第十三章プロローグ
――ブロア・キャデルは部下からの報告を聞いて溜息を吐いた。
執務室は以前よりも少し片付き、そして臨時での統治も問題なく行なわれている。
魔物の大軍勢を前に滅びたベイムの隣国を、バンセイムが統治してから数ヶ月が過ぎようとしていた。
そんな中で、臨時で指揮を執っているのが【ブロア・キャデル】という男だ。癖のある短い茶髪をしており、やる気が感じられない雰囲気はあってもバンセイムの中央で将軍をしていただけあって実に優秀だった。
そんな彼が困っている内容は、隣国となったベイムとの交渉だった。
書類を見ながら、ブロアは手に入れたばかりの報告書に目を通すのだった。
「仮とは言え、それでも四国連合が出来たんだ。当分戦争はないと考えたか、それとも今度はバンセイムで稼ごうと思ったか……死の商人は怖いよね」
ザイン、ロルフィス、ガレリア、ルソワース……バンセイムから見れば小国であるそれらの国がまとまり、無視出来ない規模の連合が出来てしまったのだ。
チラホラと報告書内には【ライエル・ウォルト】の名前が書き込まれていた。
「……追い出された兄の方がいるとは聞いていたが、随分と派手に動いている。関係ないとはいえ、これを死の商人たちがどうりようするのか」
ブロアはそれを考えると頭が痛くなる思いだった。せっかく、中央からこんな場所に自ら志願して仕事に追われる日々を過ごしているのは、中央の異変に気が付いて逃げ出したからに過ぎない。
ただ、この情報を次期王妃が聞けばなんと言うか?
放置か?
それとも暗殺か?
どれとも判断出来ないブロアは、セレスの気まぐれな部分を知っていた。自分に抵抗する者を容赦なく斬り殺す事もあれば、時に時間をかけて自分に屈服させる事もあった。
今は国王、王妃、そして王太子殿下に後ろには精強なウォルト家が控えるセレスに、誰も逆らえない状態だ。
逆らえば領地を蹂躙される。領主たちもそれがあって、口を閉ざしたままだった。
「本当に嫌な時代だね。昔の傾国の美女の話も、割と真実味があるように感じてきてしまう」
困ったブロアは、それでも報告する義務があった。
書類等を机の上に置くと天井を見上げて目頭を指先で揉む。
「バンセイム本国……セントラルで交渉、ね」
ベイムが本格的にバンセイム王国と交渉を開始しようとしていた――。
ベイムにある屋敷の一室で、俺はタオルケットを頭からかぶってベッドの上で悶えていた。
「俺は悪くない、俺は悪くない、俺は悪くない……」
俺がここまで怯えている理由は、正式に四国の間に条約が結ばれ、連合国となったからだ。正式名称はなく、未だに事務レベルでの取り決めのまま話が進んでいるだけだが、順調と言って良いだろう。
問題なのはガレリア、ルソワースが俺と代表との間で婚約が出来ていると主張した事だ。
ザインとロルフィスから説明を求める書類が届いた。
そこは問題ではない。
問題でもあるが、事実となってしまったので取り返しがつかない。俺が一番重要視しているのは、宝玉内の方だった。
ベッドではなく机の上に置いているのに、声が近くで聞こえてきた。
『……ガーター……見たいなぁ』
らいえるの声がした。こいつに言われて成長後の俺が、全員にガーターを用意するように言ったのだ。それも俺がそそられる奴、という条件まで出してしまった。
ここで怒られればどれだけ良かったか。その時点で怒られて終われば、全てが丸く収まったのだ。
宝玉内からはミレイアさんの楽しそうな声が聞こえてくる。この人、未だに俺の成長後が見られなかったと不満に思っている。
怒らせたら執念深いタイプだと思う。
『ライエル、約束は守らないといけないわよ。ほら、みんなが買って来た下着を見に行きましょう。恥ずかしがらないの。作って貰ったのもあるし、楽しみよね~』
嫌がって反対してくれれば良かったのに、集まって相談しやがったノウェムたちは、そのままベイムに戻るなりモニカたちに下着の作成を依頼したのだ。
そして買い物では特別に仕立てるほどの熱の入れよう……俺への当て付けである。
