派閥
――レダント要塞からバンセイムへ向かったアデーレとマクシムは、特別に用意された荷馬車の荷台に張ったテントから顔を出していた。
馬には首輪がしており、それは魔具だ。馬の体力や速度を上昇させてくれるもので、強化系の一種のスキルが刻み込まれていた。
荷馬車も鍛冶屋やモニカが手を加えており、乗り心地も悪くない。周囲にはローブを纏ったヴァルキリーズが座っていた。
マクシムは無言である荷台の中で、前方を見た。御者をヴァルキリーズが行なっており、する事がないのだ。
「……アデーレ様、随分と静かですね」
マクシムは、地図を確認しているアデーレに声をかけた。地図から目を離す事なく、アデーレは答える。
「彼女たちは黙っているようで、実は会話も出来るそうです。ライエルさんを通して、モニカさんが集団をまとめているとか。変な事をすると筒抜けになりますね」
変な事、とは恥ずかしい事だけではない。アデーレたちが何か問題を起こした際は、ライエルたちに知られる事を意味していた。
大事な時期であり、もしも失敗すればライエルたちに切り捨てられるだろう。裏切り行為を行なえば、強力な味方であるヴァルキリーズがこちらに刃を向けてくるとアデーレも気が付いていた。
普段はどこか抜けているライエルだが、妙にシビアなところもある。若いのに直情的ではなく、搦め手を使う辺りもアデーレもマクシムも評価していた。
「気を付けます。しかし、バンセイムに宣戦布告をされて、ベイムも随分と緊張感が足りないというか……」
マクシムがアゴに手を当てながら、レダント要塞の事を思いだしていた。当然だが、レダント要塞を通行する商人は多い。そのため、通行の規制すらしていなかった。商人の都らしい対応だ。
それに、バンセイムも宣戦布告はしたが、動ける時期ではない。そういった事情から、どうにも緊張感がなくなっているのだ。
「ベイムは勝てるつもりでしょうか?」
アデーレは、溜息を吐いた。
「……多くの国を手の平の上で転がしていましたからね。侮っているのかも知れません。それに、個々の力量では相当な使い手も多い。ベイム管理の迷宮で鍛えた冒険者の実力は本物です。それを見ている商人たちは、バンセイムを侮っているのでしょうね」
マクシムは腕を組んで少し俯いた。元はバンセイムで陪臣とはいえど騎士だった男である。そして、バンセイムでも指折りの騎士と言われていた。
同じように切磋琢磨した騎士はセレスに倒され、嫌と言うほどにセレスとの実力差があるのだと知った。
敵討ちも出来ないまま、マクシムはベイムでライエルを頼ったのだ。
だが、ついにベイムから動き出す時が来た。セレスの実力を侮っているベイムに苛立ちながらも、それが予定通りであるからマクシムも何とも言えない感情になる。
「魔物と人は違うんですけどね。魔物との戦闘を、戦争と一緒にはしないで欲しいものです」
アデーレは、地図から顔を上げるとマクシムの顔を見た。
「それに気が付いた時は遅いんですけどね」
二人が目指すのは、反ウォルト家――今ではセレスから、反王家という構図になりつつあるバンセイム内で抵抗する領主貴族の領地だった。
いくつもの家が潰され、まるで国内を一掃しているように感じた。実際、セントラルの軍勢、更にはウォルト家を中心とする王家の派閥が反対勢力を次々に潰していた。
アデーレは、その中で動きを見せない領地の事も調べなくてはならない。
「こちらもバンセイム内で情報を集めましょう。抵抗をしている領地へ向かいます。場合によっては支援も必要ですね。南方で上手くやれば、北と南から支援物資を送れます。北はカルタフスなので問題ありませんが、南の方――【ジャンペア】が協力してくれればいいのですけどね」
アデーレは、南方に向かったノウェムたちが上手く協力を取り付けられる事を祈るばかりだった。
マクシムは言う。
「こちらも協力してくれる領主貴族たちを頼りましょう。出来ればセントラルの情報も欲しいですね。ダリオンまで回れるといいのですが」
アデーレとマクシムが言った地名は、かつてライエルとノウェムが冒険者になったダリオンであった――。
ガレリアを出発し、ルソワースに向かった俺たち。
