同型機
壁から襲いかかる複数の手の平を見ている俺は、咄嗟の事に体が動かなかった。
激しい脱力感に痛みを感じ始めている肉体もそうだが、精神的にも戦闘後という事もあって緩んでいた。
(なんで急に――)
俺を握りつぶそうと迫ってくる女性の手。
しかし、その前に現われたのは。
――モニカだった。
「チキン野郎に何しやがる! って、なんですかこれは!」
スカートから特大のハンマーを取り出して吹き飛ばそうとしたモニカだったが、ハンマーがぶち当たると粘土のように柔らかい素材だったのかハンマーがめり込む。
そして、ハンマーを吸い込みながら俺の周囲を囲むように手の平が迫ってきていた。
上下、左右。
振り返って逃げようとするが、地面からも指が出現してくる。
最初に捕られたのは足だった。
「なっ! 地面からも――」
「えぇい! こうなれば――」
モニカも地面に沈み、周囲の光景が見えなくなる中。
ノウェムたちが魔法を使用しているようだ。俺を呼ぶ声が聞こえる中で、モニカは沈み込みながらも俺の側に来て抱きついてくる。
「おい、何をして!」
「黙っていてください!」
抱きつき、俺を持ち上げようとしているモニカ。
俺を逃がそうとしているのか、俺を持ち上げようとしたところで三代目の声がした――。
『何が起こって……上からも来る』
いくつもの手が俺たちを包み込むように狭まってくると、俺の意識は徐々に遠のくのだった。
――その光景を、アリアは見ているしか出来なかった。
いや、正確には何もできなかった、というのが正しいだろう。
突如として、壁や地面から出現した大きな手によってライエルとモニカが取り込まれていった。
包み込まれたライエルたちを助けようと、魔法や攻撃を加えたが粘土質のような手はいくら攻撃を加えてもすぐに再生したのだ。
こんな魔物がいるとは聞いていなかったアリアは、混乱しながらライエルたちが取り込まれていった壁を見る。
手が出現し、最終的には壁に戻っていったのだ。
アリアが駆け寄って壁に手を触れるが、そこには洞窟のゴツゴツとした壁しか存在していなかった。
「な……なんで……こんなの」
こんな事はあり得ない。
そう呟こうとすると、ミランダが魔法を壁にぶつけるために、魔法を用意していた。
「アリア、退きなさい……ファイヤーカノン!」
強力な火球が撃ち出され、壁に激突すると炎が散らばった。黒く煤け、そして凹んだ壁は迷宮内という事もあってすぐに元に戻ろうとする。
飛び退いたアリアが、その光景を見て最悪を考えた。
「ライエルとモニカが……」
……死んだ、とは続けられなかった。
だが、ミランダは、またしても魔法で壁を破壊しようと構える。
アリアは周囲を見回すと、そこには未だに地下九階層へと続く入口が閉ざされていた。そして、自分たちが入ってきた入口から何かが崩れるような音がする。
振り返ると、入口の天井が崩れて部屋は封鎖されてしまった。
「何が起きて……」
混乱するアリアだが、それはミランダも同じだった。ボスを倒して閉じ込められた、などという話は今まで聞いたことがなかった。
自分たちが知らないだけ、などと単純に思いたくもない。
すると、ゆっくりと動き出したノウェムが、壁に向かって歩きながら杖を振り上げた。
「ノウェム、あんた何を――」
杖などで壁は破壊出来ない。そう言おうとしたアリアだが、ノウェムの杖を見て目を見開いた。
杖の先端部分が、形を変えたのだ。
黒い柄の部分は伸びて、まるでツルハシのような形状になる。
両腕でその杖だった物を振り上げるノウェムだが、ツルハシの部分はノウェムと同じ大きさ――いや、それ以上にも見えた。
そんな大きな物体を、ノウェムは振り上げて振り下ろした。力は込めている。
しかし、その動きはアリアも信じられなかった。
何度も、何度も、そしてスピードを上げて壁が再生するよりも速く削っていくのだ。銀色のツルハシ部分を見て、アリアはライエルが持っていた宝玉を思い出す。
「ライエルの武器と同じ」
大剣、そして弓の形に姿を変える、宝玉の装飾部分。アレも、銀色だったとアリアは思い出したのだ。
無表情、そしてただ黙々と壁を壊していくノウェムを見てアリアは声が出なかった。
普段のノウェムは、魔法使いとしてパーティーの火力を担当している。
接近戦などしないし、それほど力があるようには見えなかった。
だが、目の前でノウェムは大きなツルハシを縦横斜めと振り回して壁を削っていく。
しかし、そんなノウェムの動きがピタリと止まった。
(何が……糸?)
