ベイムを割く毒
――ライエルが飛び出してしまったその場所で、エアハルトは今にも逃げ出したい気持ちで一杯だった。
周囲ではカルタフスの騎士や兵士が武器を持ち、長剣を肩に担いだ女王の背後で二人の女性とその背後にいる騎士や兵士を威嚇していた。
カルタフスの女王は、堂々とその場所に立っていた。水色の髪を持つ女性と、銀色の髪を持つ女性――三人とも紫色の瞳をしていた。
「何度も言わせるな。ライエルは私が貰う。あれは小国の枠に収まる器ではない。大国カルタフスにこそライエルは相応しい」
持っていた背丈ほどあるスピアを地面に突き刺し、体からユラユラと炎を出す女性――グレイシアは、その言葉を聞いて言い返した。
「言わせておけば……こちらは既に了承を得ている。それに、ライエルはそれなりの規模のハーレム持ちだ。全員の許可を得たのは私の方が先だ。大国だかカルタフスだか知らないが、スキル持ち一人に乗っ取られかけて何もできない連中の国が相応しい? 寝言は寝てから言え」
杖を地面に突き立て、両手で押さえるように立っているエリザは、周囲の空気が凍るような雰囲気だった。
実際、エリザの周りだけ息を吐く者は息が白い。
「後から出て来て婿にする? こちらはすでに四ヶ国で話が進んでいる。今更カルタフスの出番などない。黙って協力していればそれでいい」
二人の意見――その後ろに控える騎士や兵士たちが、武器を持って目が真剣だった。
エアハルトは、仲間たちと身を寄せ合って震えていた。
「何これ? ねぇ、何これ! 俺、こんなのハーレムとか絶対に認めない。俺の夢見たハーレムは絶対にこんな物騒なものじゃない!」
ルドミラは少し俯いてクスクスと笑うと、左手で髪をかき上げながら言う。
「四ヶ国集まらなければたいした力もない小国が、随分と偉そうに言うじゃないか。言っておくが、お前らが集まった程度ではカルタフスの国力に及ばないぞ。今の三倍は用意しろ。それからお前らの意見は聞いてやる」
実際、四ヶ国連合の倍以上の国力を持つのがカルタフスだ。北の大国はそれだけの領土と国力を所有していた。
「まぁ、小国の姫としてライエルの妾としては認めてやる」
エアハルトは、恐る恐る発言した。
「え? あいつ、もう十人はこえるくらい女がいるのに? 全部妾?」
ヴァルキリーズなどを除外しても、それだけの数はライエルに女性がいるとエアハルトたちは思っていた。噂程度なら、ザインの聖女と先代聖女も噂があったのだ。
それを聞いたルドミラたちは、エアハルトに視線を向けた。
「それがどうした? たかが十人程度、囲っても問題ない。それだけの国力はある。役目を果たすなら認めてやるさ。もっとも、一番は私だが」
自信満々のルドミラに、グレイシアは炎をより大きく、エリザは冷気を更に強めていた。
そんな中で、エアハルトは見ていたのだ。
(あの女、こんな修羅場で後ろの方でニコニコしているだと!)
エアハルトの視線の先には、乗ってきた馬に体を預けながらミランダが三人の争う様子を楽しそうに見ていた。
エアハルトには、まるでミランダの声が聞こえた気がした。
(三人で潰しあえ)
まるでそう言っているような表情だった。
グレイシアが地面からスピアを引き抜くと、叫ぶ。
「カルタフスの女王がいい気になるな! 貴様はここで潰す! お前も敵だ!」
お前“も”という部分に気持ちがこもっていた。
「良い機会だ。ここでライエルのハーレムは整理してやる。まずはお前だ、ルドミラァァァ!!」
杖を握り、氷で刃を作り出したエリザが構えた。後ろで控えていた騎士や兵士たちも声を張り上げ武器を握りしめて今にも突撃しそうだった。
ルドミラは、そんな二人を前にして微笑んでいたが――すぐに見下した表情になった。
「――残念だ。こちらは譲歩したんだがな。お前たちの実力を見させて貰おうか」
長剣を抜き、その赤い刃が怪しく光るとエアハルトは何とかしようと周囲を見た。そして、こちらを遠くから見ていたライエルを発見したのだ。
「あ、おい! 戻ってこい! 早くこの場を――」
――何とかしてくれ、というエアハルトの言葉を聞く前に、ライエルは振り返って走り出してしまった。
ライエルはその場から逃げ出したのだった。そして、その背中を見て、ミランダは馬に乗って追いかけていた。
ライエルを捕まえてミランダが戻るまでに、周囲にそれなりの被害が出るのだった――。
