サハギンの強襲
航海二日目。
俺は、揺れる船内の与えられた部屋で目を覚ました。
背伸びをすると、廊下から声が聞こえてきた。
エヴァやクラーラの声だ。
『ちょ……これがまだ続くとか無理』
『き、気持ち悪いです』
頭をかくと、船旅になれていないので二人が昨日から船酔いを起こしていた。起き上がると、モニカが声をかけてきた。
「おはようございます、チキン野郎」
俺は眠い目をこすり、モニカを見た。間違いなく、俺の部屋で身支度の準備をしていた。
「……鍵、かけたよな?」
ドアを見ると、ドアノブの鍵は施錠されていた。
「あの程度の鍵など、このモニカの前にはないのと一緒です。チキン野郎の世話をするという大義の前には、あの程度の鍵は障害にもなり得ません! あ、揺れるので今日は濡れタオルをご用意いたしました」
冷たい水に濡れたタオルを受け取りながら、俺は顔を拭いてモニカの事は考えない事にした。この程度の鍵なら、開けられてしまいそうな気がしたのだ。
なので、他の仲間の様子を聞く。
「エヴァやクラーラはまだ辛そうだけど、他のメンバーはどうした?」
モニカは、俺から濡れタオルを受け取ると、そのままスカートとエプロンの隙間から朝の身支度セットを取り出して俺に椅子を差し出してきた。座ると、モニカが髪をセットし始める。
「ノウェムの野郎はアリアとメイを看病していますよ。ミランダは小娘シャノンが酷い状態なので、そちらの対応ですね。夜中に色々とありましたので。そう言うチキン野郎も、顔色が悪いようですが?」
流石になれない船旅。しかも二日目とあって、俺も疲れが出ているようだ。溜息を吐くと、一番酷そうなシャノンの事をたずねた。
「一番酷いのはシャノンか。部屋の掃除とか大変そうだな」
すると、モニカは俺の髪をセットし終わると笑顔でコップを差し出してきた。飲めというわけではなく、口を濯げと差し出したコップに入った液体は、半透明の緑色をしていた。
口に含み、口の中を濯ぐとモニカは小さな桶を俺に差し出してくる。
「問題ありません。このモニカフルオプションバージョンは伊達ではないのですよ。部屋の掃除から洗濯まで完了しております」
宝玉内からは、七代目の声が聞こえてきた。
『このオートマトン。実はかなり優秀なのでは? 普段の言動は信じられないものばかりですが、古代人が英知を結集して作ったというのは本当かも知れませんね』
普段の行動を見るに、忘れがちだがモニカは俺に尽くしてくれている。そして、その性能のおかげで助かってきた場面も多かった。
四代目は、それでも少し納得ができないのか。
『というか、なんで古代人はこんなオートマトンを作ったんだろうね? 技術の無駄遣いというか、なんというか……おっと、ライエルも体調は大丈夫かい? まだ、予定の海域には到着してないようだけど、動けないとかないよね?』
俺たちがヴェラ・トレース号の護衛を引き受けたのは、魔物による被害が増えたと思われる海域を船が通るからだ。どうしてもそこを通らなければならず、そして何隻もの船が破壊されて沈没したという情報を得れば、護衛を雇うくらいはするだろう。
もっとも、トレース家の反応から、幸運の女神にもしもの事はないと思うが、念には念を入れて、という感じで仕事を依頼された。
俺は、少し体のダルさを感じながらも、宝玉を握って大丈夫であると四代目に知らせる。立ち上がると、モニカが俺の着替えを差し出してきた。
「お前……もういいや」
受け取ると、モニカは勝ち誇った表情をして。
「ふっ、このままいけば、私がいないと生きていけない駄目人間の完成ですね。大丈夫です。死ぬまで面倒を見てやりますよ」
まったく嬉しくない言葉に、俺は脱いだ上着を投げつけるのだった。
