元貴族のライエル
鏡を見た俺は、青い髪をかく。
鏡の中の自分は、酷く疲れた顔をしていた。包帯には血が滲んでいるところもあるが、傷は塞がっている。
火傷の跡も薬でも使用したのか、残っていなかった。
「いかがですかな、若?」
後ろからかけられた声に振り返る俺は、老人に礼を言う。
「ありがとう、だいぶ楽になったよ」
老人は、庭に小屋を建てて住み込みで働いている庭師である。家族もいるようだが、奥さんが死んでからは小屋で一人暮らしをしているようだ。
屋敷の広い庭に、隠れて住むような場所にある小屋は荷物置きの倉庫を改築したものらしい。
「それは良かった。危ないところでしたからな。屋敷の医者であれば、もう少し丁寧に治療できたのでしょうが……」
申し訳なさそうにしている老人は、これでも元は兵士だった男だ。怪我などの治療も心得があるのか、手際よく治療してくれている。
もっとも、本人が治療の事よりも言い難そうにしているのは――。
「……完全に両親から見放されたな。ハハハ、笑うしかない」
力なく笑う俺を見て、老人――【ゼル】は、部屋にある椅子に腰掛けた。もう七十代のゼルは、広い庭の一部を手入れして過ごしている。
屋敷の庭師は数名いるのだが、小屋を建てて住み込んでいるのはゼルだけだった。両親は、祖父の代から仕えているゼルに、立ち退くようにも言えずに困ってい
るのを何度か聞いたことがある。
怪我をした俺を小屋に運び込み、そのまま三日ほど寝込んだ俺を看病してくれたのがゼルだ。
俺はベッドに腰掛けると改めて礼を言う。
「助けてくれてありがとう、ゼル。もっとも、お返しなんかできないけどな」
冗談を言う俺を見て、ゼルは深い溜息を吐いた。
「大丈夫そうで安心しました。しかし、ここ最近のお屋敷の様子は本当におかしいですな」
ゼルが溜息を吐いた理由は、屋敷の様子がここ五年でまったく変わってしまったからである。
俺も不思議に思うことはあるが、それでもその家中にいると気付かないことも多かった。
「若様の今回の件もそうですが、お嬢様を跡継ぎにするなど……。先代様が聞けば、なんと言って激怒したことか」
俺の祖父である【ブロード・ウォルト】は、厳格な貴族だった。伯爵という爵位を持ち、地方貴族として領土も持っていた。
それは、兵士を持っているという事でもある。
ウォルト家は、王家の相談役を務めた家だ。祖父の時には、国王陛下とも王都で何度も会話をしたと、父が俺に自慢したものである。
ただ、非常に厳しい人でもあった。
戦場では強く、そして領地では内政に尽力した人だ。
先々代の国王陛下にも、バンセイムで指折りの貴族と言われている。ただ、少々孫に甘いところがあった。
初孫である俺は、可愛がられたものである。
「俺には優しい印象しかないけどな。ただ、家を継げなくて会わせる顔がないよ」
期待してくれた祖父を裏切ったのだ。俺は、そう思うと今までの頑張りが全て空しくなってきた。
もう、何もかも失ってしまった身だ。
「若……。あまり自分を追い詰めない事です。若はまだ若い。これからの人生を前向きに生きてください」
「ありがとう。でも、目標がないんだ。今までは領主になる事を目標にしてきたからね。なくなるとどうしていいのか分からない。情けないよね」
自嘲気味に笑うと、ゼルは立ち上がって飲み物を用意するために台所へと向かう。俺は、そのまま顔を伏せてこれからの事を考える事にした。
(もう、ここにはいられない。どこかへ行くしかないんだろうな)
ゼルの家で世話になり始め、五日目になると包帯が取れた。
随分と高い薬を使用してくれたのか、治りが早い。
だが、俺もいつまでもゼルの世話になるのは悪い気がしていた。それに、俺は家を追い出される身だ。
匿っているゼルに迷惑がかかるかも知れない。
そうして、俺は夕食時にゼルと会話をしている途中で切り出した。ゼルの話は、祖父と戦場を駆け回った話、他には王都での話をしてくれた。
