元婚約者のノウェム
荷馬車の上で、俺は向かい合って座る少女に目を向ける。
チラリと見ると、向こうもこちらを見ていた。目が合って、二人して逸らしてしまう。
「ハハハ、初々しいですね」
行商人の中年男性が、そんな俺たち二人を見て笑う。
【ノウェム・フォクスズ】が、彼女の名前だ。
髪型はサイドポニーで、明るく長い茶髪に似合っている。革製の四角い鞄には、旅行用の荷物が入っているのだろう。
動きやすい服を選んだのか、普段会うときに着ているドレス姿ではない。
底の厚いブーツを履いており、普段よりも背が高くお姉さんに見える。オットリとした表情は、今日に限っては緊張している様子だった。
俺は、行商人に聞こえない程度の声で尋ねる。
「どうして分かった? それに、ついてくるなんて正気か?」
「……迷惑でしたか?」
困った顔になるノウェムは、男爵家の次女である。
もっとも、伯爵家の俺と結婚となれば身分的に釣り合いが取れない。だが、フォクスズ家は代々ウォルト家に仕えてくれている家だ。
そんな実家を持つノウェムとの結婚は、両親が面倒だからと俺が十三歳になる時に決めたものであった。
本来なら、身分にあった家に話を持って行く、あるいは持ってくるので検討するのが普通である。
「違う。俺は家を追い出されたんだぞ。そんな俺についてくるのは、馬鹿のすることだ」
全てを失った俺についてきても、ノウェムにも実家のフォクスズにも何の利益もない。
まっとうな貴族なら、実家の利益を優先するのが普通だ。時に普通ではない連中もいるが、そんな奴らは少数派である。
ただ、その少数派にノウェムが加わっているとは思えなかった。
年齢も一緒なら、幼い頃に何度も顔を会わせている。
互いに遊んだ思い出もあった。
だが、俺が両親から疎まれ始めてからは、あまり会話した記憶がない。両親に褒められたかった俺は、必死に訓練や勉強に打ち込んでいたからだ。
「迷惑だね。これから一人で自由気ままに生きていけると思ったのに」
目の前で酷いことを言えば、帰るかも知れない。そう思って、思ってもいない事を口にしてみた。
ノウェムは夢見がちな少女ではなかったし、何よりもウォルト家の家訓に照らし合わせても間違いなく合格できる嫁候補だった。
「……申し訳ありません。でも、私はライエル様に嫁ぐと決めましたから」
そう言って微笑むノウェムに、俺は告げる。
「俺にはそんな意思はない。冒険者になって、女を侍らせて自由気ままに暮らすんだ。実家を追い出された事も、清々しているよ」
最低な発言だ。これでノウェムも嫌気が差すだろう。
自分でもそう思いながら、俺は下を向く。俺を蔑むノウェムの顔を見たくなかったが、それでは話が進まないと顔を上げた。
(流石に嫌われただろう)
そう思って顔を上げたのだが、ノウェムは微笑んでいた。
「私が勝手に決めた事ですから。嫁がなくとも、お側でお仕えさせて頂きます」
俺は頭を抱えたくなった。
「……フォクスズの家はどうなる? 両親だって悲しむぞ」
俺が実家の話をすると、ノウェムは自信ありげに答えた。
「それは大丈夫です。私は次女ですし、お兄様が実家を継ぎます。姉や妹だっていますから、私一人くらい自由にしてもいいと、両親に送り出されました」
(何を言ってんだよ、フォクスズ夫妻!)
