……夢の都
――ベイムは王もいなければ貴族もいない。
商人と冒険者の都であり、大きくなり続けていた都だ。そのため、かつて壁があった場所には今もその名残がある。
外周部分を放棄して撤退したベイムの住人たち。港では、自らの船に財産を積んで逃げ出す商人たちの姿もあった。
港では多くの人々が、バンセイムの兵士たちの蛮行を見て船に乗せろと騒ぎ立てていた。
「俺たちも乗せてくれ!」
「わしの船だ! もう出港しろ!」
「この人でなし!」
混乱する港は、多くの船が次々に出港していく。中には、積み込んだ積み荷の重さに耐えきれず斜めになって倒れていく船もあった。ひしめき合う港で他の船を巻き込んで倒れている船もある。
混乱するベイムは、まさに地獄絵図となっていた――。
――東支部のギルドから外に出たターニャは、自身の装備を装着するとベイムに入り込んだバンセイムの兵士たちと戦っていた。
槍や盾を持ち、弓兵の援護を受けながらターニャを待ち受ける兵士たち。その表情は怯えていた。
「こ、この女がぁぁぁ!!」
大通りではなく、略奪のために動いていた部隊だった。数も多くなく、ターニャにしてみればたいした強さでもない兵士たち。
「甘い」
建物を垂直に駆け、そして兵士たちの矢を避けて彼らの密集する場所に着地する。自ら囲まれた形を作ると、ターニャは地面に手をついた。
「な、なんだ!」
「あ、足が浮いて!」
兵士たちが宙に浮くと、足をジタバタとさせていた。武器を振るうにも踏ん張りがきかず、空中でクルクルと回っていた。
そんな彼らに、ターニャは腰から引き抜いた短剣で首筋を斬り裂いていく。十数名の部隊は、騎士と兵士が首を斬り裂かれ全滅。全員が動かなくなると、彼らの遺体は地面に落ちた。
ターニャは、仮面をつけた姿で周囲を見ていた。怯えているベイムの住人が、路地に入った場所からターニャを見ていた。
「すぐにここから逃げなさい。この通りを抜けてベイムの中心地を目指しなさい」
それだけ言うとまた駆けだし、建物の壁を駆けて屋根に登った。周囲では冒険者や兵士たちが戦っていた。だが、その抵抗もまとまっていない。ベイム内部で戦うなど想定していなかったのだ。
ターニャは周囲を見て、戦っている冒険者たちを抜けて来たバンセイムの兵士たちを見つけると始末していた。他にも戦っているスイーパーがいるのは見たが、経験が浅く実力者がライエルたちに倒されたのが響いている。
「どのみち、負けは覆せないわね」
個人の技量でなんとかなるレベルではなく、個々で見れば優れた者たちも多かったベイム。しかし、戦争を知らなさすぎたのだ。
ここに至っては、降伏すら視野に入れて交渉を開始する流れになっていた。しかし、ターニャは目を細めた。
交渉のために出向いたベイムの商人やその護衛たちの首が、表通りに晒されていたのだ。交渉などしないという、バンセイムの意思表示だろう。
「こんな……こんなの! ――ッ!」
ターニャがその場から移動すると、立っていた場所に矢が刺さった。建物に深々と刺さった矢は、数本同時に放たれている。
建物の上を跳ぶように移動してくるのは、バンセイムの騎士たちだった。
「見つけたぞ、スイーパーという奴だ」
「手柄になるんだよな?」
「援護してやる。小領主たちが食われて厄介だ。早めに潰すぞ」
まるでターニャを獲物としか見ていない三人組みは、明らかに今まで相手をしてきた敵とは違う様子だった。スキル持ちの騎士三人を相手に、ターニャは駆け出すと腰からナイフを抜いて投げつける。
一人がそのナイフを剣で弾くが、剣が粉々になった。騎士はすぐに剣を捨てて離れると、ナイフが建物の屋根を突き抜けて落ちていく。
「恐ろしく重かったな。そういうスキルか? こいつら、本当に変なスキルが多いな」
予備の短剣を抜く騎士。矢を構えている騎士。ターニャは、仮面の下で覚悟を決めた。