三日目の夕食時に聞いた話を、俺は思い出しながらゼルに言う。
「ゼル、俺は冒険者になろうと思うんだ」
「冒険者ですか? 確かに、家を継げない貴族の子弟も冒険者になりますが、若には魔法もあれば知識もあります。それだけの技量があれば、仕官も叶いますぞ」
俺は首を横に振る。
仕官先に迷惑がかかるかも知れない。ウォルト家は大きな家だ。それこそ、権力だって持っている。
仕官先に脅しをかけることくらい、あのセレスならやりそうな事だった。
「全て失ったんだ。それなら、一から自分の力で何かを得ようと思ってさ」
「……そう、ですな。それが若の道ならば、それが良いのでしょうな」
「ゼルの話だと、有名な冒険者なら金に困らないんだろ? いつか、この恩を返すよ。その時には、立派な冒険者になって帰ってくるからさ」
「ハハハ、期待しておりますぞ、若」
ゼルは大きな声で笑う。
俺の冗談に合わせてくれているのだろう。もっとも、俺は内心でそんなに冒険者という職業が簡単だとは思っていない。
これでも元は領主の跡取りだったのだ。
冒険者という存在を、領主として嫌というほどに理解もしていた。未知に挑み、迷宮から財宝を持ち帰る。
聞けば子供が憧れるだろうが、その実はならず者の集まりでしかない。
冒険者が傭兵を名乗れば、傭兵である。その傭兵も、村を襲撃して食料を奪う事を平気でするのだ。
普段から魔物を相手にしている分だけ、冒険者というのは厄介な存在でしかないのである。
ただし、全員が悪人という訳でもない。
有名な冒険者であれば、好待遇で仕官ができる。傭兵団を兼業でやっている冒険者など、その実力から高額で雇われ接待も受ける。
「しかし、冒険者ですか。本場となると、自由都市【ベイム】が良さそうではありますな」
ゼルの言葉を俺は真剣に聞く。
「ベイム? 領主がいない商人の合議制の都市だったな。他国との交易地だったはずだが?」
「だからこそ、です。国に管理されていませんし、冒険者にも住みやすい土地なのですよ。もっとも、それは犯罪者たちにも言えたことですが」
冒険者から犯罪者になる者も多い。そうなると、冒険者ギルドから追放処分を受け、賞金首となる。
だが、他国との交易地であるベイムに逃げ込むと、どの国も表だって手が出せなくなる。話には聞いていたが、実際にそんな土地を目指すとなると少しだけ気後れした。
それをゼルが感じ取ったようだ。
「あまり気にせずとも大丈夫です。そういった連中がたむろしている場所に行かない限り、滅多に絡まれることはありませんからな」
「そ、そうか。俺は王都でも良いと思ったんだが……」
ウォルト家の領地にも、冒険者ギルドは存在している。だが、領主である俺の父が干渉できるので、避けなくてはいけない。
そうなると、国の中なら父の影響力がない場所を選ぶしかなかった。ソレを考えると、単純に王都だったのだ。
「王都の法衣貴族の中には、当家と関わりのある家が多くあります。悪くはありませんが、最善とも言えんでしょう」
「そうか。だけど、ベイムまで行くには路銀がな。それに、俺の実力がどこまで通じるのか知りたいところではある」
ベイムは商人の街だ。同時に、仕事を求めて冒険者も多く存在している。つまり、腕利きでないと生き残れない事も意味していた。
「確かに。では、一度王都に行ってみるのも手かも知れませんな。あまり長期滞在はお勧めできませんが」
「王都以外ならどこがある?」
俺はこの際だと、ゼルに相談する事にした。祖父と共に、戦場を駆け回ったゼルは、色んな場所を知っているのだ。
今まで会話などしたことがなかったが、話してみると面白い話を聞かせてくれる老人であった。
「王都に近い【ダリオン】はいかがですかな? 住みやすい良いところですよ」
「ダリオン? 地名くらいしか聞いたことがないな」
「領地としてはここよりも発展が遅れています。その分、仕事には事欠かんでしょう」
「仕事? 魔物退治ではないのか?」
俺がそう言うと、ゼルは目頭を押さえて少し呆れていた。
