第十五章 エピローグ
――ベイム、ギルド東支部の一室。
アデーレ・ベルギは整理された大きな部屋で、並べられた机の上を見ていた。
ヴァルキリーズが軽装という形で五体が支給され、他にはギルドの職員や逃げ出さなかった中堅商人やその部下たちがいた。
マクシムはバンセイムの残りの軍勢と戦うために出陣してしまい、今のアデーレには味方がいない状況だ。
そんなアデーレに無慈悲な現実を突きつけるのは、モニカだった。
「連合軍の盟主様は、これからバンセイム東部に組み込まれた元隣国に入ります。つきましては、ベイムの管理を貴方たちに任せようと思います」
アデーレは、窓の外を見た。崩壊しているベイム。そして避難をしているベイムの住人。更には、細々とした問題……それらを、押しつけられようとしていた。
アデーレが手を上げて発言する。
「どうしました、アデーレ様?」
わざとらしくアデーレ様、などと呼ぶモニカにアデーレは内心で腹立たしかった。
「質問があります。これだけ荒廃したベイムの管理を私たちだけに任せるのですか?」
モニカは無表情で頷く。
「はい。肯定ですね。まったくもってその通りです。何しろ、本隊はバンセイム東部――面倒なのでかつての隣国【ルフェンス】に入りますので。そちらで本格的な準備に入ろうかと思います。あ、大丈夫ですよ。マクシム殿はベイムに残って貰いますから」
ブロア将軍が治めていたルフェンスにライエルたちが入り、そこでバンセイムに対抗する準備をするのは理解出来た。
だが、アデーレは言う。
「……ひ、人手が足りない気がしますが?」
モニカは笑顔で。
「どこも手が足りませんね。まぁ、協力的な人材は揃えたので、後は頑張ってください。アデーレ様の内政手腕には期待していますよ」
親指を突き立てて笑顔を向けるモニカに、アデーレは髪を乱しながら。
「せ、せめてリアーヌさんやノウェムさんを置いていってください! 私一人でベイムが管理出来るわけがないじゃないですか!」
モニカは笑顔で首を横に振った。そして、また無表情に戻ると。
「現状維持。復興と迷宮の管理を最低限の目標としてください。今後、ベイムはサウスベイムとノースベイム――二つに利権を分けます。ギルドの利権も大幅に奪いますので、盟主代理として頑張ってくださいね」
ギルドの利権を奪う。それはライエルにとって重要な事だった。更に、ベイムを北と南の二つに分けて、商人たちの力を削ぎつつ対抗意識を持たせて力を削ぐ目的もあった。
荒廃したノースベイム。発展しているが規模の小さなサウスベイム。
二つのベイムの誕生である。
ただ、アデーレにしてみれば忙しい仕事を押しつけられたようなものだった。
「……拒否は出来るんですか?」
モニカは無表情で。
「出来るとお考えで? 安心してください。すぐに全員がルフェンスへ移動する訳ではありません。捕虜を兵に加えるなど色々と仕事も残っていますからね。ただ、リアーヌ様は先にルフェンスへ移動しましたよ」
アデーレと同じタイプではないが、リアーヌもどちらかと言えばデスクワークが得意なタイプだった。ライエルたちがいない間は、サウスベイムの管理を代行するなど能力も有していた。
しかし、そんなリアーヌが先にルフェンスへ移動しているとなると、アデーレしか人材がいなかったのだ。
四ヶ国連合から人材を借りることは出来ない。ザインやロルフィスは領地が増えて忙しいし、ガレリアとルソワースは内政面の人材が元から不足している。カルタフスやジャンペアも難しく、ここに来て後方組の人材不足も深刻化し始めていた。
アデーレは俯くと一言――。
「恨みますよ……ライエルさん」
――かつて、トレース家の屋敷があった場所はボロボロになっていた。
どこかの貴族が使用していたのか、調度品は奪われ戦闘をしたような跡まで残っていた。そんな屋敷に入ったヴェラとフィデルは、周囲にサウスベイムまでついてきた部下たちに囲まれている。
「……フィデル様、焼け跡もありもうこのお屋敷は」
部下の一人が残念そうに呟くと、フィデルは「そうか」と言って懐かしむように屋敷を見ていた。ヴェラは、そんな父を見ているしかなかった。
すると、壊れた屋敷のドアをノックする音が聞こえ、全員が振り返る。そこには、黒髪に赤い瞳――メイド服を着たヴァルキリーがいた。
後ろの方には少しやつれたジーナ、ロランド――自分たちを追い出した元部下たちが、下を向いて立っていた。
「ジーナ……」
ヴェラが名前を呼ぶと、ジーナは顔を上げた。
