要塞
――ベイムでは、都市を防衛するために城壁の確認がされていた。
破損箇所がないか確認し、魔物の大軍勢を迎え撃つ準備を進めていたのだ。
だが、すでに進軍している魔物の軍勢は、未だに都市に到着していなかった。
傭兵団を率いる団長の一人が、割り当てられた城壁の区画の上から遠くを見ていた。
「……レダント砦が粘っているのか? まぁ、二万もいれば一週間は粘れるかも知れないが」
レダント砦の事をしっているが、補強したとしてもとてもではないが何十万の魔物の大軍を防げるとは思ってもいなかった。
これは、ライエルがトレース家から支援を受けていると聞かされていなかったからだ。
かなりの金額を支援して貰い、レダント砦を要塞にしているなど一傭兵団の団長では知り得ない情報だった。
知り得たとしても、持ちこたえるなどとは思われない。
レダント砦のザイン、ロルフィスの連合軍は全滅すると本気でベイムは考えていたのだ――。
――ベイムの商人会議。
事実上、ベイムのトップが集まるこの会議では、フィデルがイライラしていた。
階段式の会議の場では、進行役の者がベイムの鉄壁の守りを語っていた。
すでに会議前に主だった面子は集まり、情報を確認している。確認しているから、フィデルはイライラしていた。
「ご存じの通り、ベイムの城壁は特殊な素材で魔法に対しても高い耐性があります。現在では修復作業も進み、傭兵団を配置して万全の体制です。職人たちにも大量の武具を作らせ、矢の生産も次々に進めております」
椅子に座り、机の上で手を組んでいるフィデルは自信満々の進行役に腹が立っていた。
(馬鹿が。今のままではその大量の物資を抱える事になる)
幾人かの商人たちは、この戦争で儲けを出そうとしていた。
武具を購入し、魔物を退けた後の事も考えていたのだ。
しかし、フィデルは知っていた。
(あのヒモ野郎ぉ! 要塞を建造しやがった! 私の金で! 我がトレース家の金で要塞を勝手に作り、しかも半数まで数を減らしただと!!)
頭を抱えたくなる事実は他にもあり、トレース家が支援したのなら、とまた多くの商人たちがライエルに支援をしていたのだ。
それはいい。だが、その支援金額が馬鹿に出来ないものになっていた。あまりにも敵の侵攻が遅いので、ベイムの冒険者で足の速い者たちが偵察に向かったのだ。
すると、そこには砦ではなく要塞が存在していたのだ。
(冒険者たちの見立てでは、それでもほとんどが耐えきれないと言っていたが……数人は耐えきると言っていた。可能性があるのか)
ライエルがレダント砦――要塞で魔物を退ける確率が、ゼロではないというのがフィデルは許せなかった。
(どこまでもしぶとい!)
悔しいフィデルだが、それ以上に悔しいのは。
(このままでは、彼奴の一人勝ちではないか!)
今回、ライエルはベイムのギルド本部に人手を出すように希望した。だが、当然だがギルドも渋った。最終的に二千から三千程度は送る覚悟もあったようだが、ライエルはすぐに引き下がったのだ。
もしもライエルがここで魔物の大軍を打ち破れば、ギルドは支援を断ったことになる。
(……ふむ、トレース家は支援したから問題ないな。ギルドがあいつを潰してくれるのなら願ったり叶ったりだが)
フィデルを始めとする、商人たちは支援をしている家も多い。自分たちは出来る事をした、と言い訳も出来る。
周囲の事情を知らない商人たちが、魔物の軍勢が攻め込むことを想定して色々と動く中で、一部ではライエルが本当に何十万の大軍を防ぐのではないかと考えていた――。
第二の壁。
五日という時間を稼いだ俺は、撤退の準備に入る事にした。
それは想定よりもかなり早かったが、この状況では仕方がなかった。
壁の上で魔物の大軍勢を見ると、狭くもない両脇に崖のある場所を魔物たちがひしめき合っていた。
「ここまでだな。もう最初に配置していた部隊もほとんど要塞に後退した。入れ替えても後方送りを繰り返して数は千を切った」
第二の壁自体はまだ耐えられる。
だが、もう人がいなかったのだ。
俺の傍には、要塞の方から戻ってきたエヴァがいた。ピンクブロンドの髪が乱れており、少し疲れた表情をしていた。
「ライエル、もうアレットもクレートも、それにアルバーノも後方に下がったわ。アリアも三日前に……指揮官がいないわよ」
俺は苦笑いをしながら。
「まいったな。ノイさんが戻ってきたから、まだ数日は持つと思ったんだけど」
そう言うと、エヴァは俺に対してジト目で。
「計算が甘いのよ。バンバン後方送りで、戻ってきた傍から次々に後方送りよ。こんなの普通じゃないから」
確かに計算を大きく間違ったのは事実だった。すると、階段を駆け上がってきたクラーラが、俺に伝言を持ってきた。
クラーラもかなり疲労が蓄積しており、少し後方で休んでいた。起き上がったばかりだが、ポーターを操作出来る人間が少ないので、無理をして貰っていた。