「まぁ、若に世間の事を教える必要はあまりないでしょうから、仕方がないのかも知れませんな」
ゼルは、俺に冒険者という存在を教えてくれる。俺のイメージでは、主に迷宮に潜り、そして時には傭兵として戦場で戦うのが冒険者だった。
だが、ゼルが言うには――。
「冒険者など、どんな仕事でもこなす存在です。最初こそ魔物退治や迷宮に挑んでいましたが、やはり雑用も多いわけです。成り立ての若者は、雑用でお金を稼いで装備を購入するんですよ」
「そ、そうなのか? でも、雑用なんか専門の人間がいるだろう」
「その辺は、ギルドに募集をかけて日雇いの仕事をさせます。まぁ、仕事の斡旋ですな。ギルドもそうやって近隣住民に気を使っているのですよ。もっとも、人夫だしで儲けているとも言えますがね」
ゼルは、冒険者の聞きたくない一面を俺に話してくれる。やはり、何もかもが上手く行くとは限らないのだろう。
「ですが、そうした下積みをして冒険者は装備を揃えます。悪い事ばかりではありませんから、それを咎めてはギルドよりも冒険者が困るでしょうな」
「そういうものなか? 俺にはよく分からないが」
領主になるために教育を受けてきた俺には、想像も出来ない世界であるのは間違いない。ただ、少しだけゼルは嬉しそうにしていた。
「どうした?」
「いえ、先代様の頃から仕えさせて頂きましたが、若とこうして話をするとは思いもしませんでした。今の当主様は、生まれた時から伯爵家の人間ですからな」
祖父の代で、ようやくウォルト家は伯爵家になっている。
その前の代で、かなりの散財をして地位を買ったと陰口を叩かれていたそうだ。それを、父が今も悔しそうに口にしていた。
父の祖父、俺の曾祖父は、どうやらかなり汚い手段を取る人だったらしい。
そうした経緯もあり、父は生まれながらに伯爵家の人間として教育されてきた。子爵家の当主だった祖父だが、まだ軍を率いて戦っていた事もある。
そうなると、ゼルには接点が全くないらしい。
「……時に若、この家で何か不思議な経験をされましたか?」
「不思議な経験? いや……あ!」
俺はゼルの急な問いに、何もなかったと答えそうになった。家を追い出された事に比べれば、大抵のことはなんでもない気がする。
しかし、思い出した。
「死の淵かな? お爺さまの声を聞いたよ。懐かしい声だった。……けど、それ以外にも声が聞こえたんだ。夢でも見ていたかも知れないけどさ」
俺は夢でも見ていた、と言って食事を再開する。
すると、ゼルは目を見開いたまま俺を見ていた。
次の日の朝。
俺はゼルに借りた服を着て、ローブを羽織る。
「息子の置いていった服でしたが、背丈は合っておりますな」
「何から何まですまないな。借りはきっと返すよ」
お礼を言うが、ゼルは首を横に振る。
「いえ、もう十分に返して頂きました。それと、若。こちらを」
そう言って渡されたのは、革袋だった。手の平サイズの革袋には、お金が入っている。
「いや、お金を受け取るのは……」
俺にはちっぽけな金額だが、ゼルにとっては違うだろう。金銭感覚が違うのは理解しているので、俺は受け取れないと断る。しかし、ゼルに押しつけられた。
「絶対に必要になります。無一文でこれからどうするおつもりか? それに、返して頂けるのなら、投資と思うことにします」
そう言われて、俺はお礼を言って受け取る。
中身は銀貨だった。
「わ、悪いな。何から何まで」
「いいのですよ。これでわしもようやく先代様との約束を果たせます」
「約束?」
俺が首をかしげると、ゼルは小さな木箱を俺に差し出して目の前で開ける。そこには、青い玉が入っていた。
銀色の飾りが周囲に施されており、一見して高価な細工だと分かる。
「いや、流石にこんな高価な物は――」
「これは先代様の、いえ……ウォルト家が代々受け継いできた玉です。細工には希
少な金属が使われ、名のある鍛冶屋が鍛え、有名な細工師が仕上げたそうです」