全てが終わり、三国の代表を連れてベイム入りした俺は頬に薬を塗ったものを張っていた。
それが周囲には激戦を制したように見えたのか、ベイムの表通りでは見物客たちが俺たちの進路方向を塞がないように両脇によって三国の騎士や兵士たちを見ていた。
ベイムに騎士団が入るのは珍しく、ある種の見世物という扱いだ。
既にエヴァが先にベイムに戻って噂を広めていたおかげで、俺たちは好意的にベイムで迎えられた。
ただ、あくまでもベイムの住人たちには、だ。これが商人やギルドの幹部になると話が変ってくる。
二千人近い規模の軍団の中には、襲撃するはずだった冒険者パーティーも入っていた。
歓声の中、俺たちは襲撃を仕掛けてきた冒険者を退け、カルタフスの女王を救った英雄としてベイムで迎えられていた。
宝玉内では、七代目が冷めた意見を口にする。
『随分と暢気なものだな。我々が――いや、ライエルがこれからなにをするのか知れば、笑っている事などできないだろうに』
ベイムには、既に各支部の冒険者たちが戻っているのは調べていた。ギルドも大急ぎで情報を集めている頃だろう。そのタイミングを見計らって帰還したのだ。
三代目が七代目をなだめるように言う。
『いいじゃないか。英雄の凱旋には間違いない。それが、誰にとっての英雄なのかは別問題だよ。さて、ベイムに仕込んだ毒が良い感じに広まっていると良いけどね』
送り込んだのは優遇された東支部の冒険者、そしてギルドが俺たちに情報を渡していたという事実――。
それだけではない。襲撃させるために送り込んだ冒険者たちが、俺たちと共に行動しているのも彼らには理解出来ないだろう。
五代目はこれからの事を考えながら口にする。
『これで最低限の目的は達成した。後は、これまで蒔いた種が芽吹くかの確認だな。俺たちの予想では、ライエルに強硬手段を取ってくる可能性が高い。そのために今まで煽ってきた訳だからな』
見栄を張るために馬上で先頭を移動する俺に、ベイムのギルド本部が見えてきた。
「……後は、ベイムが強硬手段を取れば終わりですね。東支部、トレース家……どう動くかにもよりますけど、これでベイムを割れますね」
ベイムという都は、巨大な権力の塊であった。それは、一国よりも厄介な権力を持ち、そして周囲を血の海にして金を吸い上げる都に成長していた。出来上がったその都を中から変えるのは難しく、そして俺にはその時間もない。
ベイムの支援は欲しかった。セレスと戦うためには、絶対に欲しい。
だが、無条件で俺は支援されるわけにもいかなかった。もしも、無条件でベイムが俺を支援したとすれば、セレスに勝っても大きな問題が大陸に残る事になる。
ベイムは俺を利用して、更に大きく厄介な都になっただろう。俺も、セレスに勝って国を手に入れても、支援をしたベイムを切り捨てる事が出来なくなる。やれば、ベイムは次に俺を敵とするだろう。
だから――。
「――商人と冒険者の都には、一度は血の海に沈んで貰う」
――俺のために、地獄に沈んで貰うのだ。そこに関係ない善良な者たちがいたとしても、未来のために――俺のために。
――ギルド本部。
集められた幹部たちは、普段の余裕はなく声を荒げていた。
商人たちの方からも苦情が来ていた。ライエルを討てなかった事も問題だが、商人たちが重要視したのはカルタフスの抗議だった。
ギルドが送り出した冒険者たちが、仕事もせず後から来たライエルたちに依頼を達成させられたのも問題だった。だが、一番は失敗すると逃げだそうとした事だ。ベイムの信用を大きく損なわせたと問題に上がっていた。
同時に、ギルド東支部だけが被害が少なかったのも問題だ。南支部は派遣した傭兵団がほとんど全滅。西支部は一流のパーティーが一つ全滅、そしてライエルたちに協力するという状況だ。
北支部は送り出した者たちがほとんど帰ってこなかった。帰ってきた者たちの話を聞けば、ライエルたちは東支部の冒険者だけを見逃していた、と言うではないか。
これを聞いて黙っていられる訳がない。
「裏切ったな! 貴様らは他の支部を裏切り、情報を流したのだ! この責任はどう取るつもりだ!」
南支部の幹部が机に拳を振り降ろし、東支部の幹部を睨み付けていた。血走った目を前に、ターニャはなにを言っても通じないと判断する。上司である幹部も同じだった。