「あ、いたんですね、いんちきエルフ」
「いんちき、ってなによ! その嫌味はなんとかならないの? 聞いていてイライラするんだけど?」
クラーラは凄く良い笑顔で。
「人は図星を突かれると腹が立つそうですよ。さて、ライエルさんに伝言です」
俺はクラーラの顔が真剣なものになるのを確認し、今にもクラーラに掴みかかりそうなエヴァの腕を掴んで押さえた。
「準備が整いました。アラムサースの“爆発する矢”も、職人さんたちが仕上げてくれました。学生の小遣い稼ぎだと教えると、危険すぎると怒っていましたよ。ブーストアロー……正式名称はそれに決まりました」
俺は頷くと、クラーラに。
「怪我人と寝込んでいる連中を運んでくれ。こっちも準備がある」
クラーラは眼鏡を指先で軽く押し上げると。
「また往復ですか。ライエルさんは先に戻って貰えますか?」
俺は首を横に振った。
「悪いが最後だ。急げ」
クラーラが下に降りていくと、エヴァの腕を放して俺は言う。
「エヴァ、後退準備に入ってくれ。それと、モニカとヴァルキリーは先に戻すぞ」
すると、エヴァはクラーラの方を見ながら。
「あの毒舌……いいけど、もう夜よ。人が少なくなれば簡単にここまで来ると思うけど? モニカたちを下げていいの? 嫌がるわよ」
オートマトンなのに、なぜあんなに自己主張が強いのか?
「問題ない。最悪、ここは形さえ残っていればいいからな」
なぜなら、第二の壁――本当の目的は別にあるのだから。
夜。
もうすぐ朝になろうとしていた。
クラーラが人員を要塞へと送り届ける中、俺は魔物の軍勢を見ていた。
「まったく減った感じがしない」
その場には一人だったので、宝玉の声に返事も出来た。三代目がいつものように飄々としており。
『それはそうだよ。いくら削っても、相手は数十万――半分になっても十万を超える大軍勢だ。少し予定より早すぎたけど、順調と言えるだろうね』
俺は夜空を見上げながら。
「……空を飛ぶ魔物の多くは取り逃がしましたけどね」
俺が休んでいる間、そして他に気を取られている間に空を飛ぶ魔物がその背中に魔物を乗せて後ろの要塞すら越えていった。
五代目は俺に対して少し怒っていた。
『全部出来ると思うな。他の連中もやれることはやったんだ。お前もできる限りの事はした。なら、後ろはベイムの責任だ。一匹も通さないなんて出来るかよ。もっと人数がいれば別だっただろうけどな』
飛んでくる魔法で、壁の上はボロボロになっていた。
エヴァが、俺のところに来て準備が終わった事を告げに来る。
「ライエル、あんたで最後よ」
「分かった」
壁から降りると、大型のポーターが出発の準備をしていた。ダミアンが作った荷物を運ぶ大型ポーターには、騎士や兵士、そしてエルフたちが乗り込んでいる。
俺は屋根の上に登ると、クラーラに出発するように言うのだった。
「出してくれ」
「……はい」
どこか恥ずかしそうにしているクラーラだったが、今は声をかけている場合でもなかった。
まったく抵抗のなくなった壁に対して、魔物たちが一斉に攻撃を仕掛けた。地響きまでポーターに伝わってくると、俺は壁を見ていた。
魔物も壁より門が弱いと思ったのか、そちらに攻撃を手中し始めた。
ポーターが第二の壁から要塞まで半分の位置に到着すると、門が破られた。そこから魔物たちが流れ込んでくる。
左手に銀の弓を用意すると、屋根の上で矢を構えた。
「足の速い奴を潰す。クラーラはそのまま要塞を目指せ」
「わ、分かりました」
大型ポーターは、前の部分に人が乗り込めるスペースが用意されていた。そこに乗り込むことで、クラーラは前を見ながらポーターを操作しつつ、安全も確保出来ている。
呼吸を整えると、先頭を走っていたケンタウルスに矢を放った。
先頭が転がり、その後ろも足を取られて転ぶ。しかし、そんな仲間を踏みつけて、魔物たちは突き進んでくる。
次の矢を放てば、同じように魔物は倒せてもその魔物を踏み越えて魔物たちが突き進んでくる。足止めには効果があまりなかった。
スキル――スピード――を使用して、ポーターを加速させてはいるが、それでも要塞に辿り着くのはギリギリかも知れない。
要塞の門は開けられており、俺たちはそこに入り込むだけで良かった。
矢を次々に放つが、魔物の波に飲み込まれているようにしか見えない。
四代目の声がした。
『まったく効果がないように見えるね』
すると、七代目が。
『多少はあるでしょうね。しないよりはマシ、でしょうな』
そうしていると、多くの魔物を踏みつけ、そして腕でなぎ払って大きな魔物が飛び出して来た。
白く、そして赤い顔をした猿のような魔物だった。長い前足の爪は鋭く、そして牙をむき出しで大きく手足を使って俺たちの方へと向かってきていた。
大きさは五メートルか六メートルか?