しかし、ロルフィスからの使者のおかげで、エリザさんに出会う事は出来なかった。そのままカルタフスへと向かい、俺たちはカルタフスの港で船から降りて城へと向かうところだ。
ヴェラとはここでお別れである。
「ライエル、ちゃんと生きて戻りなさいよ。誰も死なせないようにね。生きて勝たないと意味がないんだから」
ヴェラに言われた俺は、頬を指先でかきつつ頷いた。
「分かったよ」
元から死んでもセレスに勝つ、などというつもりはない。生きて勝つ事が、歴代当主たちとの約束だ。
「死んだ英雄よりも、生きた大悪党を目指すさ」
そう言うと、ヴェラは少し笑った。
「いいわよ。生きてくれるなら大悪党でもね。地獄まで付き合うわよ」
そう言われて照れていると、三代目が一言。
『……良い子だね』
そう言うのだった。
俺の後ろでは、荷物を最小限にした仲間が待っていた。アリアは槍をしまって腰に剣を下げている。荷物は持たず、いつでも戦える恰好をしていた。
「ライエル、早くしなさいよ。騎士たちが待っているわよ」
アリアの視線の先には、場所は用意した騎士たちが待っていた。それを見ていたクラーラは、大きな杖を肩にかけ、眼鏡を左手で少し押し上げていた。
「ソワソワしていますね。時間を気にしているのかも知れません」
すると、ヴェラが俺に言う。
「女王陛下を待たせるのも悪いわね。ライエルに迷惑がかかるわ。じゃあ、ここでしばらくさよならね。必ず戻ってくるのよ」
そう言って片目を閉じてウインクをすると、ヴェラは船の方に向かった。右手を上げて振っており、見えてはいないだろうが俺も手を振る。
そして馬車の方へと歩き出すと、モニカが呆れたように言う。
「チキン野郎。一名が青い顔をしています。見てください……まるで病人のようです」
青い顔をしていたのはシャノンだった。夜に寝付けなかったのか、そのまま徹夜、そして船酔いと寝不足で酷い状況だった。
「……もっと優しくして。今の私は病人よ」
俺は左手で顔を多いながら。
「いきなりこれからの旅が不安になってきた。シャノン、お前は城に行ったらすぐに休ませて貰え。モニカ、シャノンに付き添って面倒を見てくれ」
すると、モニカは嫌そうな顔をしつつ。
「命令ならやりますけどねぇ。本音は嫌ですけど。チキン野郎の命令なので……」
モニカとのやり取りを見ながら、アリアは先を歩き出した。
「ほら、早くして。シャノンはライエルが担いでよ」
アリアは何かあった時のために身軽にしておく必要があり、小柄なクラーラには任せると周囲の目があり、モニカは荷物を持っているので当然俺の仕事となる。
「……肩に担いでやろうか? それとも肩車?」
冗談で言ったら、シャノンが青い顔をしながらニヤリと笑った。
「やってみなさいよ。吐きそうになったらあんたにぶちまけてやるからね」
こいつは本当にしそうなので、対応出来るお姫様抱っこをする事にした。
少し離れた場所で、ラウノさんが俺たちを見ながら首を横に振る。
「これがベイムの英雄様御一行か。随分とノンビリとした雰囲気だな」
俺は笑いながら。
「いいじゃないですか。今から緊張したら持ちませんよ」
すると、ラウノさんも笑った。
「そりゃそうだ。……俺は城には行かないから、城下町へ行く。出発の日に門で待ち合わせだ」
「分かりました」
俺は頷くとラウノさんと別行動を取るのだった。
――城下町を歩いていたラウノは、気配を消していた。
周囲には顔を知っている騎士もおり、今の自分を見せたくなかったのだ。騎士として面汚しと先代の国王に言われ、国を追われたようなラウノだ。
面倒は避けようと、スキルで気配を消して歩いていた。
そんな時だ。
酒場の方から大声が聞こえてきた。
「ふざけるな! 何が救出すれば国王だ! 女王陛下は頭がおかしいのか? あんなガキに俺たちの忠誠を捧げろだと? 馬鹿にするな!」
ライエルを婿に迎えると、正式に発表はされていない。だが、城では女王陛下であるルドミラが、ライエルを婿にと言っているのだ。噂などすぐに広まるし、わざと広めている様子だった。
(不満は当然だな。ライエルたちはどう動くか……教えるべきだろうな)
情報を正確に伝えるために、ラウノは身を隠して話を聞いていた。