外――甲板に出た俺は、軽く食事を済ませ外の空気を吸いに来た。
一緒についてきたのは、顔色の悪いエヴァだ。外の空気を吸いたいとついてきたのだが、俺が肩を貸している状況だった。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
エヴァは、呼吸を乱しながら青い顔をしつつ。
「だ、大丈夫。外なら海に吐けばいい、って教えて貰ったから」
こいつ、全然大丈夫じゃない。そう思った俺は、溜息を吐きつつ甲板の邪魔にならないところへと向かった。
手すりに掴まると、エヴァは遠くを見ていた。船員に聞いた、船酔いに効く対処法を試しているようだ。
「……屋敷に残れば良かった」
涙目のエヴァだが、俺は屋敷に残るように勧めたのだ。しかし、クラーラもエヴァも、外国に興味を示してついてきてしまった。
背中をさすってやりながら、俺は呆れるように。
「ついてきたんだから諦めろ。三日もすればなれるだろうからな。それにしても、陸があんなに遠いとは」
進路方向の左手には、陸地が遠くに見えていた。
エヴァは陸地を見ながら。
「陸に戻りたい」
泣き言を言うのだった。
弱り切ったエヴァの背中をさすっていると、後ろから声がかかった。振り返ると、そこにはヴェラさんが赤い日傘を差してツーサイドアップの髪を潮風に揺らして立っていた。
「随分と酷いわね。船旅は初めて?」
「俺も仲間も、ほとんど初めてですよ。故郷はバンセイムなんで、どうしても縁がなかったんです」
バンセイムにはほとんど海がない。湖はあっても、どうしても海に縁がある場所でもなかった。
右手で日傘を持ち、左手で髪をかき上げるとヴェラさんが俺に近づいて来た。
「私は逆に海がない光景が珍しいわ。山とか登ったこともないのよね。やっぱり、楽しかったりするの?」
俺は山に登った事を思い出そうとすると、家族でピクニックに行ったときの記憶がよみがえった。周囲には護衛がおり、俺たち家族を笑顔で見守っていた。
その時は父も母も優しく、セレスは……。
そこまで思い出すと、俺は左手で顔半分を押さえた。
(セレスは……あれ、いったいどんな顔をしていた?)
思い出そうとしても、思い出せない。すると、ヴェラさんが俺に近付いて。
「大丈夫? 無理はしないで休んでおきなさい。仕事のある海域は数日後だから、それまでに船の上になれて貰えればいいから」
俺は首を横に振ると。
「いや、大丈夫です。エヴァも――」
そうしてエヴァを見ると、青い表情で頬を膨らませて口元を押さえていた。
「エヴァァァァ!!」
「も、もう駄目……」
苦笑いをするヴェラさんは、日傘をクルクルと回しながら俺にアドバイスをくれた。
「吐きたい時に胃に何もないのは辛いわ。少しでも食べるか、水を飲ませておくのね。お酒は駄目よ」
ハンカチを差し出され、受け取ると俺は困惑してしまう。高価そうなハンカチだったのだ。
「使って良いわよ。口元を拭いてあげなさい。美人が台無しだからね」
そう言われてエヴァの口元を拭き取ってやると、船員たちが慌ただしく甲板に出て来た。
そして、見張り台にいた船員が、鐘を鳴らして大声を張り上げた。
「敵襲! 敵襲ぅぅぅ!!」
すると、ヴェラさんは日傘を畳むと、俺に投げて寄越した。後ろ腰のホルスターから黄金の銃を引き抜くと、グリップの部分は黒く宝石が埋め込まれた銃を手にして。
「それ、お気に入りだからなくさないでね」
黄金の銃を見て、七代目が興奮気味に。
『リボルバータイプか! わしの時代はもっと大きくて四発だったんだが……ふむ、六発はあるか! 銃身も長いが丸くなく四角いな? ハンマー部分もコンパクトに……いいな! 欲しいな、ライエル!』