「スキル持ちをこれ以上先へは進ませません」
そんなターニャの言葉に、騎士三人は笑っていた。ターニャは相手が隙を見せたら飛びかかるつもりだったのだが。
「本当にベイムの連中は面白いよな。確かに俺たちはスキル持ちだが……別に、俺たちが特別、って訳でもないのによ」
ターニャは目の前の騎士たちを見ながら踏み込む。
重力を操作するスキル――体重の軽くなったターニャのスピードに驚いた騎士は、ターニャが重くしたナイフに剣ごと斬られた。
懐から小さな鉄の塊の入った袋を取り出し振りかぶる。弓を持った騎士の真上に投げると、急激に重くなり騎士に小さな鉄の塊が降り注ぐ。
そして、短剣を持った騎士がターニャに斬りかかった。
「お前、強いじゃないか」
「くっ、味方がやられても余裕ですね」
相手がターニャに連続で斬りかかると、ターニャはそれを防いでいた。
「味方? 馬鹿が。あいつらも俺にとっては厄介だったんだよ。騎士のくせに弓持ちの野郎に、生意気なクソガキ……俺にとっては邪魔だったんだよ」
相手の力が増しており、ナイフをいくら重くしても相手はその攻撃を弾いていた。短剣が、ターニャの仮面を斬り裂く。
「なんだ、随分と可愛らしい顔をしているじゃないか」
だが、ターニャは相手の腹部に蹴りを入れる。鎧を着ていることで安心していた騎士だが、ターニャの蹴りは鎧を突き破って相手に深々と食い込んだ。
血を吐いて吹き飛ぶ相手を見ながら、ターニャはその場に座り込む。周囲を見て敵がいないかを確認しながら。
「もう、そんなに長時間戦えない」
悔しそうに呟くと、ギルドへと戻るために移動を開始するのだった――。
サウスベイム。
その執務室で部隊の再編や仕事を行なっていた俺は、モニカから報告を聞いていた。部屋にはノウェムも来ており、重要な局面に来ていた。
「ベイムでは既に逃げ出す商人たちが出始めました。壁を越えられ、今は飾りとなった中心地を守る壁の中にこもっているそうです。市街戦を行なっており、バンセイムもベイムも相当な被害を出していますね」
双方合わせて四十万に届こうとしていた軍勢がぶつかったのだ。もっとも、純粋な兵力を考えれば、もっと少ない。それでも、双方が泥沼の戦いを行なっているのが俺にとっては溜息ものだった。
「……本気で皆殺しにするつもりか。ベイムも抵抗するのか逃げ出すのか、方針が決まっていないようだし」
逃がすための時間稼ぎ、という風でもない。向かってくるから戦っている。投降しても許されない。そんな状況が、ベイムの兵士たちを死兵にしていたのだ。
バンセイムも無傷では済まないだろう。
モニカは俺の方を真剣な表情で見ながら。
「ベイムの首脳陣はその役目を果たせそうにありません。本来なら、向こうから頭を下げさせるはずでしたが、こちらの勝利の報告が届く前にベイムは壁を突破されて混乱状態です」
想像以上にベイムが脆かった。やりようによっては、バンセイムを退かせることだってできたかも知れない。それだけの戦力は持っていたが、上が脆いとここまで脆くなるのかと教えられた気分だ。
宝玉内の三代目が、少し笑っていた。
『……焦土作戦。数ヶ月でベイムの民をどこかに避難させ、食糧も財も全て持ち出せば良かったのにね。確かにその後数年――いや、五年、十年と元通りになるために時間が必要だろうさ。それでも、復興出来る訳だ。バンセイムは補給に問題があり、ベイムでの略奪でなんとか戦っている状態。逃げて冒険者たちを迷宮にでも潜ませておけば、面白かっただろうに』
バンセイムは目的も果たせず、食糧問題で戦力が低下して統制が取れなくなる。確かに、有効ではある。七代目も頷きつつ。
『まぁ、もし、などというのは有り得ませんからな。わしらなら周辺との協力できる状況を作るか、単独でも守り切れる準備をしますよ。他者に頼らない選択をしながら、まるで防衛など考えていないベイムには呆れるばかりですが』