「そう言えば、あの時の一団にラウノがいた、って知っているか?」
三人組みの騎士の一人がそう言うと、もう一人が眉を動かした。一人は若い騎士なのか、ラウノの事を知らない様子だ。
「誰です?」
「騎士の面汚しだ。覗きのようなスキル使いで、汚い事を平気でやる男だよ。先代が騎士として相応しくないと追い出したんだ。処刑しても良かったんだよ」
一般の騎士の反応を聞いてもラウノは動じない。汚い仕事は、ラウノの責任として行なっていた。
そして、それが明るみに出ると、ラウノは追放されたのだ。多くの騎士には、ラウノは残忍な騎士として認識されている。
「そんな奴を使うんだ。ライエル、って野郎もきっと汚い手段を使う奴だ。何がベイムの英雄だ。カルタフスなら騎士にはなっても雑用係がいいところだぜ」
酒を飲んで気が大きくなり、不満をぶちまけている三人組みを見てラウノは溜息を吐くのだった。
そして、その内の一人が言う。
「あ~あ、俺が女王陛下を助けていれば、今頃は俺が国王だったのによ」
ラウノは苦笑いをしたくなった。助けるための行動を起こせず、情報すら集められず、更にはラルクに好き放題されていた事実を思い出すと笑えてくるのだ。失笑ものだった。
そのままいくらかの不満を聞いて、ラウノは話がループすると歩き出すのだった。酔っ払いの言葉と思いながらも、やはりどこかで気にしているのかラウノは少しだけ故郷が自分に冷たいと感じた。
(ベイムより寒いな。北だからしょうがないんだろうが)
気温だけではない、冷たさを感じつつラウノは人混みの中に消えていくのだった――。
――城の一室では、ライエルの両脇にはアリアとクラーラが座っていた。
豪華な食事がテーブルに並び、ライエルたちを歓迎するために楽団が演奏をしていた。
周囲には女中や警護の騎士たちがおり、ライエルの目の前にはルドミラが一際豪華な椅子に座って足を組んでいた。
酒の入ったグラスに口をつけ、そのまま少しだけ飲むと口を離す。その仕草は妖艶だった。
アリアは、そんなルドミラを見て少しだけ嫉妬をする。
(姫騎士とか言われていたから、もっとがさつな人だと思ったのに)
自分と比べ、相手はどれも優れているように見えた。
ルドミラが口を開く。
「食事は口にあったかな?」
ライエルは笑顔だった。
「えぇ、とっても美味しいですよ。こんなに歓迎されると、かえって悪い気がしてきますね」
ルドミラは少し笑いながら。
「未来の夫のためだ。これくらいはするさ」
堂々とライエルに向かって未来の夫と口に出し、動じた様子がない。アリアは、ライエルを見た。笑顔だったが、どことなく苦笑いをしているように感じたのは、付き合いが長いために気が付いたのだろう。
ダリオンからの付き合いだ。ノウェムを除けば、アリアがライエルと一番長い付き合いとなる。
(もう一年以上は一緒にいるのに、あっという間だったなぁ)
冬が過ぎて春が来れば、もう二年の付き合いになる。ライエルよりも一つ年上で、アリアは十八歳になろうとしていた。
赤い髪は手入れを怠ってはいないが、それでも冒険者だ。どうしても手入れが出来ない時もあり、元からそこまで丁寧にケアをする性格でもない。肌の方も以前よりも焼けており、冒険者という感じになっていた。
消えない傷も増えており、ルドミラと比べるとどうしてもアリアは劣等感を持ってしまう。
すると、ルドミラはアリアたちを見て。
「風呂の用意もさせてある。今日はゆっくりと旅の疲れも癒してくれ。それと……そこの二人とは少し話をしたい」
ルドミラが指定したのは、アリアとクラーラだった――。
――クラーラは、ルドミラに誘われてアリアと共に風呂場へと来ていた。
そこは大浴場で、岩をくりぬいたような風呂には彫刻が施され、金で装飾までされていた。
大浴場――だが、そこを使用しているのは普段はルドミラだけだという。周囲には女性騎士たちが控えており、周囲を警護していた。
周囲の景色……そこにも目を奪われるものが多い中で、クラーラとアリアの視線はルドミラの体を向いていた。
露出度の少ない服を着ていたので気が付かなかった。だが、ルドミラの体も傷が多く、痛々しい姿だった。