受けてくれると思わなかったから、らいえるもテンションが上がってしょうがない。
『僕、ストッキングもいいと思うの』
その意見に三代目も同意している。
『あれいいよね』
俺はドアの前に気配を感じて――。
「ヒッ!」
――と言うのだった。
ドアの向こうではアリアがきた。戦場から逃げた俺を捜し回ったお返しのつもりなのか。
『ほら、出て来なさいよ、ライエル。下着が見たいんでしょ? 色々と用意したから見せてあげるわよ。早くしなさいよ~』
こちらが逃げているのを分かって、アリアは楽しそうに俺を追い込んでいた。
「きょ、今日は調子が悪いから明日で……」
宝玉内からは、歴代当主たちがアリアの行動に駄目出しをしていた。三代目など。
『分かってないな。恥ずかしがるからいいんだよ。アリアちゃん、仕返しのつもりだろうけど、まったくそそられないよ』
五代目は興味がないようだが。
『……下着より、メイの服とか増やして欲しいんだが?』
七代目は溜息を吐きつつ。
『これだから冒険者というものは……恥じらいを持つべきですな』
恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。こうなる事が分かって、全員が仕返しのつもりでわざわざ準備を進めているのだ。
アリアなど、俺が下着を見ないだろうと分かって強気でせめてきていた。悔しいが、恥ずかしくて見ることが出来ない。
普段のアリアならともかく、他の面子ともなると……想像しては顔が赤くなり、俺はドアの前で煽ってくるアリアに悔しい気持ちになってきた。
『せっかく選んだのになぁ。そっか、見たくないんだ。あれだけ熱意を持って、下着について語ったのは、嘘だったんだ~』
下着について熱く語ったのは、成長後の俺である。
もっと見たくなる下着をはくように全員に命令したのだ。後から恥ずかしくなって身もだえしたが、それを利用してネチネチと女性陣たちが俺を攻撃してくる。
だから……俺は悪くない。なのに、らいえるが……。
『うひょ~! でも、ここまで見ろとか言われると、ガン見して逆に恥ずかしい思いをさせたいですね! 顔を赤くする普段は粗暴なアリアさん……ありだと思います!』
こいつノリノリだった。
――フィデル・トレースは屋敷で嬉しそうに報告書を読んでいた。
執務室では上がってくる報告に目を通し、これからの収入を考えると笑いが止まらなくなりそうだったのだ。
「いいぞ。あのヒモ野郎に投資するのは嫌だったが、四国が連合を組んだおかげで港にももっと意味が出てくる。港の建造に時間と金はかかるが、完成すれば利用料も考えて……十年以内には使った金額を回収出来るな。新型の船を注文していて良かった。私の代で、トレース家は益々大きくなるだろう」
ガレリア、ルソワースと海を持つ国に港を用意して、その独占使用も認めて貰えたのだ。
商人の都でもあるベイムでは、トレース家の発言力は更に高まるだろう。そして、連合を組んで戦争が少なくなっても、他のものが売れるようになる。
トレース家にとっては問題などなかった。
「あのヒモ野郎、その手腕だけは見事だな。認めたくないが有能だ。ヴェラさえ騙されていなければ、良いパートナーになれただろうに……はっ、私はなにを! くそっ、これも奴の罠か何かだ!」
娘のことが絡まなければ、優秀なフィデルはそう言いながら仕事をするのだった――。
――ベイムのどこか。
そこでは商人とギルドの幹部が集まって話をしていた。
彼らは戦争によって利益を得られる者たちで、互いの利益のためにこうして集まっていたのだ。
普段と違って狭い部屋で、商人の代表やギルドの幹部が話し合いをしていた。
「トレース家が二国で港の独占だと? 反対派閥である我々は更に苦しくなるな」
「四国連合……戦争が減るのは困りますね」
「冒険者に売ればいい。武器など冒険者が買っていく。だが、問題は傭兵団だ」
「仕事がなくなれば、魔物を倒せばいいのでは?」
「その程度で傭兵団の維持はできない。前に回して貰った迷宮討伐だが、あれもたいした利益にはならなかった」