ボートに吊されたランタンの光に照らされ、まるでノウェムの動きを止めるように糸が絡まっていた。
振り返ったノウェムは、無表情でミランダに言う。
「……離しなさい。構っている時間はありません」
せっかく削った壁が、見る見る修復されていく。
アリアがミランダを見ると、まるで指先から糸が出ているように見えた。普段と同じ手袋をしているのに、そこから糸が出ている。
「私もそうよ。でもね、この状況だとどうしてもアンタの力がいるのよね」
ミランダが構えを解くと、糸が緩んでノウェムから離れていく。アリアには、かすかにしか糸が見えない。
ミランダの指先には糸が垂れているように見えた。右手を持ち上げ、何度かミランダは握り、そして手を広げてその感触を確かめている。
ノウェムがツルハシを杖の形状に戻すと、前につきだした。
「二人とも、いい加減に――」
アリアが二人を止めようとしたところで、水面から牛の鳴き声をしたボスが出現する。
それも、一体ではない。
自分たちが倒したボスは、水面に浮んでいた。だが、次々に水面から姿を現す、ボスと同じ魔物たち。
数にして十体。
広いと思っていた部屋が、狭く感じる数だった。
ミランダも水面の方に体を向けると、右腕と左腕を広げるように振るい、そしてすぐに自分の胸の前で交差させた。
「……アンタのために奥の手にしたかったんだけどね」
一番近くにいたボスが、首から上がいくつもの輪切りにされた。
ノウェムは、魔法を唱える。
「ファイヤーウイップ……」
低い声で、いつもと違って怒りをあらわにしていた。炎の鞭が近づいて来たボスに絡まると、そのまま炎で焼いていく。
暴れ回るボスが、水の中に逃げるが炎は消えなかった。そして、自分たちが倒したボスと同じように焼かれて浮かび上がると、炎の鞭が消える。
そうしている間に、ミランダは二体目をズタズタにしていた。
だが――。
「アリア、悪いけど自分の身は自分で守ってね。私も使い慣れていないから、何体やれるか分からないし。それにね……この数は処理しきれないわ」
二体目を倒したミランダの弱気な発言に、アリアは槍を構えた。
「流石にこの数は私も無理だわ。でも、一体か二体なら……【クイック】」
自身のスキルを使用するアリアは、地面に這い上がろうとしたボスに襲いかかると真上に飛んで斬撃をいくつも飛ばす。
ボスの背中に切れ目が入ると、そこに自身ごと槍でボスの体内を貫いた。
倒れるボスから出てくると、アリアは血まみれだった。
「ライエルから、心臓の位置を聞いておいて良かったわ。でも、あんまりやりたくない倒し方なのよね」
血まみれのアリアは、ノウェムを見た。
先程から、目のハイライトが消えて恐ろしい。
(普段よりも不気味な雰囲気が……)
アリアは、ノウェムを不気味と思っていた。優しく、そして頼りになるノウェムだが、アリアはそんなノウェムを怖いと思うときがあった。
そして、今はその怖さが増している。
ミランダが三体目を屠ると、ノウェムは歩いて前に出ると水の中に杖の先端を浸けた。
いつもよりも冷めた声で。
「……凍れ。そして、二度と私の邪魔をするな。我が……であろうと許さない」
次の瞬間、部屋の中の水が全て氷った。
(今、何か言って――)
アリアは、大事なところを聞き逃してしまうが、ノウェムの鬼気迫るような表情の前に口を閉じるのだった。
ボスたちは氷漬けにされ。
ノウェムが杖を引き抜くと、そのまま杖をハンマーの形にして振り下ろした。
砕ける氷と共に、ボスたちがバラバラになっていく――。
声が聞こえた。
それは、俺を呼ぶ声だった。
懐かしいその声は、父であるマイゼル・ウォルトのものだった。
『ライエル、お前はどんな領主になるんだ?』
その言葉を思い出した時、俺はなんと答えたのか思い出せないでいた。ただ、俺の答えを聞いた父は、笑って俺の頭を撫でてくれたと思う。
そして、段々と俺を呼ぶ声が増えてくる。
気が付けば、五代目の声からハッキリと聞こえてきた。
『さっさと起きろ!』
四代目の超えも慌てていた。
『いや~、流石にこれは想定外だね』
七代目が。
『くっ、何が起こって……』
六代目が俺の心配をする。
『ライエル、まだ戦えるか? この状況、あまりノンビリしていられんぞ』