「……こちらは裏切っていない。情報を売った者は特定した。うちの職員だ。何かしらの事情はあったのだろうが、許される事ではないな」
北支部の幹部も視線が厳しかった。
「カルタフスは女王直々の抗議だぞ。あそこは商人たちにとって重要な港だ。それに、今度できる港の権利を持つガレリアにルソワースまで敵に回して……今度の失敗、職員一人の責任で済ませるつもりか?」
西支部の幹部は、表情が青く頬がこけていた。ベイムの管理する迷宮は、地下百階を超えるものだ。その分、管理にもかなり繊細な対応が求められる。
地下六十階層を突破出来る冒険者パーティーは、その管理にとても必要な存在だった。失ったから即補充、などできる存在でもない。
生き残ったパーティーも、自分たちはギルドに売られたと不信感を抱いていた。そして、自分たちはライエルを襲撃するようにギルドに言われた、などと証言したのだ。
それを事もあろうに、触れ回っているから質が悪い。西支部は一流パーティーでも切り捨てると、不信感が広がっていた。
それをもみ消すのは難しく、実際にパーティー一つが消えてしまった。
噂は広がり、自分たちはベイムの派閥争いに巻き込まれたと冒険者たちは思っていた。それが間違いでもないから質が悪い。本当に、ライエルたちはギルドにとって質が悪い相手だった。
「ふざけるな……ふざけるなよ! 貴様らの裏切りで西支部がどれだけ大変な目に遭うか分かっているのか! その職員の名前は! 名前を言え!」
ターニャが表情を崩さずに、拳を握った。情報を売ったのはマリアーヌだった。ギルドの資料を入手して、ライエルに渡した事まで調べた。
東支部の幹部は溜息を吐きつつ。
「受付担当のマリアーヌです」
南支部の幹部は、自分の後ろに控えていたスイーパーに視線を向けた。護衛でもあるスイーパーは、頭を下げると部屋を出て行く。それは、他の幹部の護衛たちも同じだった。
東支部の幹部は言う。
「ターニャ、お前も行きなさい。こちらは私一人でいい。……お前が仕留められるなら、苦しまないようにしてあげなさい」
ターニャは頭を下げる。
「……はい」
ターニャも部屋を出て行くと、そのまま他のスイーパーたちとマリアーヌを始末するために移動を開始するのだった――。
今回の一件の結末をギルド本部での説明を受ける前に、俺はトレース家の屋敷に来ていた。連れてきたのは、護衛の意味合いもあってアリアだ。
「なんか雰囲気おかしいわね」
アリアの言うとおりだ。
忙しそうに動き回っている使用人たち。荷物をまとめ、そして部下同士で妙な距離を取っており、まるで同じ屋敷で争っているような感じだった。
待合室で待っていると、応接間に呼ばれる事なくヴェラとフィデルさんが部屋に入ってくる。
フィデルさんは上着を脱いでおり、腕まくりをしていた。いつものような爽やかさはないが、目つきの鋭さは今まで以上だ。
宝玉からは、楽しそうな声がした。ミレイアさんだ。
『あら? 追い込まれたら力を発揮するタイプかしら?』
追い込んだのは俺たちだと思えば、笑ってはいられない。ソファーにフィデルさんとヴェラが座ると、まずはフィデルさんが切り出してきた。
「……ベイムが貴様を切り捨てる事にしたようだ。無事に戻ってきたようだが、この決定に変更はない。良くてベイムからの追放処分だ。支援していた我々も巻き添えだよ。何か言い訳はあるかな?」
お前のせいだと言われているが、普通なら言いがかりだと言える立場だ。しかし、狙ってやっていたので言い返せない。
「返す言葉がありません。まったくもってその通りです」
フィデルさんの眉がピクリと動いた。
「そうか。ならば支援した分は貴様にも働いて貰おうか。我々もベイムを追い出されるのが次の商人会議で決まる。カルタフスの女王をたらし込んだらしいな? 港の使用権を用意して貰おうか。それと、拠点となる場所も、だ。どこでもいいぞ。ルソワースでもガレリアでもな」
これらも他人が聞けば無茶苦茶な事だった。しかし、それも考えていた。いや、それくらいはするつもりだった。
「分かりました。拠点に関しては現在拠点を置いている場所に適した土地があります。そこに用意しましょう。あ、もちろん人手を出して色々と用意しますよ。港の使用許可も用意させます」
フィデルさんの眉がピクピクと動いていた。こちらが全ての条件をのんだので、逆に怪しんでいる様子だった。