「もう、何もかも奪われたわ。船は転覆に巻き込まれて……部下には裏切られてそのまま船を持ち出された。笑いたければ笑いなさいよ! そのために私たちを探していたんでしょ!」
「ジーナ、止めるんだ!」
ロランドがジーナを押さえると、フィデルは二人を見ていた。その後ろの部下たちは、フィデルの顔を見られないでいる。恥じているのかも知れない。
ヴェラはジーナたちに言う。
「……生きているなら会いたいと思ったのよ。無事で良かった」
ライエルたちの目的――そしてベイムを取り巻く環境と、バンセイムの宣戦布告。最悪、ジーナたちは死んでしまうかも知れないとヴェラは思っていたのだ。だが、生きていたのだと安心する。
そして、それはフィデルも同じだった。だが、フィデルは言う。
「無様だな。そんなお前たちに追い出されたのかと思うと、自分が情けなくなってくる」
ジーナとロランドが、ビクリと体を震わせた。しばらくそのまま時間が流れると、ジーナが俯きながら。
「……私たちはどんな罰でも受けるわ。だけど、仕えてくれた人たちはサウスベイムで受け入れて。お願いします、お父様」
頭を下げる娘に対して、フィデルは冷たい態度を取る。
「追い出しておいて受け入れろ、だと? 貴様らの信用はゼロなのだよ。一度裏切っておいて、また私に仕えたいなど……」
ヴェラはフィデルの態度を見ながら、顔を伏せた。本当なら助けてやりたかった。だが、サウスベイムで商売を始めたばかりのヴェラたちは、これ以上の人手を抱えるのは難しかったのだ。
同時に、サウスベイムではベイムに追い出されたという想いから、根強い対抗心が生まれていた。
追い出した側のベイムの商人を受け入れるなど、今のサウスベイムには不可能だったのだ。
「ベイムを捨てた大商家の船が何隻かサウスベイムに来たが、全て追い返した。それがサウスベイムの答えだ。分かるか? サウスベイムは貴様らを受け入れない。これが事実だ」
フィデルが歩き出すと、全員がフィデルの後についていく。ヴェラはジーナやロランドたちの隣で立ち止まる。フィデルも同じだ。
ただ、部下たちは先へと進む。
フィデルは――。
「……あの小僧には大きな貸しがいくつもある。交渉してお前たちがノースベイムで商売をするのは認めさせた。ある程度の金も用意させる。奪われた船はサウスベイムで確保してある。物資の輸送に使用するから、三日後に港で受け取りなさい。これが今の私の精一杯だ。ロランド、ジーナを頼む」
――そう言って歩き出す。本来なら助けたかったが、周囲の環境や今の部下たちの感情。更には敵対したベイムを代表する商人たちは、ライエルの計画のために叩きつぶすことが決まっていた。
ジーナが顔を上げる。
「……お父様」
ヴェラも歩き出した。
「結構無理をしたのよ。これから先は自分たちで何とかしなさい」
今までのライエルへの貸しを使用し、フィデルはノースベイムでジーナたちが商売をする事を認めさせる。それが、精一杯だったのだった――。
ベイムにある宿屋の最上階。
高級感のある部屋の中で、俺は毛布に包まっていた。窓の外は暗くなっており、一日が終わろうとしている。かつて夜も明るかったベイムとは思えないほどの暗さだ。星が綺麗に見えるが、俺の気分は最悪だった。
「……俺は悪くない」
すると、宝玉内から三代目の笑い声が聞こえてきた。
『いや~、今回も大豊作だったね。まさか倒れた直後から先代聖女様をお持ち帰りするとか、想像もしていなかったよ』
七代目も同じだ。同じように笑いながら。
『わしとしては世界のために頑張る、などというライエルの大きな目標を聞けて大満足ですけどね。いや、らいえるサンの目標かな?』
こいつら……俺をからかって楽しんでいやがる。
すると、部屋にノック音が聞こえてきた。ビクリと体を震わせた俺は、声を出す。
「は、はい?」
「失礼します。ライエル様、今日の報告を持って参りました。モニカさんから色々と報告を受け取れるようですが、他にも細々としたものがありますので」
部屋に入ってきたのはノウェムだった。俺はからかわれる心配がないので安心するが、ノウェムにも俺の成長後の姿を見られたと思うと気まずい。何度も見せてきたが、その度に葬りたい過去が増えていく。
「わ、悪い。しばらくは一人が良かったんだが……あ、明日からは外に出るから」
ノウェムは微笑んでいた。
「そうして貰えると助かります。ライエル様は、連合軍の盟主ですからね。姿が見えるだけでも違いますので。それと、リアーヌさんがルフェンスに向かいましたよ。護衛もつけていますが、向こうで兵士を鍛えるとしても最低限度になると思います。もう冬ですからね。しばらくは動けなくなるかと」