三代目が。
『起きて周りを見るんだ。ま、普段なら絶対に見られない光景が広がっているよ』
それを聞いてゆっくりと目を開けると、俺の目の前にはモニカが立っていた。
俺を守るように立っているのだが、その姿はボロボロだ。
近くには、同じように取り込まれた特大のハンマーだった物体が転がり、他にもモニカのメイスなどがまるで溶けたような状態で地面に落ちていた。
(いったい何が……)
体を動かすのも辛く、もう目を閉じて眠っていたかった。
だが、そういう事も言っていられない。
右腕に力を入れて体を起こそうとすると、モニカが俺の前に立っていた。まるで、守るように俺の目の前に立っている。
特大のハンマーは、溶かされて地面に落ちていた。
他にも、モニカのメイスなどが溶けて赤くなって煙を出し、地面に落ちている。独特の臭いを出しており、俺が立ち上がるとモニカが俺に手を貸してきた。
モニカのメイド服はボロボロで、そして周囲には――。
「こいつらがなんでここに……それに、なんでモニカが二人も」
すると、俺を立たせているモニカが、腹立たしそうに言うのだ。
「納得出来ません。アレと私が同じ? よく見てください。私には胸がありますが、相手にはないでしょう。同型機だからと、一緒にされては困りますよ!」
怒るモニカの視線の先には、金髪のツインテール、そして白い肌に赤い瞳のオートマトンが立っていた。
違いは、確かにモニカが言うとおり胸だろう。だが、それ以外にも違いが存在している。
彼女の背中に背負われた、白い虫の足のような道具だ。
こちらに先端を向けており、まるで警戒しているように見える。
モニカに似たオートマトンは、スカートの両端を持ってたくし上げ、お辞儀をしてきた。モニカと同じように仕草は完璧だ。
だが――。
「初めまして。このような恰好で大変失礼ですが、ご容赦ください。何しろ、整備も受けていない状態でしたので」
片方の足が欠損し、エプロンはボロボロで所々に銀色の機械が見えている。
周囲のオートマトンたちも同じだ。
壊れているが、姿勢を正して立っていた。中には、両足を失い、仲間に支えられているオートマトンもいる。
そして、顔半分が吹き飛んでいる者までいた。
周囲を見た俺は、モニカの外見にも損傷があるのを発見する。
「戦闘をしたのか?」
相手を睨み付けると、相手は少し呆れたような表情をした。
「どの程度の性能なのか見たかっただけです。何しろ、迷宮が再生した私の“妹”に当たる存在ですから。それに、人間に仕えている事を考えても、性能評価は必要でした。もう、二度と失わないために」
(失わない? 何を言って――)
モニカは、反論する。
「嘘です! アレは嫉妬です! 私にチキン野郎がいるから羨ましかったんですよ、この自称“姉”は!」
姉と呼ばれたオートマトンは、口に手を当てて笑う。
「あら、なんの事やら。さて、時間もないようなのですぐにお伝えしますね」
すると、オートマトンたちが再びお辞儀をしてきた。
「名を名乗ることも出来ません。私たちに伝えられる事は、あまりにも少ない。ただ――」
ただ――。
「――八番目から伝言を預かっております。私たちにとっては、とても不愉快ですがね」
八番目と聞いて、俺はすぐには理解出来なかった。
(まだ、頭がフラフラする)
すると、四代目が。
『ライエル、ペリドットだ! 八月の誕生石! しかも、八番目! 何かあるんだよ、この迷宮には!』
俺が宝玉を握ると、モニカの姉は俺の宝玉を見て。
「また変わったメモリーですね。随分とこの時代には不釣り合いな代物です。おっと、伝言でしたね。それでは――」
モニカの姉が、真剣な表情で俺に告げた。
「八番目から、貴方――ライエル様に伝言です。……『セプテムの事を……全てを知りたいなら私のところに来い』と。そして最後は――」
(セプテム……セレスの事か!)
俺が何故八番目はセレスを知っているのかと思ったが、何かしらの繋がりは番号で想像出来た。
そして、最後の伝言は。
「――『ノウェムを信じて欲しい』。以上です」
俺はそれを聞いて、ノウェムの名前が出たことに心のどこかで当然のように受け止めている自分がいるのに気が付いた。
(やっぱり、何か知っていたんだな……ノウェム)