俺は頭が痛くなってくる。
ノウェムは控えに言っても美少女である。オマケに厳しく躾けられ、教養だってあるのだ。黙っていても結婚の申し出があっただろう。
もしかしたら、子爵家にでも嫁ぐ事が出来たかも知れない。
せっかく手に入る幸せがあるのに、俺のためにそれを無駄にするのは勿体ない。
幼い頃から知っているだけに、ノウェムには幸せになって欲しかった。だが、本人の意志は堅そうだ。
(そう言えば、頑固なところが小さい時にもあったな)
「……勝手にしろ」
俺がそっぽを向くと、ノウェムが口元に手を当てて微笑む。
「勝手にさせて貰います」
声が聞こえていたのか、行商人が言う。
「若いっていうのはいいですな。それだけで財産ですよ」
丸聞こえだったようだ。
恥ずかしくなり顔が赤くなる。だが、そんな時に声が聞こえてきた。
『おいおい、随分と愛されてるじゃねーか』
からかうような声が聞こえてきた。俺は周囲を見渡す。
荷馬車の上には俺とノウェムだけだ。行商人は、前で手綱を握っている。荷馬車の周りには同じように職場街を目指す旅人や行商人たちがいるのだが、声が届きそ
うな距離ではなかった。
「ノウェム、声が聞こえたか? なんか、からかうような感じの声だ」
俺の質問に、ノウェムは首を横に振る。
「も、申し訳ありません。……聞こえませんでした」
すまなそうに俺に謝罪するノウェムに、俺は「別に気にしなくていい」と言いながら周囲を見た。
声は男性のもので、それなりにしっかりしている声だった。だが、周囲には男性はいるが、ハッキリ聞こえる距離にはいない。
それに、声は割と身近から聞こえた印象だ。
(幻聴か? まだ疲れているのかな? ……そう言えば、なんだか最近は疲れが取れにくい。まだ怪我の治りが完全じゃないからか?)
どこかで聞いた声だと思いながら、俺は上を見る。荷馬車に張られた布地の屋根を見た後、目を閉じた。
自分で思っている以上に、精神的に追い詰められているのかも知れない。
「大丈夫ですか、ライエル様?」
ノウェムが心配してくると、俺は口を開こうとした。「大丈夫だ」と、言おうとしたところでまた近くで声が聞こえた。
ハッキリと聞き取れるのだが、ノウェムは気にした様子がない。
『この歳で相手がいるとか……羨ましすぎる』
『父さんは苦労したもんね』
座っていた状態だった俺は、腰を上げて周囲を見回した。ノウェムが驚く。
「どうしました、ライエル様!」
だが、周囲の状況は先程と変わりがない。
「……なんでもない」
そう言いながら、俺は思った。
(あれ? 俺って疲れているのか? ……今日はもう寝よう)
その日の内に宿場町についた俺たちは、行商人と相談して明日以降も同行する事にした。
時期的なものなのか、宿場町は賑わっている。
行商人と出発の時間を確認すると、俺とノウェムは宿屋探しで歩き回った。
だが、ここで問題が一つ。
「部屋が一つだけ? 二部屋は無理なのか?」
宿屋の主人に確認を取ると、無理だと即答される。
「この時期は人が多くてね。一人一部屋という訳にはいかないんだ。申し訳ないが、知り合いなら一部屋で我慢してくれないか」
俺は一緒にいるノウェムに振り返る。
ついてきてくれたノウェムだが、女性と同じ部屋というのは俺にとって避けるべき事だった。
そうやって教えられてきただけに、宿場の対応に戸惑う。
しかし、ノウェムは主人に「それで構わない」と言ってお金を払った。銅貨を払い、そして部屋の鍵を受け取っていた。