魔物の軍勢から飛び出した形で、俺たちに向かってきた。
銀の弓矢を構え、矢を放つと魔物は即座に反応して少し体を横へと移動させ、矢は追尾するが狙った場所には突き刺さらなかった。
肩に突き刺さり爆発したが、たいしたダメージではないらしい。白い毛皮が防いだのだろう。
振り返って要塞を見ると、もう目の前まで迫っていた。矢を二本放ち、大型の猿の足止めをしようとするが、敵はダメージを無視して突っ込んできた。
銀の弓を宝玉へと戻すと、俺は首にかけ直した。
ミレイアさんが少し驚く。
『あら、大剣を使わないのね』
俺は腰に下げた刀を抜くと、両手に持って構えた。
「いや、使いたいですよ。でも、こいつの使い心地も試しておきたいと――」
その瞬間、大型ポーターが要塞をくぐると、上から大きく頑丈そうな門が落ちてきた。
ただ、魔物も飛び込み、そのまま要塞の中へと入り込んでしまう。大型ポーターが勢いを殺すために大きくブレーキをかけて細長い本体の後ろ側が横に移動し、そのまま九十度向きを変えてポーターが止まった。
屋根から飛び降りると、そこで大きな魔物と向き合った。
ポーターから降りてきたクラーラが、俺に叫ぶ。
「ライエルさん、ジャイアントコングです! たぶん、迷宮ではボスだった魔物です!」
地面を踏みしめると、赤い顔をしたジャイアントコングが俺を睨み付けていた。
最初の獲物に俺を選んだようだ。
胸を大きく膨らませ、雄叫びを上げようとするジャイアントコングに向かって、俺は走り出して後ろ腰のホルスターから銃を手に取った。
飛び上がって大きく口を開けたジャイアントコングに向かい、銃口を向けた。
「皮膚が駄目なら口の中でどうだ」
引き金を引くと、弾丸がジャイアントコングの口の中に放たれた。痛かったのか、ジャイアントコングが変な声を出した。
ただ、生臭い息が風圧になり、俺も少し吹き飛ばされた。
空中でこちらを睨み付けたジャイアントコングの目を狙い、引き金を引いた。
六発目だったので、俺はそのまま着地する際に銃をホルスターへとしまう。ジャイアントコングは、左目を閉じて血を流していた。口の端からも血が流れており、俺を見て深い皺のある真っ赤な顔を、更に皺だらけにしていた。
両手に持ってカタナを構えると、周囲に騎士や兵士たちが集まってくる。手には銃や弓や、そして弩を持っていた。
「手を出すな!」
そう言って踏み込むと、スキル――アップダウン――で、相手の動きを鈍らせつつ、俺の速度を上昇させた。スキルの拘束を振りほどこうとするジャイアントコングだが、俺が近付くと右腕を振り回した。
目の見えない左側に移動すると、無闇に左腕を振り回してきたのでそのままカタナを縦に振ってみた。
刃は希少金属を使っているようだが、欠けてしまう。
ただ、ジャイアントコングの左腕も吹き飛んで要塞の壁に激突した。
「よく斬れる」
カタナを見てそんな感想を抱いたが、希少金属を使用しても欠けてしまっていた。鋭すぎて、繊細すぎる。扱いが上手ければ違うかも知れないが、俺ではすぐに駄目にしてしまいそうだった。
だが、相手は丈夫な毛皮を持っているような相手だ。そんな相手の腕を斬り落とせたなら、十分かも知れない。
血をまき散らしながら、ジャイアントコングが右腕を俺に叩き付けてきた。地面を転がるように避けると、そのまま足を斬りつけた。
徐々に動きが悪くなるジャイアントコングに、俺は飛びかかってその首を横一線になぎ払った。
爆発しても防いだジャイアントコングの毛皮を斬り裂いて、首が宙を舞うと俺はカタナについた血を振り払った。
空が明るくなり、俺は刃を見る。
「数打ちのサーベルより良いが……」
欠け、そしてひびの入った刀身を見て呟くと、俺の傍にヴァルキリー一号が来ていた。
「ご主人様、換えのカタナです」
背中の翼のようなバインダーから、俺のカタナの予備を取り出してヴァルキリー一号がそう言ってきた。
