ヴェラの航海日誌?
――○月×日。
カルタフスに到着。
天気は快晴。
ライエルたちを送り出し、荷を無事に送り届けることができた。
船の本格的な修理は、ベイムに戻らなければ不可能だろう。だが、応急修理でも問題なくベイムに到着するはずだ。しかし、荷はいつもより少なめにする事にした。
――○月△日。
カルタフスに到着して三日目。
天気は曇り。海もなんとなく荒れている。
聞けば、ライエルたちはカルタフスのギルドで有名になっているらしい。加えて、あれほどトラシーの素材は止めておけと言ったのに、譲らないから素材がまったく売れなかったそうだ。
こちらは大きさ、そして純度の高い魔石を受け取って悪い気がしてくる。
追加報酬を考えなければいけない。
――○月○日。
カルタフスに到着して一週間が過ぎた。
天気は雨。
海も荒れており、港には到着しない船が出ていた。心配そうにしている商人たちも多い。
そんな中で、手に入れた魔石を是非売って欲しいと、ギルドや商人から取引を持ちかけられた。
ベイムに持って帰る予定なので、丁寧に断る。
ついでにライエルたちが、ランドドラゴンの討伐に向かっている話をギルドの職員から聞いた。
――○月▽日。
今日も雨だ。
船の応急修理も終わり、ベイムに届ける荷の調整に時間がかかっている。
港に到着しなかった商船は、やはり沈没した可能性が高いようだ。多くの商人たちが頭を抱えていた。
そんな中で、ベイム行きの商船に父宛の手紙を渡す。
……そろそろ、ライエルたちが依頼のランドドラゴンと戦っている頃だ。噂で聞いたが、ランドドラゴンはトラシーほど危険でもないが、侮れない相手らしい。
無事を祈る。
――○月▲日。
船長に「最近溜息が多い」と言われた。
「旦那の事ですか?」などとニヤニヤした顔で言われ、顔を赤くして否定すると船員たちが笑っていた。
納得出来ない。
帰って来たら文句を言うことにした。
今日は晴れだった。
――○月□日。
ライエルたちが戻ってこない。
早ければ昨日から今日にかけて戻っているはずだ。落ち着かずに船内をウロウロしていると、船員たちにニヤニヤした視線で見られた。
尻を蹴り飛ばすと、喜んだので部屋に戻る。
考えないようにしているのだが、寝ても覚めてもライエルの顔が浮んでくる。
――ロランドの事を考えるよりも、胸が苦しい。
今日は曇りだった。
――○月◇日。
もうすぐ、ライエルたちが港に来るとギルドの職員に教えられた。
ベッドに横になり、唇を触れることが多くなった。
鎖骨辺りを触れると、あの日のことを思い出してしまう。
まずい。本当にまずい。ギルドの職員が、ベイムのギルドに届けて欲しい荷物を受け取ったが、交渉するのを忘れて言い値で引き受けてしまった。
失態だ。
――○月◆日。
ライエルたちが、依頼を達成して船に戻ってきた。
聞けば、ランドドラゴンは四体もいたとか――カルタフスのギルドには、今後厳しくすると心の中で誓う。
久しぶりに会うと、相手の顔が見られなかった。
クラーラにここ最近の事を聞いたが、どうやら色々とあってライエルは考え事が増えたらしい。
それより、私の顔を見てノウェムが意味ありげに笑顔を向けてきた。その事をクラーラに話すと、ノウェムの許可が出たとか言っていた。
女性陣の管理は、ノウェムがしているのだろうか?
キスをする時には、先に確認をした方がいいのだろうか?