「思ったよりも綺麗だな。ライエルの奴、私の体を見て視線を逸らしたから、特殊な趣味でもあるのかと思ったが、そうでもないようだ。これは期待が持てるな」
笑っているルドミラは、湯船に浸かって足を伸ばしていた。石段に腰を下ろしているので、椅子に座っている恰好になっていた。
痛々しい姿を、クラーラもアリアも息をのんで見ていた。姫騎士として戦っていた事もあるため、そういった傷が体中にあるのだろう。いや、あって当然なのかも知れない。
「……随分とその……怪我が多いのですね」
クラーラがそう聞くと、ルドミラは笑った。
「昔は気が強くてね。男に負けるものかとよく前に出て部下を困らせた。何度か死にそうになって色々と気付かされたよ。その頃は女王になるなどと思ってもいなかったからな」
黒く肌に張り付くような服を着て、素肌を晒さないのは傷を見せないためだったようだ。
そんなルドミラは、少し照れたように言う。
「言ったかも知れないが、私は妾を認めている。あれだけの男だからな。独占したいが、目標の大きさもあってそれは無理だろう。そこで、だ……お前たち、私に力を貸さないか?」
力を貸せという言葉に、クラーラは困惑した。
「あの、それはもしかして」
アリアがオズオズと聞くと、ルドミラは暗い笑みを浮かべながら言う。
「そうだ。派閥だよ。十人を超えて、これからも増えるのだろう? ならば自分の派閥を持つのは当然ではないか」
クラーラはどうするべきか考えた。
(ノウェムさん、ミランダさんの二人に対抗して派閥が出来る訳ですか。面倒ですね)
黙っている二人を見て、ルドミラは言う。
「まぁ、考えていてくれ。他より良い条件を出すぞ。何しろ、カルタフスは大国だからな。それに、ルソワースとガレリアの女とは相性が悪い。それに、国も絡めば仲良くなど出来ないのは必然だ」
アリアは困っていた。当然、クラーラも同じだ。堂々と切り出してくる辺り、何を基準に自分たちを選んだのか分からないのも怖かった。クラーラはたずねた。
「私たちが既に派閥に与しているとは思わないのですか?」
ルドミラは見透かすように言うのだ。
「思っているさ。だが、明確なものを持っているわけではないだろ? そんな事今の段階ですれば、すぐにパーティーなど崩れているよ」
アリアが立ち上がった。鍛えられた体をさらし、大きな胸が揺れた。
「だったら、なんでこのタイミングで!」
ルドミラは真剣な表情で言う。
「……別に邪魔をするつもりはない。だが、ルソワースとガレリアの魔女な。あれはまずいぞ。男慣れをしていない上に、男というものを理解していない。すぐに独占欲が出てくる。そうなると、確実に足を引っ張る事になる。実際、ロルフィスを動かして邪魔をしなければ、ライエルに手を出していたかも知れないぞ。それではお前たちも面白くないだろ?」
都合の良いタイミングでロルフィスから使者が来たのは、ルドミラが関わっていたからのようだ。
クラーラは、ノウェムに言われた事を思いだしていた。
『ライエル様の貞操を守ってくださいね。アリアさんとモニカさんを使って構いませんから』
そう言っていたのだ。ノウェムも警戒していた様子だったが、ルドミラも警戒していたようだ。
ルドミラは、クラーラの顔を見ると。
「お前も知っていたか? まぁ、どうでもいい。今までギリギリでバランスを保っていたようだが、これからはそんな事を言っていられないだろ? 私としても、女性問題でこんな壮大な計画が狂うのは嫌なんだ。派閥に入れと強制はしない。だが、邪魔をせず、協力して貰うと嬉しいな」
笑顔のルドミラを見て、アリアも唖然としていた。クラーラは、自分が女性陣を押さえるだけの力量がないのも実感しており、ノウェムに関しても全面的に信頼しているわけではない。
少し俯くと。
「分かりました。協力します」
ルドミラは笑い、そしてアリアはクラーラを見て驚いた顔をしていた。
「嬉しいよ。お前の事は調べたが、その時から傍に置きたかったんだ」
どうやら、ルドミラはクラーラたちの情報を調べていたようだ。その上で声をかけていたという事になる。
アリアは、納得出来ないという表情でクラーラを見ていた。
「クラーラ、あんた……」
ライエルのいない風呂場で、女たちの争いが徐々に大きくなろうとしていた――。