『怪物』を理解出来ていない。
近くにいた俺だが、セレスの脅威をしっかりと把握していないのだ。
ただ勝つ事の出来ない妹だと思っていた。
しかし、初代が言うようにセレスは国すら動かす怪物である。
ノウェムが少し俯きつつ。
「怪物ですか」
そう言うと、モニカも。
「化け物よりも、怪物……チキン野郎がそういうのなら、私もこれからそう呼びますね」
俺は呆れつつモニカに言う。
「その前にチキン野郎呼びを直せ!」
モニカは断固として。
「嫌です。どうしても嫌なら、空を飛んだチキン野郎に改名します!」
「それを言うなよぉ! せっかく忘れようと努力しているんだからさぁ!」
思い出したくない過去に触れられ、俺はモニカと口喧嘩を始める。
だが、モニカは俺との口喧嘩を楽しんでしまうのだ。
言い負かしても喜ぶ。俺が言い負かされても喜ぶ。
最低である。
ノウェムを見ると、少し悩んでいるように見えた。
「どうした、ノウェム?」
「いえ、なんでもありませんよ、ライエル様」
少しだけいつもとは違う笑みに感じたが、気のせいだと思うことにした。
――セントラルの門。
そこでは、時間外であるはずなのに門が開けられていた。
周囲では中に入りたいと言う者たちを、兵士たちが追い返している。
「頼む、こんな寒い日に外では死んでしまう」
「駄目だ! これから高貴なお方が来る! 時間外だ、さっさと指定された場所に行け!」
普段の倍以上の兵士たちが駆り出され、中には応援に駆けつけた騎士たちもいた。
それだけセントラルが待望んでいる客人たち……。
豪華な馬車を守るように、整列した騎士や兵士たちが配置されている。
堂々と門に近づく集団は、止まることもないままに門を通過していく。
それを見ていた男性は、馬車の紋章を見るのだった。
「ウォルト家……いくら伯爵家でも、門では止まるはずなのに」
男性はウォルト家の後ろからついてくる集団を見た。
「旅人に商人? ウォルト家の後ろをついてきたのか。なら、俺も」
兵士たちを警戒しながら紛れ込む。
「これで中には入れる。だけど、なんか変な集団だな。薄ら笑いを浮かべて……怪我をしているのに楽しそうなのはなんでだ?」
そう思った男性だが。
ウォルト家の集団が通り過ぎると、門が閉められる。
兵士たちはウォルト家の後ろについてきた集団を、中に入れるつもりはないようだ。
「時間外である。明日の朝、また来るんだな」
そう言って閉め出されたボロボロの集団。
男性は言う。
「くそっ! 入れてくれても良いじゃないか! ウォルト家は通しておいて……だから貴族は嫌いなんだ」
すると、男性に声がかかる。
「おい、今なんて言った?」
「あ?」
振り返ると、老人から子供までが男性を見ている。
その視線には敵意があった。
中には棒を持っている怪我で包帯を巻いた男までいた。
「いや、だから貴族は時間外でも通すのはおかしい、って……セントラルの門は、貴族でも時間外は通れない、ってのが普通だろうが!」
すると、男性に石が投げられる。
投げたのは子供のようだ。
「な、何しやがる! ……ッ!」
男性は周囲がおかしいと感じ、逃げだそうと走り出した。
だが、囲まれており逃げ出すことが出来ない。
「や、止めろ。悪かった。謝るから」
男性の泣きそうな声。
しかし、周囲は。
「セレス様を馬鹿にした……」
「ウォルト家を他の貴族と一緒にした」
「私たちの恩人なのに」
男性は周囲の狂気に気が付いた時には、もう遅かった。
「た、助けてくれぇぇぇ!!」
男性の叫び声に、近くにいた兵士たちが駆けつけることはない――。