暗い船内。
ヴェラさんの部屋で見つけてしまった航海日誌に目を向け、パラパラとめくったら見てはいけないものを見てしまった気分だ。
最後の方は、天気だとかその他の航海に関する事など一切書かれていなかった。
(三代目に言われて読んでみたけど……)
振り返ると、ベッドに横になるヴェラさんが見えた。周囲ではシャノンが毛布に包まって眠っており、ソファーにはアリアがエヴァと絡み合うように眠っていた。
パーティーの片付けはモニカが終えており、スリープモードで立ったまま眠っている。
ノウェムやクラーラも、毛布に包まって寄り添うように眠っていた。
波は穏やかで、月の光が綺麗な夜だ。月明かりが窓から差し込み、その光で航海日誌を読むことができた。
ミランダが寝返りを打つと、俺は咄嗟に日誌を机の上に置いてそこから離れた。
目が覚めてしまい、起きたらこんな状況だったのだ。誰も起きていないのを確認すると、胸をなで下ろした。
すると――。
「ふれどりくすだぁ~」
そんな寝言が聞こえたと思えば、ヴェラのベッドからメイが落ちた。
(あいつ、あんなところで眠って……気付かなかった)
すると、ヴェラがゆっくりと上半身を起こした。眠そうな目をしたヴェラと目が合うと、ヴェラは俺の後ろを見て目を見開いた。
紫色の瞳が、俺の後ろ――机の本棚に置かれた航海日誌を見ていた。
三代目は笑いながら。
『あ、上下逆だ』
などと言い、この状況を楽しんでいた。ミレイアさんは、航海日誌の文字が逆さになっているのに気が付いた俺に。
『ライエル、人の日記を見るのは失礼ですよ』
今更言うのかと思っているが、この人も実は分かって言っている気がする。ミランダとシャノンのご先祖様だ。きっと、腹黒い部分があるに違いない。
「み、見たの」
ヴェラの緊張した声と、泣き出しそうな表情を見て俺はどう答えて良いのか分からなかった。
(ど、どうする! ここで否定してもきっと駄目だ。でも、人の日記を読むとか最低だし……そうだ! 俺はこんな最低野郎なんです、みたいな感じで!)
俺は少し深く呼吸をしてから、芝居がかったような台詞で。
「お、お互いに隠し事はしない方がいいだろ? お前の全てを知っておきたかった」
内心では。
(どうだ、この自己中のナルシストは! これならドン引き間違いなしだ!)
そう思っていると、見事に宝玉内の歴代当主とオマケが。
『うわ、酷いね』
『らいえるサンを真似たのかい? 真似られると思えないけどね』
『どっちもライエルだけど、何か違うな』
『最初にどもっただろ、ライエル。いかんぞ。どんな時でも平静さを保ちなさい』
『あら、結構頑張ったと思いますけど? 成功するといいわね、ライエル』
(ミレイアさんは気が付いているな。いや、三代目も気が付いたか……くそっ、どいつもこいつも、俺の思惑を知って楽しんでいるようにしか思えない)
そうしてヴェラを見ていると、俯いて髪をかき上げた。ツーサイドアップの黒髪が揺れると、先程よりも部屋が明るく見えてくる。
目が慣れてきたのだろう。
ヴェラが立ち上がり、俺に近づいて来た。平手打ちくらいなら受けても良いと構えていると、六代目が母親に何度も平手打ちをくらってボロボロになる姿を思い出した。
(あ、あれよりはマシなはず!)
構えていると、ヴェラが俺に近づいて来て――。
「や、約束だもんね。負けを認めたら、こうする、って」
ヴェラが抱きついてくると、小さな胸が体に当たった。後ろに下がりそうになると、宝玉から大きな声で。
『そこで下がらない! 優しく両手で抱きしめなさい、ライエル!』
このノリノリのミレイアさんは、きっと性格が悪いはずだ。六代目もきっと騙されていたと思いながら、言われるままに抱きしめた。
抱きしめて――。
(しまった! この流れは――ッ!)