別に欲しくはないが、素直に恰好いいとは思えた。それに、ヴェラさんが持つと絵になる気がした。
髪をかき上げると、彼女はシリンダー部分を確認して周囲を見た。
「いつも通りよ。同士討ちはしないように! 船を壊したら魚の餌だからね!」
「ウッス!」
「任せてください、お嬢!」
「蜂の巣にしてやるぜ!」
船員たちが、武器を手に持って甲板に集まっていた。手にはサーベル。そして、銃を持っている船員もいた。ハンドガンではなく、両手に持って構える一メートルくらいの銃だった。
五代目が。
『どれも先の方にナイフがついてないか?』
四代目は、気が付いたのか。
『弾切れなら槍にするのか……そう思えば、銃もいいのかな?』
七代目は興奮気味に。
『そうでしょう! そうでしょう! やはり銃が世界を変えるのです!』
ただ、三代目は否定的だった。
『……あれで戦って、銃のあの鉄の部分? 弾を撃ち出すところは曲がらないの?』
七代目は、言い訳をする。
『……繊細ですから駄目になることもあります。ですが! 修理すれば良いのです! それに、弾がなくなっても戦えるという素晴らしい武器ではないですか!』
歴代当主たちの声を聞きながら、俺は指を鳴らして甲板の上に宝箱を出現させた。中からは、サーベルが二本飛び出してくる。
手に取ると、エヴァに日傘を差し出し。
「大事なものらしいから、汚すなよ。ま、すぐに終わりそうだけどな」
サーベルを引き抜き、鞘もエヴァに渡した。
「汚さないわよ。けど、明らかに戦闘もこなしそうな雰囲気よね。私たち、必要だったの?」
エヴァの疑問ももっともだと思っていると、二代目のスキル――オール――が、周囲の魔物の反応を教えてくれた。こちらに敵意を持ちながら、海面から飛び出して来た。
その姿――前に迷宮で見たサハギンだ。
だが、以前のサハギンよりも、鱗や皮膚が不気味な色で、ところどころに傷を持っているサハギンが多かった。
動きも、迷宮で見たサハギンと違ってどこか鋭さがあった。
ヴェラさんは、黄金の銃を片腕で構えて発砲した。
銃口から煙が発生し、そして海面から飛び出して甲板の上に着地したサハギンの頭部が吹き飛ぶ。
甲板の上が不気味な緑か青のような血で汚れると、それを合図に海面から次々に手に銛を持ったサハギンたちが飛び出して来た。
俺は、背中にいるエヴァを守るように立つ。飛び出して来たサハギンの一体が、甲板の上を転がり、俺の前で体を起こすと構える。
しかし、銃声がすると、サハギンが真横に吹き飛んだ。
視線を吹き飛んだ方向と逆に向けると、ヴェラさんが無表情で銃を構えていた。
七代目が興奮している。
『銃を魔具に改良したのか! 今はそこまで進んで……しかもあれだけの口径のある銃を片腕で扱うとは!』
嬉しそうで何よりだが、俺は冷や汗をかいた。
「こっちに当てないでくださいよ」
すると、ヴェラさんは近づいて来たサハギンを射殺して、シリンダー部分を開け、弾を交換していた。
熱された薬莢が床に落ちると、軽い金属音がいくつも聞こえてきた。周囲では、船員たちも戦闘を開始し、銃声や怒声が聞こえてきた。
弾を込めるヴェラさんは。
「あんまり動かないでね。それと、次が来るわよ」
二代目のスキル――オールよりも広範囲を把握しているのか、ヴェラさんの視線の先を見るとサハギンたちが海面から飛び出して来た。
船の甲板まで、それなりの高さがあるというのに、なんというジャンプ力だと思いながら、俺はこちらに銛を向けて突撃してくるサハギンを下から上へと斬り上げて綺麗に両断した。
違う獲物を撃ち抜きながら、ヴェラさんが感心したように。
「有名なだけはあるのね。また綺麗に斬ったものだわ」
そう言いながら、次の獲物を銃で撃ち抜くヴェラさん。俺は、彼女が涼しい顔で次々にサハギンを撃ち抜く光景を見て冷や汗が流れた。