ライエルによって利益を得られたフィデルがいる一方で、そうでない者たちもいた。近場で戦争が減ると困る傭兵団も多い。
拠点を変える必要が出てくるからだ。ベイムでは稼げないと思えば、彼らはすぐにベイムを出て行ってしまう。だが、ベイムには傭兵団を引き留めておきたい理由があった。
ベイムは特殊な大都市だ。
戦力の大半が傭兵団や冒険者なのである。そんな状況で傭兵団がいなくなるというのは、ベイムからすれば困る話だった。一割、二割の話ではない。
下手をすると残る傭兵団の数が一割から二割になりかねない。それでは仕事を依頼する者たちも減るので、冒険者ギルド南支部は放置出来ない問題だった。
「ライエルだ。あの小僧をこのまま野放しにするのは得策ではないのでは?」
「……悔しいが、救国の英雄だ。手を出せば問題になる。それに、いつの間にか防衛戦での話が出回っていた。動けば我々がやったと思われる」
「あの小僧だ! 噂を流して、我々がまるで悪役ではないか! あの小僧が引き受けると言ったのだ! それに、援軍の要請は一度しかしていない。交渉すらしようとせずに帰ったのだぞ!」
「だから我々が見捨てたという話になったのか。だが、事実は事実、だな。嘘は言っていない」
集まった面子はライエルを苦々しく思っていた。ライエルがベイムを救った英雄であるのも間違いなく、そんなライエルへ何かすれば問題が出てくる。
そんな中で、一人のギルド幹部が。
「バンセイムで実家の後ろ盾を受けるセレス・ウォルト……王太子の妃ですが、かなり残虐だとか。バンセイム国内で内乱が続いているそうです。そして、あのライエルの実の妹です。これは利用出来ませんかな?」
その話を聞いても、全員が「そうか」程度の反応しか示さなかった。
「時折あるな。まぁ、我々には稼ぎ時ではある。武具が飛ぶように売れ、それ以外も売れるからな。しかし、利用するのか?」
「傭兵団はすでにバンセイムへ向かいだしている。なんとか止められないのか? ベイムの兵力がこれでは削がれるぞ」
ギルド幹部。南支部の幹部は少し笑いながら言うのだった。
「ライエルがいる事でバンセイムに睨まれる。そう言えば宜しいのです。噂も流しましょう。そして、ライエルをセレスに差し出すのですよ」
その場の面子は。
「その話も前に考えたが、奴は放逐されたのだ。今更差し出して意味があるのか?」
「敵対するつもりだと言えば良いのです。例の連合はそのためのものだと言えば、バンセイムも放置できますまい?」
連合は小国が集まった国だ。だが、まとまればそれだけ大きな力ともなる。二万から三万の兵力を動かせるのは事実であり、無理をすればその倍は動かせるだろう。
その場の面子が周囲を見ながらうなずき合う。
「……奴は少し調子に乗りすぎた、という事だな。だが、トレース家を始め、多くの商家も奴に投資している。抵抗されればこの話を無理に通すのは難しいぞ」
「……出来ます。トレース家ですが、最近では少し無理をしたようです。新型の船までふやしているようで、更には前のガレリア、ルソワースの戦争でも随分と支援をしたとか。身内に甘いトレース家の当主ですから、まさか娘が動くとは考えませんよ」
その話を聞いて、全員が南支部の幹部に先を説明しろと目で訴えかけた。
もしかすれば、ベイム内で大きな動きが出るかも知れないのだ。
南支部の幹部は、嬉しそうに話すのだった。
「ジーナ・トレースですが、自分の恋人を次期当主にするというなら、こちらの話に乗り父を追い出してもいいと言ってきました。まったく、商人の娘も怖いものですね」
全員がその名前を聞いて、噂程度には身分違いの恋をしているのは知っていた。そして、そこまでするのかと考え、逆に嬉しそうな顔をするのだった。
「いいな。その程度の頭しかないなら操るのもたやすい」
「我々にとって都合がいい娘はいいですね。その恋人との結婚を祝福して差し上げないと。祝いの品を贈りましょうか」
「それもいいが根回しだ。この際だ。トレース家の派閥はベイムから追い出すぞ」
話が進む。
ライエルは、ベイムでの大きな後ろ盾を失おうとしていたのだった――。