――そのままキスをされた。舌が軽く口の中に入り、離れると唾液で少し糸ができた。すぐに糸は切れたが、ヴェラは。
「その、私に出来る事があったらなんでも言って。トレース商会を動かす事は無理でも、少しなら支援してあげられるから」
三代目が。
『貢がせる男、ライエルの実力は凄いね。ベイムで金持ちのお嬢様をこんなに簡単におとすんだから。さて、いくら搾り取れるかな』
四代目は声が楽しそうだった。お金の話をするからだろう。
『二千とか三千ですかね? もしかすれば五千は持っているかも知れませんよ。今から楽しみですね!』
こいつら……いつも思っているが、最低だ。
すると、俺はハッとしてヴェラを抱きしめたまま部屋の中を見た。暗い部屋だ。しかし、部屋の中で十六もの瞳が俺を見ていた。
怖かった。素直に、俺はその光景に恐怖した。
(……女の子が増えてしまって、申し訳ない気持ちで一杯です。だから、そんな目で見ないで!)
次の日。
ヴェラの船室で、俺はソファーに座って向かい合っていた。
ノウェムが、こちらの事情をしっかりと説明すると言いだしたのだ。そして、覚悟がないなら身を引いて貰うと。
(そういうの、もっと前に言わない?)
などと思っているが、俺は淡々とヴェラに事情を説明した。
セレスの事――。
バンセイムの事――。
そして、俺の目的――。
たったこれだけの人数で、大国であるバンセイムに喧嘩を売ろうというのだ。ヴェラはそれを聞いて真剣な表情で唇に手を当てて考え込んでいた。
出されたお茶を飲みながら、ヴェラは言う。
「まさか、そんな事になっているとはね。普通なら信じられないわよ。精神系のスキルは確かに厄介だけど、魅了するスキルなんて欠点があるもの。時々、使い手が凄い場合、もしくはスキルが凄い場合があるけど、大半は永続の効果なんかないわ。あったら周囲が放っておかないし」
精神系のスキル――セレスの魅了を、ヴェラはそう言い切った。
俺は誤解を解くために。
「妹のセレスだが、ハッキリとは魅了するスキルと決まってないんだ。それ以外にもおかしいことがあるからね。でも、バンセイムはおかげで狂い始めているよ」
セレスによって引き起こされているバンセイムでの悲劇は、この瞬間も増え続けているだろう。
それが、本当に魅力というスキルなのかは、俺にも分かっていない。
(もしも知っている人がいるなら、ノウェムかセプテムさんくらいだろうな)
ヴェラはソファーの肘当てに肘を乗せ、少し体を斜めにして。
「いいわよ。それなら支援してあげる。お金がいるでしょうし。もっとも、戻ってからお父様に話はするけど、娘の頼みでも仕事関係にはシビアよ。可能性がないと思えば、平気でライエルをセレスにだって引き渡すわ」
それを聞いて、ノウェムが微笑んだまま。
「ならばこちらにも考えがあります。ただで引き渡される事など有り得ません」
自信満々のノウェムに、ヴェラは頷きながら。
「でしょうね。トラシーを倒した冒険者パーティーと争いたくないわ。こっちも被害が出るでしょうし。ただ、お父様に勝てる可能性があると思わせないと無理よ。それに私が言うのもなんだけど、ベイム有数の商家――利益がないと動かないわ」
宝玉内。
四代目がそれはそうだと言いながら、口を出す。
『当然だ。利益が出ない事をしないのが商人だ。時折、そういった利益に関係なく動く商人もいるけどね。セレスではなく、ライエルに賭けさせるにはそれだけの勝てる確率と利益を出さないとね』
ヴェラはお茶を飲み干すと、モニカが新しいお茶を用意していた。受け取ったヴェラは、また口をつけ。
「大国バンセイムに挑む理由も分かったわ。けど、ハッキリ言って今のままだとベイムはライエルの敵に回るわ。セレスがどれだけ危険でも、実際にその危険を情報で知るのと肌で感じるのは違うし。取り入る方法なんかいくらでもあると思う連中も多いから」