直系二センチ程度の玉を、首飾りにしたソレを俺は見る。
「祖父の? 確かに持っているのは知っていたけど、父が受け継いだんじゃないの
か?」
「先代様が、伯爵家に相応しいようにと装飾をされたのですが、タイミング悪くお亡くなりに……仕上げに玉を埋め込む段階で、わしが確かめに行き、そのまま持って帰りました。ですが、マイゼル様とはお会いできませんでした」
父も忙しい。
そのため、重要でなければ家臣といえ、会わないこともある。ましてや、それが悩みの種であったゼルであれば、尚更だろう。
俺は木箱から玉の首飾りを取り出す。
玉――今では製法が失われたソレは、個人に発生するスキルを記憶するものだ。詳しい内容は、今では簡易の魔具に取って代わられ失われている。
個人が生み出すスキルは、一生で一つ。それを磨き上げる事はできても、増やすことなどできない。
そんなスキルを記憶し、他者にも使えるようにしたのが玉である。
「それに、今の当主であるマイゼル様にはお渡しする事が出来ません。わしの勝手な判断ですが、これは若……ライエル様がお持ちください。そうすることが、先代様へのご恩返しにもなります」
俺は首飾りを自分の首にかけると、玉を握る。
「……本当にありがとう、ゼル。きっといつか、恩を返しに来るよ」
「期待しております、ライエル様」
そう言って、俺はゼルの小屋を後にするのだった。
ゼルは、この六日間で狭く感じていた部屋が、急に広くなったと見渡していた。
かつては、家族で住んでいた家には、時折先代のブロードが酒を持って訪れた隠れ家でもある。
街に出て描いて貰った妻の絵を見ながら、ゼルは呟く。
「なぁ、婆さん。わしはこれで肩の荷が下りたよ」
ベッドに横になると、毛布をかぶり目を閉じた。
「しかし、ブロード様と好みが一緒だとは。あの方も煮込んだ肉が好きだった」
ゼルが思い出すのは、賑やかであった時の家の様子だ。
そして、そんなゼルにブロードが、代々受け継いできた玉を渡した時のことを思い出す。自分よりも年上で、最後は寝たきりであった。
威厳があり、憧れでもあったブロードの弱々しい姿に、ゼルは涙した。
「仕上げに間に合わないのは分かっていたでしょうに。どうしてわしに頼んだのか……だが、これで役目は果たしましたぞ、ブロード様」
若い時、供に戦場を駆けた思い出がゼルによみがえる。
「しかし、最後にライエル様に手渡せて、本当に良かった……婆さん、今からそっちに行くよ」
老人は一度だけ深い呼吸をすると、安らかな笑顔になる。
屋敷を出て領地の中心部である都市に到着した俺は、都市を囲む壁の門で行商人と話をしていた。
昼を過ぎ、今から出る荷馬車に便乗できれば宿場町に到着できる。
「宿場町まで? 別に良いけど、到着は夜だし部屋だって空いているか分からないよ。私は伝があって泊まれるけど、この時期は込むからね」
行商人が難色を示すが、俺に取ってみればすぐにでも出て行きたい土地だ。
「それで構いません。便乗させて貰えますか?」
「構わないけど、君は戦えるかい? そうでないなら荷馬車に乗せるんだから、お金を貰うよ」
行商人に言われ、俺は手の平に炎を出す。
サーベルは失ってしまったが、魔法なら使用できる。これで身を守る程度には強いと示せただろう。
「驚いた。魔法使いとなると、貴族様かい? いや、恰好を見るに……おっと、余計な詮索だったね。分かった。私の荷馬車を優先で護衛してくれるなら、料金は取らないよ。むしろ、働き次第でこっちが金を出そう」
中年の男性が、掌を返して俺を乗せることを認める。
「ありがとうございます。宿場町から先の事なんですが――」
すると、俺と行商人の会話を遮るように声がする。
振り返ると、よく知る人物がそこに立っていた。
「あ、あの! 私も連れて行ってください!」
サイドポニーが特徴的な少女。
「……ノウェム」
俯いた彼女の名前は【ノウェム・フォクスズ】。
男爵家の次女である。
そして、元は付くが、俺の婚約者だった少女だ。