同じように予備のカタナを持ってきたモニカが、唖然とした表情で俺たちを見て。
「こ、このモニカが出遅れるだと……」
かなり落ち込んでいた。
溜息を吐きながら、カタナを交換すると俺は周囲に指示を出した。そして、要塞の上に行くために階段を目指し。
「魔物の素材ははぎ取っておけ。こいつは金になる。上には誰が?」
クラーラは、大きなジャイアントコングを見て解体の手順を兵士たちに指示していたが、俺の方に向き直って。
「アリアさんとミランダさんです。アレットさんは牢の方にいますから……ノウェムさんは負傷兵の治療で忙しいので」
言われた俺は、エヴァに声をかけて上に上がろうとしたが。
エヴァはエルフたちに。
「どうよ! 歌になる活躍でしょ!」
――自慢していた。
「確かに。だが、こう忙しいと歌詞を考える時間がない」
「他に目立った連中の話も聞きたいな」
「歌にするなら、やはり今の戦いも混ぜて……いや、それだと長くなりすぎるか」
この戦いを語るため、そして歌にすることを考えているエルフたちが、真剣な表情で話し合っていた。
俺は呆れつつも、一人で上を目指す。
階段を上り、俺は要塞の上に立った。
三代目が、その光景を見て――。
『さて、ここからは大仕事だね。準備してきたんだから、しっかり成果を出そうか』
――そう言った。
要塞の中からは大砲が砲身を出していた。兵士たちは沢山の矢を用意し、弓矢や弩を構えている。
騎士や魔法使いが俺の指示を待っており、要塞には万の軍勢が揃っていた。
四代目が楽しそうに。
『やたらと“成長”速度が速かったから、予定よりも随分と速く要塞まで下がりましたね。けど、それだけです。ここで迎え撃ちましょう』
五代目は遠くに見える第二の壁を見て。
『律儀に門を通ってきたな。おかげでこっちは門を塞げばこいつらを閉じ込められる。地上の魔物は一匹も逃がさないで済みそうだ。ま、前進してくるだけだとは思うが、取りこぼしがないのは良いことだ』
第二の壁には、門が二つ用意されていた。そして、一つは破壊されたが、もう一つはいつでも塞ぐことが出来る。
七代目は、真剣な声で。
『ここからはただの作業だ。閉じ込められた魔物を潰すだけ。それだけの準備は出来ている。……ライエル!』
俺は宝玉を握ると、空を見上げた。魔物たちが空から要塞へと侵入しようと、グリフォンやヒッポグリフに魔物を乗せて向かってきていた。
「まだ戦力を残していたのか。だが、もう少し早く使うべきだったな」
そんな魔物たちの更に上では、空を駆ける麒麟たちが自慢の角から雷を発生させ、空を飛んでいた魔物たちを撃ち落としていった。
数頭ではない。
十を超える麒麟が、空から魔物たちを見下ろしていた。
そして、遠くにはメイの姿があった。第二の壁に向かうと、門を閉じるために仕掛けを動かしていた。
門が閉じられ、これで魔物には逃げ場がなくなったことを意味していた。
成長を経験し、時間を置いた騎士や兵士たちは、以前よりも力を発揮してくれるだろう。
ミレイアさんが言う。
『魔物の大軍勢も、精兵を育てるための餌ですか。まったく、ウォルト家の歴代当主は怖いですね』
本当にそうだ。
第二の壁よりも強固で、そして要塞はしっかりと魔法対策がされていた。後は、閉じ込められた魔物たちを、ここで殲滅するだけだ。
俺が要塞の上で一番高い場所へと来ると、騎士や兵士たちの視線が集まる。
要塞の上では旗が風に揺れており、朝日を浴びて光って見えた。
右手を掲げ。
「ここからが我々の本気である! 全力をもって敵を……殲滅せよ!」
閉じ込められた魔物たちを前に、騎士や兵士たちが声を張り上げていた。拳を天に突き出し、そして士気が高まっていた。
(……そうだ。ここからが本番で、ここからは地獄だ)
俺はそう思いながら、目の前に迫る魔物の軍勢を見るのだった。