それに、何故か全ての条件をのんだのに、物足りなさそうな表情をしていた。
フィデルさんが口を閉じると、ヴェラの番が来た。しかし、表情は少し優れない。
「……ライエル、私はこれから満足な支援ができないわ。その、私も自分の価値は分かっている。だから、切り捨てるなら早く決断して貰える。足手まといは嫌なのよ」
自分ができるのはここまで、そう言ってヴェラは身を引こうとした。
すると、ミレイアさんが頷きながら言っているような雰囲気で。
『自分の価値を理解していますね。それに身を引こうとするのもいい。でも、駄目よ。最後まで付き合って貰うわ。ライエル、ここは格好よく決めなさい。一度手にした女性を成り上がるために捨てたら……私は祟るわよ』
歴代当主が祟るよりも、ミレイアさんに祟られる方が何倍も怖い。この人は本当に祟ってきそうだ。ありとあらゆる嫌がらせをされそうだ。
俺はソファーに深く座り直し、ヴェラを見るのだった。
「そうか。なら、最後に貰うものを貰って終わりにしよう」
ヴェラは笑顔だった。だが、フィデルさんは顔を真っ赤にしており、握り拳を作る。
「えぇ、その方がスッキリするわ」
俺は立ち上がると、ヴェラに近付いて腕を掴んで立たせた。両手を背中に回し、抱きつくとヴェラの肩に自分のアゴを乗せる。
アリアが、顔を真っ赤にして。
「……こういうところは成長しているのよね」
などと言って視線を逸らす。フィデルさんは複雑な表情をしていた。
「全部貰うと言った。お前は俺のものだ。なにも持たなくてもいいから、お前は俺の傍に来い。必ず迎えに来る」
「……ライエル」
ヴェラも俺の背中に手を回してきた。
フィデルさんが、悔しいのか嬉しいのか分からない表情で。
「くそっ、娘が利用されて捨てられなかったのを喜ぶべきか、親としてこんなヒモ野郎に貰われるのを見過ごすしかない自分を恥じるべきか……何故だ、こうでないとヒモ野郎ではない気もする」
すると、三代目が面白そうに。
『……なんか、フィデル君は煽られるのを待ってない? これ、きっとライエルが張り合わないし、煽らないから寂しがっているよ』
すると、ミレイアさんが楽しそうに。
『ですね! さぁ、ライエル……フィデル君を煽ってみなさい。きっと喜びますよ。どれだけ煽れるようになったか私たちが採点してあげる!』
五代目がボソリと。
『……お前ら本当に良い性格をしているよ』
俺は少し考えてから、ヴェラに耳打ちした。泣きそうだったヴェラだが、それを聞くと頷いていた。
そして、自分の下腹部に手を当てながら。父であるフィデルさんを見て。
俺はフィデルさんに笑顔を向け。
「まぁ、今まで色々とありましたけど、これからは仲良くしましょうよ、お義父さん」
ヴェラの腰に手を回してそう言うと、ヴェラは両手を腹部に当てて俯いていた。
それを見たアリアが、一歩後ろに下がって固まっていた。
「ラ、ライエル、あんたまさか!」
フィデルさんはソファーから崩れ落ち、床を叩いていた。
「私からヴェラまで奪うのか、このヒモ野郎! くそぉぉぉ!! やはり貴様ら私の敵だぁぁぁ!! 最後の最後に私をどん底に突き落としおって!」
何故か、床でもがくフィデルさんが少しだけ嬉しそうに見えたのは、目の錯覚だと思いたい。
成功したと思ったら、冷めた感じで宝玉内から声がした。三代目が溜息を吐いていた。
『ライエル……その煽りは駄目だよ。駄目過ぎるよ』
五代目も何か感じているようだ。
『面白くはあった。フィデルの野郎も輝いている。でも、駄目だ』
七代目は俺を心配していた。
『……ライエル、お前のその煽りは身を削るぞ』
ミレイアさんも駄目出しをしてくる。
『煽るだけではだめなのよ。身を削るような煽りは認めません。まだまだですよ、ライエル』
なにを言っているのか、俺は分からなかった。そんな俺に、三代目が言うのだ。
『ライエル、今回は零点だ。後で苦労すると思うから覚悟するんだよ。ま、そんな経験も大事だし、楽しそうだから僕たちは見ているよ』
久しぶりに零点を貰った。
そして、少し顔の赤いヴェラが、俺に思いだしたように言う。
「そうだ、ライエル」
「ん?」
「ギルドが裏切り者を探していたらしいけど、あんたの関係者? 早くしないとギルドがスイーパーでも送り込むかも知れないわよ」
どうやら、まだベイムでの仕事は終わらないかも知れない。