俺は窓の外を見た。
「そうだな。雪は降らないが、寒さは厳しくなる。周辺の村もなんとか再建して、少しでも住人を分散しないとな」
人が集まりすぎて、物資の減る量がとんでもなかった。バンセイムから奪い返したと言っても思っているよりも少なかったのも問題だ。
ノウェムがベッドに腰掛けてきた。
「リアーヌさんの話では、ルフェンスでライエル様に賛同する者たちを集めるそうです。その際に、ある程度は間者などをふるい落とすそうですが、完璧は難しいだろうと」
「そっちは俺が向かった時になんとかする。そういうスキルもあるからな」
ノウェムは嬉しそうに。
「ファインズ様のスキルですね」
そう言ってきた。知っているのかと驚いたが、よく考えればノウェムだ。知っていてもおかしくないし、フォクスズ家にはウォルト家の資料も当然あるだろう。気にしてもしょうがない。
すると、ノウェムが真剣な表情になった。
「それと、バルドア殿から言われたのですが、ロルフィスの王女殿下との結婚は認められませんよ。バルドア殿は今後のライエル様を支える重要な臣なのですから」
「……ノウェム、お前も結構酷いな。それ、ロルフィスの王女殿下がかなり酷い、って言ってないか? まぁ、流石に格も釣り合わないから無理だろうけど」
そう言うと、ノウェムがクスリと笑う。俺もつられて笑うとそのまま二人で談笑した。
――宝玉内。
ノウェムと楽しそうに話すライエルを見ながら、三代目は少し安心した様子だった。円卓の間には銀色の武器が五つ浮いており、今までの騒がしさが嘘のような静けさだ。
『ライエルの方は、色々と不安だったけどどうにかなるかな。らいえるサンで意識がそっちに向いたのも良かったのかも』
七代目も頷きながら。
『いくら理由があろうと、罪悪感は出ますからね。アレだけの人間を殺したとなれば、相応に抱え込むでしょうし。まぁ、ノウェムたちもいますから大丈夫では? そのノウェムが少し怪しい感じですが』
三代目は口元に手を当てて笑う。
『いいじゃない。少し重いけど、あれも愛だよ。愛。まぁ、ライエルが本当の意味でノウェムちゃんを振り向かせれば問題ないかもね』
七代目は心配そうに。
『それが出来ればほとんどの問題は解決ですね。まぁ、大きな問題は残っていますが』
大きな問題――それは、セレスだ。
セレスと戦うために、歴代当主たちはライエルに知恵を――そしてスキルを授けた。強かに、そして確実に勝つための準備をしてきた。
問題があるとすれば、戦争に勝つ事が出来たとしてもその後だ。セレスを逃がしてしまえば問題だ。
魅了される人間で囲んでも意味がない。最終的に、ライエルはセレスと戦うしかない。そのためのメンバーを集めてはいるが、どれだけの勝率があるかなど歴代当主たちにも分からなかった。
そして、分かっている問題もある。
『もはや東部方面はガラ空き。他も国境に大国を持っている。……出てくると思うかい?』
三代目の問いかけに、七代目は真剣な表情で頷く。
『来ますね。鍛え上げたウォルト家の軍勢は、必ず動きます。早ければ冬が過ぎてすぐにでも。ですが、状況次第ですからね』
三代目もアゴに手を当てて天井を見上げた。
『国内で反乱が起きても、規模が小さければライエルを優先するだろうね。ライエルに味方をしてくれるバンセイムの領主貴族もいるだろうが……人質がセントラルにいるのは厄介だね』
そして、それ以上に気になる事が三代目にあった。七代目を見ながら。
『さて、それじゃあ聞いておこうかな。七代目――いや、ブロードはライエルとマイゼル君の戦いを見守っていられるかい?』
ウォルト家が動くと言うことは、マイゼル――八代目であるウォルト家の当主が動くことを示していた。もしくは代理を差し向けるかも知れないが、それでもウォルト家の軍勢と戦う事には変りがない。
『僕からすれば時代が違いすぎる。正直、バルドア君が協力してくれているからあまり未練もない。でも、七代目はどうかな? バーデン家のような裏切り者だけとは限らないよね』
七代目は俯いていた。
『……確かに、見ていて辛いかも知れませんね。ですが、このままウォルト家が没落していくくらいなら、ライエルに止めを刺して貰う方が良いのかも知れません』
三代目も俯く。
『それが最良かも知れないけど、感情としては、ね。でも……』
七代目も天井を見ながら。
『……ようやく、ここまで来ましたな』
セレスと戦うための準備は、最終段階へと向かおうとしていたのだった――。