彼女のドレスは、返り血を浴びていない。だが、返り血で真っ赤に染まったように錯覚してしまった。
「次々来るわよ。こいつら、本当に多いんだから」
呆れるように言うヴェラさんは、連続で三発海の方へ発砲すると空中で撃ち抜かれたサハギンが海面へと落ちていく。
そして、見張りをしていた船員が叫んだ。
「大物だ! 首無しの奴が出やがった!」
すると、ヴェラさんは左手を横にして大声を張り上げた。
「大砲用意! 敵は遅いわよ! ゆっくり狙いなさい!」
俺は外の様子を見ると、そこには亀の甲羅が海面に浮上してきていた。触手を甲羅から何百と出し、こちらに近づいて来ていた。
「シェル・ジェルフィッシュだったか? 首無しとか、一つ目とか呼ばれているとは聞いていたけど」
手すり近くに移動すると、エヴァも立ち上がって同じように海面に浮ぶ船の半分の大きさであった魔物を見ていた。
「あんなのが突撃してきたら……ライエル、下!」
言われて船体の側面部分を見下ろすと、扉が開いてそこから大砲が出てくる。だが、俺が知っているような大砲ではなかった。
「やけに細長い砲だな」
後ろから近づいて来たサハギンに、俺は左手に持っていたサーベルを投げつけた。回転しながらサハギンの頭部に突き刺さったサーベル。そして、サハギンは、そのまま仰向けにゆっくりと倒れていく。
視線を海に戻すと、ヴェラさんが指示を出していた。
「用意は?」
「いつでも!」
船員が壁についていた筒のようなものから、何か聞いてヴェラさんに親指を突き立てて準備が整ったと知らせていた。
ヴェラさんは、ニヤリと笑うと。
「いつまでも体当たりが通用すると思わない事ね。……撃てぇ!!」
船体から出た五つの砲身が火を噴くと、大きく船体が揺れた。そして、甲板にはノウェムやミランダが飛び出して来た。
「ライエル様!」
「たくっ! 外に出るな、なんて言われなければ……って、なによ、あれ……」
ノウェムは俺を見て安心し、ミランダは甲羅が弾け飛んだ大きな魔物が沈んでいくのを見ていた。
周囲を見れば、サハギンたちが逃げ出していき。そして、戦闘が終わりを迎えようとしていた。
大砲の砲撃で甲羅を破壊され、血を噴き出しながら魔物はゆっくりと海に沈んでいく光景を見ながら、ヴェラさんはホルスターに銃をしまいつつ。
「これが私たちの実力よ。どう? これでも護衛は必要かしら?」
挑発的な視線に、俺は苦笑いをするのだった。
「確かに。でも、これだけの力があるなら、なんで俺たちを雇ったんでしょうね。よっぽど、心配されたんじゃないですか」
俺は、絶対に俺たちの助けなど必要ないと、自嘲気味に笑っていた。だが、ヴェラさんは少し悲しそうに髪をかき上げつつ。
「……言い訳よ。出来る事はした、って思わせたいの。いつもそう。私を船に縛り付けて。幸運の女神が聞いて呆れるわ」
空を見上げたヴェラさんの横顔は、何かを我慢しているように見えたのだった。
……同時に。
(あ、あれ……? なんだか視界が揺れて……それに体が急に重く)
フラフラとする俺に、ノウェムとミランダが駆け寄ってきた。
「ライエル様!」
「嘘でしょ。まさかこんな時に……」
俺は、この体の異変に冷や汗が出た。
「……なんで……今になって」
宝玉内。歴代当主たちは。
『ほほう。ついに来たか。今回もタイミングがズレたね』
『いや、完璧じゃないですか?』
『時間はあるんだ。なんとか目的の海域までに回復すればいいが……』
『ま、なんにせよ……やはりライエルは持っていますね。このタイミングで“成長”とは』
俺は内心で。
(嘘だ。まさかこんな……誰か嘘だと言ってくれよぉ!!)
成長を迎えたことに、内心で恐怖するのだった。