「お、おい……」
俺がそれでいいのかと言う前に、宿屋の主人は言う。
「部屋は二階の奥だ。部屋の番号は鍵につけた札に書いてあるから。おっと、朝食とお湯はサービスするが、夕食はやってないから荷物を置く前にどこかで食事をしてきた方がいいぜ」
荷物を置く前というのが理解できなかった。
(鍵があるなら、荷物を置いた方が良くないか? 俺はともかく、ノウェムの荷物は旅行鞄だし)
重そうな荷物を持つノウェムだが、宿屋の主人に礼を言う。
「ありがとうございます。鍵はどうしたらいいですか?」
「金を貰っておいて、後から知らん顔はせんよ。預かるから、この札を持っていてくれ。ここに出せば、鍵を渡す」
どうしてこんなやり取りをするのか疑問に思っていたが、ノウェムは俺に外に出ようと言って連れ出した。
宿屋の外に出て、言われた通りに隣にある食堂か酒場か分からない店で食事を取る事になる。
人通りが多く、騒がしい宿場町――。
『……ちょっと待って。こいつって凄いボンボン? 世間知らず過ぎるんだけど』
『伯爵だから! ライエルは次期伯爵だから!』
『まぁ、生まれたときから金持ちなのは確かだね。実際にお坊ちゃんだし』
そういった喧騒に紛れて、またも聞き取りやすい声が聞こえてきた。近くで言われたのも確かなら、俺の名前も聞こえてくる。
「大丈夫ですか、ライエル様? 顔色が悪いですよ」
「だ、大丈夫だ!」
焦って声が大きくなる。ノウェムには聞こえていないらしい。そして、声はまた聞こえてくる。
『というかさ……女の子の荷物は持ってあげようよ。ほとんど手ぶらじゃん。気が利かないなあ』
『伯爵だっけ? その跡取りならこんなものでしょ。気を使われる側だろうし』
「……なんだと」
また聞こえてきた。しかも、俺の近くから声が聞こえてくる。しかも、声はそれぞれ違っている。複数だ。
「ライエル様?」
心配そうにするノウェムに迷惑はかけられないと、俺は声を無視する事にした。だが、確かに女性が重い荷物を持っていて、俺が何も持っていないのは駄目だろう。
「あ、あぁ……ノウェム、重いだろ? 俺が持つよ」
そう言って俺はノウェムの荷物を持った。自分で持つというノウェムから、半ば強引に荷物を取り上げると宿屋の隣にある食堂に入る。
だが、声はまだ聞こえてくる。
『手を握ってエスコートすればいいのに』
店に入ったところで、そんな声が聞こえた。俺が手を出してノウェムの手を握るべきか一瞬考える。
(というか、もう店内だし……今更手を貸しても意味ないよな)
手を出して考え込んでしまったためか、俺はノウェムの前でオロオロしているだけの状態になる。
それを察したのか、ノウェムが俺の手を握ってくれた。
「ライエル様、そこの席が空いているのでそこまでお願いできますか?」
「あ、え……う、うん」
短い距離をエスコートすると、ノウェムは最後にお礼を言ってきた。
「ありがとうございます、ライエル様。えっと……すいません」
そう言って、そのまま店員に注文をするノウェム。品書きから、お勧めを聞いて二人分注文する。
俺は、それでいいかと聞かれ、何が出てくるのかも分からずに肯定するだけだった。そして、また声が聞こえてくる。
『こいつちょっと情けなくない?』
『世間知らずですからね。まぁ、少し頼りないところはありますね』
『これ、相手の子が気は利いているから大丈夫だけど、普通の子なら見捨てられているよね』
俺の評価がどんどん下がる中、俺は思う。
(なんなんだ、この状況は!)