ノウェムも同意見だったようだ。
だから、俺たちは支援を受ける商家を選んでいた。慎重に選び、トレース家がもっとも有力な候補だったのだ。
「私もそう思います。だからこそ、お聞きします。トレース家……いえ、ライエル様がベイムの支援を得る方法を」
ヴェラはお茶の入ったティーカップを置くと、ソファーの背もたれに寄りかかり天井を見上げた。
難しいのか、言い難そうにしていた。だが、顔を俺たちに向けると、俺たちが支援を得られる可能性について話をする。
「ベイムは冒険者と商人の都よ。でも、実際は冒険者ギルドもベイムの商人議会――通称だけど、そう呼ばれている商人たちの決定には逆らえないわ。トレース家だけじゃ駄目ね。最低でも五人から六人の商人から認められないと」
認められればいいのか? 簡単だと思ってしまうと、宝玉から五代目の声が聞こえてきた。
『多くの商人に支持される、ね。難しいな』
その説明をするように、ヴェラは言う。
「簡単じゃないわよ? こっちが動けば、私たちの裏をかこうとする連中だっている。セレス側に与する連中だって出てくる。戦争で儲けるために、ライエルにもセレスにもいい顔をする商人も出てくるわ」
ノウェムは、ヴェラに聞く。単純だ。
そんな状況下で、どうやれば俺に支持が集まるのか、という事だ。
「ライエル様が多くの商人から支持されるのに必要な事はなんでしょう?」
ヴェラは微笑みながら言う。
「ベイムに対しての利益ね。実際、セレス・ウォルトの噂もベイムで集めれば危険と誰もが思うわ。けど、そんなセレス相手にも利益を出そうとするのが商人よ。だから、ライエル――しばらく目的は話さない方がいいわ」
今は動くときではない。そう言われ、俺も納得する。ベイムを味方につけるのは、金のない俺にとって重要な課題だった。
頷くと、ヴェラは溜息を吐きつつ。
「さて、それじゃ、私が出せる金額について話をしましょうか。今のままだと何もできないだろうし、私の自由にできるお金を提供するわ。返さなくていいけど、この恩は忘れないで貰うからね」
悪戯っ子のように微笑むヴェラに、俺も笑顔で頷いた。
「感謝するさ。絶対に忘れない」
「……軽くそういう事を言える辺り、あんたはテンション高いときも素の部分があるのかもね。ま、いいわ。私が出せる金額は――」
宝玉内では、歴代当主たちがウキウキしていた。
特に四代目が。
『いくらかな! 五千あると当面の活動資金になるんだけど!』
七代目は呆れたように。
『いくら大商人の娘でも、まだ子供です。そこまで期待するのはどうかと思いますよ?』
俺はある程度のお金があれば、今回の報酬などと合わせて随分と楽になる。
そう思っていると、ヴェラはとんでもない事を口走った。
「――金貨で十万枚。それでいいかしら? 特に使わないから貯め込んでいたのよね。これが今の私の精一杯よ、ライエル」
俺は笑顔が固まった。隣にいたノウェムは、それを聞いて。
「それだけあれば、ダミアン教授の計画も実行に移せますね。当面の資金には困りません。良かったですね、ライエル様」
俺は、乾いた笑い声を出しながら。
「お、おう。アハ、アハハハ。うん、助かるよ!」
笑顔で答えるのだった。ヴェラは頬を染めながら、少し俯いて。
「こ、これくらいしかできないけど……他には職人を紹介するくらい? でも、トレース商会のコネだし、私個人だと依頼を受けてくれるか分からないけど」
いきなり全てが解決しそうな雰囲気の中で、五代目はボソリと。
『……ベイムを放置するのはまずいと思うな』
三代目も同様に。
『これは、早急にライエル自身の方針を決める必要があるね。場合によっては、ベイムは規制しないと大変な事になるよ』
深刻そうに、俺に忠告するのだった。