三代目は七代目の意見に。
『まぁ、周辺の協力を得られないようにしたのは……僕たちなんだけどね』
などと言って笑っていた。
ノウェムは俺の方を見て。
「ライエル様、どうされますか? このままベイムを見捨てても、いずれはバンセイムの軍勢がサウスベイムに向かってくる可能性があります」
どこで戦うのか、という問題でしかない。サウスベイムで籠城をしても、数の差は酷い状況だろう。流石に、バンセイムの軍勢相手に寡兵で勝つなどとは言えない。
俺はモニカの方を見た。
「周辺で志願兵を募ったな。どれだけ集まった?」
モニカは表情を変えずに告げてくる。
「よほど恐怖を感じたのか、あまり志願してくる者たちがいませんでしたね。千人にも届きません」
ブレッドたちと戦って失った兵士たちの穴埋めにもならない。
「部隊を再編したらベイムに向かわせる。だが、その前に立ち寄るところがある。別働隊を先に送り込む。こちらの指揮下で戦わせられるようにすればベストだな」
俺は俯く。
あと、どれだけ死体の山を築けば、セレスに届くのだろうか、と。
ノウェムが俺の方を見ると。
「ライエル様はどうされますか?」
俺は予定通りだ。予定通り……レダント要塞へと向かう。
「多少予定は狂ったが、それでも準備は出来ている。こちらに協力してくれた貴族たちとその兵士を連れてレダント要塞へ入り込む」
――戦闘の続くベイムの港に、数隻の船が到着した。
周囲は人の気配がなく、酷く散らかっておりその様子を見たヴェラはかつてのベイムの港とは思えなかった。
「ここまで酷くなるのね」
ヴェラの隣に立ち、甲板に上がってきた兵士たちを見ていたのはノウェムだ。兵士たち――ヴァルキリーズは、外見に少し違いがあった。それでも、青い鎧を着ていることに変りはない。
ヴェラは、かつて自分を苦しめた魔物から作り出されたヴァルキリーズを見て、複雑な気分だった。
「まさか、あのトライデント・シーサーペントがこんな姿になるなんてね。この子たち、強いんだろうけど、バンセイムを押し返せるほどなのかしら?」
ノウェムはヴェラに対して微笑むと。
「それは難しいですね。同数なら問題ありませんし、その数倍でも戦えますけど、何十万もいては戦いになりません。ですが……」
ノウェムはヴァルキリーズの中でも、特に優秀な三号を連れてきていた。ただ、三号はとても嫌そうな顔をしていた。
「ふざけないでくださいよ。なんで私だけこっち……ご主人様とレダント要塞に行きたかったのに。むしろ、私が背負ってご主人様をレダント要塞にお連れするべきでしょ。はぁ、もうやる気が出ない」
ヴェラはそんな膝を抱えて座り込む三号を見ると、頭が痛くなるのだ。
「本当に優秀なのよね?」
ノウェムも苦笑いをしている。
「はい。それは間違いありません。それに、ベイムの内部に入り込んだバンセイムの兵たちは、まとまった行動が取れませんからね。一万人を一回で相手にするよりも、百人と百回戦う方をすれば、私たちは負けませんから」
船の上にはアリアも出て来た。準備を済ませており、鎧を着用している。
「うわぁ、煙がそこら中から上がっているわね。それで、私らは普通にベイムの兵士たちを助けて回ればいいのよね?」
アリアの後ろからはミランダも出て来た。
「簡単に言わない。味方だ、って示さないといけないのよ。まずは東支部に行かない? そこで事情を説明してベイムの兵士たちに攻撃されないようにしないと駄目でしょ」
数隻の船が連れてきた別働隊は、一千名にも満たない。
だが、目的はベイムへの助力であり、ライエルが本隊を率いてくるまで時間を稼ぐことだった。
ミランダは呆れながら髪をかき上げ、ジト目でベイムを見ていた。