夜。
宿屋に戻った俺は、主人が用意してくれたお湯を受け取っていた。
桶に入ったお湯を使用し、体を拭くのだという。
「風呂はないの?」
そんな俺の疑問に、ノウェムが答える。
「宿場町でも値段によってはあるところもありますが、やはり基本的にお湯を使って体を拭くのが一般的ですね。お風呂がある宿屋でも、大浴場で客が利用できるものがほとんどですよ」
「そうなの? 街には個室でお風呂があるって聞いていたんだけど……」
困った顔をしたノウェムが、桶に入ったお湯にタオルを入れて絞る。そして、俺に服を脱がせ、体を拭いてくれた。
「個室にお風呂がある宿屋は高額なんですよ。一泊で銀貨を取るレベルですから」
「銀貨ならあるんだけど。ノウェムも風呂無しはきついだろ?」
そう言うと、ノウェムが俺に注意してくる。
「駄目ですよ、ライエル様! これからは、お金は大事なんですから。節約できるところは節約していかないと、すぐにお金はなくまってしまいます」
「そ、そうなの?」
俺に注意するノウェムは、背中などを拭き終わると今度は髪を洗う事になった。桶の真上に俺が頭を持って行くと、ノウェムが丁寧に洗ってくれる。
すると、呆れた声が聞こえてきた。
『おい、ボンボン。体を拭き終わったら部屋の外に出ろよ』
「え?」
「どうしました、ライエル様?」
脅すような声が聞こえてきたので、俺は周囲を見る。髪が濡れており、周囲に水がかかった。
『駄目だ、この子……まったく気付いてない』
『別に問題ないと思うけど』
心配するノウェムに、何でもないと言いながら俺は頭を洗って貰うとそのまま服を着た。
着替えが欲しいが、下着以外は換えがない。
「では、次は私が使用しますね。えっと……」
何かを言いたそうにするノウェムに、俺は言う。
「う、うん。外にいるよ。ドアの外にいるから(なんで出て行く必要があるんだ?)」
「申し訳ありません」
そう言って外に出た俺は、廊下にある椅子を見つける。ガタガタと動く椅子に座ると、声は聞こえてこない。
「幻聴なのか? というか、今日はもう……」
座ったところで、段々とまぶたが重くなってきた。俺は、そのまま目を閉じる。体を拭いた事でスッキリしたのか、気分も良かった。
(ちょっとだけ寝よう……)
『起きろ、この野郎!』
怒鳴り声が聞こえ、目を覚ました俺は先程までと違う場所にいた。
「え、あ……あれ?」
しかも、周囲には人がいる。丸い大きなテーブルを囲み、椅子に座っている人物たちが七人も――。
全員が恰好は違う。そして、どこかで見たような顔ぶれだ。どこで見たのか? そう思ったところで、獣の毛皮をベストにして着込んでいる男がいた。
腕は丸太のように太く、髪はボサボサだった。周囲には品の良い感じの男性たちがいる。全員が二十代後半から三十代前半という年頃だ。
俺は、目の前の蛮族に視線を向ける。
「あれ? もしかしてこの声は――」
『そうだよ。俺たちだよ』
そして、その中の一人に見覚えのある男性がいた。記憶の中と違っており、かなり若い。だが、雰囲気は変わっていない。
『ライエル!』
「え? お、お爺様!」
そこには、若返ったお爺様の姿があった。背筋が伸び、体つきも記憶よりしっかりしている。
『こんなに大きくなって……わしは嬉しいぞ、ライエル』
だが、歓迎ムードは祖父だけだ。それ以外に並んだ人物たちは、憤慨しているか、興味がないか、呆れている。
俺を見て、それぞれ評価が違うらしい。
すると、俺の祖父が言う。
『お前らわしの孫に文句あるのか!』
それに返すのは、蛮族スタイルの男だった。
『あるに決まってるだろうが! なんだ、このなよなよした野郎は! 俺の子孫がこんな情けない男とかあり得ないだろう!』
「し、子孫!?」
状況が掴めなかった。そして、祖父がいるのでこれは夢なのではないか? そう思っていると違う人物が声を出す。
『いや、別に問題ないでしょう? というか、今はそんな事より聞きたい事がある。え~と、ライエルだったな。わしがお前の曾爺さんだ』
「……え?」
赤い髪で少しワイルドな男は、しっかりとした身なりをしている。だが、服を少し着崩していた。
そして、俺は実家にある絵を思い出す。歴代の当主を描かせたそれらの絵は、家に飾っていたのだ。数名だけかなり印象が違うが、ほとんど似ていた。
イライラした蛮族スタイルの男が言う。
『察しが悪いな! だ、か、ら、俺たちはお前のご先祖様なんだよ!』
その隣に座る、狩人のような恰好をした男がボソリと呟いた。
『認めたくないだろうけど、こいつが地方貴族であるウォルト家の初代ね。あ、尊敬とかそんなのはしなくていいから』
「……は?」
俺は今、間の抜けた顔をしている事だろう。