「もっと耐えてくれても良かったのに。おかげでこっちはろくに休めなかったわ」
ベイムが想像以上に早く崩れたことにより、ライエルたちも別働隊を編成して送り込むことになったのだ。本来なら、もっと疲弊したバンセイムと戦うはずだった。
ヴェラはそんな面子を見ながら。
「船は予定通りサウスベイムに戻るわよ。それと、ライエルが来るまで負けないようにね」
そんなヴェラの言葉に、ノウェムは少し笑っていた。
「なによ?」
「いえ、ライエル様は良き人を得たと思っただけです。それと、こちらは大丈夫ですし、ライエル様の方も問題ありません。今頃は――」
今のライエルたちは――。
俺は、精鋭部隊の鎧を着用して負傷兵を装ってレダント要塞に潜入していた。
周囲を見ると、俺と同じように負傷兵を装った兵士たちが顔を上げる。
「準男爵が上手くやったな。というか、精鋭部隊が負けると思っていたような態度……先に敗残兵が戻ってきていたのか?」
立ち上がって持ち込んだ武器を手に取ると、バルドアが周囲を警戒していた。
「ライエル様、落ち着きすぎです。ここは敵地ですよ。しかも、我々は五百名もいないんですからね」
敗北して逃げ帰ってきたというのを演出して、レダント要塞に入り込んだのだ。バルドアは緊張していた。
同じように入り込んだマクシムさんは、バルドアの肩を叩く。
「そう緊張するな。この手の事にかけては、ライエル殿は優秀だよ。本当に敵に回さなくて良かった」
笑っているが、その評価を素直に喜べない。ただ、俺は剣を引き抜くと入口を見た。
「あ、すいません。どうやら読まれていたかも知れませんね」
ドアの前に集まっていたのは、武装したバンセイムの兵士たちだ。
マクシムさんが槍を手に取り、バルドアも剣を抜く。連れてきた兵士たちが武器を手に取る中で、ドアが開いた。
「……待っていましたよ、ライエル・ウォルト君。いや、殿の方がいいかな? それとも様、だろうか」
丸腰で部屋に入ってきたのは、レダント要塞の責任者を押しつけられたブロア将軍だった。
「これはまた、会おうとしていた人がわざわざ出向いてくれるとは」
宝玉内では、三代目が感心していた。
『おや、随分と頭の回る人だね。いや、僕たちが油断したかな? これだと、強硬手段に出るしかないから困るんだけど』
今の俺の力ならば、この場を切り抜けるのも可能だろう。ただ、相手は丸腰の上に肩をすくめてきた。
「悪いね。やる気を見せているところを悪いが……降参したい。もう、外にも部隊が来ているんだろ?」
俺はドアの向こうで武装している連中に視線を向ける。ブロア将軍は髪をかき、そして下がるように指示を出していた。
「失礼。どうしてもついてくる、ってきかないんだよ。まぁ、降参を受け入れてくれるなら、要塞の戦力のほとんどがライエル殿の指揮下に入る」
「ほとんど?」
「……いや~、信用がなくてね。見張り役もいるわけ。苦労して拘束したんだよ」
ヘラヘラしているが、この男……。三代目は面白そうにしていた。
『わぉ、自分を売り込んできたよ。いや、自分の状況を正確に把握している、って事かな?』
俺は剣をしまうと、ブロア将軍を見た。
「バンセイムを裏切り、俺の指揮下に入ると?」
ブロア将軍は頬を指でかいた。
「それが目的じゃないの? だって、準男爵を使って色々と動いていたみたいだし。本当に恐れ入ったというか、もう逃げ道もないんだよね。勝っても負けても駄目なら、第三の選択肢を選ぶしかないよ」
例えブロア将軍が俺に勝ったとしても、ブロア将軍に未来はない。負ければ当然未来はない。手詰まりなら、俺に下るという事だろう。
「……分かりました。受け入れましょう。ただ、早速働いて貰いますよ」
俺の言葉に、ブロア将軍は頷きながら。
「いいよ。レダント要塞が陥落したのを伝えるんでしょ」
――先に言われて、俺は少し敗北感を味わった。